勢至 ― 迷いを照らす灯
堂内は、夕刻の光に満たされていた。
赤でも金でもない、名づけようのない色が、静かに壁をなぞっている。
青年は、阿弥陀三尊の前にひとり座していた。
中央に坐すのは、動かぬ慈悲――阿弥陀如来。
その右に、観音菩薩。
そして左に、合掌し、まなざしを伏せた菩薩がいた。
勢至菩薩。
正しくは、大勢至菩薩と呼ばれる。
その光は、世界を押し分ける力ではない。
剣のように迷いを斬るものでもない。
ただ、智慧の光として、すべてを照らす。
智慧とは、知識ではなかった。
まして答えでもない。
物事のあり方を、あるがままに見極める力――
勢至の光は、人の判断の奥に、そっと届く。
大勢至は、独りで祀られることは少ない。
必ず、観音とともにある。
慈悲と智慧が並び立つとき、はじめて浄土の道は開かれるからだ。
来迎の姿において、
観音は亡き者を蓮台に乗せ、
勢至は合掌し、ただ祈る。
その姿は立ち、坐し、
ときに、ひざまずく。
救うためではない。
正しく歩ませるために。
火に追われ、
血に縛られ、
刃に怯える。
火途・血途・刀途。
争いと迷いが渦巻く世界で、人は「正しさ」を失う。
勢至は、そのただ中に立つ。
水瓶を携え、智慧の水を満たしながら。
怒りを鎮め、判断を澄ませるために。
青年は、胸の奥でそっと真言を唱えた。
オン・サンザンザンサク・ソワカ。
それは願いではなかった。
力を求める声でもない。
――迷いを断つ剣ではなく、
迷いを照らす灯を点す音。
音は、外には響かなかった。
ただ、内側で静かに灯る。
宇宙の真理と一体となり、
過去・現在・未来を貫き、
貪り、怒り、愚かさを照らす智慧よ。
この身の行いを、正道へと導け。
唱え終えたとき、
青年は気づいた。
何かが解決したわけではない。
だが、次にどう振る舞うべきかが、
不思議なほど明らかだった。
午年に生まれた者を守るというのも、
勢いある者ほど、迷いに踏み込むことを、
勢至が知っているからなのだろう。
進む力は、すでに人は持っている。
必要なのは、進み方を誤らぬ智慧。
堂の静寂の中、
青年はそっと目を閉じた。
救われたという感覚ではなかった。
ただ――
「見えるようになった」
その瞬間、
大勢至菩薩の光は、すでに役目を果たしていた。




