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仏教

The dawn of homo exerensu

The dawn of homo exerensu

The city never sleeps, even after midnight. Every time the neon lights pulse, an electric noise runs through the air, and the ruined future breathes quietly.

The man – he – was walking through the remains of the old-fashioned education system. There was a time when people believed that cramming knowledge into a box called a “school” would “increase intelligence.” But what he sees now is nothing more than junk.

“Education does not increase intelligence itself.”

The man muttered to himself, not to speak to anyone in particular. Intelligence is not simply a matter of memory. It is the ability to remember – developing that ability is the true evolution.

“No matter how much you educate a fool, he’s still a fool.”

These were words without any fear. He knew. It is not knowledge that opens the future, but a transformation of intelligence.

But people were still in an illusion. In the comfort of religion. Those who recited scriptures and called on the name of God may find peace of mind. But their intelligence never increased.

“Religion is nothing more than a brake to stop foolishness.”

Some were angry and others pitied him for his assertion. But he could see it. A new horizon was coming.

–The age of homo exe rensu.

The future was quietly and surely approaching at their feet. A social system with a different structure, beings beyond the limits of their thinking ability. They no longer needed God. morality and intelligence are inherent in humans, and religious consciousness is included as common knowledge.

God and Buddha are not objects of prayer, but beings that awaken within humans.

Soon, humanity will split into two:

One is the Homo sapienssu, which remains the same as in the old days.

The other is the awakened ones, the Homo exerenssu.

When that time comes, the old humans will quietly disappear from this world. There will be no resistance or conflict. Just like natural selection.

“Do you doubt that?”

The man asks. To the sky. To his past self. Or to those who read this.

“If I doubt it, I will tell you. If it does not appear, it will end.”

Will the world come to an end, or will it evolve? Now, the time for a choice is approaching.

As a continuation, we could explore the signs that “Homo exe rensu” is actually beginning to appear, the branching of human society, and what choices the protagonist will make in the face of these changes.

ホモ・エクセレンスの夜明け

ホモ・エクセレンスの夜明け

深夜零時を過ぎても都市は眠らない。ネオンが脈打つたび、空気に電磁ノイズが走り、廃墟のような未来が静かに呼吸していた。

その男──〈彼〉は、旧時代の教育システムの残骸を歩いていた。かつて「学校」と呼ばれた箱のなかで、知識を詰め込むことが「知能を高める」ことと信じられていた時代があった。だが今、彼のまなざしにあるのは、ただの廃材にすぎない。

「教育では、知能そのものは高くならない」

男は誰に語るでもなく、つぶやいた。知能とは、単に記憶量の問題ではない。覚える力そのもの──その能力を開発することこそ、本当の進化なのだ。

「馬鹿はいくら教育しても、やっぱり馬鹿だ」

忌憚のない言葉だった。彼は知っていた。未来を拓くのは、知識ではなく、知能の変質なのだと。

だが人々は、まだ幻想の中にいた。宗教という名の慰めのなかに。経典を唱え、神の名を呼ぶ者たちは、心の安らぎを得るかもしれない。だが、彼らの知能が一段と高まることは決してない。

「宗教とは、愚行を制止するためのブレーキに過ぎない」

そう断じた彼に、ある者は怒り、ある者は哀れみを抱いた。だが彼には見えていた。やがて来る新たな地平線が。

──ホモ・エクセレンスの時代。

未来は静かに、そして確実に足元に迫っていた。構造の異なる社会体系、思考力の限界を超えた存在。彼らはもはや神を必要としない。倫理も道徳も、知能と共に内在され、宗教的意識は常識として内包される。

神も仏も、祈る対象ではなく、ヒトの内部に目覚める存在となる。

やがて人類は、ふたつに分かれるだろう──

ひとつは、旧時代のままのホモ・サピエンス。
そしてもうひとつは、覚醒せる者たち──ホモ・エクセレンス。

その時が来たとき、古き人類は静かにこの世界から姿を消す。抵抗も抗争もない。ただ、自然淘汰のごとく。

「君はそれを疑うのか?」

男は問いかける。空に向かって。過去の自分に向かって。あるいは、これを読む者たちに向かって。

「疑うならば言おう。──出現しないのなら、終わるのだ」

世界は終焉を迎えるか、進化するか。いま、選択のときが迫っている。

この続きとして、「ホモ・エクセレンス」が実際に現れ始める兆候、人類社会の分岐、そして主人公がその変化の中で何を選ぶか──などを展開していくことができます。

日の国の法 Law of the Land of the Sun

日の国の法

Law of the Land of the Sun

遥かな空に 神の声が響く
忘れられし 息吹の律動
凍てつく風と 炎の呼吸が
我が身を裂いて 目覚めを告げる

いま蘇れ 日の国の法よ
神と人を 結ぶ道となれ
胸の奥に 宿る命の火
永遠の光 吹き込め世界に

In the distant sky, the voice of gods resounds
Forgotten rhythm of breath, once profound
Frozen wind and flames in every breath I take
Tearing through my soul, the moment I awake

Now rise again, O Law of the Sunlit Land
A sacred path where gods and mortals stand
The fire of life that burns within my chest
Shine eternal light, and bring the world to rest

『日の国の法』  それが──「日の国の法」であった。

『日の国の法』

 それが──「日の国の法」であった。

 ノストラダムスの予言詩にあった「日の国の法と金星の法が競い合う」という謎の一節。人々の間では長く意味不明のまま語り継がれてきたが、その答えは思いがけないところに眠っていた。

 それは、はるか古代、日本の神々が授けた秘儀、「息吹き永世の法」に他ならなかったのである。

 私はかつて、まだ修行の途中にあった頃、幾つかの息吹き長世の法に触れたことがある。だが当時の私には、それが真に神の法であるかを見極める素養もなく、ただの古神道の断片としか思えなかった。そして月日は流れ、私の意識の彼方からも、いつしかそれは消えていた。

 ──だが、すべてはクンダリニーの覚醒によって変わった。

 あの日、突如として私の身に訪れた激烈な衝撃。息を吸うたび、全身を凍てつかせる冷気が走り、次の瞬間には骨の芯まで焼き尽くすような熱が駆け巡る。氷の息と灼熱の吐息が交互に現れ、まるで天地の二極が私の内にせめぎ合っているかのようだった。

 あまりの寒熱に、思わず声を上げた。からだ中の細胞が引き裂かれるような感覚──それは、恐怖でありながらも、どこか懐かしくもあった。

 やがて、私は気づいた。この呼吸こそが、失われた「息吹き永世の法」だったのだと。

 その呼吸法は、肺と心臓を極限まで鍛え、血流を清浄にし、肉体の力を異常なほど高めながら、精神を深く鎮め、頭脳を新鮮な光で満たす。定に入り、その技を極めれば、人は神と一体となり、三百年の寿命を得るとも伝えられていた。

 私は再びこの法を追い始めた。古代神道の行法に基づき、クンダリニー・ヨーガのチャクラ理論を融合させた修法を完成に近づけつつある。だが、それは言葉だけでは伝えきれない。あまりにも精妙で、もし誤れば命を損なう危険すら孕んでいる。

 ──それでも私は願う。この日の国に再び、神の息吹が甦ることを。

日の国の法

日の国の法

 

それが、「日の国の法」だったのである。 ノストラダムスがその予言詩で、 – 日の国の法と金星の法が競い合う といった「日の国の法」がこれだったのである。 わたくしは、さきに、「日の国の法」とは、日本の古代神法「息吹き永世の法」で あるとのべた。

仏陀の法のピンガラ、イダーを開発形成する法は、日本の古代神法 「息吹き永世」 の中にあったのである。

わたくしは、いまから一九年も前の一九七二年に刊行した『密教・超能力の秘密』 の中で、このことをいっている。さきに抜粋したものをもう一度のせてみよう。

 

私も以前、修行中に、これが息吹き長世の法であるという二、三の法に接したが、 世にいうほどの秘法とも思われず、さりとて、私にもそれが本当のものであるか、 そうでないかを見きわめるほどの古神道の素養もなく、そのまま過ごしてきたこと であった。

ところが、クンダリニーの覚醒に際して、私は、まったく思いがけず、この息吹 き長世の呼吸法を発見したのである。

息吹き長世の法の特長は、この法成就するや、寒熱自在の息を長嘯す、とあるよ うに、定に入ると、凍るように冷たい息と、熱風のように熱い息とを交互に、自在 に吐くのである。この、寒熱自在の息は不思議な力があって、法の通りにこれを息 吹くと、いかなる病気も、怪我もたちどころに痛みが去り、快癒におもむくとされ ている。瀕死の病人にむかい息吹くとき、神の新鮮な生命力を吹きこまれて、たち どころによみがえり、元気充実す、という。おかしたる罪けがれも一切浄化される。 天地四方にむかって息吹くときは、悪霊、怨念、低級の霊、すべての障害が消滅す る。「是レ、神ノ息吹キ也」とある。修行者が常時これを修すると、神人合一して

三○○歳の長寿を得るという。

私が、クンダリニー覚醒に際して、痛烈なショックをうけたときに、もっともい ちじるしいことは、急激な寒さと、燃えるような熱さとが、交互に全身を襲ったこ とであった。そうして、寒さにおそわれたときには、吐く息も、氷のように冷たい 息であった。腹の底からかあッと熱いものがこみあげてきたときには、息もたえだ えに熱風のような息を吐いた。二、三〇秒おきにこの寒熱が全身をおそうのである から、たまったものではないのだ。からだ中の細胞がバラバラになってしまうので はないかと思われ、大の男が思わず悲鳴をあげてしまう。

このときは気がつかなかった。のちになって、このときの呼吸のしかたが異常だ ったことに気がつき、何度もそれをくりかえしてみた。最初はできなかったが、定 に入り、腹部と胸部のチャクラを使うと、次第にこの特殊な呼吸法ができるように なった。寒熱自在の息を吐く呼吸法のコツが体得できた。はなしに聞く息吹き長世 の呼吸法がこれであると合点された。 息吹き長世の原点は、古代ヨーガのなかにあったのである。この呼吸の技術は、

 

古代ヨーガ独特のものである。息吹き長世の秘法は、この技術によるものであるこ とは疑いない。

この古代ヨーガの技術がどのようにしてわが国の古代神道にとり入れられたもの か、私にも判然としない。おそらくは、神代とよばれる古い時代に、古代ヨーガを 体得した超人が、大陸から渡来してこれをつたえたものであろう。あるいは、それ が、この国で神とよばれるこの国の始祖になったのかも知れない。 「たしかに、この特殊な呼吸法は、肺と心臓の機能をいちじるしく強化して、全身 の血流を浄化し、体力を異常にたかめると同時に精神をふかく鎮静させ、頭脳を新 鮮な思考力でみたしてくれる。また、それは心のおくふかくわかわかしいロマンを かきたててくれるようである。それは古代の神への回帰であろうか。ふかい定に入 ると、たくましい古代の神々が、果てしなく深い青空にむかって、厚い胸をそらし、 声をかぎりに神叫びにおらぶ、ゆたかな声量がわが胸に躍動してくる思いだ。この 刹那の悠揚たる充実を持ちつづけるならば、人はたしかに三○○歳を生きつづける ことも難事ではあるまい。私はいま、この呼吸法を、だれでも容易に体得できるよ

う、あたらしい古代神法、息吹き長世、の復元をはかりつつある。古神道の行法 にのっとり、クンダリニー・ヨーガのチャクラをとり入れたピンガラ、イダーの開 発法はすでにほとんど完成している。ただ、この法は、ごくデリケートな呼吸の操 作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、ペンだけの 表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者は ベつな機会を持ってほしいのである。