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勢至菩薩 梵名マハースターマプラープタ 

 

勢至菩薩

梵名マハースターマプラープタ   महास्थामप्राप्त  mahāsthāmaprāpta

偉大な智慧の光を持つ菩薩

 

白い霧の向こうから、静かな光が差し込んでいた。
それは燃えるように激しくはない。だが、どんな闇も拒まず、すべてを包み込みながら、確かに進んでくる光だった。
その光の中心に、ひとりの菩薩が立っていた。
勢至菩薩――正しくは、大勢至菩薩。

合掌したその姿は、声を発することなく、しかし言葉以上の力で世界を照らしていた。智慧の光。迷いを断ち、苦しみの根を照らし出す、沈黙の導師である。
「智慧とは、裁く力ではない。見極める力だ。」
その声は、風のように心に届いた。
正しさを押しつけるのではなく、物事のあり方をそのまま照らし出す光――それこそが、勢至の智慧だった。

人々はこの菩薩を、「大勢至」と呼んだ。
偉大な力を持つ者、すべてを照らす者。
だがその力は、剣ではなく、炎でもなく、光そのものだった。
さらに古い経には、「得大勢」とも記されている。
大いなる力を得た者――それは、己を超え、迷いを超え、智慧そのものと一体となった存在を意味していた。

勢至菩薩は、阿弥陀如来の右脇に立ち、観音菩薩とともに三尊の一角を成している。
観音が慈悲の手を伸ばすなら、勢至は智慧の光を注ぐ。
ひとりで現れることは少ないが、常に「導きの側」に在る存在だった。
来迎の場面では、観音が死者の魂を蓮台に迎え、勢至は合掌して立つ。
ときに坐し、ときにひざまずき、しかし常に静かに、魂の行く先を照らしている。
「恐れるな。闇は、光を拒まない。」
そのまなざしに触れた者は、混乱の中で正しさを見いだし、迷いの中で進む道を知る。
勢至の智慧は、苦しみを消すのではない。
苦しみの奥にある真実を、見せるのである。
家内は安らぎ、災いは遠ざかり、心は澄み渡る

午年に生まれた者たちは、特にこの光に守られていると言われる。
だが本当は、年も立場も関係なく、智慧を求めるすべての魂が、この光の対象だった。
勢至菩薩の手には、ときに水瓶がある。

その水は、煩悩を洗い流すものではなく、心の曇りを映し出す鏡である。
澄んだ水面に映るのは、真実の自分自身だった。
静かな声が、再び響く。

「智慧明瞭。
除災招福。
迷いの森に、光を。」

そして、真言が唱えられる。
――オン・サンザンサク・ソワカ。

On Sanzansaku Sowaka

सन्जान्साकु सोवाका पर

その音は、言葉ではなく、波動だった。

脳の奥、魂の底、時間の彼方へと、静かに広がっていく。
光は消えない。

それは、あなたの内にすでに宿っている。

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