阿含経
林の奥深く、朝霧がまだ漂うころ。
若い修行者・アジャタは、僧院の庭を掃きながら、どこか上の空だった。
信仰も、戒律も、布施も、聞法も、修行も……すべては一応やっている。
──そんな慢心が、彼の心の片隅にあった。
そのとき、師である老僧・カッサパが彼を呼び止めた。
「アジャタよ。お前、教えを聞いて、何を得たというのか?」
アジャタは胸を張って答えた。
「はい、私は信じ、守り、施し、聞き、修行しております!」
カッサパは静かに首を振った。
「聞いた教えを、持っておるか? 心にとどめ、己を変えておるか?」
アジャタは答えに詰まった。
教えを聞いても、それを日々の心に刻んではいなかった。
ただ形ばかりをなぞっていたのだ。
老僧の声は厳しかった。
「耳で聞くだけなら、風と同じだ。心に刻み、己を律し、そこから深く法を観よ。さもなくば、何年いても無意味だ。」
アジャタは地に額をすりつけ、深く悔いた。
「どうすれば、心に教えをとどめることができましょうか……」
カッサパは答えた。
「勤め励め。怠ることなく、時に応じて法を聞け。尊ぶ心を失わず、耳と心を一つにせよ。聞いたならば、持て。持ったならば、観よ。観たならば、深き義に至るだろう。」
その日から、アジャタは変わった。
朝も夜も、掃除の手を止めては、師のもとに座った。
師が語るひとこと、ひとことを、まるで水を求める砂漠の者のように吸い取った。
やがて、教えはただの音ではなく、アジャタ自身の血となり、骨となった。
小さな欲望が立つたびに、教えの言葉が彼を戒め、
怒りが燃え上がるたびに、戒律の誓いが彼を押しとどめた。
月日が流れた。
ある朝、カッサパは静かに微笑んだ。
「アジャタよ、ついにお前は、教えを持ち、深く観る者となったな。」
若き修行者は深く一礼した。
その額には、もはや迷いはなかった。




