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きよめられた聖者

1 きよめられた聖者・須陀洹――脳ホラーキーのバランスをとりもどす

る。 すまいあやまりぽんのりさきにのぺた大脳辺縁系脳・新皮質脳を殺す修行とは、この二つの脳が生み出す(あるいはこの二つの脳がいだいている)迷妄と妄想とそこから生ずる畑悩を抹殺する修行である。ひと口でいうと、こころのまよいとけがれを一掃する修行である。その修行が須陀洹の階梯でおこなわれ

グルは、特殊な瞑想と実践とをもって、修行者のまよいとけがれを取り去る。仏教でいう「虹倒世界」(理解のしかたがさかさまであること。実相の世界とかけはなれた虚仮の世界を実相の世界と思いあやまり執着すること)は、大脳辺縁系脳・新皮質脳がおかすまちがいである。それは「脳ホラーキー」のアンバランスが生み出す迷妄なのである。

さきにのべたように、人類はここ数千年間、新皮質脳による世界をつくりあげてきた。霊的世界を抹殺してしまい、霊的世界の存在を認識する間脳を閉鎖してしまった。現象世界と霊的世界

し 、実践したのだ。 七科三十七道品の成仏のカリキュラムとは、そういう方法なのである。わたくしはそれを発見

ひいてきがいてきつぎに、「きよめられた聖者」は、いまのべた内的なものだけではなく、外的にもきよめられなければならないのである。

それはどういうことかというと、自分の持つ「霊的なけがれ」もとりのぞかなければならないということである。

霊的なけがれとは、自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケのことである。これをことごとくとりのぞかなければならない。

多くみるのである。 くりかえしよこし自分にかかわりのある不成仏霊・霊障のホトケを持っていると、それらが持つ邪まな性格や想念の影響からのがれることができないのである。さらにおそろしいのは、それらの不幸な存在がたどった運命の、「運命の反覆」をするおそれがつよいのである。「運命の反覆」とはカルマの反覆にほかならない。これが最もおそろしいのである。これは修行者にかぎらず、ふつうの人の生活においても、悲惨な人生をおくった霊障のホトケの人生を、そのまま反覆するケースを非常に

世界的な心理学者で、フロイト、ユングのあとをうけてあらわれたあたらしい心理学、「運命心理分析学,家族的深層心理学」(Schicksalsanalyse)の創始者リボット・ソンデイ博士は、「家

 

 

旅的無意識」により、「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が子孫の恋愛、友情、職業、疾肩、および死亡における無意識的選択行動となって、個人の運命を決定する」と説いた。これが 「運命の反覆」である。わたくしは、この「運命の反覆」が、霊的現象をともなって特に顕著にあらわれるのをつきとめている。

つまり、ソンデイ博士のいう「家族的無意識」とは、霊的にいうと、不成仏霊・霊障のホトケということになるとわたくしは確信するのである。くわしいことは、拙著『チャンネルをまわせ』『守護霊を持て』(以上、平河出版社)を読んでいただきたい。

この不成仏霊と霊障のホトケの排除は、修行者自身では不可能なので、このとき、霊力あるグルの助けが必要なのである。この霊的な「きよめ」がないと、修行者は一歩も進めない。この霊的な「きよめ」によって、聖者、須陀洹は誕生する。

霊光の発生

聖者須陀洹は、また、「預流」の聖者、「逆流」の聖者ともよばれる。

「預流」とは、あたらしく聖者の流れに入った(預)という意味であり、「逆流」とは、生死・ 因縁の流れに逆う聖者という意味で、つまり、凡夫であるかぎり生死・因縁の流れのままに生きてゆくよりほかなく、その流れに逆うことはできない。須陀洹は、その流れに逆う、つまり、生

 

 

死・緑の法則から超越する聖者である、という意味である。

ところで、わたくしは、須陀置が「流」とよばれ、「預流」とはあたらしく聖者の流れに入った者、という意味であると知ったものの、どうして須陀洹になると聖者とよばれるのか、その理由がわからなかった。まあ、そういうものなのだろうくらいにうけとっていたのである。ところが、霊眼を持つようになって、すぐにその理由がわかったのである。

それは、須陀の境界に入ると、特殊な霊光が生じるのである。あるいは、その特殊なオーラが生じたから、須陀洹になったということなのであろう。

ご承知の通り、人間のからだをとりまく特殊エネルギーの雲、つまり、『オーラ」の概念は、 何十世紀もむかしにさかのぼる。聖人をえがいた古い絵は、キリスト教徒が光輪を考え出すずっと以前から、聖人たちが光りかがやくものの中に立っているのを示している。東洋の仏像は二十世紀もむかしから、光輸・光背というかたちで表現している。神秘的な性質を持つこのもやは、 ロンドンの聖トーマス病院のウォルター・キルナーによって最初に研究された。かれは、一九一一年に、色ガラスのスクリーンを通して見ることによって、ほとんどの人のからだのまわりに約六インチのかがやいた縁を見ることができた。かれは、このオーラはそれを身につけている人の心の安らぎに応じて、形や色を変えると主張した。かれは、それを医学的診断の補助として用いて、著名になった。

つづいて、ケンブリッジの生物学者、オスカー・パグナルは、オーラを物理学によってつかもうどした。かれは、コールダール染料であるジシアニンまたはビナシアノールの溶液をとおしてしばらく読めることで目を増幅させると、オーラはずっと容易に見えるようになると主張し、さらに、これをもっと容易にするために、トリエタノールアミンに溶かした染料をみたすことのできる中空のレンズのメガネを設計した。

さらに、ソ連の電気技師のセミヨン・キルリアンは、かれの妻と二十五年かかって、二つの電極間に、毎秒二〇万回も大花放電して振動する高周波電場をつくり出す特殊な機械装置をつくった。一九六四年、この装置は完成され、ソ連政府の援助のもとに、この装置を使った研究計画が開始され、多くの成果をあげはじめた。『生物学や超心理学の多くの分野で大きな変革を起こしそうである。電気的なオーラは、地位を確立したのだ』と、ライアル・ワトソンはその著書『ス ―バー・ネイチュア』(蒼樹書房)で書いている。

オーラは霊気であって、電気ではないとわたくしは思うのだが、電気を用いた装置でとらえることは可能であるかも知れない。聖者は、特殊なオーラをからだ全体、とくに頭上に放射している。須陀摂のオーラは、青い、すきとおったきよらかな光のもやである。やや力の弱い感じがするが、一見、きよらかさに打たれる感じがする。わたくしが須陀洹を「きよめられた聖者」とよぶのは、そこからきているのである。

第三章第三の目をひらく228

 

 

 

227型者への四つの階梯

 

 

第三章 間脳開発—————第三の目をひらく226

 

 

 

225

聖者への四つの階梯

 

 

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-聖者への四つの階梯

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