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仏教

文殊菩薩 Manjusri: Wisdom is within oneself.

 

文殊菩薩  智慧   己の内にこそある

静かな山寺 風がそよぐ
文殊の像に 祈りを捧ぐ
迷いの闇に 悩む心
智慧の光を 求めてた

智慧は外にない 己の内に
心の声に 耳を傾けて
文殊の教え 胸に刻み
真実の光 見つけ出すんだ

経典を読んでも わからないこと
学びに焦り 苦しんでた
でもふと閃く 風のささやき
内なる声が 導いてくれた

芸術に日常 些細なことにも
深い洞察が 広がっていく
迷いも焦りも 消え去って
静かな自信が 宿る心に

山寺の鐘 響き渡り
微笑む君に 光が差す
文殊の教え 胸に抱き
これからも道を 照らし続ける

Manjusri Bodhisattva Wisdom is outside, but within yourself

Quiet mountain temple, the wind blows
I pray to the statue of Manjusri
My heart is troubled by the darkness of confusion
I was seeking the light of wisdom

Wisdom is not outside, it is within yourself
Listen to the voice of your heart
Engrave Manjusri’s teachings in your heart
Find the light of truth

Even when I read the scriptures, I don’t understand
I was impatient and suffering in my studies
But suddenly, a whisper in the wind came to me
My inner voice guided me

Deep insight spreads to art, everyday life, and even the smallest things
Wonders and impatience disappear
A heart filled with quiet confidence

The bell of the mountain temple rings out
Light shines on you as you smile
I hold Manjusri’s teachings in my heart
I will continue to light the way

 

 

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は、仏教の世界において智慧を司る存在として、古くから人々の信仰を集めてきた。その名は梵語で「マンジュシュリー」(Mañjuśrī)と称され、日本では「文殊師利菩薩」とも呼ばれる。彼は悟りを開くための智慧を象徴し、学問や知識、芸術の分野においても深く崇められている。

ある日のこと、静かな山寺の境内に、一人の若い僧が立っていた。彼は文殊菩薩の像の前にひざまずき、心の中で静かに祈りを捧げていた。その目には、深い悩みと迷いが浮かんでいた。学問に励み、経典を読み漁っても、どうしても理解できないことが多すぎる。彼は自分に智慧が足りないのではないかと苦しんでいた。

「文殊菩薩様、どうか私に智慧をお授けください。この迷いの闇から抜け出し、真実の光を見つけたいのです。」

彼の祈りが終わると、ふと風がそよぎ、境内の木々がささやくように揺れた。その瞬間、彼の心に何かが閃いた。まるで文殊菩薩が直接彼に語りかけたかのように、彼の頭の中に答えが浮かび上がってきた。

「智慧は外に求めるものではない。己の内にこそあるのだ。」

彼はその言葉を繰り返し、心の中で噛みしめた。そして、これまで自分が外にばかり目を向け、内なる声に耳を傾けていなかったことに気づいた。彼は静かに目を閉じ、心の声に耳を傾けることにした。

それからというもの、彼は経典を読むたびに、自分の心と向き合い、内なる智慧を探るようになった。学問はもちろん、芸術や日常の些細なことにも、彼は深い洞察を見出すようになった。彼の目には、以前のような迷いや焦りはなく、静かな自信が宿っていた。

文殊菩薩は、彼の心の中に確かに存在していた。智慧の光は、彼の内から輝き出し、周りの人々をも照らし始めた。彼はもう、外に答えを求めることはなかった。なぜなら、真の智慧は己の内にあり、それを引き出す鍵は、己の心の中にあることを知っていたからだ。

山寺の鐘の音が響き渡り、彼は静かに微笑んだ。文殊菩薩の教えは、彼の心に深く刻まれ、これからも彼の道を照らし続けるだろう。

 

無能勝明王—煩悩を断つ怒りの化身

無能勝明王—煩悩を断つ怒りの化身

青き憤怒の王

古の時代、深遠なる山奥にそびえる密教の堂。そこに秘かに祀られる神があった。

無能勝明王(むのうしょうみょうおう)——彼は大日如来の教えを護る存在であり、釈迦如来の憤怒の化身とも伝えられる。彼の姿は青黒く、四つの顔を持ち、逆立った髪は炎のごとく燃え盛る。四本の腕には鉞斧(まさかり)、三叉戟(さんさげき)を握りしめ、煩悩と邪悪を打ち砕く力を示している。

堂内には重々しい空気が満ち、灯された火が彼の鋭い眼光を照らしていた。その瞳の奥には、すべてを見通す智慧と、煩悩を断ち切る憤怒が宿っている。

夜が深まり、ひとりの修行僧が堂へと足を踏み入れた。彼の名は慧厳(えごん)。煩悩にまみれた己を戒めるため、この地へと導かれたのだった。

「無能勝明王よ……私の心の迷いを断ち切ってくださるのですか?」

慧厳は、仏像の前で跪き、祈るように問いかけた。すると、堂内に響くような低い声が聞こえた。

「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ……」

それは真言。無能勝明王の声なのか、それとも彼を囲む密なる力の響きなのか。慧厳は息を呑み、目を閉じた。四魔を滅する力

無能勝明王は、かつて釈迦如来が菩提樹の下で悟りを開いたとき、四魔——五蘊魔(ごうんま)、煩悩魔(ぼんのうま)、死魔(しま)、天魔(てんま)を滅ぼすために現れたと伝えられている。その怒りは純粋なるものであり、ただ破壊するだけでなく、衆生の迷いを断ち切るためにある。

慧厳の心にふと、一つの記憶が蘇った。

——過去、彼は執着に囚われていた。名誉、欲望、恐れ……それらに縛られ、悟りを求めながらも迷い続けていた。しかし今、無能勝明王の前に立ち、すべての迷いが炎に包まれていくように感じた。

その時、堂内にまばゆい青い光が広がった。

慧厳は目を開ける。そこには四面四臂の無能勝明王が立っていた。鋭く光る眼差し、天空を裂くような怒気——しかし、その怒りの中には、限りない慈悲が宿っていた。

「迷うな。恐れるな。己の心を見極めよ。」

慧厳の胸に鋭い衝撃が走る。彼はゆっくりと頭を下げ、深く息を吸った。

「……私は、もう迷いません。」

その瞬間、無能勝明王の姿は消え、再び堂内は静寂に包まれた。慧厳の心には、かつてないほどの静けさと決意が満ちていた。

オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ。

彼は心の中で真言を唱え、堂を後にした

 

無能勝明王さま (インド名:アバラージタ) 今回ご紹介します明王さまは無能勝明王〈むのうしょうみょうおう〉で す。 釈迦院のお釈迦さまが佇んでおられる所から向かって右下の場所に佇ん でます。 四面四臂各三目、といわれるように顔が四面で四面すべてに目が三つ額 にあります。 四本の腕があり、右の一手(後ろの方の右手)は拳にして人差し指を立 て、腕を高くかかげます。 次の右手は拳にして、 人差し指を伸ばし胸に当てます。 左手の一手(後ろの左手)は内にむけて鉞斧(えつぶ)を持ち、次の手 は三鈷戟を持ちます。 八大明王の一。この明王さまは、釈尊の成道のときの降魔の徳を表しま す。 釈尊の成道を妨げようとす押しかけた魔王に対し、釈尊のさとりの偉大 さを認めさせ魔王を退散させました。 またこの明王さまは、釈尊お分身といわれ、無量にして自在な神力を持 ち、忿怒身をもって現れ、さまざまな障害を粉砕する徳を表します。 現図曼荼羅では、この明王を釈尊の左下におきますが、観蔵院曼荼羅で は『大日経』の説に従い右下に改めました。

 

八大明王の一尊で、密号を「勝明妙金剛」という。

「無能勝」とは「破壊できない」の意で、降魔の徳を

有する。

 

『大日経』に於いては釈迦如来の憤怒の化身とも

され、胎蔵界曼荼羅釈迦院では釈迦牟尼仏の

左脇侍に配される。

また『大妙金剛熾盛仏頂経』では地蔵菩薩

化身ともされる。

像は男形と女形とあり、四面四臂で模されるが、

六臂六足、八臂六足の像などもある。

マイナーな明王様です。

そして、どうしても「無能」という言葉が気になります・・・・。真顔

 

文字のそれぞれの意味で考えると、

「無」・・・「無い」

「能」・・・「働き」・「効き目」

「勝」・・・「勝利」

なので、どうしても

「無」が全てを台無しにしてるとしか思えないんですが・・・。えー

 

 

まぁでも前述した通り、「無能勝」は「破壊できない」

という意味のようで、今で言うならば「無敵」って

感じでしょうか。グラサン

 

でも、

それほどの明王様なのにマイナーなのは何なんでしょうね。真顔

ネットでは、「誰もこの明王には勝てない」と書かれてあるHPも

あるくらいなんで、戦国武将とか持て囃しそうなもんですけど・・・・

 

 

無能勝明王—煩悩を断つ怒りの化身
Muno Sho Myo-O—The Wrathful King Who Cuts Through Delusions

霧深き山の堂 炎に揺れる影
青き瞳は見据える 迷いし魂を
四つの腕が振るうは 煩悩断つ刃
響き渡る真言が 闇を切り裂く

オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

On, Corocoro, Sendari, Matougi, Sowaka

 

燃ゆる怒りは 慈悲の誓い
恐れを捨てよ 迷いを絶て
青き光が 道を示す

 

 

 

In the temple shrouded in mist, shadows dance in flame,
Piercing blue eyes gaze upon lost and wandering souls.
Four mighty arms wield the blades that sever desire,
A sacred mantra echoes, slicing through the dark.

On Korokoro Sendari Matogi Sowaka,
This burning wrath is a vow of compassion.
Cast away fear, break free from illusion,
The azure light will guide your way.

文殊菩薩

https://youtu.be/u3iGLasOfWI?si=61R6_kAQmo70KJNs

智慧の導き手──文殊菩薩

古の時代より、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は人々の心の中に息づいていた。彼はただの伝説ではなく、悟りへの道を照らす智慧の光そのものであった。

剣と経典──真理の象徴

あるとき、悩める若き学僧・慧真(えしん)が山深い寺院に足を運んだ。彼は学問に励みながらも、自らの無知に苦しんでいた。幾度となく経典を読み返し、論議を重ねても、答えは霧のように消えていく。

「私は本当に悟りへ至れるのだろうか……?」

彼はふと見上げた。そこに祀られていたのは、鋭き剣を掲げる文殊菩薩の尊像。剣は迷いを断ち切り、左手に持つ経典は深遠なる真理を示していた。慧真は文殊菩薩に祈りを捧げた。

その夜、彼の夢に金色の光をまとった菩薩が現れた。獅子に乗り、穏やかな微笑を浮かべながら、こう語りかける。

「智慧とは知識を超えた先にあるもの。ただ書を読むだけではなく、己の心に問い続けよ。」

目を覚ました慧真は、不思議と心が軽くなっていた。それまでの焦燥は消え、経典の文字がこれまでとは違って見えた。まるで文殊菩薩の剣が、彼の心の迷いを断ち切ったかのようだった。

聖地・五台山への巡礼

時は流れ、中国・山西省の五台山では、多くの巡礼者が険しい山道を登っていた。そこは文殊菩薩の聖地とされ、彼を慕う者たちが祈りを捧げる地。

一人の少女が母に手を引かれながら、寺の門をくぐる。

「お母さま、文殊菩薩さまは私たちの願いを聞いてくださるの?」

母は優しく微笑みながら答えた。

「もちろんよ。あなたが心から学びを求めるなら、きっと文殊菩薩さまが道を示してくださるわ。」

少女は目を閉じ、深く祈る。文殊菩薩の静かなる眼差しが、彼女の心にそっと降り注いでいた。

日本における信仰

その後も時代が変わろうとも、文殊菩薩の教えは受け継がれた。京都の天龍寺、奈良の興福寺——そこでは今も、受験を控えた若者たちが、智慧の加護を求めて手を合わせる。

「どうか、私の努力が実を結びますように……」

そんな静かな願いが、文殊菩薩のもとへと届く。そして彼の智慧の剣は、今日もなお、迷える人々の心を照らし続けている。

覚醒の航路

覚醒の航路

静寂の中、修行僧・慧真(えしん)は蓮華座に腰を下ろしていた。瞳を閉じ、ゆっくりとした呼吸の中で、彼は自身の内なる宇宙に意識を向ける。今日こそ、師より授かった最後の秘技——ピンガラとイダーの開発法——を完成させる日なのだ。

「慧真、お前は既にクンダリニーを覚醒させ、七つの大チャクラを巡る気の流れを掴んだ。しかし、それだけではまだ未熟だ。ピンガラとイダー、この二つの気道を開発しなければ、真なる覚醒は得られぬ。」

師の言葉が脳裏に響く。慧真は深く息を吸い込み、胸腔に振動を生じさせた。声なき声が体内を震わせ、横隔膜を通じて腹腔へと響き渡る。これはただの呼吸法ではない。体の奥底に眠るエネルギーを揺り動かし、気道を開拓するための秘術であった。

やがて、慧真は微かな光の粒を感じた。それは彼の体内に点在する「小チャクラ」、すなわち気道を形成する星々だった。師はこう言っていた。

「お前の体の中には、無数の星がある。大チャクラが太陽のように中心を成すのに対し、小チャクラは星座のように道を指し示す。お前はそれを辿り、ピンガラとイダーを開くのだ。」

慧真の意識は、体の内なる星々をたどる旅へと向かう。星の光は彼を導く羅針盤のように輝き、一つひとつの星を経るごとに気の流れが変化していく。まるで夜空を航海する船乗りのように、彼は慎重に、だが確実に、気道を切り開いていった。

そしてついに、彼は到達した。気の流れが完全に開かれ、ピンガラとイダーが彼の体内に明確な道を作り出す。エネルギーが螺旋を描きながら昇り、彼の精神と肉体はかつてないほどの調和を得る。

慧真の口元に微かな笑みが浮かんだ。彼はついに、仏陀の法の奥義に辿り着いたのだ。

しかし、師の言葉が脳裏にこだまする。

「だが忘れるな。覚醒は終わりではない。これをいかに制御するかが、お前の次なる試練となる。」

慧真は目を開けた。朝日が山の端から顔を覗かせ、静かに世界を照らし始めていた。覚醒は新たな始まり。彼は再び目を閉じ、次なる修行へと意識を向けた。

ビンガラ

 

仏陀の法では、スシュムナー管がもう一本ある。つまり二本あるのだ。クンダリニ・ヨーガと正反対、額から会を通って、腹部の正中線を真っ直ぐ、幅を経て咽喉に至る気道である。目ざめたクンダリニーは、背部のスシュムナー宿とともに、 この部スシュムナー管をも上昇する。(上昇するというより、上昇させるのだ)

この腹帯スシュムナーのクンダリニー・エネルギーを、コントロールしつつ、各チサクラを開発、覚醒するのが、仏陀のピンガラ、イダーの両気道である。

神のには、不可欠の技法であるまさに、神技というしかないゆきわまる技法である。

 

である。

一月三石に増進の技法は、チャクラの開発・覚醒にぜったいで。これなくしてチャクラの完全な開発は不可能といってもいいであろう。後に、下都

の増強には、不可欠のである。

まさに、神技というしかないゆきわまる技法である。

では、この神技ともいうべき仏陀の法の旅行は、どのようになされるのであろうか。

それは大別して、三つの法から成り立つ。

1、クンダリニーをする修行法

2、チャクラを開発する修行法

3、ピンガラ、イダーの気道を開発する修行法

それは、特殊な呼吸法、独特な想・マントラ明、ムドラー(手印、ボーズなどから成される。その一つ一つについて解説しよう。ただし、本書は書ではないので、実技の詳細については、著者の別の本「そを参照、または、若者に就いて実際に習得してほしい。

クンダリニー覚報法

まず、旅行者は、クンダリニー覚醒の予備チャクラの場所を、正確に知らねばならない、さきに、わたくしが、始動用小型モーターだといった穴である。

これを事師から教示してもらう。チャクラの場所は、個人差があるので、導師から教えてもらうしかないのである。

この予備チャクラにムドラーと共に思念を集中して特殊な観想をつづけていると、 チャクラに独特の感覚が生じてくる。これに、さらに物理的な成る刺激を加えると、 完全に覚する。

覚醒してしだいにエネルギーが生ずるようになると、このエネルギーを、気道によってクンダリニーの部位に送りこみ、また、その周囲に行らせる。指導の通り、正しく修行すれば、時間的な違いはあるが、だれでもクンダリニーは目ざめるようになる。

アンダリニー・ヨーガのやりかたでは、サンダリニーのは非常に困難であり。

したがって成功した例は稀であるとされているが、仏陀の法では、予備チャクラを使うので、それほど至難なものではないのである。仏陀の法のすぐれたところである。 気道の開発である。

むずかしいのは、ビンガラ、イダーの両じずかしい。しかし、どうしてもなしとげなければならぬ修行である。

は、ただたんなる気道では

ようになると、このエネルギーを、気道によってクンダリニーの部位に送りこみ、また、その周囲に行らせる。指導の通り、正しく修行すれば、時間的な違いはあるが、だれでもクンダリニーは目ざめるようになる。 クンダリニー・ヨーガのやりかたでは、アンダリニーの覚醒は常に困難であり。

したがって成功した例は縁であるとされているが、仏の法では、チャクラをうので、それほど至難なものではないのである。仏陀の法のすぐれたところである。 むずかしいのは、ピンガラ、イダーの両気道の開発である。

これはたいへんむずかしい。しかし、どうしてもなしとげなければならぬ修行である。 というのは、仏陀の法におけるビンガラ、イダーの気道は、ただたんなる気道ではなく、前にのべたように、アクセルとブレーキの機能を持つものである。この両気道を開発しなければ、各チャクラを目ざめさせることも出来なければ、コントロールキることも出来ない、脳のチャクラ、神経路の増強なども、このピンガラ、イダーのはたらきによるものであるから。これは仏陀の法の目ともいうべき法である。 その法について解説しよう。

ピンガラ、イダーの開発法

そのテクニックをひと口でいうと、特殊な動を体内につくり出して、これを使う

のである。

その特殊な振動は、横隔膜、胸腔、腹腔を使い、秘密マントラの特殊な詠唱法によって起こす。ムドラー、体位もこれに加わる。

この振動は、最初、声帯を使う。声帯で、正しい振動を声として発生させる。この振動を、胸腔、横隔膜、腹腔へと響かせてゆく。胸腔、腹腔は、いうならば太鼓である。ここで共鳴させ、増幅させるのである。

正しい振動を起こせるようになったら、今度は、発声しないで、おなじ振動を起こす訓練に入る。無音声になるが、振動は起こしているのである。というのは、体の内部に向けて発声しているのである。体の内部に向けて振動を送っているわけだ。体の内部とは、いまのべたように、胸腔、腹腔である。まず、胸腔が、送りこまれた振動を、筋肉で共鳴させ増幅させる。

さらにこれを、横隔膜が、腹腔の中で増幅させる。

非常に強いエネルギーが、体内に生じることを理解されるであろう。この強いエネルギーが、ピンガラ、イダーの気道を開発し、形成するのである。

 

どのようにして

甲ーが、ピンガラ、イダーの気道を開発し、形成するのである。

ここで、わたくしは、最極秘伝の一つを明かさねばならない。

それは、チャクラに、「大チャクラ」と「小チャクラ」の二種類あるということある。このことは、誰れも知らない。わたくししか知らない秘伝である。クンダリニ ―・ヨーガと道教、そして仏陀の呼吸法の総合修行からわたくしが発見体得した秘伝しある。そのわたくしが、今度はじめて、今まで秘していた最極秘伝を公開するのである。

チャクラの星座をたどる

「大チャック」とは、さきにのべたように、ムーラーダーラ・チャクラ、スヴァーデイシューターナ・チャクラ、マニプーラ・チャクラ、アナーハタ・チャクラ、ヴィレスッダ・チャクラ、アージュニャー・チャクラ、サハスラーラ・チャクラの七つであ

る。 それはちょうど、人間の体、という宇宙に点在する星のように思われる。じっさ星座のように、共通する系を以て一つの座を形成しているチャクラの群れもあ

「小チャクラ」は、これとは別のものである。人間の体には、おおよそ三百数所の小チャクラがある。中国の退歌で、「経穴」と称している部位と同一のものもあるし、 まったく違うものもある。

小チャクラは、そうでない部分にくらべて、知覚が非常に敏感である。導師のわたくしが、思念をこめて、二、三〇センチくらいの距離から指先で示しただけで、相手はビリビリと感ずるほどである。凝視されただけで感ずるほど敏感な部位もある。

気道を開発するとき、わたくしはこの星たちを利用する、腹、背部、面、どの部分の気道も、この星のチャクラを利用することによって、比較的、らくに道をひらいてゆけるのである。

わたくしは、きながら、この屋の海を航海する船長である。どの星からどの星へたどっていったら、目的地(チャクラ、また、神などにできるのか。わた

くしは明確に指示することが出来る。星をたどったその航跡が気道になるのである。 この法によれば、少々鈍感な修行者でも、気道の経路を知ることが出来るであろう。

用、形成される。

くしは明確に指示することが出来る。星をたどったその航跡が気道になるのである。 この法によれば、少々鈍感な歩行者でも、気道の経路を知ることが出来るであろう。 ピンガラ、イダーの両気道も、そのようにして開発、形成される。

この秘法を知らぬ修行者たちは、羅針盤も持たず、星座で航路を読むことも知らない昔の航海者のように、闇夜の海にただようのみである。

それはなにか里

もうお分りであろう。前の節でのべた体内の強い顔動エネルギーが、星から星をたどって、ピンガラ、イダーの気道を形成してゆくのである。

常にむずかしいのなそれは、このようにして形成されたピンガラ、イダーの気道に、どのようにして、 前にのべた、アクセルとブレーキの機能を持たせるか、ということである。

これで、最大の難関は突破された。やれやれ、と。ひと息つきたいところであるが、 じつは、もう一つ、越さねばなら難関があるのである。

どのようにして、それはなされるのか?