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虚空蔵求聞持

虚空蔵求聞持

観音求聞持

ヒトを天才にする求聞持聡明法

つと明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。

大師が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、風に知られている。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚鑑(一〇九五―一一四三)が、七度、 この法を怪して成功せず、八度目に悉地を成じ、成功したと伝えられる。覚錢上人ののこされた業績をみれば、上人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なことに、四十八歳で亡くなられている。

発言数の求聞持聡明法には、三種の法がある。

であるが、ふつう、求聞持法といえば、空海が修して有名な虚空藏求聞持をさす。 この法を、主には「空蔵■最勝心陀羅尼汞電待法」という。 しかし、わたくしがこのたびこの本でそ

イントン

もない。わたくしが独自に創成した求聞持法で、わたくしはこれに、

默都如意求聞持聡明法

と名づけた。

この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも

のである。

とくんよう二つの特徴がある。

それは、

がくせい一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。 どうきようどういく一、その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートにのせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中枢である問脳・視床下部に送りこむ。

この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であるといってよいであろう。

わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇 「年前に発行した「変身の原理」以来、わたくしの著書はこの本で四○冊になるが、それらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであると

にした。 わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らか

クンダリニー・ヨーガも、道教の導引・気功も、いずれも超人的能力を獲得するための最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法はない。この二つの法の欠脳を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの駄都如意求聞持明法は、ヒトにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。

もちろん、後世おそるべし』という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るかも知れないが、しかし、それも、クンダリニー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄都如意求聞持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。

この法を、指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍に飛躍強化されるであろうことを断言する。

天才は不老長寿でなければならない

求聞持明法は、たしかにヒトを天才にする

イントロダクシ E ン

ある。

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたにしたのでは、なんにもならない。

天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するものでなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

求聞持聡明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき短命に終わった興教大師覚錢上人が念頭にあった。上人は、おそらく、過酷な求聞持法修行のため、法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。 このことは、年少、結核を病んで何年も病床に伏した苦しい経験を持つわたくしに

とり、その恐れの念が特に深刻であった。

きゆうしかし、この憂慮は、幸いにして杞憂におわった。

道教の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたので

すなわち、道教の導引・気功は、仙道の流れを汲むものである。そして仙道の理想は、不老長寿、生きながら神仙に化することを目標とする。

駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、

そうなってしまったの

イントロダクシン

阿含宗総本殿

だから、もしも

もしも、である。

であろう。 あなたが高年者として修行に入り、年齢のために天才になれなかったとしても、いつまでも若々しい肉体と、そして決してボケることのない求聞持脳だけは獲得できる

期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。

神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。

わたくしは断言してよい。仙道の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡

明法は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、 若返ることができるであろう。

求聞持聡明法があたえる不思議な知慧

さいごに、駄都如意求聞持聡明法という、名称の由来をのべておこう。

真言密教の胎蔵界マンダラ第三重南面に、除盖障院というマンダラがえがかれて

 

のか。 にほうじゅそのおすがたは、左手に蓮華を持ち、蓮華上に摩尼宝珠(如意宝珠)を置き、右の 「手は施無畏の印を組んで、胸の前に上げている。このおすがたはなにを表現している

である。 無段というのは、一切の災構をとり除いて、いかなる不安もない平穏無事の世界を実現するということで、それを実現するのが、不思議な仏の智慧である、というの

除夏ゆというのは、人間と人間社会におけるすべての蓋障(文字の通り、蓋のよう

に覆っている障害)をとりのぞくという意味で、その蓋障をとり除く仏たちがまつられているのが、除養障院である。

この院の主様、すなわち中心の仏を、「不思議慧菩薩」という。

仏のさずける不思議な話を象徴しているのである。

不意識、というのは、人間の思慮ではおしはかることのできない次元のことをいい、

では、その不思議な習を象徴した仏である。

では、その不気議な私の皆盤はどこから来るのか?

それは、左の手の運車の上に奉安された、摩尼宝森から来るのである。

信用法のあたえるに、この不思議な仏の『想なのである。この仏の皆

阿含宗総本殿

という。

の不思議なはたらきによって、この地上の一切の災禍核・戦争・環境破壊・貧困等を減除して、無異なる平和世界を実現するのである。

駅都如意求聞持聡明法の奥儀の修行に入ると、この摩尼宝珠が、特殊な観法の中心

しとなる。これなくしてこの法の成就はない。(如意宝珠法に関係があるのである)。

摩尼宝珠というのは、仏陀シャカの御聖骨、真身舍利のことで、真身舍利を、「駄都」

これを以て、駄都如意求聞持聡明法と名づけたのである。

真身舍利を本尊としてまつる阿含宗が、この駄都如意求聞持聡明法を完成したのは、

決して偶然ではなかったのだと、つくづく思わざるを得ないのである。

一九八九年九月十七日

桐山靖雄

 

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