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いながよ古代神法——————息吹き永世の法

いながよ古代神法——————息吹き永世の法

また、わたくしは古代神法も修行して、神界最高の法である息吹き永世の法も体

得している。祖霊から神を生み出すには、自分が守護神より高い神格にならなければできない。それには、息吹き永世の法を行なう必要があるのである。わたくしは、息吹き永世の法を中心とする古代神法により、神力加持をもって神を生み出すことができるのである。

息吹き永世の法とは、古代の神々が用いた秘法である。

日本列島に神霊の気がみちみちていた時代、神々が用いた霊法があった。

いぶ ながよこれを「息吹き永世の法」という。

わたくしはこの法について、いまから三十数年前、一九七二年発行の『密教・超

この橋密のかけ橋であったとわたくしは前の橋で私が修行していた修行法をいう)は、古代ヨーガンを

で、つぎのようにのべている。

この橋(当時私が修行していた修行法をいう)は、古代ヨーガと密教の秘密のかけ橋であったとわたくしは前の文章で書いたが、さらに、わがくにの古代神道にまでその道が通じていたとは、さすがのわたくしにもまったく思いがけぬことであった。

古代神道に、「息吹き永世の法」(または息吹き長代ともしるす)と称せられる秘法があった。一種の呼吸法であるが、“神人合一”の秘術として、 代々、皇室につたえられていた。一部民間にも伝承されたが、いつの時代からか、消滅してしまったのだ。戦乱の時代、皇室衰徴のときに絶えたのであろう。名のみ残って、実体の法は無く、ゆえに幻の秘法とされてきた。こう

いうことは、よくあることで、たとえはちがうが、足利時代にさかんであっ

守護神を持て

かいもくた「田楽の舞」などがそうである。舞の型はのこり、絵図などもあるが、一本足の竹馬に乗って舞う技術が、いったいどのようなものか皆目わからず、 いまはただその竹馬に片足をかけて舞うだけであるという。

息吹き永世の法も、それで、わたくしも以前、修行中に、これが息吹き永世の法であるという二、三の法に接したが、世にいうほどの秘法とも思われず、さりとて、わたくしにもそれが本当のものであるか、そうでないかを見きわめるほどの神道の素養もなく、そのまま過ごしてきたことであった。

ところが、クンダリニーの覚醒に際して、わたくしは、まったく思いがけず、この息吹き永世の呼吸法を発見したのである。

息吹き永世の法の特徴は、この法成就するや、寒熱自在の息を長嘯す、とあるように、定に入ると、凍るようにつめたい息と、熱風のように熱い息とを交互に、自在に吐くのである。 この、寒熱自在の息は不思議な力があっ

て、法の通りにこれを息吹くと、いかなる病気も、怪我もたちどころに痛みが去り、快癒におもむくとされている。瀕死の病人にむかい息吹くとき、神の新鮮な生命力を吹きこまれて、たちどころによみがえり、元気充実す、という。おかしたる罪けがれも一切浄化される。天地四方にむかって息吹くときは、悪霊、怨念、低級の霊、すべての障害が消滅して、天下太平が実現す

「る。「是レ神ノ息吹キ也」とある。修行者が常時これを修行すると、神人合一して三〇〇歳の長寿を得るという。

いまから三十年も以前に書いたものであり、また、他の法について書いた参考程

度に説明したものであるから、ごく簡単にのべてある。しかし、おおよそのことはおわかりいただけたものと思う。

ひと口にいうと、神智・神力を獲得する特殊な修行法である。

太陽神(天照大神はその具象化の一例)を念じて特殊な観法・呼吸法の鍛練をす

るので、わたくしは、これを「太陽の法」と名づけてもよいのではないかと思って 「いる。ノストラダムスの予言詩にある「日の国の法」とは、日本の古代神法「息吹

「き永世の法」なのである。 じかやくろうちゅうわたくしは、その後、研鑽を重ねて、この法を自家薬籠中のものにした。息吹き 「永世の法を完全に自分のものにしたのである。これによって、わたくしは、念願としていたこのたびの法を完成することができたのであった。息吹き永世の神法を身につけなかったら、それは絶対に不可能であった。

以上、守護神を授ける三つの法について、それぞれの果たす役割も含めてのべたが、厳密には、明確に区別できるものではない。いや、皆さんに理解できるように明確に説明するのがむずかしいというのが正確である。霊界のことは霊妙不可思頭、わたくしたちの世界と同じように考えられないところがあるからである。あえ

頭、わたくしたちの世界と同じよっし

ていえば、ある意味、三つの法は補完し合う関係と言ってもいい。それゆえに、仏陀釈尊の成仏法、チベット仏教の秘法、古代神法を完全に体得できて初めて、守護神をお授けできるようになったのである。そのための二十年であった。

守護神のお力とは

にちにちこれころじっ日々是好日

ている。

守護神をお授けするにあたり、わたくしは、拝受者に対してつぎのように指導し

「守護神をいただいたからといって、突然、大金を儲けるとか、仕事で大成功をす

るとか、そういうことを期待してはいけない。守護神の務めは、病気や災難に遭わずに、家族そろって円満平安に暮らせるようにすることを旨とする。禅宗でいう、

いわゆる『日々是好日』という毎日を授けるのが、守護神の役目であって、大儲

するようなことは、かえって不幸の種になる。だから、そういうことはお願い! いて、日々の暮しを守ってくださることをひたすらお願いするように。そうすば、守護神は安全に、安楽に、楽しく暮らせるようお守りくださるわけである。

突然、仕事が成功したり、大金持ちになったりすると、ろくなことがない。必その反動が来て、不幸せになることは間違いない。だから、僥倖を頼んではいない。一家そろって明るく楽しく、病気をせず、けが、過ちのない、そういう曲で楽しい生活をお守りくださる守護神であるから、それをひたすら願って、一命にお仕え申す。それが心がまえである」 ざようこう

守護霊より守護する力が強まった守護神である。守護霊がお授けくださる徳に 「て紹介した「長者の十徳」などより、はるかに見劣りがするではないか。えー・

んだか守護神さんて、地味だなぁと落胆する向きもあるかも知れない。

 

 

 

公告仙尼今当

第二

 

 

 

 

 

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