人道 ―― 迷いの重さを知る地蔵
私は、人の道に立っている。
泣く者の声は、ここでは大きい。
願いは言葉になり、後悔は理由を欲しがる。
人は、自分の苦しみに意味を与えなければ耐えられない。
墓前で手を合わせる者の多くは、死者のためではない。
生き残った自分を、許してほしいのだ。
私は何も言わない。
ただ、重さを受け取る。
その重さを、少しだけ軽くするために。
錫杖は鳴らさない。
人は音がすると、答えを探してしまうから。
二、天道 ―― 満ち足りた者を見送る地蔵
私は、天の道を見ている。
ここでは人々は、苦しんでいるとは思っていない。
幸福は当たり前で、時間は無限だと信じている。
だから私は、立っているだけだ。
警告もしない。
引き留めもしない。
落ちるときは、音がしない。
気づいたときには、もう地に近い。
そのとき、私は下で待っている。
誇りも、光も、すべてを失った姿を、
それでも拒まないために。
三、修羅道 ―― 怒りを燃料に歩く者の前で
私は、争いの道に立つ。
ここでは、正しさが刃になる。
勝った者だけが、正義を名乗る。
剣を振るう者は、皆、何かを守っているつもりだ。
だが守っているのは、ほとんどが「自分の像」だ。
私は、怒りを止めない。
怒りは止められないものだから。
ただ、その先に立つ。
怒りが尽きた場所で、
「それでも歩くか」と、黙って問うために。
四、畜生道 ―― 言葉を持たぬ命のそばで
私は、言葉のない世界にいる。
ここでは、理由は存在しない。
生きるか、死ぬか。
追うか、逃げるか。
それでも、恐怖はある。
安心もある。
人が「下等」と呼ぶこの世界で、
私は最も多く、触れられる。
撫でる手。
叩く手。
抱きしめる腕。
どれも、私は拒まない。
命は、評価されるために生きてはいないから。
五、餓鬼道 ―― 満たされぬ渇きの中で
私は、飢えの道にいる。
口に入れても、砂になる。
手に入れても、失われる。
欲は、罰ではない。
だが、終わりを忘れた欲は、牢になる。
私は施さない。
施しは、渇きを深くすることがある。
代わりに、宝珠を見せる。
光らない宝珠を。
「満ちるとは、こういうことだ」
そう言わずに、ただ持つ。
六、地獄道 ―― 炎の中で代わりに立つ地蔵
私は、最も下にいる。
叫びは意味を失い、
苦しみは時間になる。
裁きは行われる。
だが、私は裁かない。
私がするのは、身代わりだ。
苦しみの一部を、引き受ける。
一度でも、
思い出されたなら。
一度でも、名を呼ばれたなら。
私は、その炎の前に立つ。
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ
これは救済の言葉ではない。
約束でもない。
ただ、
「あなたは、ひとりではない」
という、大地の声だ。




