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釈迦

釈迦(本名:ガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタ)は紀元前5〜6世紀頃、ルンビニー(現在のインドとネパールの国境付近にあった小国)に生まれました。父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。

マーヤーは出産のためにコーリヤに帰ろうとしていた道中、ルンビニー園という花園に差し掛かったときに産気づき、出産したといわれています。北伝によれば春暖かな4月8日のこと、ルンビニー園には花が咲きほこっていました。そのため釈迦が誕生したといわれる4月8日は、現在も「花祭り」( “灌仏会(かんぶつえ)”や“降誕会(ごうたんえ)”ともいわれる)としてお祝いが行われています。

釈迦は誕生した直後に立ち上がって7歩歩き、右手で天を、左手で大地を指差したまま「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と説いたといいます。

「この世界に生きる人々は誰一人として尊いものである」

言うまでもなく、これは伝説として語り継がれている有名なエピソードではありますが、釈迦という存在が神格化されている逸話といえるでしょう。

マーヤーは釈迦を出産した翌週、高熱により亡くなります。シュッドーダナは妻を失った悲しみに沈みますが、長らく子宝に恵まれなかったこと、待望の跡取り息子が誕生したこと、そして妻が最後に残した忘れ形見であったことから釈迦を深く愛するようになります。

「将来、大層な人物になるだろう」と息子に期待を寄せるシュッドーダナは、国一番の聖者であるアシダ仙人に占うよう依頼しました。

しかし、アシダ仙人は釈迦を見るや否や、涙を流し始めるのでした。シュッドーダナは「我が子を前に涙を見せるとは一体どういうことなのですか」と問いました。それに対して、アシダ仙人はこう答えました。

「このお方は王位を継承された折には、世界を治めるといわれている伝説の転輪王(てんりんおう)に、出家をされた折には無上の悟りを得られる仏陀(ぶっだ)となられるでしょう。しかし、老い先短い私は王子がブッダになられたとしてもすでにこの世にはおりますまい。ですからブッダの説法を聞くことはできません。そのことが悲しくて、涙せずにはいられなかったのです」。

このアシダ仙人の言葉を聞き、シュッドーダナは息子に王位を継承させようと、優れた教育が受けられるよう環境を整え、望むものは何でも与えたそうです。

満ち足りた生活を捨て、出家へ

生……生まれたことによる苦しみ。
老……老いること、気力や体力が衰退し、自由が利かなくなる苦しみ。
病……病による苦痛を感じる苦しみ。
死……死ぬことへの恐怖や不安、苦しみ。

また、日常的に経験することの多い四つの苦しみ(「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五蘊盛苦」)が加わったものは四苦八苦と呼ばれています。これは悩みや苦しみを感じることを意味する言葉「四苦八苦」の語源となっています。

愛別離苦(あいべつりく)……愛する人と別離する苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく)……嫌な相手と会うことが避けられない苦しみ。
求不得苦(ぐふとくく)………望むものが得られない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)…肉体と精神が思うようにならない苦しみ。

これらの苦しみについて、釈迦は「人間が抱えている煩悩」が根本の原因だと考えました。たとえば欲しいものやお金を追い求めたところで、決して人間は満足することはなく、愛する者に執着したとしても、最後には別れを迎えなければいけません。

この煩悩や執着がもとで、結果的に苦が生じている真実を“集諦(じったい)”、そしてそれらの苦悩や欲望から離れることが悟りの平安にいたることを“滅諦(めったい)”、そして滅に至るための実践が“道諦(どうたい)”であり、それを八つの正しい道(八聖道)を釈迦は教えました。それこそが中道による生き方です。そして生きるとは何かという問いに対し、“諸行無常(しょぎょうむじょう)”の考えにたどり着きます。

「世の中のすべては移り変わるもので、何ひとつ確かなものはない。富や名声、健康や愛する人の命も永遠に続かない」

釈迦は物事への執着を捨て、それによってあらゆる煩悩から解脱すること執著による苦しみを離れた生き方、つまり苦をコントロールする生き方を示したのです。

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