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仏教

文殊菩薩 智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

 

 

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

仏舎利宝珠尊和讃

 

 

仏舎利宝珠尊和讃  1

帰命頂礼 仏舎利尊

功徳のほどを伝うべし 仏の慈悲のかぎりなく 世の衆生救わんと 变化法身仏舍利尊 霊処かずあるその中に 法身駄都如意宝珠尊 化導利生はてしなし 悪業一切断ち切りて この塔安置のところには 人みなすべて安穏に 疫病苦厄のうれいなし 日々の供養を忘るるな 法身如来あらわれて つくるといえど宝塔の ちりばめ輝くさまとなり 十方世界を照らすなり 微妙の法を説き拾う 凡夫の法性たちまちに 衆生の胸にしみ透る さてまた過去世に貪りの 衣類さえなき貧しさに 至心に宝生いのるなら 三宝味と変化し

宝生解脱のその力

そもそも祀る宝塔は 大悲方便止まずして 舎利をとどめ置き拾う 納め祀れる霊祠なり 仏舎利尊の宝塔は 大神変妙にして

供養の積めば 福徳果報かぎりなし 諸難のせまる恐れなく 牛馬の末に至るまで されば行者は宝塔の 至心に礼拝供養せば たとえ瓦石や木ぎれにて 忽ち変じて七宝の 紫黄金の光明 光の中に声あって 法身如来の声なれば ひらきて悉地を成ずなり 声なき声尊とけれ 罪にむくわれ身にまとう なげく貧窮の人にても 法身如来たちまちに 宝の雨を降らすなり

珍宝名衣上服や

日々に富貴の身とならん 苦患にもだゆる身なりとも 重き病いもその日より 功徳ほとほとのべがたし 供養の徳を積むことぞ 人のうらやむ財産も 悪因ひとつあるならば 家系の因縁断ち切りて 父母祖父や祖母どちの 肉を通して子や孫の 我れに犯せし罪とがの 父母先祖の因縁ぞつぎにはわが身の因縁を 業障ふかき祖父祖母を 犯せし罪の果報ぞや わが身の不徳かえりみて 八十億劫積もり来し 消えて菩提の道ひらく 畜生界に生きる身も 抜苦与楽の門に入る まず第一は事の供養 香華をととのえて 供養の種をまかざれば

百味の飲食かぎりなし また業病や難病の 至心に礼拝供養せば 癒えて天寿を全うす 先づは信心あつくして とりわけ解脱をねがうべし 巨万の富も権勢も すべて苦の種泣きの種 先祖の業障除くべし おかせし悪因悪業は 悪しき運命のもととなる

因縁悪しき父母や 持つはこれが前の世に 先祖うらむな身を悔め 至心に解脱の供養せよ 生死輪廻の罪障も 無間地獄や鬼地獄 大光明を身にうけて 三種供養尊とけれ 身供養とも申すなり 力のかぎり供養せよ 福徳宝生のぞみなし

種一升まきおけば

五升や一斗はみのるぞや

とれたるためしなし

種を惜しみてまかずして 功徳の種をまかずして

果報の徳は得ぬものぞ

まけばまくほどみのるもの 骨身惜しまずまくことぞ

解脱宝生ねがうなら

行功徳の種をまけ

 

 

阿含  阿含経・三供品

聞如是一時仏在舎衛国樹給孤独 園爾時世尊阿難。有三善根。 不 可窮尽。 至涅槃界。 何為三所 謂於如来所而種功德。此善根不可窮 尽於正法 而種功徳。 此善根不可 尽於聖衆而種功徳。 此善根不可 窮尽是謂阿難。此三善根不可窮尽 得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲 此不可窮尽之福。如是阿難。当作是 学爾時阿難関仏所説。 喜奉行

聞くことの歌 舎衛国祇給孤独園に在 しきの時世尊、阿難に告げたまわく、「三善根(三 福道)有り、窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る。

何が三とすや。所謂如来の所に於て功徳を使う。 此 善 善根尽す可からず。 聖に於て功徳を種う。此の善此の す可からず。正法に於て功徳を種う。

尽す可からず。 是れを阿難、此の三善根は窮尽す可 からず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是故に 難当に方便を求めて、此の窮す可からずの福を獲べ 是の如く阿難当に是の学を作すべし」と。雨の時 阿難、仏の所説を聞きて喜奉行しぬ。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ るものです。 なにをもって三つの善根 (福)とするのでしょうか。 (第一に) いわゆる如来の所に おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。 (第二に) 正法において功徳を種える、 この根(福)の功徳は無限です。(第三に) 聖衆において功徳を種える、この善根 (福)の功徳 は無限です。 阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように 阿難よ、この三善根 (三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

冒頭でも触れたように、 阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無善根・無瞋善根・無癡善根の三根。 一切の善法がこの三つか ら生まれるからである。 それらは具体的には施・・慧となって現われる。 三毒の対

と書かれています。 しかし、この「三供養品」に説かれる三善根は、その内容がまったく異な ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生 むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。 したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。 この名称ならば無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三善根と混同する ことはありません。

そこで、阿含宗では、三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根 (三福道)が必要なのだ、という ことをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

阿含経・三供品

普通は涅槃の境地境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それ については後述します)。 『五戒品』 でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット 語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。 完全解脱とは業と 因縁から完全に解放された状態です。

めんね てんしよう

わたくしたちは業と因縁の塊です。 業と因縁によって輪廻転生を続けています。 輪廻転生とは 生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え

〇九三

薬師如来

薬師如来

 

 

オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

東方浄瑠璃世界の教主で、正式名を薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)といいます。

 

病気を治して衣食住を満たすという「十二の大願」を立て、生きている間に願いを叶えてくれます。阿弥陀如来のように死んだ後にやすらぎを与えるのではなく、現世にやすらぎを与えてくれるのが特徴です。昔の作例はとくに病気平癒を願ったものが多数存在します。

 

日光菩薩と月光菩薩を脇侍として三尊として並ぶことが多いです。さらに、7体の薬師如来で息災・増益を祈願する修法の本尊である七仏薬師というものも存在します。また、眷属として十二神将を従えています。

オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ