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弥勒は、まだ来ない 弥勒菩薩――

 

弥勒は、まだ来ない
弥勒菩薩――

 

梵にマイトレーヤ、慈しみから生まれた者。
釈迦の次に現れると約束された未来仏。
五十六億七千万年後、この世界に再び仏が立つと、人は言う。
だが、その時間はあまりに遠い。
太陽が燃え尽き、地球が静かに死を迎えるのと、ほぼ同じ長さだという。
つまり――

弥勒は「来ない仏」である。
少なくとも、今を生きる者の時間には、現れない。
この状態を、後になって人は「死神がつく」と呼ぶのだと知った。

解決という語は、すでに意味を失っていた。
残っていたのは、「死ぬ」という単語だけだった。
それは意志ではなく、重力のように身体を下へ引いていた。
夜明け前、わたくしは梁を見上げていた。
――ここだな。
そう思った瞬間、視界の隅で、棚の端がわずかに揺れた。
いや、揺れたのではない。
こちらの視線が、偶然そこへ触れただけだ。
棚から、小さなものがはみ出していた。
理由もなく、わたくしは立ち上がった。
その立ち上がりが、どれほど異様な行為であったかを、
そのときのわたくしは知らなかった。
それは経巻だった。
指先に乗るほどの、あまりに小さな経。
古びてもおらず、かといって主張もなく、
ただ、そこに「在った」。
死は、そこで止まった。
消えたのではない。
ただ、次の一歩を踏み出さなかった。
――生きよう。
そう思ったのではない。
そういう状態に、戻されたのである。
東の山の端が、わずかに白み始めていた。
わたくしは朝日に向かって合掌した。
祈りというより、確認だった。
「もし、これが虚ではないなら」
「わたくしを、もう一度、使ってほしい」
声に出した誓いは、空気の中でひどく頼りなかった。
その後の三年間、わたくしは働いた。
必死に、という言葉は正確ではない。
ただ、止まらなかった。
気がつけば、負債は消えていた。
経の功徳を、信じたからではない。
信じてしまった、という方が近い。
人に伝えようとは思わなかった。
宗教を始めるなど、思考の外にあった。
ただ、生きていた。
弥勒菩薩は、今も兜率天にいるという。
須弥山の上空、仏教世界の中央で、
次に救うべき衆生のことを思い続けている。
右足を曲げ、左膝に乗せ、
右手の指を頬に当てて思惟する半跏思惟像。
あれは、未来を思い悩む姿だと言われる。
だが、わたくしには、こう見える。

――まだ来られないのではない。
――来なくてよいように、誰かが生きているのだ。

弥勒が現れない世界で、
弥勒の役目を引き受ける人間が、
名もなく、静かに立ち上がる。

それが、慈しみの正体なのかもしれない。

オン・マイタレイヤ・ソワカ。
弥勒は、まだ来ない。

だから今日も、この世界は――
人の手に、委ねられている。

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