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仏教

法鏡とは不壊信を獲得すること

それは第三の智慧(漏尽智)の獲得であった。

このように無色貪を断ち切り、苦行(戒)の段階を越えて修行を続けられたお釈迦さまは、定に熟達され、その定の極みにおいてカルマの実体を把握する智慧を獲得し、その智慧によって真理を知り、解脱を完成して仏陀になられました。つまり煩悩の滅尽(漏尽)に到達されたのです。

法鏡とは不壊信を獲得すること

本講義で紹介した経文は『遊行経』のごく一部であり、大変短いものですが、このようにじつに深い内容を含んでいます。わたくしたちも、因縁解脱をしたい、成仏したいと願うのであれば、 まず、お釈迦さまがこのお経でお説きくださった、法鏡の教えに従わなくてはなりません。

お釈迦さまは、仏と法と僧伽を信じ、戒を信じて実践するという四不壊信(四不壊浄)を獲得することによって、聖者の最初の段階である須陀洹に到達し、再び悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生

一九六

界に堕ちることなく、七度までの生まれ変わりのうちに阿羅漢(仏陀)(と向かうことができる。と説かれているのです。

しかし、法鏡の第一で「仏を信仰する」とありますが、もはやお釈迦さまのおられない現在の世界に生きるわたくしたちは、いったいどのような仏を信仰すればよいのでしょうか?

それはなぜか? この信仰の対象となる仏は、仏画や仏像ではありません。ましてや、日本の大乗仏教が祀る果空の仏、空想上・概念上の仏でもありません。お釈迦さまがこのお経で説いておられるように、 如来の十号を備えた真実の仏として、応供のお力を持っておられなくてはならないのです。

わたくしたちをご加護くださり、成仏へとお導きくださることができる、お力が必要だからで十。如来の十号の一つである無所著は、阿羅漢・応供とも訳され、人間と神々から尊敬、供養される資格のあるお方のことですが、尊敬・供養されるだけではないのです。「応供」とは「供養に応える」ということです。つまり、お釈迦さまは、供養に応えて人々を解説へと護り導くお力を持っておられました。今の世界のどこに、そのような方がおられるのか?

現在における「仏」、応供の如来の復活

しかし、驚くべきことに、現代のこの世界に応供の仏が否されたのです。

しかし、驚くべきことに、現代のこの世界に応供の仏が復活されたのです。

一九七九年二月四日、阿含宗創建の翌年に、京都花山の総本殿建立予定地において事修された、 「節分星まつり大柴燈護摩供」において、その修法中、一陣の霊気が結界内を走ったかと思うと、 突然、お焚き上げしている大護摩の火炎が、巨大な仏のご尊体へと変わりました。

その炎の高さは、およそ六、七メートル、それまで、風速七、ハメートルの山風に、右に左に大きく揺れていた火炎が、一瞬、ピタリと静止したかと思うと、突如、如来のお姿を現したのです。その寸前、修法中のわたくしは、思わず、あ!と思いました。というのは、その時、燃え上がっている火炎の火の色が、一瞬、変わったからです。それまでの赤みを帯びた普通の火の色が、輝くばかりの黄金色となりました。あ!と思った次の刹那、火炎がピタリと静止し、巨大な仏の尊形となったのです。次の瞬間、火はもとの色に戻り、ごうッと吹く山風に大きく揺れ、なびいていました。

修法が終わって道場に帰り、ご霊示を仰いだところ、 「われは応供の如来である。供養を受けるぞ」

というご霊示が下がりました。

「応供の如来」とは、「(信者の)供養を受けて、その供養を功徳として(信者に)返す如来」という意味です。わたくしは、その瞬間、この総本段建立地が霊界と直結した聖地となったことを確信しました。しかし、わたくしは、これを一部の幹部の者のみに伝えるにとどめました。ご霊

体を拝さぬ者にいっても仕方がないと思ったからです。

ところが、数日後、当日の修行者の一人が、

「これは霊写真ではないでしょうか」

一九八

といって一葉の写真を届けてきたのです。一見して、わたくしは息をのみました。まさしく、 あの創那、わたくしが拝した沢愛無作(作りものではない自然のままの生きた仏)の如来のお姿でした。その黄金色に輝く色も、形も、寸分違いません。わたくしは思わず、おしいただきました。 現形という言葉があります。神・仏が、そのご自身の意志によって姿を現し、そのお姿をとどめることです。これを現形といいます。誰か一人がそのお姿を目にしたというのでは、現形とはいいません。万人、誰でもそのお姿を拝せるよう、姿形をとどめなければいけないのです。

大切に祀られております。 なんという奇蹟でしょうか。如来が写真に自らお姿をとどめて、現形されたのです。わたくしの胸は、ただ感激に震えるのみでした。大日如来・釈迦如来・準、玉如来の三身を一身に顕現した、三身町」の「応供の如来」として現形された、この仏さまの霊写真は、阿含宗の密望として

真正仏舎利の降臨

再び、驚くべきことが起こりました。

一九八六年四月七日、スリランカの首都コロンボ市(当時)の大統領官邸において、J・R・

ジャヤワルダナ大統領閣下から、阿含宗に真正仏舎利が授与されたのです。

お釈迦さまは、護摩の炎に応供の仏としてご出現され、その霊体を写真にとどめてくださると

お釈迦さまは満席の姿には

いう形で降臨現形されただけではなく、今度は、その肉体(ごむ形・ご聖)をもって阿含宗に降臨されたのです。

この仏舎利は、インドのビハール州にあるブッダガヤの大塔(大菩提寺)に奉安されていたもので、一八八一年、考古学者のカニンガムによって、大塔の金剛宝座の下から発掘されました。

ブッダガヤの聖顔が、現在のような形で保たれているのは、ビルマ(現在のミャンマー)、スリランカの歴代の王たちの力によるものです。ことにスリランカの力が大きく、アショーカ王の創建した精舎をさらに増広して大菩提寺を建立したのは、四世紀のセイロン(現在のスリランカ)王メーガヴァンナです。こういう因縁により、大菩提寺の管長、主管者には、スリランカの高僧が選ばれることが多いのです。

このスリランカと因縁の深い大菩提寺で、一九四四年当時に管長をされていたスリランカの高僧が、スリランカに帰住するにあたり、上記仏舎利の一部をスリランカに移管し、奉安しました。 この仏舎利のうちの数粒が、スリランカ大統領・ジャヤワルダナ閣下に献上され、大統領から阿含宗に寄贈されたわけです。

どうしてこういうご縁ができたのか、わたくしは、今でもまったく分かりません。

わたくしの方からあつかましく、仏舎利を分けていただきたいなどと申し出たことなどは一切なく、本当に不思議な成り行きで、自然にこうなったのです。ただただ、仏縁仏さまのご意志によるものとしか、いいようのない不思議なご縁です。

スリランカ側の当事者のお話では、日本でただ一つ、釈尊直説の経典である「阿含経」を奉持する仏教団体であるから、ということでした。

1100

の大光明を放って、阿含宗の信徒を護り導いてくださっています。

この真正仏舎利は、まさに生ける釈迦如来として阿含宗に降臨され、阿含宗の本尊として金色

昔から。キリスト教が日本の仏教を批判する時、まっさきに突いてくるのが、日本の仏教は 「偶像崇拝」の低劣な宗教である、という点でした。たしかに、そういわれてもやむを得ない弱点が、日本の仏教にはあります。本尊として祀るところの、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、 その他、すべて架空の仏の像です。皆、実在しない仏の像なのです。故にキリスト教は、これを、

未開人の持つ宗教と同じ、偶像崇拝の低劣な信仰と断定するのです。

t では、偶像を本尊とする仏教が、なぜ低劣視されるのでしょうか? 二つの理由が挙げられま

その1、

異像の仏とは実在しない仏の像であり、実在しない仏の像は「虚像」です。虚像の仏は、要するに、にせものの仏です。真実の仏に似せた虚の仏の説いた経典が、真実の仏の教説といえるでしょうか? それは仏が説いたものではなく、仏を装った人間が説いたものです。いくら天才であっても、所詮、人間は人間です。仏陀ではありません。

虚像の、にせものの仏の像を本尊とし、にせものの仏の経典を読む。これでは、合理性を重ん

ずる外国の宗教に、軽蔑されてもしようがありません。

その2、

実在しない虚像の仏を本尊として拝んで、なんになるのか。

キリスト教は、実在したキリストの遺した物を、「聖物」と呼んで最も尊崇します。他の聖者

たちの遺体の一部も、「聖物」として祀ります。たとえば、有名な聖者フランシスコ・ザビエルは、右の胃が聖物としてイエズス会の聖堂に祀られています。いうならば、この聖ザビエルの右の臂がこのイエズス会の寺院の「本尊」なのです。そしてキリストの「聖物」が、キリスト教の 「総本尊」ということになります。

なぜ、「聖物」が尊ばれるのでしょうか?

それは、奇蹟を現すからです。たとえば、ローマ法王庁内には、「福者」や「聖人」と呼ぶ尊称があります。福者というのは、キリストの信仰のために受難、、教したり、生前に特別の聖性を示し、死後に奇蹟をもたらしたりした聖職者に与えられます。

そしてさらに、そうした福者の中から、普通、長い年月をかけてなお調査を行い、厳選されるのが「聖人」です。聖人に列せられるためには、その死亡した肉体、本人が所有していた物から三回以上、奇蹟が起こらなければならないとされています。聖物はこのように、数々の奇蹟を現すから尊ばれるのです。

では、聖物がなぜ奇蹟を起こすのでしょうか?

起きるのです。 霊界にある聖者のお霊が、われわれの祈りに応えて降臨する時、その聖者に最もゆかりの深い物に降ります。あるいは、その物が聖者のお霊を呼びます。こうして、聖者の降霊による奇蹟が

聖物は、聖者の肉体(遺体、遺骨)が、一番尊ばれます。これが最も奇蹟を起こすからです。 これがなければ、平生、身につけていたものがこれに準じます。架空の仏や空想の仏を拝んでなにが起きるものでしょうか? 実在の聖者、実在の仏であるからこそ奇蹟が起きるのです。

未開人が、虚像、偶像を拝んで一心に奇蹟を願っている、哀れむべき姿を、キリスト教の人たちは、日本仏教の信者たちの上に見るのでしょう。

仏教において、キリスト教における「聖物」を求めるならば、それはもちろん、仏陀のご聖骨しかありません。すなわち、真正仏舎利こそが、唯一の、仏陀の聖物なのです。ですから、仏教教団であるからには、「本尊」として、真正仏舎利をお祀りし、これを尊崇するのが本当なのです。仏と法がそろって、本当の仏法となるのです。

仏陀のご聖物である真正仏舎利が、本尊として修行者・信者に力を与え、ご加護くださって初めて、法が成就するのです。仏陀のご加護なくして、自力だけで成仏法を成就することなど、不可能です。わたくしの完全解説も、本尊のご加護があってこそ、成就したのです。

以上のように、阿含宗には、生ける如来である真正仏舎利が本尊として祀られ、お釈迦さまが伝えられた成仏法・七科三十七道品があり、信徒たちは本尊のご加護の下に成仏法を実践しています。真の三宝がそろっているのですから、まさしく、お釈迦さまご在世当時の教団が復活再現されている、といってよいでしょう。

す。 諸君も、阿含宗の仏法僧を固く信仰するとともに、心解脱行(戒行)を実践し、梵行で徳を積み、正しい先祖供養によって霊的に清めていけば、今生においてニルヴァーナに入るのは至難の業であったとしても、注鏡の教えのとおりに須陀洹となって、数度の生まれ変わりのうちにニルヴァーナに入ることができるはずです。このように、自分自身の死後の行方を確信することができます。どうか、『ななく、修行に精進していただきたい。これで「遊行経」の講義を終わりま

 

 

 

 

 

 

 

 

あらゆる存在の相から解放される夜 ― 仏陀覚醒の物語 ―

あらゆる存在の相から解放される夜
― 仏陀覚醒の物語 ―

夜は深く、森は静まり返っていた。
風もほとんど動かず、ただ菩提樹の葉がかすかに触れ合う音だけが聞こえている。
その木の下に、一人の修行者が座していた。
長い苦行の道を歩み、ついに中道を見いだした人――
後に仏陀と呼ばれることになる ゴータマ・シッダールタ である。
彼は静かに呼吸を整えていた。
心は決して乱れない。
身体は安らかで、揺れることもない。
ただ一つの目的――真理を知ること――に向かって、彼の精進は揺らぐことがなかった。
その夜、彼の心は自然に深い瞑想へと入っていった。
第一の深まり
心は静かに沈んでいく。
はじめに訪れたのは、澄みきった集中だった。
思考はまだ微かに残っている。だがそれは、もはや迷いではない。
やがて喜びが生まれた。
内から湧きあがる静かな歓喜。
それは第一の禅定であった。
しかし彼はそこに留まらない。
思考はやがて完全に静まり、
喜びはより深く、より静かなものへと変わっていった。
第二禅定。
第三禅定。
そして第四禅定へ。
ついに――
心には何一つ思い浮かばなくなった。
喜びも消え、楽しみも消え、
ただ清らかな平等の静けさだけが残る。
その心は、
一点の曇りもなく、
澄みきり、
明るく、
そして絶対に動くことのないものとなった。
第一の智慧
そのときだった。
静まりきった心の奥で、
一つの光景が自然に開かれた。
彼は見た。
それは、この人生ではない。
遠い昔の自分の姿だった。
一つの生。
また一つの生。
さらにもう一つ。
二生、三生、十生、二十生――
数えきれないほどの生涯が、
まるで星のように次々と現れてくる。
王であったとき。
貧しい人として生きたとき。
人として、また別の存在として生まれたとき。
生まれ、
生き、
死に、
そしてまた生まれる。
その果てしない輪廻の流れが、
彼の前に明らかになった。
これは 第一の智慧――
過去の生を知る智慧、宿命智であった。
第二の智慧
しかし、心の眼はさらに広がっていく。
今度は自分だけではない。
彼は見た。
世界の無数の生命たちを。
そこには
美しい者も、
醜い者も、
幸福な者も、
苦しむ者もいた。
富む者。
貧しい者。
尊ばれる者。
蔑まれる者。
それぞれの運命が、
偶然ではないことが見えてきた。
行いが結果を生む。
心が未来を形づくる。
行為――カルマ。
善は光へ向かい、
悪は苦しみへ向かう。
その法則が、
まるで透明な川の流れのように明らかになった。
これは 第二の智慧――
生命の行方を見る 天眼智であった。
最後の智慧
やがて彼の心は、さらに深い真理へと向かう。
彼は見た。
すべての苦しみの根源を。
生は苦である。
苦には原因がある。
その原因は滅することができる。
そして滅する道がある。
それが
四諦




この四つの真理が、
理論ではなく、
直接の体験として心に明らかになった。
その瞬間――
執着が消えた。
存在への執着。
生への執着。
「私」という思いへの執着。
それらすべてが、
静かに断ち切られた。
心は
あらゆる存在の**相(すがた)**から
完全に解放された。
もはや再びそれに縛られることはない。
これは 第三の智慧――
煩悩を完全に滅した智慧、漏尽智であった。
夜明け
そのとき、東の空がわずかに明るくなった。
一つの星が輝いている。
修行者は静かに目を開いた。
その瞬間、
釈迦
――仏陀が誕生した。
彼は悟ったのである。
苦しみの世界の原因を。
そしてその終わりを。
こうしてこの世界に、
覚醒した者――
仏陀が現れた。

須陀洹 ― 流れに入る者

 

山の夜 霧は深く
杉の風 庵を巡る
息を観れば 闇はほどけ
見えぬ川が 流れはじめる
Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei sowaka

長い道を 歩いてきた
怒りの影 欲の影
習気の縄を ほどきながら
静かな門を くぐってきた
師の言葉が 胸に灯る
「息を観よ そこに道がある」
深い闇の その奥に
まだ知らぬ光が 眠っている

息は細く 風のように
心は澄み 水のよう
過去も未来も 遠ざかり
ただ今だけが 残ってゆく
そのとき 胸の奥で
小さな灯が ひらいた
誰も知らない
静かな門が

流れに入る者よ
恐れることはない
仏の川は 静かに
すべてを運んでゆく
戻らぬ道を 歩みはじめ
闇の岸辺を 越えてゆく
須陀洹の光 胸に灯し
解脱の海へ 流れてゆく

息は消え
心は空
身体も
思いも
ただ
静寂

そのとき
見えない川が
わたしを
運びはじめた

流れよ 流れよ
仏の川よ
迷いの岸を
遠く離れ

怒りも
欲も
影も消えて
ただ光だけが
残る
須陀洹
須陀洹
聖なる流れに
今 入る

山の夜は 静まり
杉の風 空を渡る
庵の灯は 小さく揺れ
ひとりの修行者が 目を開く
川は見えない
だが確かに
流れている。

小説章 水晶の中の龍 ― 四神足への前夜

小説章
水晶の中の龍 ― 四神足への前夜
山の夜は、深い静寂に包まれていた。
杉の梢を渡る風の音だけが、庵の外でかすかに響いている。
炉の火の前に、青年トウマは膝を正して坐していた。
向かいには、老師が一つの小さな箱を置いている。
ゆっくりと蓋が開かれた。
中から現れたのは――
透き通った 水晶 だった。
灯りを受けて、内部に淡い光が揺れている。
トウマは息をのむ。
「……美しい」
老師は静かにうなずいた。
「これはただの水晶ではない。
成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像である。」
火の揺らぎが、水晶の奥に小さな宇宙を作っていた。
しばらくして、老師は言った。
「これから、おまえに教えるのは
四神足法へ入る前の瞑想だ。」
トウマは顔を上げる。
「前段階……ですか?」
「そうだ。
だが油断してはならぬ。」
老師の声は低かった。
「この瞑想を修めなければ、
釈尊の成仏法の真髄――四神足法には進めぬ。」
庵の空気が、さらに静まり返る。
老師は水晶を前に置いた。
「まず、水晶を凝視せよ。」
トウマは姿勢を正し、水晶を見つめた。
その向こうには、白い紙が立てられている。
最初は、ただ透明な石にしか見えない。
だが、しばらくすると――
内部に、淡い霧のようなものが漂い始めた。
「……老師」
トウマは小声で言う。
「モヤのようなものが……」
「それでよい。」
老師は目を閉じたまま答える。
「そのモヤを、心を静めて見続けよ。」
時間が流れた。
炉の薪がぱちりと鳴る。
トウマは、水晶から目を離さない。
すると――
霧の奥に、
何かの形が浮かび始めた。
最初は輪郭だけ。
やがて、それは――
頭だった。
蛇のような、しかしどこか威厳ある顔。
トウマの背筋に電気のような震えが走る。
「……見えるか」
老師が言った。
「はい……」
トウマの声は震えていた。
「何かが……います」
老師は静かにうなずく。
「それが龍神だ。」
トウマは息をのむ。
霧の中から現れた姿は、次第に明確になっていく。
頭部は平たく広がり、
まるでコブラのような威容を持っている。
老師が語る。
「龍神には、二つの系統がある。」
「二つ……?」
「一つは コブラ型。
母蛇の姿に似た龍神。」
水晶の中の影が、わずかに動いた。
「もう一つは ボア型。
毒を持たぬ大蛇の龍神だ。」
トウマは、水晶から目を離せない。
霧の奥で、龍の目がかすかに光った気がした。
「もし男神であれば――」
老師の声が、静かに響く。
「ナンダ龍王と呼べ。」
「もし女神であれば――」
火が揺れた。
「ウパナンダ龍王と念じる。」
トウマの胸が高鳴る。
水晶の中の龍は、
確かにこちらを見ていた。
やがて老師は言った。
「だが、これは始まりにすぎぬ。」
「え?」
「この瞑想を続けると、
修行者の心は次第に龍神型の性格になる。」
トウマは目を見開いた。
「さらに進めば――」
老師の声は静かだった。
「体も龍に似てくる。」
「……」
「やがて、鱗が現れることもある。」
庵の空気が凍りついたように静まる。
トウマは、水晶の龍を見つめながらつぶやく。
「そんなことが……」
老師は微笑んだ。
「だが恐れることはない。」
「龍神の力とは、
破壊ではなく守護の力だからだ。」
しばらく沈黙が続いた。
やがて老師は言った。
「では、次の段階だ。」
水晶の前で、老師は静かに合掌した。
「まず、洗浄法。」
トウマも手を合わせる。
「龍神に雨を降らせていただくのだ。」
老師の声は、祈りのように響いた。
「その龍雨によって、
心身の不浄不快をすべて洗い流す。」
トウマは目を閉じた。
すると――
空から雨が降る光景が浮かんだ。
冷たく澄んだ雨。
それは普通の雨ではない。
龍の雨だった。
体の奥まで洗い流していく。
老師の声が続く。
「心で念じよ。」
トウマは静かに観想した。
「わが心身、爽快なり。
わが身の不浄不快、悉く消滅す。」
そのあと、老師は低く真言を唱えた。
「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」
声が庵に響く。
「これは準胝如来の真言だ。」
老師が言う。
「龍神は準胝如来の眷属。
この真言を唱えると、大いに喜ばれる。」
やがて老師は立ち上がった。
指で空を切る。
「最後に――九字だ。」
低く力強い声が響いた。
「臨兵闘者皆陳列在前!」
空気が震える。
それを三度繰り返した。
そして沈黙。
トウマが水晶を見ると――
龍神の姿は、霧の中へ消えていた。
老師は静かに言った。
「だが心配はいらぬ。」
「龍王は、いまもおまえの側にいる。」
トウマは息をのむ。
「必要なとき、呼べばよい。」
老師は拳を作り、左の親指を包んだ。
「如来拳印だ。」
そして言った。
「ナンダ龍王、あるいはウパナンダ龍王と呼び――」
静かに続ける。
「来たってわれを救いたまえ。」
庵の外で、風が強く吹いた。
杉の木々がざわめく。
トウマは、水晶を見つめながら思った。
(龍が……本当にいるのか)
そのとき。
水晶の奥で――
一瞬だけ、
黄金の瞳が光った。
老師がゆっくり言った。
「これが前段階だ。」
そして、声を低くする。
「次はいよいよ――」
火が大きく揺れた。
「釈尊の成仏法の真髄、
水晶龍神瞑想法――四神足法。」
だが老師は首を振る。
「しかし、それは筆では教えられぬ。」
トウマは顔を上げた。
「なぜです?」
老師は静かに答えた。
「この法は、導師が直接弟子を導かなければ、
決して成就しないからだ。」
庵は再び静寂に包まれた。
そして老師は、ほんの少しだけ言った。
「ヒントだけ教えよう。」
トウマは身を乗り出す。
「水晶と――」
老師はゆっくり言う。
「準胝尊秘密光明曼荼羅を合わせる。」
火が揺れる。
「そして特殊な観想と真言によって――」
老師はトウマの額を指さした。
「脳内のチャクラに、仏陀の思念を受ける。」
トウマの心臓が高鳴る。
「それを――」
老師は静かに言った。
「王者による思念の相承という。」
外で、突然風が止んだ。
庵の中で、
水晶だけが静かに光っていた。

 

第二章
水晶に降りる龍王
山の夜は、さらに深くなっていた。
庵の外では、杉の森が闇の海のように揺れている。
炉の火は静かに燃え、壁にゆらめく影を映していた。
トウマは、水晶の前に坐していた。
白い紙の前に置かれた水晶。
その奥に、淡い霧が揺れている。
老師の言葉を思い出す。
「モヤを見よ。心を静めて凝視せよ。」
トウマは呼吸を整えた。
静かに。
ゆっくり。
息を観る。
やがて、水晶の奥の霧が濃くなった。
その中で――
何かが動く。
細い影。
長くうねる体。
トウマの胸が高鳴る。
霧の中から、ゆっくりと頭が現れた。
広がった首。
扁平な顔。
まるで王のような威厳。
龍。
その眼が、こちらを見た。
黄金色だった。
トウマは思わず息を止める。
(……龍神だ)
その瞬間。
水晶の中の龍が、ゆっくりと体を起こした。
霧の海を割り、こちらへ近づく。
そして――
突然。
水晶の表面に波紋が走った。
まるで水のように。
龍は、その波紋を通り抜けた。
トウマの目の前に、
小さな龍の姿が現れた。
空中に浮かび、ゆっくりと体をくねらせている。
庵の空気が震えた。
炉の火が大きく揺れる。
トウマの全身に鳥肌が立つ。
老師の声が静かに響いた。
「恐れるな。」
トウマは振り向く。
老師は目を閉じたまま座っていた。
「それが、おまえの龍王だ。」
トウマは震える声でつぶやく。
「ナンダ……龍王……」
龍は、ゆっくりと頭を下げた。
その動きは、まるで礼をしているようだった。
そして――
空から、細かな光の粒が降り始めた。
雨だった。
だが普通の雨ではない。
光の雨。
龍の体から降っている。
その雨がトウマの体に触れた瞬間――
胸の奥に溜まっていた重さが、
一気に流れ出した。
怒り。
恐れ。
悲しみ。
すべてが洗い流されていく。
トウマは思わず涙を流した。
龍は静かに旋回し、再び水晶へ戻った。
そして、霧の中に消えた。
庵の中は再び静寂に戻った。
老師がゆっくり目を開く。
「いま、おまえは龍雨洗浄を受けた。」
トウマはまだ震えていた。
「……本当に……龍が……」
老師はうなずいた。
「これで第一の門は開いた。」
そして、静かに言う。
「次は、さらに深い修行だ。」
火が小さく揺れた。
「思念の相承。」
第三章
思念の相承
夜はさらに更けていた。
庵の中央に、老師は新しいものを置いた。
一枚の曼荼羅。
そこには、光り輝く仏が描かれている。
「これは準胝尊秘密光明曼荼羅だ。」
トウマは息をのんだ。
曼荼羅の前に水晶が置かれる。
二つの光が重なる。
老師が言った。
「水晶と曼荼羅を合わせると、門が開く。」
トウマは姿勢を正した。
老師は低い声で唱えた。
「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」
庵の空気が震える。
真言が重なる。
何度も。
何度も。
すると――
曼荼羅の光が、水晶に流れ込んだ。
水晶の中で光が回転する。
トウマの額が熱くなった。
眉間。
そこに、強い圧力が生まれる。
「目を閉じよ。」
老師が言う。
トウマは目を閉じた。
その瞬間。
暗闇の中に光が生まれた。
小さな星。
それは、ゆっくりと近づいてくる。
そして――
トウマの眉間に入った。
瞬間。
爆発のような光が広がった。
宇宙。
星。
銀河。
すべてが一瞬で見えた。
その中心に――
仏陀。
静かに坐している。
仏陀はトウマを見た。
言葉はなかった。
だが思念が流れ込む。
智慧。
慈悲。
力。
それが一瞬でトウマの中に流れ込む。
老師の声が遠くから聞こえた。
「それが――」
声は低く響いた。
「王者による思念の相承だ。」
光がゆっくり消えた。
トウマは目を開いた。
体が震えている。
「……何かが……入ってきました」
老師は静かにうなずいた。
「それは仏の思念。」
そして言った。
「だが、まだ終わりではない。」
火が大きく揺れる。
「最後の門が残っている。」
トウマの胸が高鳴る。
「四神足。」
最終章
四神足覚醒
夜明け前。
山は深い霧に包まれていた。
トウマは庵の外に坐していた。
水晶。
曼荼羅。
そして龍王。
すべてが整っている。
老師が言った。
「四神足とは、悟りを動かす四つの力だ。」
指を立てる。
「欲。」
「精進。」
「心。」
「観。」
その四つを、一つにする。
「息を観よ。」
トウマは目を閉じた。
呼吸が静かになる。
体が消えていく。
心も消えていく。
残るのは――
意志だけ。
その瞬間。
背骨の奥から、
巨大な力が上昇した。
まるで龍のようなエネルギー。
それが脳に到達した。
光。
すべてが光になる。
山。
空。
大地。
宇宙。
すべてが一つ。
そしてトウマは見た。
無数の仏。
千仏。
その中心に、自分がいた。
老師の声が聞こえる。
「目覚めよ。」
「四神足の力によって。」
その瞬間。
トウマの意識が爆発した。
宇宙のような静寂。
そこにはただ一つの真理だけがあった。
すべては仏である。
やがて朝日が昇った。
山が黄金に染まる。
トウマは静かに目を開いた。
老師が微笑む。
「いま、おまえは門に立った。」
トウマは静かに言った。
「……まだ仏ではありません」
老師はうなずいた。
「そうだ。」
そして言った。
「だが、おまえはもう――」
風が杉を渡る。
「**流れに入った者(須陀洹)**だ。」
山の空が明るくなっていった。
そして庵の中で、水晶が静かに光っていた。

水晶の中に龍神のお姿を見る

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

誤解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があるのだ。

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」 すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、そこで、わたくしや、わたくしの弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

う。 まず、水晶龍神瞑想法(四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成仏法の真髄・四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

う) まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。そ

のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。このお姿

がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ(母蛇)型――頭と顔が平たくなっている龍神。

ボア(大蛇)型

毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、女神の龍神の場合

は『ウパナンダ龍王」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑 「想しなくてはならない。

この瞑想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようになり、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力がそなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手を絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あとは自然にまかせておけばよい。

せんじよう最初に教える瞑想法は、「水晶龍神洗浄瞑想法」である。

まず心身を浄める「洗浄法」から入る。龍神に雨を降らしていただいて、その龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

べて洗い流す。

そう観じて、般若心経 五反。

つぎに、観想。

「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準豚小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」

を五明し、よびかける。

けんぞく準態如来は龍神をしたがえておられる。龍神は準嗎如来の眷属であるから、

この真言を唱えると非常にお喜びになる。

最後に、

こんぱよちよちしゃかいちんれっぽいぜん 「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

と九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護してく

ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ「如来拳印」で、あなたの水

品で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

「来たってわれを救いたまえ」

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四

安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師となって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

導しなければ、絶対に法を成就することができない。

だが、熱心な修行者のために、少しだけヒントをさしあげよう。

「この瞑想法では、さきほどの水晶龍神御尊像と、「輪廻転生瞑想法Ⅱ」で紹介した準胝尊秘密光明曼荼羅を使うのである。

そして、水晶と曼荼羅を組み合わせ、ある特殊な観想と真言読誦によって、

脳内のチャクラに仏陀の思念、すなわち、「王者による思念の相承」を受けるのである。さらに、この瞑想法とあわせて、護摩行(火界定)と滝行(水想観)を修することが、最も望ましい。

阿含宗の瞑想道場には、水晶龍神御尊像と準胝尊秘密光明曼荼羅をそなえてあり、護摩行、滝行ができる設備をそなえた道場もある。

ぜひ、わたくしの瞑想道場に来て、わたくしか、わたくしの直弟子から指導を受けることを、強くお勧めする。

輪転生联想法

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