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仏教

魚ラン観音

魚ラン観音

中国唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、めでたくこの3つの経典を暗誦する者と結婚したがまもなく没してしまった。この女性は、法華経を広めるために現れた観音とされ、以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったという。この観音を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされ、日本では中世以降に厚く信仰された[1]。

形象は、一面二臂で魚籃(魚を入れる籠)を持つものや、大きな魚の上に立つものなどがある。日本ではあまり単独で信仰されることはないが、東京都港区の魚籃寺、三重県津市の初馬寺、千葉県松戸市の万満寺、滋賀県長浜市木之本町古橋(旧鶏足寺)、長崎県平戸市生月町(生月観音)などにある。

縁起

当寺に伝えられている「魚籃観世音菩薩御縁起」に記されてある御縁起を簡潔に記します。

御本尊の魚籃観世音菩薩は、昔、中国から伝来された奇特な御霊像です。木像で御身長は六寸(18cm)あまりです。この世にお出ましになられたのは、中国の唐の玄宗の御代(806~824年)です。およそ1200年以上前になります。その頃、唐の金沙灘という未だ仏教の信仰が行われていなかった地方に、ひとりの美しい乙女が、竹籠に魚を入れて魚を商って歩きました。その地方のたくさんの方々が「嫁に来てくれ」と望みました。これにたいして乙女は「私は幼い頃から仏の教えを信じ、尊んでおります。もしも仏さまの教えを信じてくださる方のお家ならば」「毎日普門品を読んでくださるお家ならば」というように次第に範囲を狭めて、最後には「三日間で法華経一部八巻を読誦できるようになったお方の許へならば」ということになりました。それを「馬郎」という若者だけが見事に成し遂げました。しかし、いよいよ嫁入りという日の朝、乙女は急死してしまいました。一同が嘆き悲しみながら野辺の送りをすませ、塚に葬りました。ところが数日経ったある日、一人の老僧が現れて、一連の話を聞き、村人に告げました。「この乙女こそは観音さまがこの地に仏法をお広めくださる為の、仮りの御姿なのじゃ。埋めた棺の中を見なさるがよい」と。この教えによって棺の蓋を開けてみると、中の御骨が一つに連なり、金色に輝いているのを見て、人びとは、初めてあの乙女が観音さまの御化身であることを知りました。そして、乙女の姿を刻んで長らく「馬郎」の家にまつりました。後に馬郎の子孫がこの尊像を奉持して、長崎へ来た時に当寺の開山称譽上人の師僧に当たる、法譽上人に帰依して、その尊像を寄進して世に広めてくださるように願いました。その後、当山の開山称譽上人の師僧に当たる法譽上人は、御尊像を豊前の中津に魚籃院を建て奉安しましたが、御化益を広く世に伝えようと思い立てられ、御尊像を江戸に移し、寛永七年(1630年)庚午(かのえうま)の年に江戸の三田の地(浄土宗 願海寺境内)に小さい庵を作っておまつりいたしました。その後、法譽上人のお弟子の称譽上人が承慶元年(1652年)徳川四代将軍家綱が将軍になった年に、現在の地に観音堂を建てて、三田山魚籃寺を創建して永らく当地に御安置し、現在に至っております

大いなる日輪の輝き 大日如来

 

大いなる日輪の輝き

深淵に響く光の声
宇宙を包む真理の影
すべての命、この手に宿し
果てなき空へ祈りを捧ぐ

オン バザラダト バン、智慧の光よ
オン ア ビ ラ ウン ケン、慈悲の海よ
全てを照らす、その大いなる輪
大日如来よ、永遠に輝け

The Radiance of the Great Solar Disc
I
A voice of light echoes through the abyss,
Shadows of truth envelop the cosmos.
All life cradled within these hands,
Prayers rise to the endless skies.

“Om Vajradhatu Ban,” light of wisdom divine,
“Om Ah Vira Hum Kham,” sea of boundless compassion.
Illuminate all with your eternal wheel,
Oh Dainichi Nyorai, shine forevermore.

大いなる日輪の仏、大日如来

大いなる日輪の仏、大日如来

宇宙の深淵に輝く存在、それが大日如来だった。名前の通り「大いなる日輪」を意味し、その輝きは太陽を超え、宇宙全体を包み込むものだった。毘盧舎那如来――太陽を司る仏の進化した姿である大日如来は、密教の教えにおいて宇宙の真理そのものであり、宇宙そのものを体現した存在とされた。

「すべての命あるものは、この方から生まれた」と、古より語り継がれる。釈迦如来をはじめとする他の仏たちは、すべて大日如来の化身であると考えられていた。すべての源であり、すべての終わりである大日如来。彼の前に立つ者は、その圧倒的な存在感に心の奥底を震わせずにはいられなかった。

だが、この大日如来には二つの異なる姿があった。
一つは「金剛界大日如来」。金剛、すなわちダイヤモンドのように堅固で純粋な智慧を象徴する存在。その智慧はどんな傷も受け付けず、永遠に輝きを失わない。そしてもう一つは「胎蔵界大日如来」。母胎のように無限の慈悲をたたえ、すべての森羅万象を包み込む存在。この二つが一つに調和してこそ、密教の宇宙観が完成するのだった。

人々は大日如来に祈りを捧げた。時には金剛界の姿を仰ぎ見て不動の智慧を求め、時には胎蔵界の慈悲にすがり心を癒した。祈りの中で唱えられる真言――
金剛界には「オン バザラダト バン」。
胎蔵界には「オン ア ビ ラ ウン ケン」。
これらの言葉に、人々の願いと祈りが込められていた。それは愛する者の幸せを願う声であり、自らの悟りを求める声であり、宇宙の真理を知りたいと切に願う声だった。

大日如来に向けた祈りは、ただの祈願では終わらない。その教えと存在は、全てのものを照らし、深い闇の中にも一筋の光をもたらす。そして人々は信じる――あらゆる願いが叶うということを。この宇宙を見守り続ける最高の仏、大日如来に向けて。

 

揺るぎなき者 阿閦如来

揺るぎなき者

霧の彼方、山の頂(いただき)
響く足音、孤独な旅路
堂の闇に、揺るぎなき光
鏡のごとく、心を映す

降魔の手が、迷いを砕き
恐れの影に、静けさ宿る
「オン・アキシュビヤ・ウン」響けば
揺るぎない心、今ここに生まれる

The unwavering one

Beyond the mist, on the mountaintop

Echoing footsteps, a lonely journey

An unwavering light in the darkness of the hall

Reflecting the heart like a mirror

The hand of subjugation shatters doubts

In the shadow of fear, silence dwells

When “On Akisbya Un” resonates

An unwavering heart is born here and now

揺るぎなき者 阿閦如来

 

 

揺るぎなき者

古の山奥、霧深き峰の頂に一つの寺が佇んでいた。その寺の名を知る者は少なく、ましてやそこに祀られる仏の名を知る者はさらに稀であった。だが、その仏こそが、この世の迷いや恐れに立ち向かう者たちに、心の奥底から揺るぎない力を授ける存在——阿閦如来であった。

寺の奥深く、薄暗い堂内に鎮座するその姿は、まるで天地が裂けようとも微動だにしない岩のようだった。高貴なその面持ちには、一切の迷いや惑いはなく、まなざしは大海原を静かに映す鏡のように澄んでいた。彼の手は一つの象徴を結ぶ。右手は指を下へと伸ばし、降魔印を示していた。それは恐怖や欲望といった人の弱さを、絶対の心で打ち払う意思の現れである。

ある時、世の乱れに苦しむ青年が、その寺に辿り着いた。名もなき村で生まれ、戦火に追われ、失うものばかりの人生だった。心は荒れ、彼の眼には世界が黒く歪んで映っていた。

「我が迷いはどこへ向かうべきなのだ……」

彼は堂内に一人、阿閦如来の像の前にひれ伏した。しんと静まり返る堂の中で、仏の姿はただ静かに在るだけであった。それでも、その沈黙は彼の心の迷いを次第に映し出し、清めていった。阿閦如来が顕す「大円鏡智」とは、まさにありのままの真実を映し出す智慧である。人は何かを求めて彷徨うが、その答えは己の心の中にこそある——そう告げているかのようだった。

長い時が過ぎ、青年は再び立ち上がった。彼の目にはかつての曇りはなく、静かな光が宿っていた。世は相変わらず荒れ果てている。それでも彼は揺るがない。恐れも迷いも、もはや彼を縛ることはなかった。

堂を出る彼の背中に、どこからか声が聞こえた気がした。

「オン・アキシュビヤ・ウン……」

それは阿閦如来の真言である。その一音一音が、彼の心をさらに研ぎ澄ませ、迷いの霧を晴らしていくようだった。

やがて青年は山を降り、その生涯をかけて多くの人々を救ったという。揺るぎない者の教えを胸に——。

阿閦如来は今も、静かに、どこかの堂で人々の迷いを映し、静かに見守り続けている。

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