准胱観音真言
真言は短呪の「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」(Oṃ cale cule cunde svāhなどがよく知られている。長咒は「ナモサッタナン・サンミャクサンモダクチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」。
なう まく さ た なん さん みゃく さん ぼ だ く ち なんた にや た おん しゃ れい しゅ れい じゅん でい そわ か
准服とは、梵名チユンデイ上のの音写 「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩ませる観音です。
別名、准服仏母、七倶服仏母とも呼ばれます。七倶服とは「無量」を意味しますから、多くの諸仏の母となります。そのため観音菩薩ではないと
の説もあります。経軌にも観音として説かれていないことから、犬台密教では准肛如来として仏部の尊としますが、真言密教では観音の一つとして六観音の中に加えます。
准肌観音 信仰の系譜 長への旅立ち
その当時のわたくしの信仰というと、転観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺を決意したことがあった。
道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負ってしまった。債権者に連日責められる羽目となった。
そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に揃えていた、田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。 二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と
いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。 死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったような気がした。だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。そのうちに、目の旗十センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。
どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうかと、そればかりを考えるようになる。そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒になり、とにかく手近にあるもので、ベッと死にたくなる。 らないというか。
そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あの髪あたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが見えた。ふと好奇心がわいて、「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確
実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかとか、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。
とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センテ、厚み一センチ弱、の小さなものであった。 この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうっていたのかと、いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 のに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った私下げ品の一たらしく、考」 若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん悪の時に、 前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまい、 問題としては当日本一といわれた人であったが、通要もだいま結しが吹き意な時季に、洗いしのだが一枚、 绞げしようとしたとから。素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。不ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。 このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。この経きの布施によって、 中村さん、中村さん助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとどまらせている。いまた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。これは本当にただ事ではない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではないか、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。
その刹那、バーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、闇に光が射すかのように、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。 「死ぬのをやめよう」「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお経を布施しようと決心した。 ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向かって合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお経を百万巻布施いたします」と。
その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまったのである。
桐山靖雄大僧正
求児・安産の本尊としてもまつられます。もとは水の神で、その姿は女身といわれています。
なお、胎蔵曼荼羅中台八葉院の観音の種子は、この准服観音のブ(回)字が記されています。