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空海が唐の地で曼荼羅

 

空海が唐の地で曼荼羅に出会った瞬間、それは単なる宗教的理想ではなく、「生きる道」として彼の胸に宿りました。時を経て現代においても、曼荼羅は私たちの生活の中に静かに息づいています。それは、人と人との関係を慈しむ倫理であり、心を整える瞑想の指針であり、創造の源となる芸術の法則であり、多様な存在をひとつに統合する宇宙の地図でもあります。

その道を歩む私たちに、曼荼羅は行いの智慧も教えてくれます。ひとつは、如来に手を合わせ、供養の徳を積むこと。ふたつは、正しい教えに感謝し、その徳を深めること。みっつは、聖なる修行者たちを敬い、供養の行を続けること。この三つの善根は尽きることなく、私たちを静かな覚醒へと導きます。

さらに、仏の深い願いは、末法の時代に生きる私たちを救うため、法身が変化して仏舎利となり、その霊跡は世に数多く存在します。その中でも「法身駛都如意宝珠尊」は、無限の慈悲をもって私たちを導き、あらゆる悪業を断ち切ります。この仏舎利が安置される地には、人々の心は安らかに、疫病や苦しみ、災いは近づきません。もし真心をこめて礼拝し、供養すれば、仏舎利はそこにとどまり続け、深い慈悲と神秘のはたらきに満ちた宝塔として私たちを見守ってくださいます。

曼荼羅も仏舎利尊も、私たちに「生きるための地図」として、日常の一瞬一瞬を祈りと供養の場に変え、空海の時代から現代まで、普遍の道を示し続けているのです。

 

 

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