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思念による王者の相承

 

この「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴と

いう楽介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。この場合、 心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、という所以である。

二の「余数による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、ある言葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものをいい、また、持明者(rig、drin)とは、純粋な心で実相をそのまま見ることがで

HA

きる真知の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真知の理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の奥に到達する教法を授けられるのである。

承」である。 以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、また象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラマが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。 いわゆる「口頭伝授」である。これが、三の「耳を通した言葉による人の相

以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。

一、思念による王者の相水間脳系霊的バイブレーション

二、象徴による持明者の相承 ―新皮質系=マントラ、タントラ、言葉、 音楽、象徴

三、耳を通した言葉による人の相承大脳辺縁系言葉、マントラ、音楽

これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

くしかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なのである。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 rapas である。

だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必腹ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapasは必要なのである。

練行とはなにか

では、その練行tapasとはどんなものか?

それには、ひとつの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと思われる。

それを見ていただくことにしよう。

いまから四十年以上前に刊行した「密教・超能力の秘密」からの抜席である。

求聞持聡明法の秘密

私は定に入っていた。

ひたすら、ふかい線制に入っていた。

修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。

最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就して、悉地を得たという弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、 必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこし

た求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらねたに過ぎず、その秘密技術は――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ興教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているのである。 そうでなければ、覚ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。 (線)

(二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求関持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、

延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし

一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住坐臥、閑寂の部屋な

らば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日な

のうりいし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけ

こうぼうばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日か

かろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけ

ばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくて

は、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇〇日、特

定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみ

しか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値が

あろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法の

ために、民衆のために、どうしても――。

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニ ・ングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古

代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明け、

その刹那、 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。

「ああッ!」

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眠

前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!

敵でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!

ないおうという考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈博とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、 この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。 「そうか!」

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見視床下部の秘密

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、 若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、は

じめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか? そのとき私は、 祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって泣いたそうである。

ころころやそのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっており、私はふだん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、 木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎 源 靖之 (祖父の名)の目に、ひとた

まりもなくちちみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが

―――、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろう。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思

わず竹刀をとり落としたりするときはつらいとは思ったが、苦にはならな

かった。配金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと

火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のはずである。

その火なのだ。そのときの私の視野をかすめた閃光は――。 せんこう

しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。

あの火はあのときの火とおなじだ。そして目から火が出ると同時に面金のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような気がしたのだが、しかし、目から火が出るほどのこの衝撃は、いったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか? めんがね

私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予言も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。

 

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