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阿含経

五の下分結とは?

成仏への道は、まず、悩を断ち切るところからはじまる。

その煩悩は、「根本煩悩」といういちばん基本的な煩悩と、そこから流れ出てくる十種類の「臨煩悩」という煩悩から成り立っている。

根本煩悩を「渇愛」という。はげしい渇きにたとえられるつよい煩悩である。そこか ら十種類の煩悩―――随煩悩が出てくるのであるが、この十随煩悩を「十結」という。な ぜ、「結」というかというと、これが、人間のこころと体と魂をかたく結束し、束縛し て、自由にさせない。そこで「結」というのである。

この十結をすべて断ち切る道品法の修行を進めていくと、こころがしだいに浄化・高 揚しはじめる。さきの章の表現でいうと、大脳辺縁系と新皮質系が変化しはじめる。さ らに進むと、開脳系が震動しはじめる。それはまさに、震動ということばより適切な表現はみあたらない。

煩悩を断つ、というが、これはただたんに道徳的なこころの持ちぬしになる、という ようなものではないのである。信教や倫理や道徳と、釈尊の成仏法のちがいはそこにあ る。雪教や道徳や倫理の教えで、たんに欲望をなくすというようなものではないのであ る。それは異質なものへの変化である。変化というより、飛躍である。

これまでの仏教が考えていたような、煩悩(欲)をなくして道徳的に完成する、とい った程度のものではないのである。釈尊の成仏法によって煩悩をなくす修行をしている と、異質なものへの飛躍・変化がはじまるのである。すこしオーバーにいうと、煩悩を なくすのが目的ではなくて(それも目的だが)それは手段なのである。文字やことばで は表現しきれないのが残念であるが、さいごの瞬間に、飛翔がある。ニルヴァーナとい う異次元世界への飛翔である。これから「十結煩悩」の説明をするが、成仏とはただた んにこういう煩悩(欲)をなくした道徳的な変化というだけのものではないことを知っ ておいていただきたいのである。

十結をのべると、つぎの通りである。

予告された如来の復活

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