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龍樹の主な教え

龍樹(ナーガールジュナ)の教えは、仏教において非常に重要であり、特に大乗仏教の中観派(マーディヤミカ)という学派を確立したことで知られています。彼の教えの中心は「空(くう)」という概念です。

### 龍樹の主な教え

1. **空(くう)**
– 龍樹は、「空」という概念を中心に説きました。「空」とは、物事に独立した実体や本質がないことを意味します。全ての現象は、相互依存して存在しており、固定された独自の存在ではない、という考え方です。

2. **中観思想**
– 龍樹は「中道」を重視しました。中道とは、極端な存在論(物事が完全に存在する、または完全に存在しないという考え方)を避けることです。彼はあらゆる極端を否定し、物事の本質を理解するには偏りを避ける必要があると説きました。

3. **二諦説(にたいせつ)**
– 龍樹は「世俗諦」と「勝義諦」という二つの真理を説きました。世俗諦は、日常生活や世間の認識の中での真理を指し、勝義諦は究極的な真理、すなわち「空」の真理を指します。この二つの真理を理解することで、現実を正しく見ることができるとされています。

4. **因果関係の否定と肯定**
– 龍樹は、全ての現象が因果関係によって生じるが、その因果関係自体も空であると説きました。つまり、全ては因果関係によって成立しているが、その因果関係にも実体はないということです。

5. **悟りの道**
– 龍樹は、「空」を正しく理解することが悟りへの道であると教えました。「空」を理解することで、執着や煩悩から解放され、涅槃(悟りの境地)に至ることができると説いたのです。

龍樹の教えは非常に哲学的であり、仏教の思想を深く探求する上で欠かせないものです。彼の思想は、その後の仏教哲学に多大な影響を与え続けています。

龍樹

龍樹(りゅうじゅ、梵: नागार्जुन、Nāgārjuna、テルグ語: నాగార్జునుడు、チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、klu sgrub、タイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い後宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走することができたならば出家しようと決心した。

事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。これを学んだ後、彼はインド中を遍歴し、仏教・非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。

しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮に連れて行って諸々の大乗仏典を授けた。龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った。

龍樹は龍によって南インドへと返され、国王を教化するため自ら応募して将軍となり、瞬く間に軍隊を整備した。王は喜び「一体お前は何者なのか」と尋ねると、龍樹は「自分は全知者である」と答え、王はそれを証明させるため「今、神々は何をしているのか」と尋ねたところ、龍樹は神通力を以って神々と悪魔(阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた。これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した。

そのころ1人のバラモンがいて、王の反対を押し切り龍樹と討論を開始した。バラモンは術により宮廷に大池を化作し、千葉の蓮華の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象を化作し池に入り、鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。

またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。

龍樹の死

 

後 100 年、南インドの人たちは廟を建て、龍樹を仏陀と同じように崇めていたという。

 

巻4第24話 龍樹俗時作隠形薬語 第廿四

今は昔、龍樹菩薩という聖人がありました。智恵は無量、慈悲は広大な方です。俗に在ったときは、外道(仏教以外の教)の典籍を学んでいました。そのころ、二人と示し合わせて穏形の(透明人間になる)薬をつくりました。その薬は、寄生木を五寸に切って、百日間、天日に干したものを使うといわれています。その木を髻に入れれば、隠れ蓑のように人の目にふれなくなるのです。

これを髻に仕込んだ三人は後宮に侵入し、何人もの后妃を犯しました。后たちは、目に見えない者にさわられるので、怖じ恐れて王に伝えました。「このごろ、見えない者が寄ってきてさわるのです」王は智ある方でしたから、思い当たりました。「これは、誰かが穏形の薬を作ってこのようなことをしているにちがいない」
「粉を王宮にくまなくしきつめよ。身を隠すことができる者も、足跡を消すことはできない。行った方向がわかるはずだ」
粉を多く持ってこさせ、王宮内にしきつめさせました。粉とはおしろいのことです。

3人が王宮に忍び込んだとき、粉をしきつめると、足跡が現れました。これと同時に太刀を持った者を多く入れて、足跡のつくところを切らせました。2人は切られました。もう1人は龍樹菩薩です。切られそうになり、后の御裳の裾を引き破ったものをかぶってふるえていました。心の裡に多くの願を起こしました。そのせいかもしれません。2人が切られると、王は「たしかに穏形の者であった、2人であろう」とおっしゃって、切るのをやめさせました。

その後、折を見て、龍樹菩薩は宮から逃げ出しました。「外法を学んでも益がない」として出家し、名を龍樹と改めました。多くの人に崇められるようになりました。

 

龍樹  ナーガールジュナ

龍樹  ナーガールジュナ

**イントロ**
才に恵まれた龍樹の知恵
友と共に快楽に溺れ
後宮の影に忍び込む
美しき者たちを奪う手

**サビ**
影に隠れ、悟りを得た
欲望は苦悩の種となり
清き道へと心を決めて
大乗の教えを広めゆく
中国語で

目連と舎利弗 歌

目連と舎利弗

 

**イントロ**
マガダの地に生まれし二人
目連と舎利弗、共に歩む
自由求めて林へ進む
静かに語る、出家の決意

**サビ**
欲望に惑わされず、真実を探して
釈迦の教えに導かれ、悟りを得る
共に歩んだ道、知恵と信念
仏の光、次世代へと受け継がれる

中国語で

目連と舎利弗

目連と舎利弗

 

マガダ国の首都、王舎城の近くにある小さな村で、目連は生を受けた。彼の父親は王家に仕える大富豪のバラモンで、家は裕福であった。母親は目犍連といい、目連の本名は倶律陀だったが、一人っ子である彼はいつも母の名前から「目犍連子」、あるいは「目犍連」と呼ばれていた。

幼い頃から目連は、親分肌で面倒見の良い性格であった。彼はまた勉学を好み、どんな本もすぐに理解してしまうほどの聡明さを持っていた。成長すると、彼は凛々しく男らしい青年へと成長していった。

隣村には、彼と同年代の舎利弗という青年がいた。舎利弗はとても頭が良く、二人は共に学び、遊びながら親友となった。

ある日、目連と舎利弗は「たまには息抜きをしよう」と一年に一度の大きな祭りに出かけた。祭りは人々で賑わい、誰もが楽しそうに騒いでいた。初めはその賑わいに心が弾んだが、祭りの喧騒の中にいると、自分たちの人生もあのように欲望に振り回され、儚く終わってしまうのではないかという不安が胸に押し寄せてきた。

「これでは何のために生きているのかわからない」

目連と舎利弗は、そう言葉を交わしながら、林の静寂へと歩みを進めた。そして語り合ううちに、彼らは出家することを決意する。二人は、ただ静かに林の中で語り合い、その果てに得た結論を両親に告げるため、家へと帰った。

目連の両親は驚き、反対した。しかし、目連は幼い頃から賢明で、立派な行いをしていたため、両親は彼の意思を尊重し、涙をこらえながら見送ったのだった。

舎利弗も同様に出家の意志を両親に告げた。彼は北インドのナーラカ村でバラモンの家に生まれ、幼名をウパティッサといった。バラモン教の跡継ぎとして期待されていたが、次第にその教義に疑問を抱くようになっていた。

彼らは自由な思考を巡らせ、真実を求める修行者、すなわち沙門としての道を歩み始めた。初めは王舎城で名を馳せていた自由思想家のサンジャヤに師事したが、釈迦の弟子であるアッサジと出会い、その教えを聞いて預流果に達した舎利弗は、目連と共に釈迦教団へと足を向けた。

釈迦のもとで舎利弗と目連は共に修行し、すぐに最高の悟りを得る。舎利弗は釈迦からの信任も厚く、時には釈迦に代わって説法を委ねられることもあった。彼は羅睺羅の師僧を務め、また教団の分裂を阻止する役割を果たすなど、その智慧と指導力は教団の支柱として大いに認められていた。

しかし、外道によって撲殺された目連の後、舎利弗もまた病に倒れ、釈迦の許しを得て故郷へ帰り、母に看取られながら静かに息を引き取った。彼の死後、教団は摩訶迦葉が引き継ぐこととなる。

こうして、目連と舎利弗の物語は、一つの時代の終わりと共に、仏教の教えが次なる世代へと受け継がれていく姿を示すのであった。

 

 

 

生き神様との出会い(歌詞)

### 生き神様との出会い(歌詞)#### イントロ

春の風が運んだ 不思議な呼び声に
剣の道を歩みし 若者は導かれ
古の森の奥 神の社へと
新たな旅路へと 足を進める

#### サビ
夢で交わした 神々の言葉
使命を胸に 未来を拓く
古の絆が 今も息づく
生き神様との 約束を果たす

Encounter with a Living God (Lyrics) #### Intro

A mysterious call carried by the spring wind
The young man who walked the path of the sword is guided
To the shrine of the gods deep in the ancient forest
He sets off on a new journey

Chorus
Words of the gods exchanged in a dream
With a mission in mind, he paves the way for the future
Ancient bonds still live on
Fulfilling a promise with a living god

与活神的相遇(歌词)#### 前奏

春风传来的神秘呼唤

走在剑道上的年轻人被引导

前往古老森林深处的神殿

他踏上了新的旅程

#### 合唱

梦中众神的对话

心中怀揣使命,为未来铺平道路
古老的羁绊依然存在

与活神的约定

生き神様との出会い

生き神様との出会い

物語は、ある春の日のことから始まります。

主人公は、剣の達人である祖父から幼少期に剣道を習い、その道を極めるために努力してきた人物です。その人物が一冊の本を出版した翌年のことでした。観音慈恵会という団体の幹部であった照井愛子さんから、「伊勢の生き神さまと呼ばれている小泉先生が、あなたの本を読み感銘を受けて会いたいとおっしゃっています」との話を聞きました。

主人公はすぐにその提案に興味を持ち、小泉先生に会うことを決めました。剣道の名人であり、還暦を迎えた小泉先生は神道の修行を積んだ後、不思議な力を持つようになり、生き神さまとして名を馳せていたのです。

照井さんに案内されて、主人公は近鉄線磯部駅に降り立ちました。そこには鬱蒼とした木立の中に気に満ちた大きな神社がありました。その神社の近くには、小泉先生の剣道場があり、先生とその美しい夫人に迎えられます。

初めて会ったにもかかわらず、主人公は小泉先生と意気投合し、剣や修行について語り合いました。夜も更けた頃、小泉先生は特別な部屋で休むようにと勧めてくれます。それは、神さまの鎮まります部屋であり、普段は誰も通されない神聖な場所でした。主人公はためらいながらも、その申し出を受け入れ、部屋で瞑想しつつ眠りにつきました。

### 夢の中の再会

深い眠りの中、主人公は夢の中で古代の剣術道場にいる自分を発見しました。そこでは多くの神代時代の服装をした男女が彼の前に集まり、笑顔で彼に挨拶をします。彼らのことを不思議に思うも、同時に全てを知っている感覚に襲われます。

集まった神々と古代語で会話を交わす中、彼は自分が神々と旧知の間柄であることを感じ、親しみを覚えました。彼らは主人公にとって非常に重要なことを伝え、しばらくすると再び一列になってその場を去ります。

目が覚めた主人公は、あの鮮明な体験が夢ではなかったのではと考えますが、朝食の席で小泉先生に昨夜の話をすると、先生は「それは夢ではなく、実際にあったことなのです」と告げます。

### 神集いの真実

小泉先生は、あの神社が伊雑宮、元宮であり、主人公が素戔嗚命の生まれ変わりであることを伝えます。そして、彼が神々に招かれ、神集いに参加したことを教えてくれました。

主人公は、自分がこれから大きな使命を果たさねばならず、多くの試練が待ち受けていることを悟ります。しかし、多くの天津神の子孫たちが彼を助け、最終的には国開きの大事業を成就することになると告げられます。

神人・小泉太志命 伊勢の生き神さま

神人・小泉太志命

伊勢の生き神さま

[桐山]

わたくしと神界の浅からざる因縁それは神人・小泉太志命との出会いから始

この話は、古い信徒諸君なら何回も法話で耳にしているはずであるが、この本の 発刊を機に、改めて本書に納めておこうと思う。

あれは『変身の原理』が刊行された翌年のことであるから、もう三十年以上も昔

いまはもう亡くなられたが、当時、観音慈恵会 (阿含宗の前身)の幹部であった 照井愛子さんという人が、こういう話を持ってきた。

伊勢の生き神さまと呼ばれている小泉先生という方が、先生の『変身の原理』を 読んでたいへん感心され、お会いしたいとおっしゃっておられますが、お会いにな りますか?」

わたくしは、即座にうなずいた。どういう方であるか知らないが、生き神さまと いわれるほどの方ならば、会ってなにか得るところがあるだろうと思ったからであ る。

「お会いしてみたいですね。で、どういう方なんですか? 小泉先生という方は」 「お若いころは剣道の達人で、天覧試合にも選ばれて出たそうです。 のち、神道に 入って修行を積み、いろいろ不思議なお力を持たれるようになって、生き神さまと 呼ばれるようになったのだそうです」

「おいくつですか?」

「たしか、去年、還暦を迎えられたとお聞きしています」

ぜひ、お会いしたいものですね」

六歳のとき、藩の剣術指南番であった祖父に小さな木刀を持たされ、これが稽古 はじめだと言って、持っていた大きな木刀でポンと頭を叩かれ、以来、病床に臥す まで、剣道に励んだ経歴を持つわたくしは、剣の名人と聞いて、特に親近感をおぼ えたのである。

照井さんに案内されて、たそがれどきの近鉄線磯部駅に降り立ったのは、それか 一ヶ月ほどのちの晩春、 葉桜の季節であった。

 

駅を出ると、鬱蒼とした木立の中に、

の気に満ちた大きな神社があった。

もう日の暮れなので、その場で遥拝をし、神社と道ひとつをはさんで向かい合う

小泉先生のお宅に足を向けた。

小泉先生のお宅は、二階建ての宏壮な木造建築で、玄関に立つと、「小泉參剣道場」と雄渾な筆で書かれた看板がかかっていた。

小泉先生は、中肉中背であったが、剣術で鍛えた筋骨たくましく、さらに、眼光 々として、まさに神人と呼ぶにふさわしい気品を放たれていた。若く美しい澄子 夫人とともにわたくしを心から歓迎してくださった。

初めてお会いしたという感じがまったくなく、 応接間で、修行談に話がはずんだ。それは、結構な晩餐の間も続いた。気がつくと、だいぶ、夜も更けていた。

今夜は、桐山先生に、特別な部屋でおやすみいただきます。 これまで、どんな方 がおいでになられても、この部屋だけはお通ししたことがありません。 それは、神 さまの鎮まります部屋だからです。 しかし、桐山先生は特別な方ですから、今夜は この部屋に泊まっていただきます」

小泉先生はそうおっしゃった。

わたくしはびっくりして、

「それはとんでもないことです。そんな貴い部屋にやすむなど、困ります。わたく は道場の片すみで結構です。 そのほうが気楽ですから」

実際、神さまのいらっしゃる部屋などで眠れるものじゃないと思ったのである。 一晩じゅう、正座して合掌していなければならない・・・。

「いや、どうしてもそこにお泊まりください」

小泉先生はちょっと強い調子でおっしゃったので、そのお言葉に従うことにし た。

通された二階のその部屋は、十五、六畳くらいの和室であったが、厚いじゅうた んが敷き詰められ、立派な玉や、宝剣、神器などが奉安され、神々しい気に満ちて いた。

わたくしは、しばらく端座して、瞑想したのち、 床に入った。 間もなく眠気がさ して、深い眠りに入ったようであった。

ふと、目がさめた。

どこだろう?

どこだろう?

あたりを見わたすと、わたくしは、天井の高い、板敷きの剣術道場のような部屋 に座っているのであった。広さは二百坪くらいであろうか、一段高い上段の間に、 わたくしは一人、小さな箱のようなものに腰をおろしているのであった。

再び思う間もなく、部屋の両側の戸がさっと開いて、たくさんの人たちが入っ てきた。一列に入ってくる。

右の戸口から男性、左の戸口から女性である。みな、神代時代の服装である。 男

性は、ミズラを結い、太刀を働いている。女性は首から胸に玉や珠の輪をペンダ ントのように下げている。

男性はみな凛々しく、女性は美しかった。みんなわたくしのほうを見て、明るい 笑顔で笑いかけてくる。 わたくしの前を通るとき、立ち止まって、折り目正しい礼 をする。わたくしも笑顔で会釈し、礼を返す。

不思議なことに、わたくしは、彼ら、彼女らを、すべて知っているのである。 な んという名前で、どういう素性なのか、すべてわかっているのである。みんな、旧 知の間がらなのだ。不思議といえば、いつの間にかわたくしも、彼らと同じ服装を しているのである。これもまた、言葉と同じで、そのときはなんの違和感もないの である。

上段の間に座っているわたくしを前に、彼らは二重、三重の半円をえがいて、座 った。およそ、三、四百人くらいいたであろうか。男性が五人、女性が五人、いつ

の間にかわたくしの背後に座っている。 わたくしは彼らをよく知っている。わたく しの従者なのだ。

いっせいに、彼らは平伏した。

「お久しゅう」

と同音に声があがった。

わたくしはうなずき、 同じ意味の言葉を返した。会話が始まったが、すべて、古 代語神代時代の言葉であった。不思議なことに、わたくしはそれらの言葉を理 解するだけではなく、彼らと同じように口にしているのである。不思議なことに、 というのは、あとになって思ったことであって、そのときは、なんら不思議などと 感じず、当然のこととして会話を交わしていたのである。

そのとき交わした話の内容は、強く記憶していることもあるし、忘れてしまった ものもある。記憶していることは二種類に分類できる。わたくし個人にとって非常

に重要なことと、この世界にとって非常に重大なことと、この二つである。

およそ、二時間くらいたったであろうか、彼らは静かに座を立ち、同音に、「お 元気で」 という意味の言葉を口々にし、戸口に向かった。男は右、女は左の戸口か ら、一列に出ていった。

わたくしは右、左と、交々、手を振りながら、彼らを見送った。 最後の一人が姿 を消したとき、わたくしはふいに意識が朦朧となった。

ふっと、目がさめた。

どこだろう?

のである。

「なんだ、夢か」

もうろう

あたりを見まわすと、わたくしは、小泉參剣道場の神の間の、床の中に寝ている

わたくしは声に出して呟いて、枕もとの電気スタンドを明るくした

しかし、とわたくしは頭を振った。

とても夢とは思えない。 あの部屋の様子も、集まった人たちの一人一人の表情 も、ほんのいま会って別れた人のようにはっきりと思い出されるのである。いや、 板敷きの間の、あの冷えた感触が、腰のあたり、足の裏に、まざまざと感じられる ではないか。 とても夢とは思えない。

しかし、夢であることに間違いはない。

わたくしは、しばらくの間、まじまじと天井を眺めながら、もの思いにふけっ

そのうちに、再びわたくしは眠りに入った。

今度は、なんの夢も見ることのない熟睡であった。目がさめると、 壮快な気分で

あった。洗面して、神棚を拝し、朝の食卓に向かった。

いかがでした? 昨夜はよくおやすみになられましたか?」

小泉先生のお言葉に、はっと、昨夜の夢がよみがえった。わたくしは、箸を置い

「よくやすみましたが、とても不思議な夢を見ました」

わたくしは、昨夜見た夢をくわしくお話しした。

「小泉先生、この夢はどういうことなんでしょうか?」

同じく箸を置き、膝の上に手を置いて、じっとわたくしの話をお聞きになってお られた小泉先生は、わたくしの目を射るような眼光で見つめながら、お答えになっ

桐山先生 それは夢ではありません。 それは、実際にあったことなんです」

とわたくしは絶句した。

「夢ではない……?」

「元宮?」

「なるほど」

「神集い?」

「そうです」

た。

「夢なぞではない。実際に起こったことなんです。あなたは、昨夜、元宮に行っ て、昔の神々とお会いになったのです」

「そうです。 この道場の向こうにある神社のことです。あの神社は、伊雑宮と申し 上げるのですが、ここでは元宮で通っています。 伊勢の皇大神宮は、最初、ここに お祀りされた。のち、伊勢にお遷りになったが、最初、ここにお祀りされた。そこ 元宮と申し上げるのです」

「あなたはそこへ昨夜行かれて、神集いをされたのです」

小泉先生は、強い視線でわたくしを見つめながら、

「あなたは素戔嗚命の生まれ変わりなのです。あなたは昨日、ここに来られた。 そ れは、わたくしがお招きしたわけだが、実際は、神々があなたをお引き寄せになっ たのです。昨夜、神集いされた神々は、みな素戔鳴命の一族郎党たちです。だか ら、あなたは、みな、ご存じのはずなのです。 神集いされて、重大なお話がなされ そう聞くと、あなたは、なるほどとうなずくところがあるはずです」

わたくしの頭の中を走馬燈のように、昨夜の出来事がよみがえり、駆けめぐっ

わたくしは黙ってうなずいた。

桐山先生 あなたは、素戔嗚命の生まれ変わりであるから、国開きの大事業をな さねばならない。そういう使命を持っておられる。 あなたは荒ぶる神として恐ろし

い力を持つ。そして、古きものをすべて打ち破り、新しい秩序をつくり出す。それ あなたの使命なのです。これからあなたはたいへんな苦労をなさるでしょう。 多 くの人が、あなたを敵として攻撃してくる。国津神の子孫たちです。彼らは、天津 神であるあなたを本能的に憎み、滅亡させるために全力を挙げる。 彼ら、 国津神の 子孫たちは、そんなことは知らないが、理由もなしに、あなたを心から憎み、叩き つぶそうと攻撃してくる。一方、天津神の子孫たちは、そういうことは知らないけ れども、理由もなく、あなたを敬愛し、 あなたの味方となって、身命をなげうち、 あなたを助ける。

これから、敵、味方がはっきりします。 国津神の子孫は、すべて敵となるでしょ う。 天津神の子孫は強力な味方となる。 どちらも、そういうことは知らないけれど も、宿命的、本能的に、そうなるのです」

わたくしは、じっと聞き入った。

「あなたは、非常な苦労をされるが、多くの人があなたを助けるから、国開きの大 業は必ず成就するでしょう。 それは、神々の助けなのです。 神々があなたを助ける から、どんな難関も乗り越えて、あなたは大業を成就する。わたくしもまた、これ から、毎夜、神剣を振るって、あなたの大業成就、息災長寿を祈念してさしあげま す

ありがとうございます」

わたくしは、心の底から、お礼の言葉とともに、小泉先生に合掌した。

小泉先生は、最後に、にっこり笑って、こうおっしゃった。

「国津神の子孫たちも、最後にはみな帰伏して、あなたに忠誠を誓うようになるの

です。 それは、歴史を見ればわかるとおりです」

声をあげて、笑われるのであった。

以来、三十数年の歳月が流れた。目をつぶると、あの一夜の記憶がいまもなお、

まざまざと脳裡によみがえってくる。 そしてー。

おもしろいことがあるのだ。

それは、あの磯部の神集いの中にいた顔を、わたくしは、これまでにお会いした 人びとの中に、何人も見出しているのである。 そういう顔は、いまもわたくしの周 囲にたくさんいるし、これからも次々と現れて、わたくしを助けてくれることにな るのであろう。わたくしが、人に会うことが好きなのは、おそらくその顔を発見す ることがとても楽しいからではなかろうか。

神界・仏界からの詔勅くだる

神人・小泉太志命との出会いから約二十年たった、一九九〇年十月九日の未明、

突然、わたくしは神界から詔命を受けた。

しかし、その十年前の一九八〇年、聖地インドの釈尊説法の地サヘート・マヘー トで、わたくしは仏勅を受けていたのである。

この間の状況を簡単に記しておこう。

ひがしの国に聖地をつくれ

小泉先生が発せられた言霊、その神意は、当時のわたくしには計るべくもなかっ 小泉先生との出会いを機に、わたくしは、古代神法を含めていっそう修行を 重ねていた。その一方で、小泉先生とお会いした前後から、わたくしは仕事に忙殺 されるようになっていった。わたくしは、自分自身の因縁を透視し、自分の未来の 予測は、自分なりについていた。 『変身の原理』刊行も、それを機にわたくしの仕 事の範囲が飛躍的に拡大するであろうことも、予測の範囲であった。

 

宗教への旅立ち 信仰の系譜

宗教への旅立ち

逆に生きる

信仰の系譜

宗教への旅立ち

**イントロ**

朝日の光に包まれた静けさに、
絶望の淵で揺れる心の声。
父の工場に響く野心のこだま、
埃にまみれた床で見つけた希望。

**サビ**

過去を償い、再生の道を行こう、
古びた経巻に宿る力を信じて。
新たな朝に誓う、生きる勇気、
共に歩む人々に救いの光を。

 

In the silence of the morning sun,
the voice of a heart shaking at the edge of despair.
The echoes of ambition echoing in his father’s factory,
hope found on the dusty floor.

**Chorus**

Let’s make amends for the past and walk the path of rebirth,
believing in the power that resides in the old sutra scroll.
We swear to a new morning the courage to live,
and the light of salvation to those who walk with us.

在清晨阳光笼罩下的宁静中,
我内心的声音在绝望的深处颤抖。
雄心壮志的回响在我父亲的工厂里回荡。
我在布满灰尘的地板上找到了希望。

**萨比**

让我们为过去赎罪,走上重生之路吧。
相信古老经卷中蕴含的力量。
生活的勇气,誓言迎接新的早晨,
拯救之光给那些一起行走的人。

 

 

因縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のために
なる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。 いまの自分に人のために 何ができるかと考えると、何もない。しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ る。 これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰道を開いてあげよう。 人に尽す道はこれしかないと思った。

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。 債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に据えて いた田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう
な気がした。だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。そのうちに、目の前十 センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。 どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか と、そればかりを考えるようになる。そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな り、とにかく手近にあるもので、バッと死にたくなる。

そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あのあたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが 見えた。ふと好奇心がわいて、「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、 死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確 実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。

とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センチ、厚み一センチ弱の小さなものであった。

この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな っていたのかと、 いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一一部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。

中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」 と、 冬の木 枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身 投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち なさい」 と呼びとめられ、

「あなたは死ぬつもりでしょう」

といわれた。

「いや、死ぬつもりじゃない」

「ウソをいいなさい」

「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」 といった押し問答の末、

とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」 と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。 ご飯を食 べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、

「実は、わたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。 その時、やはりある人に 呼び止められて、「あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるのです」と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。 それで自分も死ぬのを止め、信仰を もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」

と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された ものと同じ経をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。 その後、一生懸命に働いて、つ いには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻 かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危 険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして いたのである。

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった から、素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。 不

思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。 この巻の布施によって、 中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。これは本当にただ事で はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない か、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その刹那、バーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、闇に光が射すかのよ うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。

「死ぬのをやめよう」 「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経 によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお 経を布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。 「どうか私に再起の力をあたえて下 さい。 もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお 経を百万布施いたします」と。

その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった のである。

そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ れを多くの人びとに布施するかということを考えた。要するに、この時考えたことは、う んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分 がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい うことであった。

観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃 は夢にも思っていなかった。

いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。

そうした諸々の経緯を経て、生に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ という気持もあって、どんどん荒行を実行した。

一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命 を実際に見るという経験も積んだ。 したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな っていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などいくらでも集まっ てきたと思う。 しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならないと考え、徹底して誰にも知らせなかった。過去とまったく絶縁することが因縁を切る第 一歩であると思った。 過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業 は消えぬと思ったのだ。

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経 にもとづき、準胝観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。

それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも 坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく 自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。

わたくしは、自分の力で、人を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。 自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる 一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、人を救う ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし たら、その功徳がわたくしにきて、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、 昭

秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単
名前をつけたわけである。 それまで使っていた名刺をひっくり返して、その裏にペンで、名前を書いた。

 

宗教への旅立ち 逆に生きる 信仰の系譜

宗教への旅立ち

逆に生きる

信仰の系譜

りませんよ。結婚する時だって、あなたから、自分は作家になるんだ、貧乏生活は覚悟 していてほしいといわれて、それでいいと思って結婚しました。おれは必ず芥川賞をと る、それがあなたのログセでした。あなたが事業をやっている間じゅう、失敗した時はも とより、成功している時だって、ハラハラし通しでした。自分にないものを一生懸命やっ ているあなたが気の毒に思えたり、腹が立ったりでしたが、あなたの性格で、やるだけや らなければ気がすまないのだから、いつか気がつくだろうと思って見ていました。お父さ んとお母さん、それに子どもたちの面倒はわたくしがみますから、悪いことでない限り、 あなたの思う通りに何んでもおやりなさい。ただし、わたくしの収入は当てにしないでく ださいね」

そこで、わたくしは、もっていた本や背広などを売り、 四万八千円余つくった。 そうし て、横浜の生麦の裏長屋を一軒借りた。 六畳と三畳とお勝手という間取りであった。 いま はもうこの家は残っていないと思うが、もしまだ存在しているのなら、阿含宗の発祥の地 として保存しておきたい気持である。

この長屋は、表通りから入るのに、肩幅ぐらいの狭い路地を通らねばならないから、雨 が降っても傘がさせなかったほどである。

とにかく、そこでわたくしは、それまで趣味としてやってきた運命学、 それに改めて本 格的に取り組み、人びとのために役立てようと決意した。

因縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のために

なる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。 いまの自分に人のために 何ができるかと考えると、何もない。しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ る。 これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰道を開いてあげよう。 人に尽す道はこれしかないと思った。

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。 債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に据えて いた田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう

な気がした。だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。そのうちに、目の前十 センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。 どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか と、そればかりを考えるようになる。そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな り、とにかく手近にあるもので、バッと死にたくなる。

そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あのあたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが 見えた。ふと好奇心がわいて、「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、 死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確 実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。

とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センチ、厚み一センチ弱の小さなものであった。

この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな っていたのかと、 いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一

一部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。

中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」 と、 冬の木 枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身 投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち なさい」 と呼びとめられ、

「あなたは死ぬつもりでしょう」

といわれた。

「いや、死ぬつもりじゃない」

「ウソをいいなさい」

「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」 といった押し問答の末、

とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」 と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。 ご飯を食 べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、

「実は、わたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。 その時、やはりある人に 呼び止められて、「あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるの

です」と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。 それで自分も死ぬのを止め、信仰を もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」

と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された ものと同じ経をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。 その後、一生懸命に働いて、つ いには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻 かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危 険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして いたのである。

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった から、素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。 不

思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。 この巻の布施によって、 中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。これは本当にただ事で はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない か、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その刹那、バーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、闇に光が射すかのよ うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。

「死ぬのをやめよう」 「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経 によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお 経を布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。 「どうか私に再起の力をあたえて下 さい。 もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお 経を百万布施いたします」と。

その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった のである。

そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ れを多くの人びとに布施するかということを考えた。要するに、この時考えたことは、う んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分 がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい うことであった。

観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃 は夢にも思っていなかった。

いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。

きよう

そうした諸々の経緯を経て、生に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ という気持もあって、どんどん荒行を実行した。

一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命 を実際に見るという経験も積んだ。 したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな っていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などいくらでも集まっ てきたと思う。 しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな

いと考え、徹底して誰にも知らせなかった。過去とまったく絶縁することが因縁を切る第 一歩であると思った。 過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業 は消えぬと思ったのだ。

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経 にもとづき、準胝観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。

それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも 坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく 自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。

わたくしは、自分の力で、人を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。 自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる 一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、人を救う ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし たら、その功徳がわたくしにきて、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、 昭

和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単

に名前をつけたわけである。 それまで使っていた名刺をひっくり返して、その裏にペンで、