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仏教

七つの目覚め ― 修行者トウマの道

七つの目覚め ― 修行者トウマの道

霧深き山の庵に、若き修行者トウマは坐っていた。
薪のはぜる音だけが、静けさの底でかすかに響く。

「私は、何を求めているのか……」

彼は目を閉じ、自らの内なる声に耳を澄ませた。
すると、心の奥底から、ある“声”が聞こえてくる。

――今、汝の道を選べ。

そのとき、胸に浮かんだのは、七つの灯火。
それは、**悟りへと至る七つの覚りの支え(覚支)**であった。

一.択法覚支 ― 正しい道を選ぶ

まず浮かんだのは、白く澄んだ光。
それは「択法覚支」、法を選ぶ智慧の輝き。

「これは善か、悪か――この行いは、苦を生むか、滅するか」

トウマは己の行為をひとつひとつ見つめ、心の曇りを洗い流すようにして選び取る。
それは、八正道の始まりでもある“正見”という眼を開く瞬間だった。

二.精進覚支 ― 努力は道となる

選びとった正しき道を、歩まねばならぬ。
闇は囁き、怠惰は足を引っ張る。だがトウマは進んだ。

「精進覚支」――それは炎のような力。
四正断のごとく、悪を断ち、善を育て、なおも育てる。

「今日も、ただ一歩を進めるだけでよい」

彼は、静かにそれを繰り返した。

三.喜覚支 ― 法悦に心が震える

ある日、彼はふと座の中で気づく。

「……ああ、私は、道の中にいる」

突然、胸の奥から湧き上がる喜び。
それは誰かから与えられるものではなく、自らの気づきの中から芽生えた感動だった。

これが「喜覚支」。
修行が進み、正法に触れた心が、自然と震える悦び。

四.軽安覚支 ― 身心の安らぎ

悦びの後に訪れたのは、静けさだった。

体の力が抜け、心の重りが消えていた。
風は優しく頬を撫で、世界がひとつに溶け合うようだった。

「軽安覚支」――それは煩悩を離れ、身と心が軽くなる安らぎ。
彼は深く息を吐き、もう一度、世界を見つめ直した。

五.定覚支 ― 心をひとつに

やがて、トウマの心は一点に集まり始める。
波立つ思考が止み、静けさだけが満ちる。

それは「定覚支」。
瞑想の深まりとともに、彼の意識は集中し、サマーディへと近づいていく。

「私はここに在る。ただ、それだけでよい」

六.捨覚支 ― 手放す智慧

だが、深まる定の中でも、心にはまだ影があった。
「この静けさを保ちたい」「この喜びを失いたくない」

――それもまた、執着である。

彼はそれに気づき、ふっと微笑んだ。
「捨覚支」、すなわち手放す力。偏りのない心。
喜びも悲しみも、ただ通りすぎてゆくものとして見つめた。

七.念覚支 ― すべての根にあるもの

そして彼は思い出す。
最初に学んだこと、最も大切なこと。

それは「念覚支」。
今、ここに心を置き、すべてを見守る力。
気づきがなければ、選ぶことも、進むこともできない。

七つの覚支は、すべてこの「念」から生まれ、念に帰るのだ。

夜が明け、庵の窓から朝日が差し込む。
トウマはそっと立ち上がる。

彼の歩みはまだ続く。だが、その心にはもう――

揺るがぬ静けさと、目覚めの光があった。

 

 

信じる種  Seed of Faith

 

 

 

 

 

 

信じる種  Seed of Faith

夕暮れの風 誰にも届かぬ声
心に残る 空っぽな荷物
信じることを 忘れてしまった
少年が山に ひとり足を踏み入れる

疑いの闇に 灯る小さな火
誰かの祈りが 胸をやさしく叩く
仏を信じて 自分を許して
もう一度 歩き出す 信じるために

Evening wind whispers — a voice no one can hear
Empty bags, but the weight still lingers near
Forgotten how to trust, lost in silent dread
A boy walks the mountain path, by questions led

A tiny flame lights the shadow of doubt
A prayer from someone gently reaches out
Believe in the Buddha, forgive what you’ve been
And walk once more — to trust again within

五つの灯 ― 修行者トウマの歩む道 ―』

 

 

第一章「信根」──疑いの闇に灯をともす(冒頭)

山の端に陽が沈むころ、一人の若者が山寺の門をくぐった。

名はトウマ。風に吹かれるように人生の中で彷徨い、幾つかの仕事と人間関係に疲れ、何も信じられなくなってこの山までたどり着いた。

「信じるって、なんなんだろうな……」

そう呟いた声は、誰にも届かない。彼の背負った小さな布袋からは、生活道具らしきものがわずかにのぞく。だが、その中には信念も目標もない。ただ、心の中にだけ、ひりつくような空虚があった。

門前にいた老僧が静かに立ち上がった。

「風が、変わったようじゃな」

その言葉にトウマは立ち止まった。年老いた僧は、まるでトウマが来ることを知っていたかのように目を細めていた。

「……修行を、させていただけませんか」

しばしの沈黙のあと、老僧は静かにうなずいた。

「では、まずは“信じる”ことから始めようかの。仏でも、教えでも、己でもよい。疑いの根の下に、どんな種が埋まっておるか……それを一緒に掘り起こしていこう」

 

こうして、トウマの修行の日々が始まった――。

続けて描くエピソード案(第一章の流れ)

山寺での最初の修行。食事作法、掃除、読経など日々の務めの中で「形式だけをなぞる自分」に気づくトウマ。

師との対話:「仏を信じるとは、おまえ自身の中の仏性を信じることでもある」

同時期に修行に来た仲間との口論。信じることの違いに悩み、山を下りようとする。

村の在家信者・ユイ(少女)と出会う。「私は仏さまが好きだから、お祈りしてるの」

素朴な信仰に心が動かされ、再び山へ戻る決意。

第一章「信根」──疑いの闇に灯をともす(中盤)

朝四時、山の空はまだ深い藍色に沈んでいた。

トウマは、鐘の音に起こされた。低く、腹の底に響く音だった。夢と現実の境目にいた意識が、冷たい空気によって一気に現実へ引き戻される。

「起床じゃ。念誦の支度をせい」

師の静かな声が、戸の向こうから響く。寝間着のまま外に出たトウマは、他の修行僧たちの姿を見て慌てて着替えを始めた。

 

本堂での読経は、暗がりの中に蝋燭の灯が揺れ、その小さな炎が荘厳な気配を醸し出していた。僧たちは同じ経を一糸乱れず唱えていく。

だが、トウマはなぞるように声を出すだけだった。意味が頭に入らない。ただ文字の列を追い、声を合わせ、合掌の姿勢を保つ。それはまるで、「修行僧という役を演じている」ようにすら感じられた。

 

朝の粥は無言でいただく。食事前の唱和、器の置き方、食べる手順──一つひとつに決まりがある。僧たちはそれを正確にこなしていた。

しかし、トウマの心は落ち着かず、周囲の目を気にしながら器を持ち、規則通りに箸を動かす。

(こんなことに意味があるのか?)

心の奥で、つぶやきが浮かんでは消えた。

 

掃除の時間になると、トウマは竹箒を片手に境内の落ち葉をかき集めた。黙々と働く修行僧たちの背中を見ながら、トウマはふと、自分の手元を見た。

動きはしている。落ち葉も集まっていく。だが、そこに「心」はあるだろうか?

(何をやっても、表面だけをなぞっている気がする……)

胸の内に、鈍い痛みが広がった。

 

その夜、師の庵を訪ねたトウマは、ぽつりとつぶやいた。

「……僕、何も“信じて”いない気がします。ただ、言われた通りに動いてるだけで」

師は囲炉裏の火に薪をくべながら、しばらく黙っていた。火のはぜる音が、静かに部屋に響いた。

「形式は、器じゃ。器に何も入っておらねば、虚しい。だが、器があるからこそ、入る水がある」

トウマは目を伏せた。

「でも、僕は……空っぽのままです」

そのとき、師は湯呑を一つ手に取り、そっとトウマの前に置いた。

「この湯呑が、空っぽであることを気づいた。それが、始まりじゃ。信じていないことを、見ようとした。おまえはもう、最初の一歩を踏んでおる」

その言葉に、トウマの胸が少しだけ温かくなった。

火の揺れる光の中、空っぽの器が、何かを受け取る準備を始めていた。

第一章「信根」──疑いの闇に灯をともす(後半)

山の修行が始まって七日目、トウマはふもとの村へ薪の受け取りに向かった。

師と一緒に歩いていく道すがら、杉の香りに満ちた山道に、初夏の陽が差し込んでいた。寺では禁じられている会話も、こうした外出の道中では許される。

「トウマ、おまえの“信じるもの”は、まだ見えておらぬか?」

突然の問いに、彼は言葉を詰まらせた。

「……見ようとしているつもりですが、まだ……心が動かないというか……」

師はうなずいた。

「よい。“信”とは、押しつけられるものではない。だが、人との出会いが“信”の芽をくれることもある」

 

村の広場に着くと、薪の束を運ぶ合間、トウマは一人の少女に目を留めた。年の頃は十歳ほど。祠の前に正座し、手を合わせている。風に揺れる黒髪。薄い夏着に、素朴な編み笠。

彼女は、まるで誰かと話すように、そっと口を動かしていた。

(祈っている……?)

声をかけようとすると、少女は先にトウマに気づき、はにかみながら微笑んだ。

「こんにちは。お坊さま?」

「……まだ修行中だけどね」

少女は立ち上がり、祠に向かって軽く一礼すると、トウマの近くに来た。

「ユイって言うの。私、毎日ここでお願いしてるの。仏さまに、元気でいられますようにって」

「……それ、信じてるの?」

唐突な質問だった。だがユイは、戸惑うことなく、こう答えた。

「うん。だって、仏さまは見えないけど……見てくれてる気がするの。ちゃんと、見ててくれるって思うと、なんだかあったかいから」

 

トウマは返す言葉を見つけられなかった。

──見えないものを、見てくれていると“思える”心。それが、信じるってことなのか?

 

薪を受け取り、寺に戻る道中。彼の足取りはどこか軽くなっていた。

「師匠……もし、ほんの少しでも“信じてみたい”と思ったら、それは……」

「それもまた、信根の芽じゃ。信とは、“思いたい”と願う心の片鱗から育つものじゃよ」

 

山道に吹く風が、彼の袖を優しく撫でた。

そしてその夜、トウマは初めて自ら進んで、本堂の灯明に火を灯した。

その火は、彼自身の中の小さな灯のようでもあった。

第一章「信根」──疑いの闇に灯をともす(結び)

夜の山寺には、虫の音が静かに響いていた。

トウマは再び、師の庵を訪れていた。囲炉裏の火が揺れ、薪のはぜる音が、心のざわつきを和らげてくれるようだった。

「今日、村で会った少女の話を聞きました」

トウマはそう口を開いた。「祈れば見えない仏さまが“見ててくれる”って。……それを聞いて、少しだけ、あったかい気持ちになったんです」

師は湯を注ぎながら、静かに頷いた。

「それが“信”の気配じゃ」

「でも……僕は、まだ信じきれてはいない気がするんです。ただ“信じたい”と、願っただけで」

すると師は、湯呑を一つ手に取り、トウマに差し出した。

「信とは、水のようなものじゃ。器に注がれたとき、初めて“かたち”になる。だが、水が注がれるには、器が空でなければならぬ」

トウマはその言葉を、黙って受け取った。

「信根とは、盲信でもなく、知識でもない。己が心の奥に、“道がある”と感じようとする意志じゃ。見えずとも、心のどこかで“光がある”と願う心じゃ」

 

その夜、トウマは自分の寝床に戻りながら、思った。

──僕はまだ空っぽかもしれない。だけど、その“空っぽ”に気づいた。
そして今、小さな雫が、静かに注がれたような気がする。

灯明の炎は、かすかに揺れながらも、確かにそこに在った。
疑いの闇に、ひとすじの光が、ゆっくりと差し始めていた。

これにて第一章「信根」は閉じとなります。
次章では、「五根」の第二──**「精進根(しょうじんこん)」**をテーマに、
トウマが怠け心や迷いと向き合いながら、真の努力の意味を見出す物語を展開してまいります。

ですか?あるいは他の章や人物視点をご希望でしょうか?

第二章「精進根」──歩みを止めぬ者の道

【一】静けさのなかに、怠け心の芽が生まれる

朝四時、鐘の音が山を包む。

だが、トウマの目はなかなか開かなかった。布団の中、眠気と寒さに抗えず、わずかにまどろむ。

(もう少しだけ……)

そんな心の声が、昨日の“信”の光を覆い隠していく。

「怠けるというのは、仏道を捨てる第一歩じゃ」

かつて師がそう言った言葉が、耳の奥に残っている。

それでも体は、布団の中にとどまりたがっていた。

──昨日の“信”は、どこへ消えたのか?

 

やがて、自責の念がトウマを立ち上がらせた。慌てて堂の掃除に向かうと、すでに他の修行者たちは黙々と動いていた。

師の姿はない。だがその不在こそが、問いを投げかけているようだった。

(僕は、なぜこの道を選んだんだ?)

 

【二】「努力」の仮面──空回りする精進

その日からトウマは、誰よりも早く起き、誰よりも手を動かすようになった。

だが、心は常に焦っていた。

(努力しているはずだ。……なのに、なぜ満たされない?)

形式的に勤めをこなしても、師の目はどこか遠く、沈黙は続いた。

夜の自習時間、師に問いを投げかけた。

「師匠。努力しているのに……報われている気がしません」

すると師は、筆を止め、問うた。

「トウマ。“報い”とは、何を指しておる?」

「……わかりません。ただ、やってもやっても心が空回りしているようで」

 

師は筆を置き、彼の方を見つめた。

「精進とは、“求めること”ではない。“怠らぬこと”じゃ」

「……怠らぬこと?」

「ああ。“欲のための努力”ではなく、“止まらぬ歩み”こそが精進根。
一歩が小さくとも、進み続ける者だけが、真に道を得る」

 

トウマは黙ってその言葉を受け取った。

今の自分は、“報い”というご褒美を期待して、動いていなかったか。

──それは、信じて歩む者の姿とは、違っていたのではないか。

 

【三】小さな歩み、止めぬ者の強さ

翌朝、トウマは誰に促されるでもなく、起き上がった。

寒さも、眠気も変わらない。

だが彼は、自分の内にこう語った。

(今朝も一歩を踏み出そう)

 

食事を終え、堂の掃除を終え、読経を終えた後、師がぽつりとつぶやいた。

「心を置く場所が変わったな」

トウマは驚いた。

「……何か、変わりましたか?」

「おまえの足音が、迷いの音から、歩む者の音に変わった。精進とは、そういうことじゃ」

 

その夜、トウマはまた灯明に火を灯した。

今度は、“信”ではなく、“歩み続ける意志”としての火だった。

これにて、**第二章「精進根」**は閉じです。

第三章「念根」──今ここに心を置く者

【一】意識が彷徨う日々

春の陽ざしが山寺の縁側をあたためていた。

トウマは手に持った箒を止め、ふと遠くの杉の梢を見つめた。
──明日、街から客僧が来るらしい。
──母は元気にしているだろうか。
──あのとき、もっと優しくしてやれば……

気づけば、心は目の前の掃き掃除を離れ、過去や未来を彷徨っていた。

(僕は、どこにいる?)

トウマは、そんな問いが胸に浮かぶのを感じた。

 

【二】「今ここ」とは、どこにあるのか

その夜、師が囲炉裏の前で湯を沸かしていた。

「トウマ、おまえは“今”におるか?」

師は、問いかけのように、そう言った。

トウマは戸惑いながら答える。

「……はい、ここにいます」

師は湯を注ぎながら微笑んだ。

「そうか。だが、心もおるか?」

その言葉に、トウマははっとした。

たしかに、身体はここにあっても、心はしばしば遠くへと彷徨っていた。過ぎた後悔、まだ来ぬ不安──そこばかりを眺めている。

「“念根”とは、心を“今ここ”にとどめる力じゃ」

師は、火に手をかざしながら続けた。

「人の心は風のようなもの。放っておけば、すぐに飛んでゆく。だが“念”とは、その風を手のひらに収め、いま燃えている火をしっかりと見つめる力なのじゃ」

 

【三】一椀の飯に、心を置く

次の朝、トウマは試してみることにした。

食事の時間。湯気の立つ一椀の白飯。味噌汁の香り。小さな梅干し。

(これは誰が作ってくれたのか。どれだけの手を経て、ここに届いたのか)

一口ずつ、味わって食べてみる。

すると、思いがけず、涙が浮かんだ。

(いま、僕は“ここに”いる)

たったそれだけのことが、心に深く沁み入った。

“念”とは、壮大な理屈ではなかった。
それは、自分の生きている場所に心を据える、たった一つの実践だった。

 

【四】雑念は消えずとも、波の中に立つ

その夜、トウマは師に告げた。

「雑念は……消えません。過去も未来も、頭に浮かんできます」

師は微笑んで答えた。

「よいか。雑念は、消すものではない。“気づくもの”じゃ。
波があっても、舟を沈めぬように。心が波立っても、“いま”に戻る力こそが“念根”じゃ」

 

その言葉を胸に、トウマは灯明に火を灯した。

炎の揺らぎ。その温かさ。自分の呼吸。師の静かな気配。

すべてが、いまここにあった。

これにて、**第三章「念根」**を閉じます。

次章は、第四の根──**「定根(じょうこん)」**です。
トウマが「心を定めるとは何か」「集中とはどういうことか」
迷いと煩悩に揺れる中で、禅定の静けさに近づく物語を描いてまいります。

であれば、そのまま続きをご用意いたします。いかがなさいますか?

第四章「定根」──心を澄ます静けさ

【一】心の湖、波立つ日々

六月の雨が山を濡らしていた。屋根を打つ雨音が堂内にこだまする。
トウマは坐禅に入っていた。目を閉じ、呼吸を整え、心を一点に集中させようとする──

……が、心は騒がしかった。

(雨の音がうるさいな……)
(脚がしびれてきた)
(昼の掃除で失敗したこと、まだ引きずってる……)
(ああ、集中できない……)

そんな思考が次から次へと現れては、意識を奪っていく。

心は、水面に無数の石を投げ入れられた湖のようだった。波立ち、底が見えない。

(“定”とは……この乱れを止めることなのか?)

彼の眉がかすかに寄った。

 

【二】沈黙の教え

その日の夜。いつものように、囲炉裏端に師がいた。だが今夜、師は一言も発さなかった。
トウマもまた、黙ってその隣に座った。

火の音だけが部屋を満たしていた。

しばらくして──トウマがぽつりとつぶやいた。

「……師匠。心を静かにしたいのに、余計なことばかり考えてしまいます」

師は火を見つめたまま、言った。

「“定”とは、心を縛ることではない」

「……では、何をすることですか?」

「心が水なら、“定”は、何もせずにその水を澄ませることじゃ」

「何もせずに……?」

「そうじゃ。澄んでいないと感じたなら、それに抗わず、そのまま坐ってみよ。
やがて、波は静まる。無理に沈めようとすればするほど、心は騒ぐ」

 

その夜、トウマは火を見つめながら長く坐っていた。

心のざわめきも、沈黙も、ただそこにあるものとして受けとめながら。

 

【三】一筋の風が止まるとき

翌朝、坐禅の時間。トウマは、ただ呼吸に意識を置いていた。

「吸って……」
「吐いて……」

雑念は来る。しかし追わない。
波は立つ。しかし騒がない。

ある瞬間、ふと気づいた。
──心が、“今ここ”に澄んでいる。

何かが特別に変わったわけではない。
ただ、世界が静かに“在る”ことの豊かさを、初めて全身で感じていた。

 

【四】心の底が見えるとき

坐禅が終わったあと、師がそっと言った。

「“定”とは、無理に何かになることではない。ただ、己の心に帰ることじゃ」

「……帰る?」

「うむ。仏は常に“いまここ”におる。だが騒がしい心では、その姿は見えぬ。
おまえの湖は、ようやく底が見えはじめたようじゃな」

 

その晩、トウマは灯明に火を点した。
炎の揺らぎは変わらない。だが、それを見つめる心は、確かに変わっていた。

──揺れながらも、澄んでいる。

 

第四章「定根」──心を澄ます静けさ

【一】心の湖、波立つ日々

六月の雨が山を濡らしていた。屋根を打つ雨音が堂内にこだまする。
トウマは坐禅に入っていた。目を閉じ、呼吸を整え、心を一点に集中させようとする──

……が、心は騒がしかった。

(雨の音がうるさいな……)
(脚がしびれてきた)
(昼の掃除で失敗したこと、まだ引きずってる……)
(ああ、集中できない……)

そんな思考が次から次へと現れては、意識を奪っていく。

心は、水面に無数の石を投げ入れられた湖のようだった。波立ち、底が見えない。

(“定”とは……この乱れを止めることなのか?)

彼の眉がかすかに寄った。

 

【二】沈黙の教え

その日の夜。いつものように、囲炉裏端に師がいた。だが今夜、師は一言も発さなかった。
トウマもまた、黙ってその隣に座った。

火の音だけが部屋を満たしていた。

しばらくして──トウマがぽつりとつぶやいた。

「……師匠。心を静かにしたいのに、余計なことばかり考えてしまいます」

師は火を見つめたまま、言った。

「“定”とは、心を縛ることではない」

「……では、何をすることですか?」

「心が水なら、“定”は、何もせずにその水を澄ませることじゃ」

「何もせずに……?」

「そうじゃ。澄んでいないと感じたなら、それに抗わず、そのまま坐ってみよ。
やがて、波は静まる。無理に沈めようとすればするほど、心は騒ぐ」

 

その夜、トウマは火を見つめながら長く坐っていた。

心のざわめきも、沈黙も、ただそこにあるものとして受けとめながら。

 

【三】一筋の風が止まるとき

翌朝、坐禅の時間。トウマは、ただ呼吸に意識を置いていた。

「吸って……」
「吐いて……」

雑念は来る。しかし追わない。
波は立つ。しかし騒がない。

ある瞬間、ふと気づいた。
──心が、“今ここ”に澄んでいる。

何かが特別に変わったわけではない。
ただ、世界が静かに“在る”ことの豊かさを、初めて全身で感じていた。

 

【四】心の底が見えるとき

坐禅が終わったあと、師がそっと言った。

「“定”とは、無理に何かになることではない。ただ、己の心に帰ることじゃ」

「……帰る?」

「うむ。仏は常に“いまここ”におる。だが騒がしい心では、その姿は見えぬ。
おまえの湖は、ようやく底が見えはじめたようじゃな」

 

その晩、トウマは灯明に火を点した。
炎の揺らぎは変わらない。だが、それを見つめる心は、確かに変わっていた。

──揺れながらも、澄んでいる。

 

第五章「慧根(えこん)」──迷いを見つめる目

【一】白い霧の中で

初夏の山に、朝霧が立ち込めていた。
トウマは、杉林の中にひとり坐っていた。坐禅でも、修行でもない。ただ、自分の「心の声」に耳を澄ませていた。

五根──信、精進、念、定。

それぞれの修行を経て、彼の心は以前とは違っていた。
けれど、なお残るものがあった。

それは──迷いだった。

(信じ、努力し、心を今に置き、定めることはできるようになった。でも……)

(この“わたし”という存在そのものが、まだ何かに縛られている気がする)

そのとき、ふと一筋の問いが浮かんだ。

「そもそも、“わたし”とは何者なのか?」

 

【二】師の語る“眼”

その夜、囲炉裏の火が再び灯った。
師は、湯を沸かしながらこう言った。

「“慧”とは、ものを見る“眼”じゃ。仏教では“慧眼”と申すな」

トウマは問い返す。

「師よ、見る眼はすでに持っているはずです。なのに、なぜ真理は見えないのですか?」

師は笑った。

「眼はある。しかし、汚れた眼鏡をかけておる。煩悩という名のレンズじゃよ」

「……煩悩、ですか」

「自分を守ろうとする心、評価されたい心、過去の傷、未来への不安──
それらが、おまえの“眼”を曇らせておる。だから世界も、自分自身も歪んで見える」

「それを取り除くには、どうすれば……?」

師は火を見つめて言った。

「見るがよい。火は、自ら照らしておる。
“慧”とは、心の中に灯る、この火のようなものじゃ。
外に真理を探すのではない。おまえの心に、もともとあった灯を見出すのじゃ」

 

【三】煩悩を「知る」ことの始まり

翌朝、トウマは再び坐った。
けれど今回は「煩悩を打ち払おう」とはしなかった。

むしろ、そこにある煩悩を静かに観察した。

──また不安が来た。「修行が進まない」と焦る自分がいる。
──他人の目が気になる。「評価されたい」という声がある。
──過去の怒りが湧いた。まだ許せていない。

だが、それらに飲まれることなく、ただ、「見る」。

(なるほど。これが、心の働きか)

煩悩は消えなかった。
けれど、それに巻き込まれず、それを理解する眼が生まれていた。

 

【四】空の境地へ

ある日、山の頂に登った。風が涼しく吹き抜け、視界が開けていた。

雲が去り、すべての山々が、谷が、木々が見渡せた。

それは、まるで──心の中の霧も、晴れたようだった。

その瞬間、トウマの心に声が響いた。

「迷いをなくすのではない。迷いの正体を知る。それが“慧”だ」

彼は思った。

(“智慧”とは、煩悩のない心ではなく、煩悩を見抜く心の目なのだ)

それは、彼が初めて“己自身を客観的に見る”という、確かな実感だった。

 

【五】五根を越えて

その夜。師はこう言った。

「トウマよ。信じる力、努力する力、心を保つ力、心を定める力──
それら四つは、つねに“目”を必要とする。何を信じ、何に精進し、何に集中するかを“見抜く”目じゃ」

「“慧根”は、五根の“目”にして“統べる力”とも言える」

「ようやく、おまえの眼は開かれたな」

トウマは、深く頭を下げた。

「ありがとうございます、師よ。すべての根は、“わたし”の内にあったのですね」

囲炉裏の火が、やさしく揺れていた。

これにて、五根の修行物語──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五つの力と、修行者の道 The Five Powers and the Seeker’s Path

 

 

五つの力と、修行者の道

The Five Powers and the Seeker’s Path

闇の森にひとりゆく 心の声をたずさえて
古き祠に立ち止まり 光る石に呼ばれしとき
胸の奥に芽生えゆく 信の火が灯るなら
迷いの霧は静かに 道を明けてゆくだろう

信じる力を手にして 精進の炎を燃やせ
いまという刹那に生きて 心を澄ませて見つめよ
静寂の湖を渡り 真理の光を抱けば
その身はやがて知るだろう 道は己の中にある

Alone I walk through the forest deep, carrying whispers my heart must keep
At an ancient shrine I halt and hear, the call of stones so crystal clear
If faith ignites a flame inside, the mist of doubt will then subside
And in the stillness of the night, the path ahead will shine with light

With trust as fire held in your hand, let effort rise and firmly stand
Live in this moment, calm and true — see through the veil with mindful view
Cross the lake where silence lies, embrace the truth with inner eyes
Then you shall find, beyond all fear: the path you seek is always near

2025年6月18日 今日の運命 Today’s Fate 今日缘分

2025年6月17日 今日の運命 Today’s Fate 今日缘分

 

乙巳 二黒土星 歳
壬午 七赤金星 節
丁巳 三碧木星 日

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

再生の週 成の日

仕事や計画が達成される日

これまで積み重ねていたことが実を結び達成される日です。同時に、新しいことへの興味が芽生える日でもあるので、実現に向けたプランを立てたり、イメージをふくらませるとよいでしょう。頓挫していた計画や諦めていたことにもう一度チャレンジできる日でもあります。思いがけない人の助けや新しい発想に恵まれて、新たな展開が期待できます。外部からの援助に恵まれる日なので、報連相はこまめに行い、小さな情報でもキャッチする積極的な姿勢を心がけてください、

June 17, 2025 Today’s Fate Today’s Fate Today’s fate

 

Yi Shan 2 Black Earth Star Year
Rin Wu 7 Red Metal Star Node
Ding Shan 3 Green Wood Star Day

3 Green Wood Star Day

Someone with a wish will visit. Something unexpected will happen. Good causes will bring good results. A day to appreciate the blessings of God, parents, society, all living beings, and things and act with a spiritual attitude. Unexpected good and bad fortune will occur depending on the good and bad actions you have taken over the past 9 days.

Week of Rebirth Day of Completion

A day when work and plans are accomplished

It is a day when the things you have accumulated so far will come to fruition and be achieved. At the same time, it is a day when you will become interested in new things, so it is a good idea to make a plan to realize them or expand your imagination. It is also a day when you can try again on plans that have been stalled or things that you have given up on. You will be blessed with help from unexpected people and new ideas, and new developments are expected. This is a day when you will be blessed with assistance from outside, so be diligent in reporting and communicating, and be proactive in catching even the smallest pieces of information.

2025年6月17日 今日运势 今日运势

宜山2 黑土星年
壬午7 红金星交点
丁山3 青木星日

3 青木星日

心愿之人将来访。意想不到的事情会发生。善因善果。感恩神明、父母、社会、众生和万物的恩惠,以灵性的态度行事。根据你过去9天的善恶行行,将会发生意想不到的好运和厄运。

重生周 完成日

工作和计划​​完成的日子

这是你迄今为止积累的一切将结出硕果并实现的日子。同时,这也是你会对新事物产生兴趣的日子,所以制定计划来实现它们或拓展你的想象力是个好主意。这也是你可以重新尝试那些停滞不前的计划或放弃的事情的日子。 你将获得意想不到的帮助和新想法,并有望取得新的进展。今天你将获得来自外界的帮助,因此要勤于汇报和沟通,并积极主动地捕捉哪怕是最细微的信息。

 

 

 

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

名サマンタバドラ (Samanta bhadra) の「サマ 「タ」は「く」、「バドラ」は「賢」と漢訳しま す。 「賢」とは具体的には「さとりを求める心か 起こる、成仏しようとする願いと行ない」のこ とです。それが、ときとところを選ばず在して いるということを象徴したのがこの菩薩です。 で すから、菩薩行を実践する者をつねに守護するほ とけでもあります。

白象に乗り、文殊菩薩とともに釈迦如来 の脇侍をつとめます。 文殊菩薩のに対して、 (行)をつかさどります。

なお、密教では、堅固不壊の菩提心を象徴する

金剛薩埵と同体とします。

と巳年生まれの人の守り本尊とされていま

 

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

 

 

 

 

大安楽不空真実菩薩は悟りを生み出す智慧を持つとされ、この菩薩が制定した禅定に入れば時の限界を超越した安楽な命が生成されるとされることから「普賢延命」と呼ばれるようになった[4]

普賢延命菩薩は、普賢菩薩釈迦如来の脇侍であり、独尊としても祀られる)から派生した密教系の菩薩像であり、除災、長寿などを祈念する修法「普賢延命法」の本尊として造像される。

 

  • オン・バザラユセイ・ソワカ (Oṃ vajrāyuṣe svāhā) [注 2][3]

 

延命十句觀音經

 

觀世音
南無佛
與佛有因 與佛有緣

じょうらくがじょう
ちょうねんかんせ
佛法僧綠
朝念觀世音
常樂我淨
暮念觀世音
ねんねんゆうしんき
念念從心起
ねんねん
念念不離心

 

 

準眠觀音經

準展功徳衆。寂静にして心常に
誦すれば一切諸々の大難能く是
の人を侵すこと無し。天上及び
人間福を受くること雌の如く掌
し、此の如意味に過は定んで無等等を得ん。

若し我誓願大悲の建一人として世の願を成ぜずんば我れ妄罪過の裡に喧し
て本覧に歸らず大悲を捨てん

 

観音われいま作るところの形相は、

觀音妙法實相仏物の相

思うところの想念は、觀音妙智
の大智恵。

となうるところの眞言は 觀
示現の大神呪

三密ことごとく具足して、われ
いままさに座す觀音光明世界一切の悪因を離れ、もろもろの惡業を捕って觀音妙法實相 の聖
あくこう
のんみょうほうじっそう心に一切の悪因なく、身の惡業なきゆえに、心に一切

悲しみなく、

怒りなく、

怖れなく、

傲りなく、

身に一切の痛みくるなく、

苦しみなく、

一切の魔障怨敵退散して内外ともにことごとくなく、

苦しみな怨敵退散して内外ともにことごとく無欠なり

光明遍照三昧行因
即諸惡之身願“因成成消佛就滅照
三味味味

御言(十唱)

 

 

The Bodhisattva of Great Peace and Absolute Truth is said to have the wisdom to produce enlightenment, and it is said that if one enters the meditation established by this Bodhisattva, a life of ease that transcends the limits of time will be created, hence the name “Fugen Prolonged Life.” [4]

Fugen Enmei Bodhisattva is an esoteric Buddhism bodhisattva statue derived from Fugen Bosatsu (an attendant of Shakyamuni Nyorai, who is also enshrined as the Solitary Buddha), and is a Buddhist Bodhisattva statue that is based on the “Fugen Enmei-ho” ritual to pray for disaster prevention, longevity, etc. ” is created as the principal image.

 

Oṃ vajrāyuṣe svāhā [Note 2][3]

 

10 prolonging life poems and sounds

 

sight sound
Namu Buddha
There is a Buddha, there is a Buddha

Jourakugajo
State of affairs
Buddhist priest green
Morning view sound
everlasting pleasure
evening sight sound
Nennen Yuushinki
thoughts and thoughts
Nennnen
remembrance and detachment

 

 

 

quasi-sleepy sound

Quasi-exhibition meritorious group. Be quiet and be at peace
If you recite it, you will be able to overcome all kinds of difficulties.
No harm to other people. Heaven and
Receive human blessings, palm like a female.
However, in this sense, excess is determined and nothing is equal.

If I were to fulfill the world’s wishes as one of the founders of my vow and great sorrow, I would become a fuss in the midst of my delusional sins.
Don’t go back to the main list and throw away your great sadness.

 

The shape that Kannon is currently making is

Kanon Myoho Reality The aspect of Buddhist objects

The thought I have is Kanon Myochi
Great wisdom.

The true word that comes to mind is visible
Great Divine Spell of Vision

I am satisfied with all the three Cs.
Right now, I am sitting in the world of Guan Yin Light, detaching myself from all evil causes, catching all the evil deeds, and becoming the holy spirit of Guan Yin Myoho, the reality of reality.
Akukou
Because there is no evil cause in the mind, and there is no harm in the body, there is nothing in the mind.

without sadness,

without anger,

Don’t be afraid,

Without arrogance,

Without any pain in my body,

without suffering,

All demonic obstacles and enemies will be expelled, and everything will be cleared both inside and outside.

The painful enemy is gone, and everything is safe both inside and outside.

Light-enlightening Samadhi action
Immediately, all evil will come to pass, and Buddha will come to pass.
Shami taste

Words (ten chants)

 

 

 

 

 

http://cyber-price.com/buddha/Buddha Japan journal
日本の仏教を発信します
Send Japanese Buddhismニルヴァーナを智慧と慈悲をめざす。”Nirvana aims for wisdom and compassion.”