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文殊菩薩 智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。種字はマン (मँ maṃ

 

東の空がほのかに白みはじめるころ、獅子の背に静かに坐す一人の菩薩があった。
その名を、文殊師利――文殊菩薩という。
青蓮華の上に足を結び、右手には闇を断ち切る利剣、左手には古き経巻を載せている。その姿は少年のように若く、しかしその眼差しには、幾劫もの時を見通してきた深い静けさが宿っていた。

「智慧とは、知識ではない。」
文殊は、朝露のように澄んだ声でそう語る。
人々が求めるのは答えだが、彼が授けるのは「問い」であった。
何が正しく、何が迷いであるのか――その境を見極める力こそ、彼の本質である。
遥かな昔、インドの舎衛国に、バラモン階級に生まれた一人の青年がいた。
書を読み、教えをまとめ、仏の言葉を後世へと伝える役目を担ったその青年こそが、やがて文殊菩薩の原型となった存在であると語り継がれている。
釈迦如来の説法の座では、文殊は常に左脇に坐し、右には普賢菩薩が控えていた。
中央に坐す釈迦が真理を語れば、文殊はそれを智慧として磨き、普賢は実践として世に広めた。

ある日、迷いに沈む若者が、文殊の前に跪いた。
「私は何を学べばよいのでしょう。どの道を選べば、間違わずに済むのでしょうか。」
文殊は剣を振り上げもせず、経巻を開きもせず、ただ静かに微笑んだ。
「正しさとは、誰かに与えられるものではない。
剣は外の敵を斬るためにあるのではない。
自らの無知と恐れを断つためにこそあるのだ。」
その言葉を聞いた瞬間、若者の胸に絡みついていた不安は、霧のように消えていった。
文殊の剣は、血を流さない。
しかしその一振りは、無明という闇を真っ二つに裂く。

日本の山々にも、やがて彼の名は伝わった。
奈良の安倍文殊院、京都の智恩寺、山形の亀岡文殊。
人々は学業成就、合格祈願、人生の決断の場において、彼の智慧を求めて祈りを捧げた。
「三人寄れば文殊の知恵。」
この言葉は、ただ人数が集まれば賢くなるという意味ではない。
それぞれの心に宿る文殊の種子――

互いの智慧を照らし合えば、そこに必ず道は開ける、という教えなのである。
卯年生まれの者には、文殊は特に深い縁を結ぶとされている。
跳ねる兎のように軽やかに、しかし確かに、真理へと向かう力を授けるために。

夜の静寂の中、誰かがそっと真言を唱える。
「オン・アラハシャ・ノウ。」
その響きは、風となり、光となり、
人知れず、迷いの心に小さな灯をともす。
文殊菩薩は、今日も獅子の背に坐し、
誰かの胸に芽生える「問い」を、静かに見守っている。

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