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大日如来 ―  『即身成仏への道』

 

 


『即身成仏への道』

第一章 曼荼羅に坐す者

静寂──それは言葉を超えた真理の入口。

夜の山寺。月明かりに照らされた道場の奥、蓮真はひとり、金剛界曼荼羅を前に坐していた。

「即身成仏──今、この身のままで仏と成る」

その言葉を初めて耳にしたとき、彼は理解できなかった。悟りとは、遠い未来にある高みに違いないと信じていた。けれど老師は微笑みながら言った。

>「悟りは”どこか”にあるものではない。”今”ここに在るのだ。気づけば、そのまま仏となる」

 

密教の教えは、空理空論ではない。

大日如来はただの象徴ではない。

宇宙そのもの──そして、それに目覚めた時、我が身が即ち宇宙であることに気づく。

 

蓮真は印を。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン……」

その真言が、彼の内に響きわたる。静寂が広がり、時間が消える。思考が消え、ただ「今」が在る。

曼荼羅の中心──大日如来の目が、彼を見つめていた。

 

目が合った。

それはただの想像ではない。

見ることと見られることが溶け合った瞬間、蓮真の心は空となった。

 

「私は仏ではない。だが、仏が私である」

そんな逆説的な直感が、彼の全身を貫いた。

 

身体が軽い。

境界がなくなる。

大日如来の姿が、まるで鏡のように自らを映している。

 

──己のうちに仏があるのではない。己そのものが、仏の顕れであった。

 

涙が流れた。悲しみでも、歓喜でもなく、理解の涙だった。

 

その夜、蓮真は夢を見る。

 

宇宙の果てに、大いなる光が浮かんでいた。

そこには言葉も、姿も、時間すらなかった。

ただ一つの真理が在った。

 

すべての命は、大日から生まれ、大日に帰る。

その道を歩むことが、即身成仏。

自らを疑わず、偽らず、すべてを照らす光の一部として生きること──それが、大日如来の慈悲の実践なのだと。

第二章 「即身」の意味

夜が明け、老師が蓮真の前に現れた。

「どうであったか、曼荼羅の中の旅は」

蓮真は、深く合掌した。

「私は……私のままで、仏に抱かれていました」

老師は静かにうなずく。

「それが、即身成仏。修行とは、目覚めを得ることではない。目覚めを忘れぬように、日々を歩むことだ」

「では、私はこれから──?」

「これからが本当の修行だ。日常に光を灯せ。日常に仏を見出せ。怒りの中に慈悲を、迷いの中に智慧を──それが大日如来の教えだ」

 

蓮真は歩き出す。

曼荼羅を離れ、日常という道に帰っていく。

けれどその歩みはもう、以前の彼とは違っていた。

 

大日如来は遠くに在らず。

彼の一歩一歩が、宇宙を踏みしめていた。
以下は、大日如来を本尊とし、即身成仏を目指す修行僧・蓮真(れんしん)の物語の続編です。タイトルは**『即身成仏への道』**──密教の神秘と悟りへの旅を描く小説風作品として展開します。

『即身成仏への道』

第一章 曼荼羅に坐す者

静寂──それは言葉を超えた真理の入口。

夜の山寺。月明かりに照らされた道場の奥、蓮真はひとり、金剛界曼荼羅を前に坐していた。

「即身成仏──今、この身のままで仏と成る」

その言葉を初めて耳にしたとき、彼は理解できなかった。悟りとは、遠い未来にある高みに違いないと信じていた。けれど老師は微笑みながら言った。

>「悟りは”どこか”にあるものではない。”今”ここに在るのだ。気づけば、そのまま仏となる」

 

密教の教えは、空理空論ではない。

大日如来はただの象徴ではない。

宇宙そのもの──そして、それに目覚めた時、我が身が即ち宇宙であることに気づく。

 

蓮真は印を結ぶ。智拳印──左の人差し指を、右手でしっかりと包み込む。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン……」

その真言が、彼の内に響きわたる。静寂が広がり、時間が消える。思考が消え、ただ「今」が在る。

曼荼羅の中心──大日如来の目が、彼を見つめていた。

 

目が合った。

それはただの想像ではない。

見ることと見られることが溶け合った瞬間、蓮真の心は空となった。

 

「私は仏ではない。だが、仏が私である」

そんな逆説的な直感が、彼の全身を貫いた。

 

身体が軽い。

境界がなくなる。

大日如来の姿が、まるで鏡のように自らを映している。

 

──己のうちに仏があるのではない。己そのものが、仏の顕れであった。

 

涙が流れた。悲しみでも、歓喜でもなく、理解の涙だった。

 

その夜、蓮真は夢を見る。

 

宇宙の果てに、大いなる光が浮かんでいた。

そこには言葉も、姿も、時間すらなかった。

ただ一つの真理が在った。

 

すべての命は、大日から生まれ、大日に帰る。

その道を歩むことが、即身成仏。

自らを疑わず、偽らず、すべてを照らす光の一部として生きること──それが、大日如来の慈悲の実践なのだと。

第二章 「即身」の意味

夜が明け、老師が蓮真の前に現れた。

「どうであったか、曼荼羅の中の旅は」

蓮真は、深く合掌した。

「私は……私のままで、仏に抱かれていました」

老師は静かにうなずく。

「それが、即身成仏。修行とは、目覚めを得ることではない。目覚めを忘れぬように、日々を歩むことだ」

「では、私はこれから──?」

「これからが本当の修行だ。日常に光を灯せ。日常に仏を見出せ。怒りの中に慈悲を、迷いの中に智慧を──それが大日如来の教えだ」

 

蓮真は歩き出す。

曼荼羅を離れ、日常という道に帰っていく。

けれどその歩みはもう、以前の彼とは違っていた。

 

大日如来は遠くに在らず。

彼の一歩一歩が、宇宙を踏みしめていた。

第三章「日常のなかの曼荼羅」

寺を下りた蓮真(れんしん)は、都市の光に包まれた。

アスファルトの熱気。人々の視線。雑踏の渦。
どれも、山の中の静寂とはあまりにも違っていた。

だが──彼は怯えなかった。

「すべては曼荼羅の一部──」

老師の言葉が胸に在る。
「曼荼羅」は仏の世界図であると同時に、この現実そのものなのだ。

 

蓮真は、ある福祉施設で働き始めた。
孤独を抱える高齢者。貧困に苦しむ家庭。心に病を抱えた若者たち。

彼は思った。
ここは”俗世”ではない。**「胎蔵界曼荼羅」**の中にある、慈悲を必要とする場だ。

 

ある日、ある少年がつぶやいた。

「……人に迷惑かけないように、息をひそめて生き
蓮真は、その言葉の奥にある**「苦」**を見た。
そして答えた。

「君が何のために生きているか。
それは、”君の中の光”を、他の誰かに分け与えるためかもしれない」

 

少年は問い返した。

「……光なんて、僕にあるの?」

 

蓮真は笑みを浮かべた。

「あるよ。
それは誰の中にもある。
僕がここにいる理由も、それを伝えに来たからだ」

 

その日から、蓮真は彼と一緒に、毎朝の「五分の黙想」を始めた。

呼吸を感じ、心の声を聴き、そして最後に一言、真言を唱える。

オン・アビラウンケン・バザラダト・バン

少年の表情が、少しずつ変わっていくのを、蓮真は見ていた。

 

人々は仏を探して山に登る。
だが、下界にこそ仏が宿っている。

言葉にならぬ苦しみを抱く者の中に、
抑えきれない怒りに揺れる者の中に──
仏性は脈打っている。

 

日々の出会い。失敗。涙。
すべてが修行。すべてが即身成仏の道。

 

「大日如来は、宇宙の彼方にあらず。
私たちの行為の中に顕れる」

 

蓮真は知っていた。

真の曼荼羅とは、壁に描かれたものではなく、
人々の中に描かれていくものなのだと。

次章では、蓮真が言葉の力と向き合い、人々の苦しみを照らす仏の光をどう表現していくか──

▶ **四章「光となる言葉」**へと進められます。

ご希望でしたら、すぐに続きをご用意いたします。どういたしましょうか?

第四章「光となる言葉」

ある雨の日。福祉施設の談話室で、一人の女性がぽつりとつぶやいた。

「……私はもう、誰にも必要とされてないのよ」

静かな声だった。だが、その奥には、長年積もり重なった孤独と痛みがあった。
家族と疎遠になり、友人を失い、身体も弱り、未来に希望を見出せない──
それは、心の冬のようだった。

 

その時、蓮真は語った。

「お言葉、いただいてもよろしいですか」

女性がうなずくと、彼は一枚の紙を差し出した。
そこには、金泥の筆で書かれた一文があった。

 

> 「あなたの声が、今日も世界を照らしています」

 

「これは……?」

蓮真は言った。

「仏の言葉──ではありません。
でも、仏と同じ意志で紡いだ言葉です」

 

「即身成仏」とは、悟った者だけの世界ではない。
誰もが仏性を宿し、そして誰かを照らす灯になれる。
その可能性が言葉となって、現れる。

 

彼は続けた。

「あなたがこの施設にいるだけで、誰かが安心しているかもしれません。
静かに笑ってくれたそのひとつの表情が、誰かを救っているかもしれない。
言葉とは、音を通して届ける慈悲の光。
でも、語られぬ祈りや、沈黙の中にも光は宿ります」

 

女性の瞳に、少しずつ涙がにじんだ。

 

蓮真が実践しているのは、説法ではない。
“法を生きる”ということそのものだった。
それは日常の一挙手一投足の中で、
誰かを思い、慈しみ、言葉を選ぶという智慧と慈悲の連携。

 

ある日、彼のもとに一通の手紙が届いた。
手紙にはこう書かれていた。

 

> 「あなたの言葉に、私は救われました。
>  あの一言で、私は”まだ生きていていい”と思えました。
>  私も誰かに、光となる言葉を渡してみます」

 

それを読んだとき、蓮真は思った。

言葉は火。
言葉は風。
そして、言葉は光。

そのひとつひとつが、人の心に火を灯し、傷を癒し、
仏のように、道を照らす力を持っている。

 

彼は静かに真言を唱えた。

「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン」

そして祈る。

> どうか私の言葉が、今日も誰かを傷つけず、
> ひとつでも多くの心を照らす灯火でありますように。

 

第五章「伝える者、照らす者」

蓮真は思っていた。

「悟りとは、自分だけの光ではない」
「それを灯し、手渡していくところに意味がある」

 

ある日、彼は市内の高校に招かれた。
「言葉と生き方について話してほしい」と頼まれたのだった。

最初は戸惑いもあった。
話し方も、表現も、伝える術も──
仏の法を、俗世の言葉でどのように語ればいいのか。

 

彼は壇上に立ち、生徒たちを前に、静かに語り出した。

> 「君たちの中にも、“仏”が眠っています。
>  でも、難しく考えなくていい。
>  それは、“優しくなれる心”や“誰かを思う力”の中にあります」

 

会場が静まり返る。
だがそれは無関心ではない。
「聴こうとしている沈黙」──それが蓮真にはわかった。

 

> 「私たちは皆、迷います。怒ります。誰かを責めたくもなります。
>  でも、そんなときに“正しい方向”を思い出せるように、
>  私は、ひとつの言葉を持っています」

> 「オン・アビラウンケン・バザラダト・バン」
> 「これは、“真理に帰る言葉”です。
>  何かを信じろとは言いません。ただ、ひとつ思い出してみてください。
>  『自分の中にも、真理があるかもしれない』と」

 

講話のあと、一人の女子生徒が蓮真に声をかけた。

「……私、いつも家で怒鳴られてて、自分なんていない方がいいって思ってた。
でも、今日、先生の言葉で……“私の中にも何かあるかも”って思えました」

 

蓮真は深くうなずき、言った。

「その思いが、すでに目覚めの始まりです」

 

──その日から、蓮真は「語る修行」を始めた。

施設だけでなく、学校、病院、刑務所、町の公民館──
どこへ行っても、ただ一つの想いを携えていた。

 

「仏性は、必ず誰かの中にある」

「言葉とまなざしで、それを揺り起こすことができる」

 

彼の語る言葉は、教義ではない。
**人の苦しみに寄り添い、そこから生まれた“慈悲の言葉”**だった。

 

やがて、蓮真の言葉を聞いた人々が、自分もまた誰かに語り始めた。

> 一人の光が、二人の心を照らし、
> 二人の心が、四人を癒やし、
> いつしかそれが、街の祈りとなる。

 

蓮真は思った。

「私は特別な者ではない。
私もまた、大日如来の化身であり、他者もそうである」

 

言葉とは、照らすためにある。
そして照らす者とは、語る責任を背負う者。

その背には、無数の仏のまなざしがある。

 

蓮真は最後にこう語った。

> 「私は、あなたを照らす者ではありません。
>  私はただ、あなたの中の光に、そっと火を近づける者です」

 

そして今日も、どこかで新たな火が灯る。
照らす者が、また次の誰かを照らしていく──

それはもう、教えではなく、**ひとつの“生き方”**になっていた。

 

 

 

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