輪転生联想法
輪転生联想法
それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニ ・ングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と駆舗は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。
夜明け、
まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。 その刹那、
「ああッ!」
と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眼前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!
という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈擦とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、 この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。
「そうか!」
私は力いっぱい膝をたたいた。
「そうか! これが明星だったのか!」
私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した
第三の発見視床下部の秘密
私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、 若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、はじめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか? そのとき私は、 祖父の顔をゆびさして「ピン目がこわい!」といって泣いたそうである。
そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきってお
り、私はふだん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎 源 靖之(祖父の名)の目に、ひとたまりもなくちぢみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが
――――、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろう。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思わず竹刀をとり落としたりするときはつらいとは思ったが、苦にはならなかった。配金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと火が出て、ブーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のはずである。
その火なのだ。そのときの私の視野をかすめた閃光はせんこう
しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。
あの火はあのときの火とおなじだ。そして目から火が出ると同時に面金のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような気がしたのだが――、しかし、目から火が出る”ほどのこの衝撃は、いったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか?
私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。同時あかりに頭の深部にある音響が聞こえはじめた。私は、またさっきの痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっくり」にそれをやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じなかった。そうして頭の内奥の上部に“明星”がふたたびまたたいた。
まさに――、私の脳の内部に一大異変が生じていることにはまちがいはなかった。しかし、それはどういう異変であろうか?
それは一種の化学反応によるショックであったのだ。
しんおうししょうか脳の深奥、「視床下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、間脳の内部の視床下部にあった。ここが秘密の原点だったのである。
私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、 これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思われるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私があえてそれをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。
◎すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。そしてここが、
ヨーカでいタブテーマ・ランドラ(梵の座)であり、サハスラーラ・チャク
ラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、松果体ではない。視床下部が、サハスラーラ・チャクラなのである。もっとも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったのであろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれども、サハスラーラ・チャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であっ視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御する。それでは、なにをもって統御するのかというと、もちろんそれは神経”である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まっている。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラーを創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたるつよいエネルギーを集中した。その結果、ここの神経線維にただけたことと思う。いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成戦ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。 (そのいずれであるかは別として、霊視・霊聴、ホトケの環形といった霊的な一大異変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれであるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星をまたたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聡明法の成就である。求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の変革であったのだ。
(『密教・超能力の秘密』 平河出版社)




