し、やはりこの四道品は、加えられなければならないものである。
それと同時に、阿含の聖典群が、四神足法を「一乗道」とした理由もうなずけるのではないか。
大神通力を得る禅定法
それでは、安那般那念法とはどういう法か?
ちど見てみよう。 前巻「輪廻転生瞑想法Ⅱ」でも解説したが、その法を説いた聖典を、もうい
是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に住まいたまえ
り。爾の時世尊、諸の比丘に告げたまわく「安那般那の念を修習せよ。若し比丘の安那般那の念を修習するに多く修習せば身心止息することを得て有覚、有観、寂滅、純一にして明分なる想を修習満足す。何等をか安那般
那の念を修習するに多く修習し巳らば身心止息し、有覚、有観、寂滅、純
一にして明分なる想を修習満足すと為す。是の比丘、若し聚落城邑に依り
て止往し、晨朝に衣を着け鉢を持ち、村に入りて乞食するに善く其の身を
護り、諸の根門を守り善く心を繋けて住し、乞食し已って住処へ還えり、
げんぼう衣鉢を挙げ足を洗い已って或は林中の関房の樹下、或は空露地に入りて端
よわ
身正坐し、念を繋けなば面前、世の貪愛を断じ欲を離れて清浄に、瞋恚・
睡眠・掉悔・疑、断じ、諸の疑惑を度り、諸の善法に於て心決定すること
を得、五蓋の煩悩の心に於て慧力をして贏らしめ、障礙の分と為り、涅槃
に趣かざるを遠離し、内息を念じては念を繋けて善く学し、外息を念じて
は念を繋けて善く学し、息の長き息の短き、一切の身の入息を覚知して一
切の身の入息に於て善く学し、一切の身の出息を覚知して一切の身の出息
に於て善く学し、一切の身の行息・入息を覚知して、一切の身の行息・入
息に於て善く学し、一切の身の行息・出息を覚知して、一切の身の行息・
出息に於て善く学し、喜を覚知し、楽を覚知し、身行を覚知し、心の行
息・入息を覚知して心の行息・入息を覚知するに於て善く学し、心の行
息・出息を覚知して、心の行息、
息・出息を覚知して、心の行息・出息を覚知するに於て善く学し、心を覚知し、心悦を覚知し、心定を覚知し、心の解説入息を覚知して、心の解脱入息を覚知するに於て善く学し、心の解説出息を覚知して、心の解脱出息を覚知するに於て善く学し、無常を観察し、断を観察し、無欲を観察し、
滅入息を観察して、滅入息を観察するに於て善く学し、演出息を観察して、演出息を観察するに於て善く学する。是れを安那般那の念を修するに身止息し心止息し、有覚、有親ならば寂滅、純一にして明分なる想の修習満足せりと名づく」と。仏此の経を説き巳りたまいしに諸の比丘、仏の説かせたもう所を聞きて、歓喜し奉行しき。
(雑阿含経「安那般那念経」)
【安郡anaは、出る息のこと。絵那」―apānaは、入る息のこと。そこで、古米、安都事とは、出る息、入る息を数えて心をしずめる観法「数息観」 のことをいう、とされている。
そこで、この「安部校那念経」も、昔から数息観の呼吸法を説いたものと、
解釈されている。しかし、それはちがうのである。この経典は、単なる法」を説いたものではないのである。これは、初歩から最高奥義に至るまでの禅定法を説いたものなのである。
大神通力を持つ禅定法のすべてが、ここに説かれているのだ。
ここでいう禅定法とは、特殊な呼吸法と、特殊な観法とをあわせた一種の瞑想法と思っていただきたい。
では、それを見ていってみよう。
それは、まず、初歩の呼吸法からはじまって、しだいに深く進んでいく。
内息
外息
出息
行息
身の行息・入息
内容について説明
そこで、ここで注意しなければならないことかある
それは、「息」の解釈である。
これを、単なる呼吸として解釈してしまってはいけない。そう解釈するか
ら、この貴重な経典を呼吸法を説いた経典と見てしまうのである。そうではな
いのだ。この「息」には、もっと深い重大な意味があるのである。
ざっと説明してみよう。
内息
外息
人息
これは、深い瞑想の修行に入るにあたっての、身心調節の呼吸法である。
行息
行息
プラーナこれは、気息、すなわち、ヨーガでいう生気を息とともに、体の隅々にまで行らすことである。
じん身の行息・入息
じん身の行息・出息
これは、髪において気息をだらすこと。すなわち体のある特定の場所(チャクラ)に気息を行らしていくことである。
心の行息・入息
心の行息・出息
めぐこれは、心において気息を行らすこと。
この「心」というのは、端的にいって脳のことである。思念する心は、脳にあるからである。脳の特定の場所(チャクラ)に気息を行らしていくのである。
ここで、この「行らす」という言葉に留意していただきたい。
身止息身において気息を止念す
心止息心において気息を止念す
とど気息を、身と心に止め、念ずるのである。身と心の、どこに止め念ずるのか?
体と脳のある特定の場所(チャクラ)に止め念ずるのである。
心の解脱入息
心の解脱出息
脳のある特殊な場所(チャクラ)を、気息と念のエネルギーによって刺激す
る。この修行から修行者は人間の境界を越え(解説)はじめる。
滅入息
滅出息
前の修行につづき、仏陀の覚性に到達する修行である。気息・思念すべて人間を超越した境地に入る。
つぎに、釈尊は、四つの最上深秘の禅定を説いている。これは、雑阿含経「止息法」に説かれているが、「安那般那念経」につづく奥義の禅定法である。
勝止息 奇特止息
上止息 無上止息
である。
のである。 これが、さきにのべた「四安那般那念法」である。これが、四神足法の核になるもので、修行者はこの法によって、解脱・変身し、大神通力を身につける
釈尊が、この経典で、「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」とのべているのも当然なのである。
ここでは、“呼吸法”と訳されているけれども、単なる呼吸法ではないことは、前にのべたとおりである。正しくは、『禅定法”と意訳されなければならないのである。
どうして、こんな貴重きわまる聖典が、これまで注目されなかったのか、わたくしはじつに不思議でならない。おそらく、その価値がわかるところにまで到達した修行者がいなかったということなのだろう。
さて、
いきなり、最高の奥義・秘伝に入ってしまって、あなたはびっくりしているかもしれない。もちろん、ここに来るまで、非常な修練を積まねばならない。
ていただきたい。 しかし、どんなにむずかしいことでも、初歩から段階を踏んで進んでいけば、 だれでもかならず、その堂奥に達することができるのである。しっかり修行しどうおう
では、もとに戻って、初歩からの課程を説くことにしよう。
輪転生联想法Ⅲ 204