愛のために智慧を
智慧のために愛を
Wisdom for love
Love for wisdom
夜更けの書斎。
青年は机に頬杖をつき、灯りに照らされた古い聖典のページを静かにめくっていた。
「結局、宗教は二つの道に分かれるんだな……」
彼は心の中でつぶやいた。
長い間、人間を導いてきた数多の教え。しかし、その根はひとつではない。
一つは、人の感性を極限まで高め、愛を歌い上げる道。
それはキリストが示した、人を抱きしめる温かさに通じている。
もう一つは、知性を凝縮させ、飛翔させる道。
それは釈迦が示した、すべてを観照する冷ややかな光明に通じている。
青年は窓の外を見やった。夜空の星は静かに瞬いていた。
愛と智恵――人類はそれぞれを最高度にまで磨き上げた。けれど、行き着いた果てに待っていたのは、矛盾と混乱と苦悩だった。
「宗教は……人類を救えなかったのか」
思わず声に出していた。
彼の言葉に答えるように、背後から静かな声がした。
「救えなかったのではない。道が二つに裂けてしまったからだ」
ふり返ると、老いた師がそこに立っていた。長い沈黙の末に口を開いたような、重みのある声だった。
「愛は智恵によって方向を得る。智恵は愛によって育まれる。本来、この二つはひとつであった。だが、人類はそれを分けてしまった。愛だけを追えば、盲目的になる。智恵だけを追えば、冷酷になる」
青年は息をのんだ。
師の言葉は、夜の静けさの中で鐘の音のように響いた。
「では、どうすればいいのですか?」
老師はゆっくりと目を閉じ、答えた。
「いまこそ、全地球的な宗教が生まれねばならぬ。キリスト教も仏教も、別々の道を歩むかぎりは地方宗教にすぎない。愛と智恵がひとつになったとき、人類はようやく行きづまりを超えるだろう」
青年は深く息を吸った。
それは彼の胸に、新しい道の灯がともる瞬間だった。
秋の夕暮れ。修道院の庭に、一本の古い銀杏の木が立っていた。落ち葉の絨毯の上で、二人の宗教者が向かい合って座っている。
一人は白いローブをまとったキリスト教の司祭。
もう一人は袈裟を身につけた仏教の僧侶。
司祭が静かに口を開いた。
「結局、宗教は二つに分かれるのではないでしょうか。ひとつは感性を昇華させ、愛を最高の徳として説くもの。私たちの信仰がそうです」
僧侶は頷き、答える。
「もうひとつは、知性を凝縮させ、真理を見極めようとする道。仏教がそうですね」
二人はしばし沈黙した。風が吹き、落ち葉が舞う。
司祭が目を伏せて言った。
「しかし、いずれも最高度に発展したはずなのに、人類はなお苦悩し、矛盾に満ちています。宗教は人を救うどころか、時には争いの火種にさえなってしまった」
僧侶もまた深く息を吐いた。
「そう。宗教は行きづまりを迎えています。いや、人類そのものが行きづまっている。愛が愛だけで暴走すれば盲目となり、智恵が智恵だけで孤立すれば冷酷となる。その二つの裂け目に、人々は落ち込んでしまったのです」
司祭は顔を上げ、僧侶を見つめた。
「では、我らに残された道は?」
僧侶は目を閉じ、銀杏の葉のざわめきに耳を澄ませた。
「愛を導くのは智恵。智恵を育むのは愛。本来ひとつであったものを、われらは分けてしまった。これからは、二つを融合させねばならない」
司祭の目に光が宿った。
「そうですね……。キリスト教も仏教も、いまのままでは地方の宗教にとどまってしまう。だが、愛と智恵がひとつになったとき、人類は真に救われるかもしれない」
空は紫に染まり、遠く鐘が鳴った。
二人の宗教者は沈黙のうちに手を合わせた。
それは、まだ形を持たぬ「新しい宗教」の誕生を告げる小さな予兆であった。




