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仏教

闇のなかの問い

 

闇のなかの問い

静かに呼吸を整えながら、ゴータマは思った。
――なぜ、これほどまでに人は苦しまねばならないのか。

彼はかつて王宮にあり、あらゆる快楽を享受していた。
だが、それらはすべて、老い、病、死――無常の影におびやかされていた。

「この世に変わらぬものはない。
どれほど愛しても、どれほど守ろうとしても、
すべては流れ、崩れ、消えていく。」

心の底から湧きあがるこの問いが、彼を瞑想へと導いていた。

放棄と探求

一切を捨て、ゴータマは修行の道を選んだ。
最初は過酷な苦行に身を投じた。
肉を削ぎ、骨に皮を貼るような日々。
だが、骨と皮ばかりになった自分の身を見つめながら、彼は静かに悟った。

「この道ではない。」

苦しみを極めても、真理にたどり着けるわけではない。
飢えた体と同じように、心も痩せ細るばかりだった。

――ならば、なにが道なのか?

彼は迷い、そして、再び坐った。
菩提樹の下に。
この身が朽ちてもよい。
この命が尽きてもよい。
だが、悟りに至るまでは、絶対にこの場を動かぬと誓って。

夜明けの刻

夜の闇がもっとも深いとき、ゴータマの心にもまた深い闇が押し寄せた。
恐れ、執着、無知――無数の悪魔たちが、心のなかにささやいた。

「やめよ。無駄なことだ。」
「おまえに何ができる。」
「死ね。すべてを諦めろ。」

だが、ゴータマは動かなかった。
たったひとつ、真理への渇望だけが、彼を支えていた。

そして。

一筋の光が、心の奥底から立ちのぼった。
それはどんな快楽よりも甘美で、
どんな言葉よりも確かだった。

ゴータマは見た。
縁起の法――すべての存在が、因と縁によって生起し、消滅する真理を。

彼は悟った。

苦しみは、無知から生まれ、
無知は、縁起の道理を知らぬことから生じていたのだ。

無知を滅することで、苦しみは消える。
それが、四つの真理――「四聖諦」の道であった。

静かな勝利

夜が明けた。
東の空が白みはじめるころ、
ゴータマはそっと目を開けた。

世界は変わっていなかった。
樹々はそこにあり、鳥はさえずり、
人々は今日も生き、悩み、笑い、泣くだろう。

だが、彼の心は、もはや何ものにも動かされなかった。

彼は完全なる解脱者――
覚者、すなわち「ブッダ」となったのだった。

そして、われわれへ

その道は、遠いものではない。
ゴータマ・ブッダが示した一歩一歩の道筋は、
時を越え、われわれにも手渡されている。

ほんの小さな一歩からでもいい。
目を閉じ、心を静め、
そして、自らの内なる問いに耳をすませてみるのだ。

苦しみを超える道は、いま、この瞬間にも、
あなたの足元からはじまっている。

道の途上 On the Way

道の途上
On the Way

 

静かに揺れる 林の奥で
若き心は 闇に迷い
砕けた誓い 胸を締めつけ
ひとり涙を 大地に落とす

それでも立ち上がる 倒れてもなお
真実を求めて 夜明けを越えて
心に灯した 消えぬ小さな火よ
アジャタよ 今、光となれ

In the forest swaying, quiet and deep,
A young heart wanders, lost in the dark,
A broken vow tightens around his chest,
He sheds his tears upon the earth alone.

Yet still he rises, even when he falls,
Seeking the truth beyond the break of dawn,
A tiny flame he lights within his soul,
Ajata, now, become the shining light.

十六の法の成就する者

十六の法の成就する者

月明かりは銀の糸のように大地を撫で、夜の静寂がすべてを包んでいた。
梵音すら遠ざかったこの聖なる夜、マハーナーマは震える胸を押さえながら、仏陀の御前に歩み出た。

彼は膝を折り、地に額をつけ、深く一礼した。
そして、抑えきれぬ思いを言葉に乗せた。

「世尊よ……」
声はかすかに震えていた。
「いかなる法を成し遂げた優婆塞が、自らを安んじ、また他をも安んずることができるのでしょうか?」

仏陀は、深く静かなまなざしでマハーナーマを見つめられた。
その眼差しには、すべてを受け容れる無限の慈愛が宿っていた。

「マハーナーマよ――」
仏陀は静かに、しかし天地に響くかのような力強さで答えられた。

「十六の法を成就する者こそ、自らをも他をも安んじ、慰めることのできる優婆塞となるであろう。」

マハーナーマの瞳がひらかれた。
彼は畏敬と期待に満ちた表情で、さらに問うた。

「世尊よ、その十六とは、いかなる法なのでしょうか?」

仏陀は微笑まれ、夜空に輝く星々を背に、ゆっくりと語り始められた。

「まず、マハーナーマよ――
自ら正しき信を抱き、なおかつ他者にも正しき信を芽生えさせること。
己が身を浄らかな戒めによって守り、他者にもまた、清らかなる戒を持たせること。

己が施しを惜しまず、他にも施しの喜びを教えること。
己が塔や寺に参詣し、聖なる沙門に面会し、
他にもまた、参詣し聖者に学ぶ道を示すこと。

己が沙門の説法に耳を傾け、他にも説法を聴聞するよう導くこと。

己が法を受け持ち、護り、他にも法を受け持つ心を奮い起こさせること。

己が仏法の深遠な義理を心に観じ、他にもその深義を悟らせること。

そして、己が仏法の深義を知り、法に近づき、法を探求して進むと同時に、
他者にも法を尊び、追い求める修行の道を歩ませること。

――マハーナーマよ、
この十六の法を余すことなく成就する者こそ、
自らを光で満たし、また他者にも光をもたらす優婆塞と呼ばれるであろう。」

仏陀の言葉は、夜をも貫く光となって、マハーナーマの心に降り注いだ。
彼の胸は熱く震え、目には知らぬ間に涙が滲んでいた。
ただただ、仏陀の御前に額づき、無言のまま深い感謝を捧げるしかなかった。

その夜、マハーナーマは誓った。
己がこの十六の法を成し、世に安らぎをもたらす者たらんことを――。

 

 

 

 

 

 

優婆塞十六法

 

現代語訳

か?」 「世尊よ。いくつの法を成就する優要塞が、自分を安んじ他を安んずる優婆塞なのでしょう

マハーナーマは仏さまに申し上げました。

「優婆塞の十六法を成就する者が、自分を安んじ他を安んずる優婆塞です。では、十六法とはどのようなものでしょうか?

マハーナーマよ。自分自身が正しい信を持つと共に、他者にもそれを確立させる。自分が浄戒を保つと共に、他者にも浄成を確立させる。自分が布施を行うと共に、他者にも布施行を教える。 自分が塔寺に参詣してもろもろの沙門に見えると共に、他者にも塔寺への参詣と沙門に見えるこどを教える。自分が沙門の説法をひたすら拝聴すると共に、他者にも説法を拝聴することを教える。自分が法を受持すると共に、他者に受持することを教える。自分が仏法の深義を観察すると共に、他者に仏法の深義を観察することを教える。自分が仏法の深義を知って法に近づき法を追求すると共に、他者に仏法の深義を理解させて、また法に近づき法を追求する修行を行わせる。

マハーナーマよ、このように十六法を成就する者は、自分を安んじ慰めて他人を安んじ慰める

優要塞というのです。

マハーナーマよ、この十六法を成就する優婆塞のもとには、あのもろもろの大衆がすべて参詣するようになります。その大衆とはいわゆるバラモンたち、クシャトリアたち、長者たち、沙門たちであり、それらの人々の中においても十六法を成就する優婆塞の威徳は大いに輝きます。ちょうど太陽の光明が日の出から日没まで大いに輝き続けるのと同じように、優婆塞の十六法を成就する者の威途は大いに輝き続けるのです。

と。 マハーナーマよ、このように優婆塞の十六法を成就する者は、世間に

態なのです。 たとえば、瞑想や坐禅によって安心が得られるという方がおりますが、瞑想や坐禅をやっていろ時は迷いが消えても、因縁がそのままになっているならば、瞑想の定が解けた時にまた苦しみが襲ってきます。ですから、真に安らかな状態というのは、すべての因縁を解脱し、成仏した状

ょうか?」 そのように考えていきますと、「優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」とは、 「優婆塞はいくつの法を成就すれば、自分を成仏させ、他の者を成仏させることができるのでし

マハーナーマはこの仏さまの説法を拝聴して大いに喜び、また仏の教法を讚歎したのちに座を立って礼を行い、その場を去りました。

お釈迦さまのお答えを聞いた後で、マハーナーマは「世尊よ、優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」と質問をしました。

ここに、安んじという言葉が出てまいりますが、これは、単に心が安らかになる、ということではなく、成仏するという意味です。なぜならば、すべての因縁を解脱しなければ、完全に安らかになることはできないからです。因縁を切って初めて、本当の安心が得られるわけです。 あんじん

という意味になります。

吉し優婆塞十六法を成就する者は、是れ優婆塞自ら安んじ他を

と。 マハーナーマよ、このように優婆塞の十六法を成就する者は、世間に

態なのです。 たとえば、瞑想や坐禅によって安心が得られるという方がおりますが、瞑想や坐禅をやっていろ時は迷いが消えても、因縁がそのままになっているならば、瞑想の定が解けた時にまた苦しみが襲ってきます。ですから、真に安らかな状態というのは、すべての因縁を解脱し、成仏した状

ょうか?」 そのように考えていきますと、「優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」とは、 「優婆塞はいくつの法を成就すれば、自分を成仏させ、他の者を成仏させることができるのでし

マハーナーマはこの仏さまの説法を拝聴して大いに喜び、また仏の教法を讚歎したのちに座を立って礼を行い、その場を去りました。

お釈迦さまのお答えを聞いた後で、マハーナーマは「世尊よ、優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」と質問をしました。

ここに、安んじという言葉が出てまいりますが、これは、単に心が安らかになる、ということではなく、成仏するという意味です。なぜならば、すべての因縁を解脱しなければ、完全に安らかになることはできないからです。因縁を切って初めて、本当の安心が得られるわけです。 あんじん

という意味になります。

吉し優婆塞十六法を成就する者は、是れ優婆塞自ら安んじ他を

 

正信を広める

するに、すぐに、他の者にも勧めることが十六法であり。こなどによって、自分も人成仏すせることができる、と説かれているわけで

次、というわけです。

のこの分は。 アリのある小真ではない」

だけを良いていたならば、やはり「阿含経」は小乗経真といなぜならば、法とは自分だけの修行だからです。八法で他人のことを考えでいるのはくらいのもので、他は自分の悟りのことだけを考えています。

をして自分がを得るのですから、他の人に布施を勧め、その人演ぐようにしてあげるのと比較すれば、やはり、利他の行というよりは自利の行に近くな

だからこそさまはだけではなく十六法を説かれました。他利益し、成仏に向かわせることを強調されたのです。このことから。おさまの方法もそれをまとめた「阿含経」

わかしおさまがこの十六法をお説きになっていらっしゃるから立意しました。もしもへ法しかかれていなければ、阿含宗という教団はません、自分だければいい、自分だけ成仏すればいい、という仏教を立ててもしかたがないからです。

ところが、おさまは自他共に成仏させる十六法を説いていらっしゃいます。だからこそ、 わたくしは困難な道ではありますが、阿含宗立京に踏み切りました。これは、大切なことですかと、しっかりと覚えておいていただきたい。