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大神通力を得る禅定法──安那般那念法の秘奥

大神通力を得る禅定法──安那般那念法の秘奥

 その夜、山の気は冷たく澄み渡っていた。薪が静かに爆ぜる音を聞きながら、私は古い経典の一節を開いた。墨の匂いが、古の智者たちの気配を運んでくるようだった。

 《是の如く我れ聞きぬ──》

 私は読んだ。祇園精舎において、釈尊が比丘たちに告げた言葉。「安那般那の念を修習せよ」──その一言が、私の魂を貫いた。

 “安那”とは出る息、“般那”とは入る息。だが、そこに記されていたものは、単なる呼吸の観法ではなかった。それは、魂を変容させ、神通へと至る禅定の道であった。

 釈尊は説いていた。身を整え、心を護り、外界から離れて静寂に坐すこと。そして、内息・外息・行息を念じる。その息は、単なる空気ではない。生命の気、プラーナであった。

 呼吸は、ただの生理現象ではない。私の身を巡り、心を巡る“気息”であり、それを制することで、私は自己の因縁をも制御しはじめていた。

 「心の行息を覚知せよ──」

 私は脳の深奥に意識を集中した。チャクラと呼ばれる点を、一つ一つ呼吸の力と念の光で照らしていった。やがて、意識の流れが止まった。時間も、肉体も、私の中で意味を失っていった。

 「身止息、心止息──」

 内なる静けさの中で、私は“解脱”の感覚に触れた。それは、人の枠を超えた感覚。執着も、怒りも、迷いも、すべてが溶け去る。私という存在が、ただ“光”となって在る。

 そして訪れたのだ。大神通力というものが。

 それは外に現れる力ではなかった。内における変容の力、他者の苦しみを癒し、因縁を断つ力。釈尊が説いた四つの最奥義──勝止息、奇特止息、上止息、無上止息──が、私の心身を貫いていた。

 「これはすべての呼吸法に勝る法である」と釈尊は説いたという。その意味が、今ならわかる。この法は、ただの呼吸法ではない。“仏法そのもの”を実践し、成仏に至るための最上の禅定法だったのだ。

 長く埋もれていたこの経典が、再び光を放つときが来た。誰も気づかずにいた真実の法。その価値に目覚める者が、いよいよ現れるべきときが──。

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