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ラグビーワールドカップ2019 日本大会 プール  イングランド vs. トンガ

 

  1.  む 退場者を出した2チームのうちの一つであり、その性質ゆえにラグビー界最高の祭典でここまで強い印象を残すことができずにいます。

しかしながら、このレベルでウェールズを破ったフィジーやサモアのように、RWC 2011大会ではフランスを下し、大会史上最大の衝撃の一つを演じた国でもあります。

その時のフランスは、なんとか落ち着きを取り戻して決勝へ進出し、優勝寸前までいっています。それを見てもトンガの勝利の大きさが分かりますし、帰国時に国で英雄として迎えられて賞賛されましたが、それだけのことは成し遂げたと言えます。

http://www.worldrugby.org/photos/266926

不安定なスタート

トンガがRWCで一勝を挙げるまでには6試合かかりました。1987年の第1回大会では全敗で、次の大会へは予選突破できませんでした。1995年大会ではフランス、スコットランドに大敗スタートで、ようやくコートジボワール戦で連敗を止めますが、WTB Max Brito選手が悲劇的な負傷を負ってしまうという、忘れられない試合になりました。

1999年大会でトンガは、レスターのウェルフォード・ロードでイタリアに28-25の勝利を挙げて主要国からの勝利を挙げます。当時のチームはEpi Taione選手、Sililo Martens選手、Sateki Tuipulotu選手ら著名な選手を揃えていました。しかし、悲しいかな、他のプール2試合ではチームは力を発揮できず、ニュージーランドに9-45で敗れ、トゥイッケナムではイングランドの13トライの猛攻に遭い、10-101の大敗を喫して大会を終えました。

RWC 2003年大会では初戦のイタリア戦を12-36で落とした後、トンガはウェールズの肝を冷やす戦いを見せて20-27で惜敗します。しかし、そこからトンガは下り坂となり、ニュージーランドに7-91で一蹴されると、カナダに7-24で敗れて大会を終えました。

オーストラリアでは多くの点で残念なパフォーマンスになりましたが、それが変化を促すことになりました。2007年大会までに、トンガは過去最高のチームを集め、Finau Maka選手、Hale T Pole選手、Viliami Vaki選手、Nili Latu選手といった国際舞台で知られる正真正銘のスターが顔を揃えます。トンガはアメリカに自信に満ちた25-15の勝利で予選を始めると、サモアに19-15で競り勝って太平洋諸島のライバル勢に対して続いていた連敗を9で止めました。

その勝利で予選突破したトンガは、ランスでの南アフリカとの大一番で、世界王者になるチームを相手に固唾をのむような立ち上がりを見せ、あわや番狂わせかという試合を演じます。PRのKisi Pulo選手が44分に衝突から持ち出して、トンガは10-7のリードを奪い、極めて重大な番狂わせを予感させます。しかし、南アフリカが持ち直して75分には30-22で先行。トンガはPierre Hola選手がPG 1本を返して、終盤の猛攻ではトンガがトライ寸前となり、劇的な勝利まであと1歩に迫りました。

残念な結果ではあったものの屈服せず、トンガは自信を持って次のイングランドとのプール最終戦を迎えます。Sukanaivalu Hufanga選手が大会2本目のトライを決めて序盤で10-3のリードを奪い、素晴らしいスタートを切ります。当然ながらイングランドが反撃に出て、50分まで僅差の展開になります。しかし、最後はトンガに疲れが出て、Jonny Wilkinson選手の落ち着いたプレーでイングランドが36-20で勝利を手にしました。

大きな勝利

トンガのRWC舞台での上昇傾向は、2011年ニュージーランド大会でも続き、ウェリントンでの騒動も相まって、プールAでフランスに19-14で競り勝ちます。再びHufanga選手のトライが決定打となり、赤のジャージに身を包んだ6000人の在留トンガ人がスタンドを埋めて声援を送った一戦は、忘れられないものになりました。両チームともプールステージを2勝ずつで終えましたが、ボーナスポイントでフランスが3、トンガは1で差がつき、フランスがオールブラックスに次ぐプール2位で準々決勝に進出しました

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