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〈仏舎利の光 ──ある求道者の告白〉

 

〈仏舎利の光 ──ある求道者の告白〉

夕刻の堂内は、深い琥珀色に沈んでいた。静寂が満ちる中、僧籍を持たぬ男・亮真は、ひとり仏舎利塔の前に坐していた。
塔の中心には、スリランカより拝受したという真正仏舎利──釈尊その人の御聖骨が、透き通るような光をたたえて鎮座している。

亮真は目を閉じ、胸の奥で自らの歩んできた道を反芻する。彼が信仰の源流を遡り始めたのは、十年前、師から一冊の阿含経を受け取ったことがきっかけだった。

――出家者は三十七道品を修し、在家の者は仏舎利を礼拝する。
――これこそが、お釈迦さまの説かれた本来の信仰の姿である。

その言葉が、若き日の亮真の胸を撃った。
以来、彼は多くの寺院を巡礼し、祈り、学び、そして悟った──。

「日本の仏教に奇蹟が消えたのは、仏舎利を本尊として仰がなくなったからではないか」

そう信じざるを得なかった。歴史を振り返れば、古より仏舎利の供養によって、無数の信徒が救われ、霊験を得てきた。
しかし現代はどうだろう。形ばかりの信仰、教義だけが残り、肝心の“生ける仏”への帰依が忘れ去られている。

そんな折、思いもよらぬ知らせが亮真の元に舞い込んだ。
スリランカより真正仏舎利を拝受できる、というのだ。

「人間がいかに望み、計画しようと、到底叶うはずのないことだ」
師はそう言った。
しかしその奇蹟は、あまりにも自然に、導かれるように実現した。

亮真は思った。
これは偶然ではない。お釈迦さまが、この国に再び“根本仏教”を示そうとされたのだ。
阿含経を広め続けてきた功徳が、この奇蹟を呼んだのだ、と。

以来、亮真は仏舎利の前に膝を折り、命を預けるようにして祈り続けている。

「帰命頂礼──仏舎利尊」

額を塔前の石に触れさせるたび、彼は思う。
いま自分は、生ける釈尊のおみ足に触れているのだ、と。

時代は末法。正法は久しく遠く、像法もまた終わりを迎えた。
実物ではなく、影像ばかりを崇める時代──それが今である。
だが釈尊は、未来の人々を見捨てたりしない。

末法の世を救う本尊は、仏舎利しかない。
信じる者にストレートに功徳を与える、生きた仏。

亮真はもう迷わない。
仏舎利の前に座すたび、胸の奥に鈍い光が灯り、言葉にならぬ確信が湧き上がる。

「宝生解脱の功徳は、必ずこの身に及ぶ。
末法の世でも、仏舎利の光は人を救う──」

堂内に響くのは、彼の低い祈りの声。
外では夜風が梢を揺らし、遠い古代の息吹のようにざわめいていた。

 

 

 

 

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