悠久の時を超えた約束
須弥山の頂を貫く黄金の雲海が、無量の光を放つ兜率天宮を包んでいた。瑠璃瓦が織りなす螺旋の回廊で、銀髪が星屑のように輝く青年が玉座にもたれていた。左膝の上で折り曲げた右足の甲に指先を触れ、人差し指を憂いを含んだ頬に当てる仕草は、まさに諸仏が「半跏思惟」と畏敬を込めて呼ぶ姿そのものだ。
「マイトレーヤ様、また地上の悲鳴が届いております」
翡翠色の羽衣をまとった天女が、掌上の蓮華から漏れるかすかな啜り声を差し出した。青年は長い睫毛を震わせ、水晶の床に映る無数の泡沫を見下ろす。それぞれの泡に写るのは戦火に泣く子供、病に伏せる老人、愛する者を亡くして虚空を見つめる男女――釈迦の教えが届かぬ暗黒の世の断片だ。
「56億7千万年…まだ早すぎる」
青年の低喃が七宝の柱を揺らす。右手の指先から零れた慈悲の念が、忽然と曼荼羅を描き始めた。金剛杵と蓮華が絡み合う図形の中心で、かつて釈迦が説いた縁起の理が逆回転を始める。未来から過去へ、果てから因へと流れる時間の渦に、青年は自らの白衣の裾をそっと投げ入れた。
「待てぬのか」
雷鳴のような声が天蓋を引き裂いた。帝釈天が光輪を煌めかせて現れる。青年は微笑みながら指を立てた。その先で、曼荼羅に飲み込まれた衣の一片が千年の歳月を一瞬に凝縮し、ある貧しい村の病児の胸に舞い降りる。
「今救えば未来の約束が破れる。されど――」
青年の左目から一粒の涙が零れ落ちた。それが水晶床に触れるや、無数の泡沫のひとつが金色に染まり、病児の微笑みへと変わっていった。天女たちが息を飲む中、青年は印を結びながら真言を紡ぐ。
「オン・マイタレイヤ・ソワカ」
その響きと共に、彼の銀髪の一部が雪のように白髪となった。未来仏たる代償として、現在の衆生に触れれば触れるほど、自らの悟りの時が遠のいていく。
「そうか…君はすでに『弥勒仏』ではなく『弥勒菩薩』ですらない」
帝釈天の呟きに青年は苦笑した。指先で触れた頬に、かすかな皺が刻まれているのに気付いた天女が、嗚咽を漏らす。56億7千万年の遥か彼方で輝くべき仏身を、少しずつ削りながらも、青年は再び泡沫の海へと視線を落とす。
遠雷のような鼓動が天宮を揺るがす。須弥山の地下で眠る阿修羅たちが、この慈悲の波動に目覚めようとしている。青年は静かに目を閉じた。その瞼の裏側で、無量劫の先に待つ降誕の日と、現在もがく衆生の狭間で、菩薩の指先がまた微妙に震えていた。





