その他すべての日本の仏教がお祀りして拝んでいる仏は、観念上の仏
で、実在の仏ではない。
世にある薬師如来もまた架空の仏である。創作経典上に現れるだけ の仏である。何らの救済力もない空想上の仏に過ぎない。
薬師如来を表に立てる釈迦、 秦師、準低、三身即一の如来はそうではない。
この三身即一の薬師如来は、現存の仏陀である釈迦の成仏法とブータン仏教の霊法を綜合した完全仏教の秘法によって開眼され、準胝如 来の救済力を持ち、病苦の衆生を救う。
病に苦しむ者多き現代に、まさに渇仰すべき仏である。
この三身即一の薬師如来のお力の偉大なところは、身体の病だけでなく、心の病に苦しむ衆生をも救うというところである。
私は若い頃、結核を思ったが、いちばん苦しかったのは、病気その ものの苦しみより、病気からくる様々な悩みだった。病床に臥したま ま、あと数年で死ぬのか、万一治ったとしても一生廃人で過ごさなけ ればならないのかと妮践する。また、経済的に困る、家族に迷惑をか ける、職場を離れて勤められなくなる、そういった悩みの方がよっぽど苦しい。
この三身即一の薬師如来のお力の偉大なところは、身体の病だけで
悩んだ末に、結局、宗教に行きついた。
そして、「病気は仕方がない。しかし病気から生ずる悩み苦しみに、
死ぬまで取り憑かれて問々とするのはかなわない。悩みは一切思わないことにしよう。治らなかったら、治らなかったでいいじゃないか。 生きているうちは、その日その日を楽しく過ごそう」と決意し、お経 を読んだりして、努めて心を平静に保つようにした。すると不思議なことに、身体の方も良くなり、だんだん病気が治っていったのである。
病気や色々な境遇の苦しみから救われようと思ったならば、まず回 心、心の向きを変えるということが大切なのである。
宗教、信仰というものは、心の病を治すところから入ってゆく。心 が変わらずして、身体や境遇が変わることはない。だから、病気が苦 しいから信仰に入ったという人は、まず、心構えから変えてゆくとい うことである。
「病気が治る」と一言でいうが、病気が治るということは因縁が切 れる、因縁が変わるということである。因縁のもとは自分の心なのだ から、自分の心を変えてゆかなければならない。
この病気の因縁のもととなる心を変え、身体の因縁を断ち切るお力 を授けてくださるのが三身即一の薬師如来なのである。




