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求聞持聡明法

かつて仏陀がなし、ナーガールジュナ、フサンガがなし、空海、覚がなしたよう に、だ。そうでなければ、密教は、所詮、観念の遊戯、自己満足の域を脱せぬことになろう。 それを救うのが、この求聞持聡明法である。

求聞持聡明法・その秘めたる可能性

求聞持法はいくつかの可能性を持つ。

その最大のものが、即身成仏を成就させることであるが、そのほかにも、この法 は、人間を開発・改造する数多くの可能性を秘めている。

この法は、伝えられているような、ただ単に記憶力が増強してものおぼえがよくなるといった程 度のものではないのである。尤も、修行のしかたでは、その程度で終る場合もあるであろう。しか し、修行・訓練のしかたにより、想像を絶する能力を身につける可能性を持っているのである。い ままで、この法は、密教の専門家でさえ、伝説的な呪術まがいのものとしか見ず、あまり重視して それは認識不足というものである。この法は、無限の可能性を持つ。その可能性の 大部分は、まだほとんど秘められたるままである。われわれはこれを発掘して世に出さなければな らない。この法によって十分に訓練されたとき、人類はおそらく生まれ変わってしまうだろう。か れらが、どんなに高度の知性を持ち、どんなにゆたかな感性を持って、どんなに進歩した社会を創 造するか、想像するだけでもわたくしは昂奮を禁じ得ないのである。

-そういう理解力が出てくるのだ。そうして、その理解力は演譯、帰 納の方法を用いて推理を積み重ねてゆくというより、むしろ直感的に全貌がわかってしまうという 場合が多い。さきに直感的にわかってしまって、あとから分析してゆくということのほうが多いのだ。

この法を成就すると超人的な頭脳となる。実際、どれほどの頭脳になるのか、 間時の解力成就者であるわたくし自身(桐山)、けんとうがつかない。というとおかしく聞こえ るであろうが、この法を成就して超人的頭脳になったといっても、成就した瞬間にいっぺんにあら ゆる知識の所有者である万能者的頭脳になったというわけではない。知識はやはり学習によって習 用しなければならないのである。学習しないことは知識にならないのである。但し、理解力と推理 力が非常に高度になるから、その習得は実にスピーディになり、かつ、いわゆる一を聞いて十を知 るというように、極度に増幅されたものになる。その理解力は、ふつう人の三、四倍になるのでは なかろうか。そうして、どういう領域の知識でも、おどろくべきスピードで理解吸収していってし まうのである。

そういうわけで、どんな分野のどんな知識でも片はしから運びしてゆくことができるのであるが、人間の脳というものはそのようにして成熟してゆくものであり、求聞持法成就者としてのわ たくしの脳は、推定六歳から七歳程度のものなのである。幼稚園児から小学校一年生くらいのとこ ろであろう。わたくしはいま五十代半ばであるから、九十歳くらいになって、求聞持脳二十歳くら いになるのではないかと思われる。その頃がわたくしの知能活動の最盛期になるであろうと思う。 六、七歳のいまのわたくしにはけんとうがつかないのである。

疲れを知らない脳

求聞持脳の最大特長は、全く疲れというものを知らないことである。

そぶいがわけで、どんな分難のどんな知識でも片はしから理解要にしてゆくことがでめなのであ

るが、人間の脳というものはそのようにして成熟してゆくものであり、求聞持法成就者としてのわ たくしの脳は、推定六歳から七歳程度のものなのである。幼態園児から小学校一年生くらいのとこ ろであろう。わたくしはいま五十代半ばであるから、九十歳くらいになって、求聞持脳二十歳くら いになるのではないかと思われる。その頃がわたくしの知能活動の最盛期になるであろうと思う。

六、七歳のいまのわたくしにはけんとうがつかないのである。 求聞持脳の最大特長は、全く疲れというものを知らないことである。

疲れを知らない脳 脳の休養は「睡眠」であるが、求聞持脳はひとたび活動をはじめると、休養 しないでいつまでもはたらきつづけようとする。人間がなぜ眠るかという睡眠についての学問的定 親はまだないようである。ただ、われわれが一定時間起きていると、活動している脳や筋肉の緊張 度が次第に低下してきて、極端に低下すると意識を失って倒れてしまう。その倒れた状態が眠りな のであって、眠っている間は、筋肉と大脳は最大弛緩している。このとき心臓や消化器官などもそ れぞれ平休息状態になっている。こういう状態が一定時間つづくと、今度はそれらの筋肉や臓器が 動を要求しはじめる。これで眠りからさめるということになるので、要するに眠りとは脳を中心 とした全身の休養である。ところが、求聞持脳は、一つのことに集中しはじめると非常に耐久力が つよくて、なかなか休養をとろうとしない。つまり眠らないのである。眠りを必要としないのであ るわたくしの例では、毎日平均三、四時間くらいの脈眠状態の上に三昼夜くらいの徹夜はふつう である。それら、まだつづければつづけられるけれども、それでは内臓のほうが参ってしまうので、 やむを得ず十のへんでいるのである。

 

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