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世界が注目するハラリ教授が示した、「新しい疾病」を解決してしまう者の正体

神が創りたもうた人間をコンピュータが理解することはできないのか

AI革命とは、コンピューターが速く賢くなるだけの現象ではない。それに気づくことがきわめて重要だ。この革命は、生命科学と社会科学における飛躍的発展によっても勢いづけられる。

人間の情動や欲望や選択を支える生化学的なメカニズムの理解が深まるほど、コンピューターは人間の行動を分析したり、人間の意思決定を予測したり、人間の運転者や銀行家や弁護士に取って代わったりするのがうまくなる。

過去数十年の間に、神経科学や行動経済学のような領域での研究のおかげで、科学者は人間のハッキングがはかどり、とくに、人間がどのように意思決定を行なうかが、はるかによく理解できるようになった。

食物から配偶者まで、私たちの選択はすべて、謎めいた自由意志ではなく、一瞬のうちに確率を計算する何十億ものニューロンによってなされることが判明した。自慢の「人間の直感」も、実際には「パターン認識」にすぎなかったのだ。

優れた運転者や銀行家や弁護士は、交通や投資や交渉についての魔法のような直感を持っているわけではなく、繰り返し現れるパターンを認識して、不注意な歩行者や支払い能力のない借り手や不正直な悪人を見抜いて避けているだけだ。

また、人間の脳の生化学的なアルゴリズムは、完全には程遠いことも判明した。脳のアルゴリズムは、都会のジャングルではなくアフリカのサバンナに適応した経験則や手っ取り早い方法、時代後れの回路に頼っている。優れた運転者や銀行家や弁護士でさえ、ときどき愚かな間違いを犯すのも無理はない。

これは、「直感」を必要とするとされている課題においてさえAIが人間を凌ぎうることを意味している。もしあなたが、AIは神秘的な「勘」に関して人間の魂と競う必要があると考えているのなら、AIには勝ち目はないだろう。

だが、もしAIは、確率計算とパターン認識で神経ネットワークと競うだけでいいのなら、それはたいして手強い課題には思えない。とくに、AIは「他者についての」直感を求められる仕事では人間を凌ぎうる。

歩行者がいっぱいの通りで乗り物を運転したり、見知らぬ人にお金を貸したり、ビジネスの取引の交渉をしたりといった、多くの仕事は、他者の情動や欲望を正しく評価する能力を必要とする。あの子供は今にも車道に飛び出そうとしているのか?

スーツを着たあの男性は、私からお金を巻き上げて姿をくらますつもりなのか? あの弁護士は脅し文句を実行に移すつもりか、それとも、はったりをかけているだけなのか?

そうした情動や欲望は非物質的な霊によって生み出されていると考えられていたときには、コンピューターが人間の運転者や銀行家や弁護士に取って代わることがありえないのは明白に思えた。というのも、神が創りたもうた人間の霊を、コンピューターが理解できるはずがないからだ。

「雇用の喪失」はITとバイオテクノロジーの融合から発生する可能性

ところが、じつは情動や欲望が生化学的なアルゴリズムにすぎないのなら、コンピューターがそのアルゴリズムを解読できない理由はない。そして、それをホモ・サピエンスよりもはるかにうまくやれない道理はない。

歩行者の意図を予測する運転者や、お金を借りようとする人の信頼性を評価する銀行家や、交渉の場の雰囲気を測る弁護士は、魔術を頼りにしたりはしない。

本人は気づいていないが、彼らの脳は、表情や声の調子、手の動き、さらには体臭まで分析して生化学的なパターンを認識している。適切なセンサーを備えたAIなら、人間よりもそのすべてをはるかに正確かつ確実にやってのけられるだろう。

したがって、雇用の喪失の恐れは、情報テクノロジー(IT)の興隆からのみ生じるわけではない。ITとバイオテクノロジーの融合から生じるのだ。

機能的磁気共鳴画像法(fMRI)スキャナーから雇用市場までの道は長く曲がりくねっているが、それでも数十年のうちにはたどり終えられるだろう。

今日、脳科学者が扁桃体と小脳について突き止めている事柄が、2050年にはコンピューターが人間の精神科医やボディーガードを凌ぐことを可能にするかもしれない。

このようにAIは、人間をハッキングして、これまで人間ならではの技能だったもので人間を凌ぐ態勢にある。だが、それだけではない。

AIは、まったく人間とは無縁の能力も享受しており、そのおかげで、AIと人間との違いは、たんに程度の問題ではなく、種類の問題になった。AIが持っている、人間とは無縁の能力のうち、とくに重要なものが二つある。接続性と更新可能性だ。

人間は一人ひとり独立した存在なので、互いに接続したり、全員を確実に最新状態に更新したりするのが難しい。

それに対してコンピューターは、それぞれが独立した存在ではないので、簡単に統合して単一の柔軟なネットワークにすることができる。

だから、私たちが直面しているのは、何百万もの独立した人間に、何百万もの独立したロボットやコンピューターが取って代わるという事態ではない。個々の人間が、統合ネットワークに取って代わられる可能性が高いのだ。

したがって、自動化について考えるときに、単一の人間の運転者の能力と単一の自動運転車の能力を比べたり、単一の人間の医師の能力と単一のAI医師の能力とを比べたりするのは間違っている。人間の個人の集団の能力と、統合ネットワークの能力とを比べるべきなのだ。

新しい疾病の認定や新薬の開発の情報を、一斉に共有して解決してしまう存在

もし世界保健機関(WHO)が新しい疾病を認定したり、研究所が新薬を開発したりしたら、こうした進展を世界中の人間の医師全員に知らせることは不可能に近い。

それに対して、たとえ世界中に100億のAI医師が存在し、それぞれが一人の人間の健康状態をモニターしていたとしても、そのすべてを瞬く間にアップデートでき、それらのAI医師はみな、新しい疾病や薬についての自分のフィードバックを伝え合える。

このような接続性と更新可能性の潜在的な恩恵はあまりに大きいので、少なくとも一部の職種では、「すべての」人間をコンピューターに取って代わらせることが理に適っているかもしれない―たとえ個別には、機械よりも腕の良い人間がいくらかいたとしても。

個々の人間をコンピューターネットワークに切り替えたら、個別性の利点が失われるとして、異論を唱える人がいるかもしれない。たとえば、一人の人間の医師が判断を誤っても、世界中の患者を殺すこともなければ、すべての新薬の開発を妨げることもない。

それに対して、もし医師全員が本当は単一のシステムにすぎず、そのシステムが間違いを犯せば、大惨事になりかねない。とはいえ実際には、統合されたコンピューターシステムは、個別性の恩恵を失わずに接続性の利点を最大化しうる。

同じネットワークで多くの代替アルゴリズムを作動させることが可能だ。だから、辺鄙(へんぴ)な密林の中の村にいる患者は、自分のスマートフォンを使って、単一の権威ある医師ではなく、実際には100の異なるAI医師にアクセスできる。

それらのAI医師の相対的な実績は、絶えず比較されている。IBMの医師に言われたことが気に入らなかった? 大丈夫。たとえあなたがキリマンジャロの斜面のどこかで立ち往生していたとしても、いとも簡単に百度(バイドウ)度の医師と連絡を取って、セカンドオピニオンが聞けるから。

おそらく、人間社会が受ける恩恵は計り知れない。AI医師は何十億もの人に、これまでよりもはるかに優れた医療をはるかに安く提供できるだろう。

とくに、現在は何の医療も受けていない人々には。学習アルゴリズムと生体(バイオメトリック)センサーのおかげで、発展途上国の貧しい村人さえもが、現在、世界で最も裕福な人が最も進んだ都会の病院で得るものよりもはるかに優れた医療を、スマートフォンを通して享受できるようになるかもしれない。

したがって、人間の仕事を守るためだけに、交通や医療のような分野での自動化を妨げるのは愚行だろう。

なにしろ、最終的に守るべきなのは、職ではなく人間なのだから。余剰になった運転者や医師は、何か他にすることを見つけるしかない。

 

 

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