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お釈迦さま   優婆塞となるには、どのようにすればよいのでしょうか?

 

お釈迦さま
優婆塞となるには、どのようにすればよいのでしょうか?

 

朝の公園は、まだ人が少なく、冬の光が低く差し込んでいた。
マハーナーマはベンチに腰かけ、スマートフォンを閉じて、深く息をついた。
最近、ずっと同じ問いが頭から離れなかった。
――信じるって、何なんだろう。
――正しく生きるって、どういうことなんだろう。
彼は仏教の本を読み、講話を聞き、祈りも欠かさなかった。
それなのに、どこか空虚さが残っていた。
「自分は本当に“在家の仏教徒”として、ちゃんと生きているのだろうか。」
そんなとき、彼は古い経文の中に、マハーナーマという自分と同じ名の人物が登場する場面を見つけた。
――マハーナーマは、釈尊にこう尋ねた。
「完全な優婆塞になるには、どうすればよいのでしょうか。」
その問いは、まるで今の自分自身の言葉のようだった。
釈尊は答えていた。
「信があっても、戒がなければ、その者は真の優婆塞とは呼べない。」
マハーナーマは、ページを閉じ、空を見上げた。
「……信じているだけじゃ、だめなのか。」
彼は思い返した。
毎日祈っている。仏の教えも信じている。
それなのに、日常の中では、感情に流され、言葉で人を傷つけ、楽な方へと逃げる自分がいた。
――戒とは、単なるルールじゃない。
――生き方そのものなのだ。
だが、釈尊の言葉は、そこで終わっていなかった。
「信と戒があっても、布施を行わなければ、まだ具足とは言えない。」
マハーナーマは、そこで初めて、胸の奥に何かが引っかかるのを感じた。
「布施……?」
彼は少し考えた。
お金を寄付することだけが布施ではない。
時間、言葉、労力、思いやり――すべてが布施なのだ。
けれど、自分はどうだろう。
誰かに与えるよりも、奪われないことばかりを気にしていなかったか。
自分の安心、自分の評価、自分の都合――そればかりを守ろうとしていなかったか。
そのとき、彼は別の一節を思い出した。
――徳がなければ、修行は続かない。
――徳がなければ、因縁を断つ法も、途中で止まってしまう。
マハーナーマは、苦笑した。
「確かに……やる気が続かないのも、周りとうまくいかないのも、
自分の徳が足りなかっただけかもしれないな。」
ふと、道ばたの花壇に目がとまった。
誰かが種をまき、水をやり、雑草を抜いたのだろう。
小さな花が、静かに、しかし確かに咲いていた。
――種をまかなければ、花は咲かない。
――与えなければ、返ってこない。
その単純な事実が、今の彼には、ひどく重く、そして優しく響いた。
「信じるだけじゃ足りない。
守るだけでも足りない。
与えて、はじめて、道になるんだ。」
マハーナーマは立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。
今日から、何かを変えようと思った。
大きなことではなくていい。
誰かの話を、ちゃんと最後まで聞くこと。
見返りを求めず、手を差し伸べること。
自分の正しさより、相手の苦しさを先に見ること。
それが、信であり、戒であり、布施なのだと、今はわかる。
彼の歩みは、まだ不器用で、遅いかもしれない。
それでも――
与える一歩は、確実に、彼自身の人生をも変えていく。

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