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仏教

炎の守護者 ― 不動明王の誓い』 2

 

『炎の守護者 ― 不動明王の誓い』2

その夜、修行僧タクは深山の祠へと足を踏み入れた。
闇は深く、風はなく、ただ遠くで木々がざわめいている。
目の前には、朽ちかけた石の祠。
そしてそこに、怒りの面持ちを浮かべた異形の仏が坐していた。

炎を背にしたその尊像は、不動明王。
不動――動かざる者。
密教の根本尊・大日如来が、この世のあらゆる迷いと闇を打ち砕くために姿を変じた、化身の王であった。

「ナウマク・サンマンダ・バザラダン・カン……」

静かにタクは唱える。
不動真言――すべての金剛に礼拝し、怒りの神霊に心を通す真言。
その声が闇の中に溶けていくと、不意に、祠の周囲に赤い気が立ち昇った。

「お不動様……なぜ、怒りのお姿をしておられるのですか……」

問いかけると、風が止まり、焔の中から声が聞こえた。

「怒りは、慈悲の裏返しだ。
仏法を妨げるものを断ち、迷える者を縛ってでも救う。
それが、我が願い。恐れぬがよい」

確かに見えた。
その手には、燃えさかる剣――倶利伽羅剣が握られていた。
大日如来の智慧を象徴し、すべての煩悩と無知を一刀のもとに断ち切る刃。
もう一方の手には、金色の縄――**羂索(けんじゃく)**が垂れ、迷える魂を縛り引き戻すために揺れていた。

その姿は恐ろしくもあったが、タクの胸にはなぜか安堵が灯った。
悪を憎むのではない。
悪を超えさせるために、怒りをもって立つその存在に、魂が震えた。

天地眼――右目は天を見つめ、左目は地を睨む。
この世のすべてを見通す目が、タクの心の奥底までも見抜いていた。

牙上下出――右の牙を上に、左の牙を下に突き出したその顔は、決して揺るがぬ意志の象徴だった。

「わたしは動かぬ。されど、救わぬ者はひとりとしていない」

声が低く、しかし確かに響いた。

祠の左右には、ふたりの童子の気配も感じた。
矜迦羅(こんがら)と制多迦(せいたか)――不動のそばに仕える八大童子のうちのふたりだ。
まるで童のような姿でありながら、心を見透かす静かな力を宿していた。

タクは静かに膝を折った。
この守護の炎の前で、彼の修行は新たな段階に入ったのだ。

それは、破壊と再生をつかさどる神性との出会い。
怒りと慈悲が一つであることを知る、魂の夜明けだった。

そして祠の奥に、一振りの剣が、龍を巻きつけたまま浮かび上がった。

倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)――不動明王のもうひとつの姿。

剣が唸り、空気が震え、タクの中の恐れが消えていった。

「願わくば、この身をもって道を守らせたまえ」

タクの誓いの声は、焔の奥に消え、やがて夜が静かに明けていく。

――不動明王、破壊と守護の守り神。
その火は、修行者の心に宿る灯火として、今日もまた、揺らめいている。

 

 

『倶利伽羅剣伝 ― 炎を喰らう龍』

山深き谷あいに、剣が一本、岩に突き立てられていた。
それは、時を越えて語り継がれる伝説の剣――倶利伽羅剣(くりからけん)。
焔をまとうように、黒き龍がその刃に巻きついている。
誰もが畏れ、触れようとしなかった。剣に近づいた者は、皆、心の奥底から喰らわれてしまったからだ。

ある夜、ひとりの少年がその剣を目指して山に分け入った。
名をレンという。
彼は、心に闇を抱えていた。
怒りを抑えられず、優しさを信じられず、自分さえも見失いかけていた。

「なぜ……俺はこんなに怒りを抱えてしまうんだ……!」

彼は叫んだ。
その声に応えるように、剣の周囲に炎が立ちのぼった。
赤い舌のように燃え上がる焔の中から、黒龍が目を開いた。

「我は倶利伽羅。怒りと共に生まれ、怒りを飲み込む者……
お前は、その怒りを使いこなすか、それとも……呑まれるか」

「使いこなす……? そんなこと、できるわけないだろ!」

レンは涙混じりに叫んだ。
その瞬間、剣が共鳴し、龍が彼に飛びかかってきた。

**

気がつくと、レンは黒い闇の中に立っていた。
無数の影が彼を嘲るように取り囲んでいた。

「お前は弱い。怒りに流されて、すべてを壊す存在だ」

「もう誰にも必要とされていない」

その時、光の中から現れたのは――不動明王だった。

炎を背にし、剣を掲げた怒りの守護者は、静かにレンを見つめた。

「怒りを恐れるな。怒りは火だ。
火はすべてを焼き尽くすが、光にもなれる。
真に怒れる者は、自らを燃やし、他を照らす者だ」

不動の言葉が終わると、レンの胸に剣が現れた。
それは、彼の怒りと悲しみのすべてが凝縮された、心の剣だった。

「――その剣で、自分の影を断て」

剣を握り、レンはひと太刀で黒い影を断ち切った。

**

気づけば、彼は再び山の中にいた。
しかしもう、剣は岩から消えていた。
代わりに彼の背には、炎をまとう龍の紋が浮かんでいた。

彼は知った。
倶利伽羅剣は、外にあるものではない。怒りと向き合い、それを越えた者の内に宿るものなのだ。

レンの心には、静かに火が灯っていた。

そしてその火は、これから誰かを守るために、決して消えることはなかった――

 

第三章『軍荼利明王の毒と浄化』

1. 沼地に沈むもの

深い霧が立ち込める密林を、レンは倶利伽羅剣を背負って進んでいた。
足元はぬかるみ、空気は重く湿っている。

突然、足が沈んだ。
沼地だ――だが、それはただの水ではない。
漆黒の泥が、まるで意志を持つようにレンの脚に絡みついた。

「……来たか」

その声は、レンの心の内側から聞こえたように思えた。

――そして、目の前の泥から巨大な影が立ち上がる。

八つの頭を持つ蛇。
その中央に、金剛杵(こんごうしょ)を持ち、口から火を吐く存在。

軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)。

「毒を抱く者よ。我が前に立つ覚悟はあるか?」

レンは剣を引き抜いた。

「俺は……もう、逃げない」

**

2. 内なる毒

軍荼利明王が手をかざすと、密林の中に過去の幻影が広がる。
レンの目の前に現れたのは――かつての仲間たち。

自分より先に選ばれた者。
裏切られたと思った日。
認められなかった自分。

「……なぜ、あいつが選ばれたんだ……!」

気づけば、レンは剣を構えて叫んでいた。
その怒りは、自分がずっと押し殺してきた“嫉妬”そのものだった。

「その怒りは、毒だ。だが――毒こそ、真実を浮かび上がらせる」

軍荼利の蛇たちが、レンの身体に巻きついた。
冷たい、けれど確かに内側の痛みを知っているような毒。

「逃げるな。見つめよ。その毒を……抱け」

**

3. 浄化と涙

苦しみの中、レンの視界がにじむ。
その時、胸の奥にある言葉が浮かんだ。

「悔しいと思っていい。羨んでいい。
でも、だからこそ、誰かを裁かずにいられる自分になりたい……」

涙とともに、剣に宿る龍が唸る。
倶利伽羅剣の刃が、泥と毒を裂いた。

レンの体から、黒い瘴気が放たれ、沼が澄んだ湖へと変わっていく。

「……これが、浄化……?」

軍荼利明王は微笑んだ。

「よくぞ毒を越えた。
お前は“痛みを知る者”となった。
ゆえに、真の癒し手となる」

明王の背から、光の蛇が現れ、レンの肩に巻きついた。
それは、軍荼利の祝福の象徴だった。

**

4. 新たなる梵字

その夜、レンの背に二つ目の梵字が刻まれる。

「蠍」――軍荼利明王の智慧。
毒をもって毒を制す、深淵の力。

そして、第五の明王へと続く旅が、再び始まろうとしていた。

第四章『大威徳明王と死の試練』

1. 骸の谷

山を越え、森を抜けた先。
そこは、昼なお暗き骸の谷(むくろのたに)。

無数の白骨が地に転がり、冷たい風が吹き抜ける。
倶利伽羅剣に宿る龍でさえ、静かにうなりを潜めた。

レンは一歩一歩、骨を踏みしめながら進む。
やがて、地の裂け目から蒼白い光が溢れ、谷の奥に現れたのは――

六面六臂、死を司る明王。
背には水牛、手には剣、輪宝、弓、矢、棒、骸骨の杯。

大威徳明王(だいいとくみょうおう)
その眼は、六方を見据え、彼岸と此岸を貫いていた。

「死を恐れる者よ。
生きるとは、すでに死に向かうこと。
ならば問う。お前は何を悔いて、何を守れなかったのだ?」

**

2. 幻影の地獄

明王が踏み鳴らすと、地が裂けた。
レンの足元が崩れ、気がつけば彼は、真紅に染まった地獄の底に立っていた。

燃える城。崩れる橋。
遠くに、誰かの叫びが聞こえる。

その声は――弟だった。
あの戦乱の中、置いていくしかなかった小さな弟。
焼け落ちる家屋の奥で、手を伸ばしていた。

「……やめろ……それ以上見せるな!」

レンの叫びに応えるように、もうひとつ幻が生まれる。
倒れ伏す恋人。
病に倒れ、レンの帰りを待てぬまま、冷たくなった母。

それは彼が背負ってきた“死者たちの影”だった。

「生き残った者は、常に死と共にある」
明王の声が地の底から響く。

**

3. 再生の決意

炎に包まれながら、レンは立ち上がる。

「……俺は、ずっと怖かった。
守れなかったことが、償えないことが……生きていることが」

彼は剣を抜かず、炎に歩み寄った。
静かに、亡き者たちの影に手を合わせる。

「だから、俺は生きる。
彼らの死に恥じぬように。
今度こそ、守るために――俺は、進む!」

その瞬間、明王の水牛が咆哮した。
白骨の地が崩れ、燃える幻影が砕け、霧の中から明王の姿が現れる。

「死を超え、誓いを抱いた者よ。
そなたは、六道を照らす者となる」

明王の六つの顔が、レンを見つめた。
そして、その手の一つがレンの胸に触れると、そこに蒼い梵字が刻まれた。

**

4. 水牛の背に乗って

試練の終わり、レンは明王の水牛に一瞬、乗った感覚を覚えた。
それは死を越えた者にだけ許される「生の再誓」。

大威徳明王は言葉を残して姿を消した。

「次に会う時、お前は導く者となる。
そのために――最後の明王が、お前を待っている」

谷に再び風が吹く。
夜が明け、光が差した。

第五の明王へ。
レンの旅は、終わりへと向かい始める。

第五章『金剛夜叉明王との覚醒戦』

1. 虚空の扉

四人の明王を越えたその先、レンはついに虚空蔵の前に立っていた。

風も音もない、すべてが沈黙する場所。
空間がねじれ、宙が裂ける。

そこに姿を現したのは――

金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)。
三つの顔はそれぞれ怒り・静けさ・笑みを湛え、六本の腕には宝剣・法輪・金剛杵・羂索・蓮華・空を握る拳。

「汝は、破壊を越えて創造へ至る者か」

声は雷鳴にも似て、レンの身体を震わせた。

「……俺はまだ未熟だ。けど、すべてを越えるために――来た!」

明王の三面が一斉に微笑む。

「ならば、お前自身と戦え」

そして空が割れ、そこに現れたのは――**もう一人の“レン”**だった。

**

2. 覚醒戦

偽りのレンは、倶利伽羅剣を携え、同じ構えをとる。
だがその目は、絶望と怒りと疑いに満ちていた。

「守る?救う?お前はただ、恐れているだけだ」

その刃は重く、深く、レンの肩を裂いた。
同じ剣、同じ力。
だが、心が違う。

「俺は……お前を乗り越える!」

本物のレンは、偽りのレンを見つめながら叫ぶ。

「誰かを守りたいという願いは、弱さじゃない。
信じる力は、恐れから生まれてもいい――それを力に変えて進むんだ!」

激しい斬撃が交差し、火花を散らす。
天空には金剛夜叉が六臂を広げ、虚空を震わせる。

「統べよ、意志と力と慈しみを」

三面の明王が同時に唱えるとき、レンの中の力が開かれた。

倶利伽羅剣が蒼く燃え、龍が咆哮する。
偽りの“自分”が、静かに頷いて消えていく。

**

3. 目醒めと最後の梵字

虚空が一瞬、白に満たされる。
そこに、金剛夜叉が歩み寄り、六本の腕のうち一つでレンの胸を貫くように触れる。

「よくぞ、真なる“夜叉”を超えた。
そなたは、破壊と創造の使徒」

レンの胸に最後の梵字が浮かぶ。

「吽」――金剛夜叉の証

それは覚醒の印。
人を照らす導き手となる資格だった。

**

4. そして、不動へ

五大明王すべてを越えし者――
レンの背には、五つの梵字が輝く。

その瞬間、空に火炎が舞い、不動明王の姿が再び現れた。

「よくぞ来たな。我が五智を受け継ぎし者よ。
今より、お前自身が“光明をもたらす明王”とならん」

不動の剣が静かにレンの手に重なる。
それは、かつての彼では持ち得なかった“智慧と慈悲”の剣。

その剣を掲げたとき、天が開けた。

新たなる時代の始まりを告げる、静かな夜明けがそこにあった――。

エピローグ『炎の中の祈り』

1. 静寂の山

季節は移り、深い山奥。
苔むした石段の奥、不動明王を祀る古い堂が、ひっそりと佇んでいた。

山風が木々を揺らし、鳥の声も遠い。
その静寂の中、焚かれた護摩の炎が赤々と揺れている。

僧衣をまとう一人の若者が、ゆっくりと手を合わせる。
彼の額には、かつて戦いの証として刻まれた五つの梵字が、仄かに光を宿していた。

その者の名は――レン。

今はただ、**「祈り手」**として生きている。

**

2. 祈りの意味

「すべての苦しみ、怒り、悲しみを越えた先に
なおも、救われぬ声がある。
その声のために、我はここに在り続ける。」

護摩木を一本、また一本と火に投じながら、レンは静かに唱える。

火は天へと昇り、煙が舞い上がる。
その煙の先に、人々の願いがある。

この炎は、破壊ではない。
憤怒でもない。
それは、再生を照らす明かりとなる。

かつて、自らの過去に焼かれ、死の地獄を歩いた彼が、
今では誰かの祈りの道しるべとなっていた。

**

3. 炎の向こうに

護摩壇の奥、金色の像が微笑んでいる。

不動明王。
すべての戦いの始まりであり、終わりの姿。

だがレンは知っている。
あの憤怒の表情の奥に、誰よりも深い慈悲があることを。

ふと、焔の中に龍が一瞬だけ姿を見せた。
それは倶利伽羅剣に宿った魂か、あるいは導いてくれた明王たちか。

レンは静かに微笑み、目を閉じる。

「今度は、俺が守る。誰かのために――俺が、灯火になる」

焔がぱち、と音を立てて弾けた。

**

4. 山を下りる

やがて、祈りを終えたレンは、ゆっくりと山を下りていく。

その手には剣も印もない。
だが、彼の歩む一歩一歩が、まるで道を照らす光のように感じられる。

春の光が差し、山桜がひとひら、彼の肩に舞い降りた。

――不動のごとく、進め。
燃えるような心を持ちながら、静かに、確かに――

そして、その背には炎のように揺らぐ希望が、確かに灯っていた。

 

 

 

 

 

“Seated Before the Mandala” ― The Path to Buddhahood in This Very Body 『曼荼羅に坐す者』 大日如来 ―即身成仏への道

“Seated Before the Mandala”

― The Path to Buddhahood in This Very Body

 

『曼荼羅に坐す者』

大日如来 ―即身成仏への道

In silent night, a prayer ignites,
Moonlight drips into my soul.
“To become Buddha in this very form”—
The wind whispers a truth untold.

Ong Abilaunken Bazaradat Bang
オン・アビラウンケン・バザラダト・バン

On Abiraunken, light resounds within,
My being and the cosmos, now as one.
In the mirror, Buddha’s gaze meets mine—
Here and now, eternity has begun.

Ong Abilaunken Bazaradat Bang
オン・アビラウンケン・バザラダト・バン

静寂のなか 灯る祈り
月のしずく 胸に落ちる
この身のまま 仏と成ると
風が告げた 真理の声

Ong Abilaunken Bazaradat Bang
オン・アビラウンケン・バザラダト・バン

 

オン・アビラウンケン 響く光よ
私のすべてが 宇宙とひとつ
鏡に映る 仏のまなざし
今ここで 永遠が開く

Ong Abilaunken Bazaradat Bang
オン・アビラウンケン・バザラダト・バン

 

大日如来 ―  『即身成仏への道』

 

 


『即身成仏への道』

第一章 曼荼羅に坐す者

静寂──それは言葉を超えた真理の入口。

夜の山寺。月明かりに照らされた道場の奥、蓮真はひとり、金剛界曼荼羅を前に坐していた。

「即身成仏──今、この身のままで仏と成る」

その言葉を初めて耳にしたとき、彼は理解できなかった。悟りとは、遠い未来にある高みに違いないと信じていた。けれど老師は微笑みながら言った。

>「悟りは”どこか”にあるものではない。”今”ここに在るのだ。気づけば、そのまま仏となる」

 

密教の教えは、空理空論ではない。

大日如来はただの象徴ではない。

宇宙そのもの──そして、それに目覚めた時、我が身が即ち宇宙であることに気づく。

 

蓮真は印を。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン……」

その真言が、彼の内に響きわたる。静寂が広がり、時間が消える。思考が消え、ただ「今」が在る。

曼荼羅の中心──大日如来の目が、彼を見つめていた。

 

目が合った。

それはただの想像ではない。

見ることと見られることが溶け合った瞬間、蓮真の心は空となった。

 

「私は仏ではない。だが、仏が私である」

そんな逆説的な直感が、彼の全身を貫いた。

 

身体が軽い。

境界がなくなる。

大日如来の姿が、まるで鏡のように自らを映している。

 

──己のうちに仏があるのではない。己そのものが、仏の顕れであった。

 

涙が流れた。悲しみでも、歓喜でもなく、理解の涙だった。

 

その夜、蓮真は夢を見る。

 

宇宙の果てに、大いなる光が浮かんでいた。

そこには言葉も、姿も、時間すらなかった。

ただ一つの真理が在った。

 

すべての命は、大日から生まれ、大日に帰る。

その道を歩むことが、即身成仏。

自らを疑わず、偽らず、すべてを照らす光の一部として生きること──それが、大日如来の慈悲の実践なのだと。

第二章 「即身」の意味

夜が明け、老師が蓮真の前に現れた。

「どうであったか、曼荼羅の中の旅は」

蓮真は、深く合掌した。

「私は……私のままで、仏に抱かれていました」

老師は静かにうなずく。

「それが、即身成仏。修行とは、目覚めを得ることではない。目覚めを忘れぬように、日々を歩むことだ」

「では、私はこれから──?」

「これからが本当の修行だ。日常に光を灯せ。日常に仏を見出せ。怒りの中に慈悲を、迷いの中に智慧を──それが大日如来の教えだ」

 

蓮真は歩き出す。

曼荼羅を離れ、日常という道に帰っていく。

けれどその歩みはもう、以前の彼とは違っていた。

 

大日如来は遠くに在らず。

彼の一歩一歩が、宇宙を踏みしめていた。
以下は、大日如来を本尊とし、即身成仏を目指す修行僧・蓮真(れんしん)の物語の続編です。タイトルは**『即身成仏への道』**──密教の神秘と悟りへの旅を描く小説風作品として展開します。

『即身成仏への道』

第一章 曼荼羅に坐す者

静寂──それは言葉を超えた真理の入口。

夜の山寺。月明かりに照らされた道場の奥、蓮真はひとり、金剛界曼荼羅を前に坐していた。

「即身成仏──今、この身のままで仏と成る」

その言葉を初めて耳にしたとき、彼は理解できなかった。悟りとは、遠い未来にある高みに違いないと信じていた。けれど老師は微笑みながら言った。

>「悟りは”どこか”にあるものではない。”今”ここに在るのだ。気づけば、そのまま仏となる」

 

密教の教えは、空理空論ではない。

大日如来はただの象徴ではない。

宇宙そのもの──そして、それに目覚めた時、我が身が即ち宇宙であることに気づく。

 

蓮真は印を結ぶ。智拳印──左の人差し指を、右手でしっかりと包み込む。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン……」

その真言が、彼の内に響きわたる。静寂が広がり、時間が消える。思考が消え、ただ「今」が在る。

曼荼羅の中心──大日如来の目が、彼を見つめていた。

 

目が合った。

それはただの想像ではない。

見ることと見られることが溶け合った瞬間、蓮真の心は空となった。

 

「私は仏ではない。だが、仏が私である」

そんな逆説的な直感が、彼の全身を貫いた。

 

身体が軽い。

境界がなくなる。

大日如来の姿が、まるで鏡のように自らを映している。

 

──己のうちに仏があるのではない。己そのものが、仏の顕れであった。

 

涙が流れた。悲しみでも、歓喜でもなく、理解の涙だった。

 

その夜、蓮真は夢を見る。

 

宇宙の果てに、大いなる光が浮かんでいた。

そこには言葉も、姿も、時間すらなかった。

ただ一つの真理が在った。

 

すべての命は、大日から生まれ、大日に帰る。

その道を歩むことが、即身成仏。

自らを疑わず、偽らず、すべてを照らす光の一部として生きること──それが、大日如来の慈悲の実践なのだと。

第二章 「即身」の意味

夜が明け、老師が蓮真の前に現れた。

「どうであったか、曼荼羅の中の旅は」

蓮真は、深く合掌した。

「私は……私のままで、仏に抱かれていました」

老師は静かにうなずく。

「それが、即身成仏。修行とは、目覚めを得ることではない。目覚めを忘れぬように、日々を歩むことだ」

「では、私はこれから──?」

「これからが本当の修行だ。日常に光を灯せ。日常に仏を見出せ。怒りの中に慈悲を、迷いの中に智慧を──それが大日如来の教えだ」

 

蓮真は歩き出す。

曼荼羅を離れ、日常という道に帰っていく。

けれどその歩みはもう、以前の彼とは違っていた。

 

大日如来は遠くに在らず。

彼の一歩一歩が、宇宙を踏みしめていた。

第三章「日常のなかの曼荼羅」

寺を下りた蓮真(れんしん)は、都市の光に包まれた。

アスファルトの熱気。人々の視線。雑踏の渦。
どれも、山の中の静寂とはあまりにも違っていた。

だが──彼は怯えなかった。

「すべては曼荼羅の一部──」

老師の言葉が胸に在る。
「曼荼羅」は仏の世界図であると同時に、この現実そのものなのだ。

 

蓮真は、ある福祉施設で働き始めた。
孤独を抱える高齢者。貧困に苦しむ家庭。心に病を抱えた若者たち。

彼は思った。
ここは”俗世”ではない。**「胎蔵界曼荼羅」**の中にある、慈悲を必要とする場だ。

 

ある日、ある少年がつぶやいた。

「……人に迷惑かけないように、息をひそめて生き
蓮真は、その言葉の奥にある**「苦」**を見た。
そして答えた。

「君が何のために生きているか。
それは、”君の中の光”を、他の誰かに分け与えるためかもしれない」

 

少年は問い返した。

「……光なんて、僕にあるの?」

 

蓮真は笑みを浮かべた。

「あるよ。
それは誰の中にもある。
僕がここにいる理由も、それを伝えに来たからだ」

 

その日から、蓮真は彼と一緒に、毎朝の「五分の黙想」を始めた。

呼吸を感じ、心の声を聴き、そして最後に一言、真言を唱える。

オン・アビラウンケン・バザラダト・バン

少年の表情が、少しずつ変わっていくのを、蓮真は見ていた。

 

人々は仏を探して山に登る。
だが、下界にこそ仏が宿っている。

言葉にならぬ苦しみを抱く者の中に、
抑えきれない怒りに揺れる者の中に──
仏性は脈打っている。

 

日々の出会い。失敗。涙。
すべてが修行。すべてが即身成仏の道。

 

「大日如来は、宇宙の彼方にあらず。
私たちの行為の中に顕れる」

 

蓮真は知っていた。

真の曼荼羅とは、壁に描かれたものではなく、
人々の中に描かれていくものなのだと。

次章では、蓮真が言葉の力と向き合い、人々の苦しみを照らす仏の光をどう表現していくか──

▶ **四章「光となる言葉」**へと進められます。

ご希望でしたら、すぐに続きをご用意いたします。どういたしましょうか?

第四章「光となる言葉」

ある雨の日。福祉施設の談話室で、一人の女性がぽつりとつぶやいた。

「……私はもう、誰にも必要とされてないのよ」

静かな声だった。だが、その奥には、長年積もり重なった孤独と痛みがあった。
家族と疎遠になり、友人を失い、身体も弱り、未来に希望を見出せない──
それは、心の冬のようだった。

 

その時、蓮真は語った。

「お言葉、いただいてもよろしいですか」

女性がうなずくと、彼は一枚の紙を差し出した。
そこには、金泥の筆で書かれた一文があった。

 

> 「あなたの声が、今日も世界を照らしています」

 

「これは……?」

蓮真は言った。

「仏の言葉──ではありません。
でも、仏と同じ意志で紡いだ言葉です」

 

「即身成仏」とは、悟った者だけの世界ではない。
誰もが仏性を宿し、そして誰かを照らす灯になれる。
その可能性が言葉となって、現れる。

 

彼は続けた。

「あなたがこの施設にいるだけで、誰かが安心しているかもしれません。
静かに笑ってくれたそのひとつの表情が、誰かを救っているかもしれない。
言葉とは、音を通して届ける慈悲の光。
でも、語られぬ祈りや、沈黙の中にも光は宿ります」

 

女性の瞳に、少しずつ涙がにじんだ。

 

蓮真が実践しているのは、説法ではない。
“法を生きる”ということそのものだった。
それは日常の一挙手一投足の中で、
誰かを思い、慈しみ、言葉を選ぶという智慧と慈悲の連携。

 

ある日、彼のもとに一通の手紙が届いた。
手紙にはこう書かれていた。

 

> 「あなたの言葉に、私は救われました。
>  あの一言で、私は”まだ生きていていい”と思えました。
>  私も誰かに、光となる言葉を渡してみます」

 

それを読んだとき、蓮真は思った。

言葉は火。
言葉は風。
そして、言葉は光。

そのひとつひとつが、人の心に火を灯し、傷を癒し、
仏のように、道を照らす力を持っている。

 

彼は静かに真言を唱えた。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン」

そして祈る。

> どうか私の言葉が、今日も誰かを傷つけず、
> ひとつでも多くの心を照らす灯火でありますように。

 

第五章「伝える者、照らす者」

蓮真は思っていた。

「悟りとは、自分だけの光ではない」
「それを灯し、手渡していくところに意味がある」

 

ある日、彼は市内の高校に招かれた。
「言葉と生き方について話してほしい」と頼まれたのだった。

最初は戸惑いもあった。
話し方も、表現も、伝える術も──
仏の法を、俗世の言葉でどのように語ればいいのか。

 

彼は壇上に立ち、生徒たちを前に、静かに語り出した。

> 「君たちの中にも、“仏”が眠っています。
>  でも、難しく考えなくていい。
>  それは、“優しくなれる心”や“誰かを思う力”の中にあります」

 

会場が静まり返る。
だがそれは無関心ではない。
「聴こうとしている沈黙」──それが蓮真にはわかった。

 

> 「私たちは皆、迷います。怒ります。誰かを責めたくもなります。
>  でも、そんなときに“正しい方向”を思い出せるように、
>  私は、ひとつの言葉を持っています」

> 「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン」
> 「これは、“真理に帰る言葉”です。
>  何かを信じろとは言いません。ただ、ひとつ思い出してみてください。
>  『自分の中にも、真理があるかもしれない』と」

 

講話のあと、一人の女子生徒が蓮真に声をかけた。

「……私、いつも家で怒鳴られてて、自分なんていない方がいいって思ってた。
でも、今日、先生の言葉で……“私の中にも何かあるかも”って思えました」

 

蓮真は深くうなずき、言った。

「その思いが、すでに目覚めの始まりです」

 

──その日から、蓮真は「語る修行」を始めた。

施設だけでなく、学校、病院、刑務所、町の公民館──
どこへ行っても、ただ一つの想いを携えていた。

 

「仏性は、必ず誰かの中にある」

「言葉とまなざしで、それを揺り起こすことができる」

 

彼の語る言葉は、教義ではない。
**人の苦しみに寄り添い、そこから生まれた“慈悲の言葉”**だった。

 

やがて、蓮真の言葉を聞いた人々が、自分もまた誰かに語り始めた。

> 一人の光が、二人の心を照らし、
> 二人の心が、四人を癒やし、
> いつしかそれが、街の祈りとなる。

 

蓮真は思った。

「私は特別な者ではない。
私もまた、大日如来の化身であり、他者もそうである」

 

言葉とは、照らすためにある。
そして照らす者とは、語る責任を背負う者。

その背には、無数の仏のまなざしがある。

 

蓮真は最後にこう語った。

> 「私は、あなたを照らす者ではありません。
>  私はただ、あなたの中の光に、そっと火を近づける者です」

 

そして今日も、どこかで新たな火が灯る。
照らす者が、また次の誰かを照らしていく──

それはもう、教えではなく、**ひとつの“生き方”**になっていた。

 

 

 

《五蘊の道》  雑阿含経・応説経 The Path of the Five Aggregates 

《五蘊の道》  雑阿含経・応説経
The Path of the Five Aggregates

乾いた風が 過去をなぞる
草の匂いに 記憶が揺れる
問いを抱いて 丘に立つとき
静かに光る 仏の声

ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク
Naumak Samanda Bodhanan Bak

 

これは色、これは受──五つの影よ
無常を観じて 我を捨てゆけ
煩悩の岸を 越える舟とは
ただ願うだけじゃ 進まない

ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク
Naumak Samanda Bodhanan Bak

A dry wind traces the lines of the past,
Scent of grass stirs memories vast.
With questions held, I stand on this hill—
The Buddha’s voice speaks calm and still.

Naumak Samanda Bodhanan Bak
Naumak Samanda Bodhanan Bak

〈Chorus〉
This is form, this is feeling—five shadows appear,
See their impermanence, let go of the “me” here.
To cross the shore where craving ends,
You need more than hope—it’s the path that mends.

Naumak Samanda Bodhanan Bak
Naumak Samanda Bodhanan Bak

 

 

雑阿含経・応説経

雑阿含経・応説経

如是我聞。一時仏住拘留国雑色牧牛聚落。爾時仏告諸比丘。

我以

知見故。得諸漏尽。非不知見。云何以知見故。得諸漏尽。非

不知

見。謂此色此色集此色滅。此受想行識。此識集此識滅。不修方便

随顺成就。而用心求令我諸漏尽心得解脱。当知彼比丘終不能得漏

尽解脱。所以者何。不修習故。不修習何等。謂不修習念処正勤如

意足根力党道。譬如伏鶏生子衆多。不能随時蔭餾消息冷暖。而欲

令子以特以爪啄卵自生安穩出殼。当知彼子無有自力堪能方便以烤

以爪安穩出殼。所以者何。以彼鶏母不能随時蔭餾冷暖長養子故。

如是比丘。不勤修習随順成就。而欲令得漏尽解脱。無有是处。所

以者何。不修習故。不修何等。謂不修念処正勤如意足根力覚道。

若比丘修習随順成就者。雖不欲令漏尽解脱。

而彼比丘自然漏尽。

心得解脱。所以者何。以修習故。何所修習。 正復不欲令

謂修念処正勤如意足

如彼伏鷄善養其子。随時蔭餾。冷暖得所

子方便自啄卵出。然其諸子自能方便安穩出殼。 鶏随時蔭餾冷暖得所故。如是比丘。善修方便。

所以者何。

以彼伏

而彼比丘自然漏尽。心得解脱。所以者何。以勤修習故。

正復不欲漏尽解脱。

何所修習。

謂修念処正勤如意足根力覚道。

譬如巧師巧師弟子。

手執斧柯。捉

之不已。漸漸微尽手指

処現。然彼不覚斧柯微尽而尽処現。

如是比

丘。精勤修習随順成就 。不自知見今日爾所漏尽。

然彼比丘。知有漏尽。

所以者何。以修習故。何所修習。

謂修習念

明日爾所漏尽。

処正勤如意足根力覚道。譬如大舶在於海辺。

藤綴漸断。如是比丘。精勤修習。

随順成就。

経夏六月風飄日暴。

漸得解脱。所以者何。

善修習故。

何所修習。

一切結縛使煩悩纏。

謂修習念処正勤如意

不起諸漏。

足根力覚道。說是法時六十比丘。 已。諸比丘聞仏所說。歓喜奉行

心得解脱。仏説此経

 

現代語訳

「いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しない者が、もろもろの煩悩が尽き、心に解脫を得たいと思っても、あの僧侶(修行者)たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできません。

それはなぜでしょうか?

修行していないからです。

なにを修行していないのでしょうか?

それは、いわゆる四念処法(四念処む)・四正勤法(四正断法)・四如意足法(四神足法)・五根

街・五力法・七覚支法・八正道を修行していないのです」

解説

ここは、『応説経』の中でも特に重要なことが、説かれているところです。

たいへんなことが書かれているわけですが、諸君はそれに気づいたでしょうか?

漏尽解脱とは、漏(煩悩)がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したということです。その完全成仏を心から願って修行しているのに、それができない僧侶たちがいる、とお釈迦さまがおっしゃっておられるわけです。これは大問題です。

なぜ、その僧侶たちは成仏できないのか? それは、四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五力法・七覚支法・八正道を修行しないからだ、とお釈迦さまは説かれているわけです。

す。

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五力法・七覚支法・八正道というのが、わたくしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七秒三下、七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げております。念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで

お釈迦さまは、この修行を行わない者はたとえそれが僧侶であっても、その人がどのように成仏を望んでも、絶対に成仏することはできない、とおっしゃっています。

 

 

「彼の比丘はついに成仏することがで

と、おっしゃっておられます。「彼比丘」というこの三文字の中に、日本の大乗仏教の僧侶が全部入っているわけです。きっと、「阿含経」以外のお経を信仰し、それを広める僧侶たちが出現することを、予見しておられたのでしょう。

ですから、このお釈迦さまのお言葉に基づいて、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは誰一人として、成仏していない」

と説いているのです。