四念住法
旧訳では四念処という。四念処観ともいう。さとりを得るための四種の内
観・瞑想法である。身念住・受念住・心念住・法念住の四つである。
(10)この身は不浄なり。
(2)受は苦なり。
③心は無常なり。
(4)法は無我なり。
と観念し瞑想するのである。すなわち、この身体は不浄である。(すべての)感受は苦である。心は無常である。すべての事物は無我である、と観念し瞑想する。はじめはこの四項をそれぞれ別に観念し、つぎにはそれらの四つを一つにして、身体・感受・心・そしてすべての事物(法)は不浄である、また苦である、無常である、無我であるというように観念して瞑想していくのである。(わたくしは、この四念住はさきに述べた『四聖諦」を行法
化したものであろうと思っている。すくなくともふかいかかわりはあるであ
ろう)
四正断法
旧訳では四正勤という。断断・律儀断・随護断・修断の四つの修行。
断断=いま現に起こっている悪を断じてなくするようにはげむ修行。幾
度も断ずることをくりかえす。
修 断=まだ起こっていない悪に対して、今後起きないように努力する修行。
随護断=いますでに存在している善はこれをますます増大させるようにと努力する修行。
律儀断=まだ存在しない善に対して、これを得るように努力する修行。
四神足法
四如意足とも訳す。
の四種の修行法。 四つの自在力を得るための根拠となるもの。超自然的な神通力を得るため
欲神足=人間の生命力の、特に肉体上における根源的諸条件を、完全なものにする修行法。
勤神足=欲神足で得た能力をベースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。
心神足=肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にその能力を飛躍向上させて行く。
すなわち、脳の欠陥部分を補強するための準備段階として、古い脳(古皮質)を人為的に進化させる修行法である。
観神足=あたらしい脳である新皮質を向上させるとともに、霊性の場である間脳を開く。それによって知性と霊性を完全に融合させる。
神とは神通のこと。妙用のはかりがたいことを、“神”という。『足”とはよりどころのこと。神通を起こす因であるから、神足と名づけるのである。
五根法
信根・精進根・念根・定根・慧根の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にたいする信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニル
ヴァーナにむかって高い能力を発揮する修行。
五力法
信力・精進力・念力・定力・慧力(または智力)。ニルヴァーナに至る高
21世紀は智慧の時代、
度な五つの力を得る修行。五根とおなじ徳目であるが、五根が能力的なはたらきであるのにたいし、五力はそれがいっそう進んでさらに大きな力を発揮
することができるのであり、両者は程度の差と見ることができる。
七覚支法
ちやくほうきようあん択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。
択法覚支=教法の中から真実のものをえらび、いつわりのものを捨てる
智慧の修行。
精進覚支=一心に努力して退転しない修行。
喜覚支=真実の教えを学び、実行する喜びに住する修行。
軽安覚支=身心を軽快明朗にして低緊したり渋滞したりしない修行。
捨覚支=取捨憎愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心
る。 の平静が乱されない修行。対象へのとらわれを捨てる修行であ
定覚支=瞑想中も平常の行動中も集中した心を乱さない修行。
念覚支=おもいを平らかにする修行。
八正道法(八聖道とも書く)
理想の境地に達するための八つの道。
正見=正しく四諦の道理を瞑想する。
正思惟=正しく四諦の道理を思惟する。
正語=正しいことばを口にする。
正業=正しい生活をする。
21世紀は智慧の時代
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る。 正命=身・口・意の三業を清浄にして、正しい理法にしたがって生活す
正精進=道に努め励む。
正念=正道を憶念し、邪念のないこと。
正定=迷いのない清浄なるさとりの境地に入る。
要するに、正しい見解、正しい思い、正しいことば、正しい行為、正しい
生活、正しい努力、正しい気づかい、正しい精神統一のことである。
以上が、「七科三十七道品」である。
四念住法・五根法、これは、瞑想である。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。
四神足法は、特殊なtapas (練行)である。神足とは、神通力(超人的能
である。 力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力を得るための四種の修行法
これが七科三十七道品の説明であるが、これを読んだあなたは、なにか気がついたことがおありではなかろうか。
というのは、七科目の修行法の中に、少々、異質と思われる修行法が一つあるのである。
そう、四神足法である。
“神通力”とは、およそ、法を論理的に説くブッダにしては、まったく似つかわしくない表現ではないか。
むしろ、異様にさえ感ずるほどである。
そう思って見ていくと、四神足法について説かれた経典があるのである。こ
の経典には、さらに破天荒ともいうべきことが説かれているのだ。
阿含仏教智慧




