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仏教

神足の門を越えて――統合せし者のみが辿りつく境界

 

神足の門を越えて――統合せし者のみが辿りつく境界

ムーラーダーラ・チャクラ――それは欲望の根に宿る。
彼はそこに「欲神足」を見た。欲そのものを否定するのではなく、それを統御する力の可能性を。

スヴァーディシュターナ・チャクラ――動きと創造の源。
「動神足」がここに宿る。流れるように、彼の意識は次なる門へと導かれた。

マニプーラ・チャクラ――意志と火の中心。
彼は「心神足」の萌芽を感じた。己の中心に燃ゆる力、まだかすかにだが、確かに。

アナーハタ・チャクラ。
ヴィシュッダ・チャクラ。
アージュニャー・チャクラ。
そして、サハスラーラ・チャクラ。

そのすべてを越えて、彼は「観神足」の光に触れようとしていた。

だが、その時、彼の中で何かが囁いた。
――これだけでは、足りない。

チャクラを覚醒させただけでは、「四神足法」の真髄には到達できないのだ。
これは、重大な真実である。いや、「重大」などという言葉では生ぬるい。
それは、絶対的に必要不可欠な理解であった。

チャクラを開発する。それだけならば、熟練のヨーギーたちも成し得るだろう。
だが、「四神足法」はその先にある。
それは、単なる覚醒ではなく、統合を求める。
散在する光を、ひとつの光柱へと変える技法――それがなければ、神力には至らない。

彼の内に、賢者の声が響く。

「チャクラの光を統べよ。そのためには、二つの技法を修めねばならぬ。」

第一の技法。
各チャクラから発せられたエネルギーを、意志のままに操り、必要とする場所へ自在に送達させる“回路”を構築すること。
とくに、脳――その奥深く、新皮質への回路こそ、神足法の核心となる。

第二の技法。
その回路を実現するために、神経経路そのものを補強し、さらには新たに築き直すこと。
「新皮質と視床下部を結ぶ道を強化せよ。」

それはただの修行ではない。
それは、神経の再創造である。
既存の神経経路では足りない。
彼は、新たな神経の目覚めを必要としていた。

思い出される古の教え――ナーディ。
スシュムナー管、イダー、ピンガラ。
古代のヨーギーたちが語った気の道。
クンダリニー・ヨーガにおいては、それらを通じて螺旋の力を昇らせ、超常的意識へと至るとされている。

しかし、「四神足法」はそれをも超える。
それは、クンダリニーをただ“目覚めさせる”のではない。
目覚めたクンダリニーを、統御し、統合し、神経と脳をも変革する力へと変える法。

今、彼の尾骨――ムーラーダーラの座で、
クンダリニーはゆるやかにその尾を動かし始めていた。
三巻き半の螺旋がほどけるように。
永き眠りから目覚める蛇のごとく。

そして、彼は知る。
次に目指すべきは、**統合せし者だけが通過できる「神足の門」**であることを。

 

神足の門を越えて Beyond the Gate of Divine Step

 

神足の門を越えて

Beyond the Gate of Divine Step

星なき闇に目覚めし時
螺旋は根より昇りゆく
眠れる力よ いま動け
永劫を破る 覚醒の息

チャクラを越えて 神足の門へ
統べよ 意志の火 光を束ね
回路を描け 脳を貫け
新たな神経 魂を導け

In starless dark, the soul awakes
A spiral climbs from rooted base
O sleeping force, begin to move
Break the eternal—breathe of truth

Beyond the chakras, to the gate divine
Unite the flames of will, let light align
Draw the circuit, pierce the brain
Awaken nerves—let soul regain

 

神足の門を越えて

 

神足の門を越えて

それは、ただチャクラを開くだけでは決して到達できない領域だった。

深い瞑想の底、星なき闇の中で彼は目覚めた。背骨の根元、ムーラーダーラの座に眠る力――クンダリニー。それは、三巻き半の螺旋を描き、スヴァヤンブーと呼ばれる神秘の象徴を包み込んでいる。彼女は眠っていた。永劫の静寂の中で、目覚めの時を待ち続けていた。

「だが、これでは足りない…」

賢者の声が、彼の内奥に響いた。

「チャクラを目覚めさせただけでは、神足法には至れぬ。チャクラの力は、ただそこにあるだけでは神力とはならない。それらを統合し、意志によって一つの方向へと導かなければならないのだ。」

彼は深く息を吸った。すでに幾つかのチャクラは目覚め、螺旋状のエネルギーが背骨を駆け上っていた。だが、それはただの個別の光に過ぎない。統合されていない光は、闇を裂くことができない。

「統合の技法…それは、二つある。」

賢者の声が、内なる空間に再び響いた。

「第一に、チャクラが発したエネルギーを自由に操り、意志のままに運ぶための“回路”をつくれ。とくに脳へ通じる回路は、神足法における核心となる。」

「第二に、その回路を現実化するために、神経経路を強化せねばならぬ。とくに、新皮質と視床下部をつなぐ経路を築き直すのだ。」

彼はその言葉を胸に刻んだ。

それは、クンダリニー・ヨーガにはない技法。いや、厳密には、類似した法が一つだけ存在する。

ナディ――スシュムナー管と、イダー、ピンガラ。

古のヨーギーたちが語り継いだ、気の通り道。

だが、神足法はそれを超える。新たな経路、新たな意識の統合、新たなる神経の目覚め。

クンダリニーは、今、静かにその尾を動かしはじめていた。

神足の門を越えて(第二章)
—回路を描く者—

光なき冥府を抜け、彼は再び座に戻った。蓮華座の姿勢で背骨を伸ばし、両手を丹田の前で重ねる。意識は、静かに内へと沈み込んでいった。

「回路を描け…意志をもって、道を織れ…」

賢者の言葉が、あたかも神の語る御言葉のように響く。

彼の脳裏に、一つのイメージが立ち上がる。光の線。赤と青、金と白の光線が、チャクラから放たれ、脊柱を伝い、頭蓋の内奥、脳幹へと集束していく様子。だが、そこにはまだ“道”がない。光は散り、熱は揺れ、意識は乱れる。

「このままでは、エネルギーは空に消える…」彼は自問した。「どうすれば道が生まれる…?」

ふと、心の奥にひとつの記憶がよみがえった。

それは幼いころ、夜の森を歩いたときのこと。草を踏みしめ、石を避け、木の根を感じながら、手探りで道を選んだ。その時、彼の感覚は研ぎ澄まされ、見えぬはずの道が、そこに“在る”と感じられた。

「そうか。道とは、最初に見るものではない。感じるものだ。築くものだ。」

彼は意識を視床下部に下ろし、そこから新皮質へと向かう神経のラインを探った。静寂のなかで、彼の神経系が細かく震えた。存在していなかったはずの経路が、微かに光を帯び、一本の細道となって浮かび上がる。

「開け、神経回路よ。われは汝を描く意志なり。」

その瞬間、胸のチャクラ――アナーハタが強く脈打ち、エネルギーが脊柱を駆けのぼった。やがて光は脳へと到達し、新皮質の中心に淡い輝きを灯した。

新たな回路が、そこに開かれた。

彼の身体が静かに震えた。それは恐れではない。目覚めだった。

 

 

 

四神足法解說

しじんそくほう

連はどのようなものであるか。

まず、四神足法について見てみよう。

四神足法解說

欲神足法

人間の生命力の、とくに肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修

行法。

勤神足法

欲神足法で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

心神足法

 

第二章

親神足法

肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にこの量力を飛躍向上させていく。

すなわち、脳の欠陥部分を補強するための準備段階として、古い脳を人に進化させる修行法である。ワニとウマの獣性の脳を霊性の脳に変えていくのである。

新しい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。

同時に、間脳に付属する視床下部と、古い脳辺縁系との神経回路を補充強化する修行法である。知性と霊性の完全なる融合だ。

以上が、四神足法の概略である。

四神足法を成就したとき、その修行者は、仏陀に準ずる大聖者となる。『業を超え、因縁を解説し、生者、死者ともに解脱成仏させる大聖者である。

七科三十七道品の釈尊の成仏修行法は、大きく分けて、「教え」と「法」の二種に分類できる。

「法」の中心は、四神足法である。

いや、中心というより、法は、四神足法のみである。

五力法も修行法であるが、これは、四神足法の補助のようなもので、四神足法に対し、つぎのように付随される。

(四神足法)(五力法)

欲神足 精進力(信力)

動神足念力

心神足定カ

親神足慧力

四神足法、五力法以外の道品、すなわち、四念住、四正断、七覚支、八正道

クンダリニー・ヨーガと成仏法の直督「地

 

 

は、「教え」である。これらの教えは、四神足法について、つぎのように付随される。

(なお、五根法は、五力法のベースとなる瞑想と実践である)

四念住欲神足

四正断勤神足

七党支心神足

八正道視神足

ただし、観神足を体得した聖者には、もはや教えは不要であって、八正道は、 他の三神足修行者にすべて対応される教えである。

四神足法とクンダリニー・ヨーガ

さて、以上の四神足法の修行は、どのようになされるのであろうか?

 

それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラの開発からはじまるのである。

その関係はつぎのとおりである。

ムーラーダーラ・チャクラ

欲神足

スヴァーディシュターナ・チャクラ

動神足マニプーラ・チャクラ

心神足

アナーハタ・チャクラ

ヴィシュッダ・チャクラ

アージュニャー・チャクラ

観神足サハスラーラ・チャクラ

以上であるが、ここに非常に重大なことがある。

それは、四神足法は、クンダリニー・ヨーガのチャクラを開発しただけでは不十分だということである。チャクラを開発すると同時に、各チャクラを統合して

機能させていく技法が必要なのである。わたくしはいま、非常に重大葉を使ったが、それはそれ以上、絶対に必要なポイントなのである。

それは、どういうことか?

チャクラは、チャクラを覚醒、発動させる技術によって活動を開始し、チャクう特有の力を発生する。しかし、それだけでは、四神足法が目的とする神力(超常的能力)にまではとうてい、至ることができない。どうしても、これらのチャクラを統合して、さらにパワーを加圧、加増して、重点的にはたらかせる技法が必要なのである。

それは、二つの技法である。

1、各チャクラが発生したエネルギーを、自由にコントロールし、かつ、自分

の必要とする場所に自在に送達させることのできる回路を持つ。

とくに、脳に対しての回路が重要である。

2、その回路作製を可能ならしめるための神経経路を補強、さらに、新たにつ

くり出す。

しんかしっししようかこれは、とくに、「新皮質と視床下部をつなぐ神経経路を補強する」とい

うことにも、必要欠くべからざる技法なのである。

この二つの技法は、クンダリニー・ヨーガにはないものである。

ただし、まったくないのではなく、これに類似した技法がひとつある。

ナデイ

それは、スシュムナー管と、ピンガラ、イダーという気道を使う法である。

クンダリニー・ヨーガというのは、だれもが体内に持つクンダリニーと名づけ

る強大な生命の根源力を目ざめさせて、これにより、超常的体力を獲得し、特殊な精神領域に到達しようとするヨーガである。

びていこつクンダリニーは、脊柱のいちばん下部、尾低骨のチャクラ(ムーラーダーラ)

の部分に、蛇が三巻き半、とぐろを巻いたようなかたちで眠っている。クンダリ

ニーというのは、「巻かれているもの」という意味である。

リンガクンダリニーは、そこにあるスヴァャンプーという男根のまわりに巻きついて

 

 

らせんクンダリニーの目ざめとともに、スシュムナー管の両側にあるピンガラとイダーという二つの気道が開き、クンダリニーのエネルギーは、この二つの気道をも、螺旋状に上昇していく。この二つの気道は、その後のクンダリニーの力を調節するはたらきをする。

びていこっスシュムナー管は、脊柱の中空部にある生気の通る路で、尾骶骨から脳の下部の活動にまで届いている。また、スシュムナー管の内側には、ヴァジリニーとよばれる気道がある。

いて、その頭部で、スシュムナー管の入口を閉ざしている。

ばれる気道があり、さらにその内側には、クモの糸のように細かいチトリニとよ

特殊な瞑想・思念・ムドラー・マントラ詠唱などの動作によってチャクラが発動し、クンダリニーが目ざめると、クンダリニーは噴火した火のような激しい勢いで、スシュムナー管を上昇していく。クンダリニーを Serpent fire (サーペント・ファイア、蛇の火)とよぶのも、そこからきているのである。

クンダリニー・ヨーガの目的は、聖なるものと一体となる至高の境地を目ざす

ので、スジュムナー管、ピンガラ・イダーの両気道を上昇するクンダリニーのエ

ネルギーは、最終的に、サハスラーラ・チャクラにまで到達して、その目的を達するのである。

以上が、クンダリニー・ヨーガの気道の技法とされるものである。

四神足法も、このクンダリニー・ヨーガの技法を、そのまま使ったらよいのではなかろうか?

そうはいかないのである。単にチャクラを目ざめさせ、そのエネルギーを発動させただけでは、四神足法の目的を達成することはできないのである。久そうふくラを統合し、そのエネルギーをさらに増幅して目的のものに集中する方法が、どうしても必要なのである。

では、クンダリニーを覚醒させ、これを使ったらいいではないか。

わたくしは、阿含経はもとより、釈尊にまつわるさまざまな伝説に至るまで、

あらゆるものを分析した結果、釈尊の成仏法には、クンダリニー・ヨーガのクンダリニー覚醒法がもちいられた形跡を発見することができなかった。(彼自身は、

85

第二章 クンダリニー・ヨーガと成仏法の真髄「四神足法」

る。 釈尊は、だれでもが実行できる修行法を教えた。一心に修行さえすれば、だれでもが成仏できる方法を教えたのである。だから、チャクラを使うことはとり入れたが、クンダリニー・ヨーガの覚醒法はとり入れなかったのである。クンダリニー・エネルギーは使ったけれども、その方法はまったくちがっていたのであ

なぜか?

クンダリニーの覚醒は、あまりにも激烈、過激すぎて、完全な脳を新しくつく

りあげるのには適切でないのである。クンダリニー・ヨーガは、人間の脳の欠陥を是正する方法ではなく、そこを通り抜けて一挙に、別次元の高度の意識領域に突入してしまう方法なのである。

これは危険すぎるし、かつ、ごく限られた特殊な人にしかもちいられない方法であった。

では、どのようにしたのであろうか?

 

虚空蔵求聞持

虚空蔵求聞持

観音求聞持

ヒトを天才にする求聞持聡明法

つと明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。

大師が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、風に知られている。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚鑑(一〇九五―一一四三)が、七度、 この法を怪して成功せず、八度目に悉地を成じ、成功したと伝えられる。覚錢上人ののこされた業績をみれば、上人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なことに、四十八歳で亡くなられている。

発言数の求聞持聡明法には、三種の法がある。

であるが、ふつう、求聞持法といえば、空海が修して有名な虚空藏求聞持をさす。 この法を、主には「空蔵■最勝心陀羅尼汞電待法」という。 しかし、わたくしがこのたびこの本でそ

イントン

もない。わたくしが独自に創成した求聞持法で、わたくしはこれに、

默都如意求聞持聡明法

と名づけた。

この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも

のである。

とくんよう二つの特徴がある。

それは、

がくせい一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。 どうきようどういく一、その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートにのせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中枢である問脳・視床下部に送りこむ。

この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であるといってよいであろう。

わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇 「年前に発行した「変身の原理」以来、わたくしの著書はこの本で四○冊になるが、それらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであると

にした。 わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らか

クンダリニー・ヨーガも、道教の導引・気功も、いずれも超人的能力を獲得するための最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法はない。この二つの法の欠脳を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの駄都如意求聞持明法は、ヒトにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。

もちろん、後世おそるべし』という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るかも知れないが、しかし、それも、クンダリニー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄都如意求聞持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。

この法を、指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍に飛躍強化されるであろうことを断言する。

天才は不老長寿でなければならない

求聞持明法は、たしかにヒトを天才にする

イントロダクシ E ン

ある。

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたにしたのでは、なんにもならない。

天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するものでなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

求聞持聡明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき短命に終わった興教大師覚錢上人が念頭にあった。上人は、おそらく、過酷な求聞持法修行のため、法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。 このことは、年少、結核を病んで何年も病床に伏した苦しい経験を持つわたくしに

とり、その恐れの念が特に深刻であった。

きゆうしかし、この憂慮は、幸いにして杞憂におわった。

道教の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたので

すなわち、道教の導引・気功は、仙道の流れを汲むものである。そして仙道の理想は、不老長寿、生きながら神仙に化することを目標とする。

駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、

そうなってしまったの

イントロダクシン

阿含宗総本殿

だから、もしも

もしも、である。

であろう。 あなたが高年者として修行に入り、年齢のために天才になれなかったとしても、いつまでも若々しい肉体と、そして決してボケることのない求聞持脳だけは獲得できる

期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。

神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。

わたくしは断言してよい。仙道の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡

明法は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、 若返ることができるであろう。

求聞持聡明法があたえる不思議な知慧

さいごに、駄都如意求聞持聡明法という、名称の由来をのべておこう。

真言密教の胎蔵界マンダラ第三重南面に、除盖障院というマンダラがえがかれて

 

のか。 にほうじゅそのおすがたは、左手に蓮華を持ち、蓮華上に摩尼宝珠(如意宝珠)を置き、右の 「手は施無畏の印を組んで、胸の前に上げている。このおすがたはなにを表現している

である。 無段というのは、一切の災構をとり除いて、いかなる不安もない平穏無事の世界を実現するということで、それを実現するのが、不思議な仏の智慧である、というの

除夏ゆというのは、人間と人間社会におけるすべての蓋障(文字の通り、蓋のよう

に覆っている障害)をとりのぞくという意味で、その蓋障をとり除く仏たちがまつられているのが、除養障院である。

この院の主様、すなわち中心の仏を、「不思議慧菩薩」という。

仏のさずける不思議な話を象徴しているのである。

不意識、というのは、人間の思慮ではおしはかることのできない次元のことをいい、

では、その不思議な習を象徴した仏である。

では、その不気議な私の皆盤はどこから来るのか?

それは、左の手の運車の上に奉安された、摩尼宝森から来るのである。

信用法のあたえるに、この不思議な仏の『想なのである。この仏の皆

阿含宗総本殿

という。

の不思議なはたらきによって、この地上の一切の災禍核・戦争・環境破壊・貧困等を減除して、無異なる平和世界を実現するのである。

駅都如意求聞持聡明法の奥儀の修行に入ると、この摩尼宝珠が、特殊な観法の中心

しとなる。これなくしてこの法の成就はない。(如意宝珠法に関係があるのである)。

摩尼宝珠というのは、仏陀シャカの御聖骨、真身舍利のことで、真身舍利を、「駄都」

これを以て、駄都如意求聞持聡明法と名づけたのである。

真身舍利を本尊としてまつる阿含宗が、この駄都如意求聞持聡明法を完成したのは、

決して偶然ではなかったのだと、つくづく思わざるを得ないのである。

一九八九年九月十七日

桐山靖雄