信仰の系譜
そのころのわたくしは、信仰というものを、まだ言葉として信用していなかった。
ただ、準胝観音の名が、夜の底でときおり浮かび上がる。それだけであった。
仕事は破綻した。
怠惰の報いでも、放蕩の結果でもない。
むしろ、正しくあろうとしたことの積み重ねが、逆に身を締め上げた。
負債は静かに、しかし確実に増殖し、電話の呼び鈴は、もはや音ではなく、圧力となって耳に貼りついていた。
死を考えたのは、理屈ではない。
思考が止まったあとに、自然に残ったものが、死であった。
父が使っていたという、田圃の中の工場跡へ入った。
壁は煤け、梁は低く、昼でも薄暗かった。
そこは、考えるための場所というより、考えが剥がれ落ちる場所であった。
二日、三日と過ぎるうちに、世界は縮んだ。
視野は狭まり、闇は濃くなり、ついには、目の前の空気だけが現実となった。
この状態を、後になって人は「死神がつく」と呼ぶのだと知った。
解決という語は、もはや意味を失っていた。
残っていたのは、「死ぬ」という単語だけである。
それすら、意志ではなく、重力のように身体を引いていた。
夜明け前、梁を見上げながら、
――ここだな。
そう思った瞬間、棚の端が、視界の隅でわずかに動いた。
いや、動いたのではない。
こちらの視線が、偶然そこへ触れただけである。
棚から、小さなものがはみ出していた。
理由もなく、わたくしは立ち上がった。
この立ち上がりが、どれほど異様な行為であったかを、そのときのわたくしは知らない。
それは、経巻だった。
指先に乗るほどの、あまりに小さな経。
古びてもおらず、かといって主張もなく、ただ「在った」。
死は、そこで止まった。
消えたのではない。
ただ、次の一歩を踏み出さなかった。
――生きよう。
そう思ったのではない。
そういう状態に、戻されたのである。
東の山の端が、わずかに白み始めていた。
わたくしは、朝日に向かって合掌した。
祈りというより、確認であった。
「もし、これが虚ではないなら」
「わたくしを、もう一度、使ってほしい」
声に出した誓いは、空気の中でひどく頼りなかった。
その後の三年間、わたくしは働いた。
必死に、という言葉は正確ではない。
ただ、止まらなかった。
気がつけば、負債は消えていた。
経の功徳を、信じたからではない。
信じてしまった、という方が近い。
人に伝えようとは思わなかった。
宗教を始めるなど、思考の外にあった。
ただ、この流れを、自分のところで止めてはいけない。
その感覚だけが、確かだった。
身体は、再び壊れ始めた。
荒行を重ね、痛みは増したが、恐れはなかった。
行の途中で死ぬなら、それも一つの終わり方だと思えた。
人は、わたくしを救う者だと思ったかもしれない。
しかし、違う。
わたくしは、ただの通過点である。
救いは、人から人へ渡るのではない。
「入ってしまう」ものなのだ。
わたくしが救われ、
誰かが救われ、
また誰かが、理由もなく立ち上がる。
その一瞬のために、
わたくしは、今日も合掌する。
信仰とは、選ぶものではない。
ふと、目に入ってしまうものである。




