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普賢菩薩と文殊菩薩

 

普賢菩薩と文殊菩薩

 

――三尊・沈黙
夜明け前。
空はまだ色を持たず、世界は呼吸だけをしていた。
菩提樹の下に、釈迦如来は坐している。
何かを待つ姿ではない。
待つという概念そのものが、すでにほどけている。
その右に、白象が静かに膝を折る。
普賢は地に降り、両足で土の冷たさを受け止めた。
左には、獅子の影。
文殊は剣を抜かず、ただそこに在る。
三者の間に、言葉はない。
必要がないからだ。
風が吹く。
葉が揺れ、闇がわずかに後退する。
その動きのすべてが、釈迦の呼吸の中にある。
文殊が、視線を上げる。
剣は膝の上に横たえられたまま。
切るべきものは、今は存在しない。
普賢は、足元を見つめる。
ここから、無数の道が分かれていることを知っている。
どの道も、正しく、どの道も、苦を含む。
釈迦は、目を閉じているのか、開いているのか、
誰にもわからない。
沈黙の中で、問いが立ち上がる。
誰のものでもない問い。
――なぜ、救うのか。
文殊の指が、わずかに剣の柄に触れる。
問いを切れば、答えは出る。
だが、その答えは誰も背負えない。
普賢の胸に、歩みの衝動が生まれる。
だが、まだ動かない。
今は、坐す時間だ。
釈迦は、何も言わない。
だが、その沈黙は、拒絶ではない。
――救いは、外から与えられるものではない。
その理解が、言葉にならぬまま、場に満ちる。
夜が、完全に明ける。
鳥が一声、鳴く。
その瞬間、釈迦が、ほんのわずかに息を吐いた。
それだけで、すべてが整う。
文殊は剣を取り上げ、しかし振るわない。
切るべきは、常に「今」だと知っているからだ。
普賢は立ち上がる。
歩くべき時が来た。
釈迦は、二人を見送らない。
見送るという行為すら、すでに分離だからだ。
ただ、在る。
智慧は、沈黙として坐し、
慈悲は、行いとして立ち、
真理は、切られず、壊されず、
世界の底で静かに呼吸する。
三尊は、そこで解ける。
形を失い、役割だけが残る。
そして人の世界では、
ある者は問いを持ち、
ある者は歩き、
ある者は、理由もなく坐す。
それでいい。
悟りとは、完成ではない。
この沈黙が、今も続いていること。
ただ、それだけなのだ。

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