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agon’Buddha Social group

agon

密教占星術には白虎殺という星がある。この星を持って生まれた人
は横変死する可能性が高い。横変死とは、自殺・他殺・事故死などのことであ
わたくしは、このような死に方をする可能性が高い運命の星を「横変死の因
縁」とよぶが、この因縁を持っていると指摘されている人は、白虎殺を持って
いると考えてよい。
「横変死の因縁」とは、自殺・他殺・事故死のいずれかをまぬがれられない因
縁である。この因縁を持つ人は一日たりとも安心して過ごすことができない。
また、白虎殺に相対する星として、黒虎殺がある。この星を持つ人は人を害
したり、あるいは殺傷するとされている。一連の通り魔事件などの犯人の多く
は、この星を持っていると思われる。
黒虎殺があると、最初は人を殺すという意志をそれほど明確に持っていなく
ても、それがしだいに強くなっていく。同時に、得体の知れない不安に責めさ
いなまれるようになり、最終的には人を殺害し、ようやく名状しがたい不安感
から解放されるのである。
人はだれもが生まれた瞬間から、いくつかの運命の星を持っている。成長す
るにつれて、それらの星の影響がだんだん強くなり、ある時点で発動する。哲学や道徳、あるいは科学でも、これらの星を除去することはできない。それができるのは因縁解脱法だけである。
因縁解説をだれにでもわかる言葉で簡潔に説明するならば、
「因縁解脱とは、持って生まれた悪い運命の星を全部なくしてしまうことであ
となる。 一連の通り魔事件などし、彼らが因縁解説の行によってその星を消滅させていたならば、このような犯罪を起こすことはなかったであろう。その因縁解説の行こそ、解脱宝生行なのである。
わたくしはこの世に生きるすべての人が悪い運命の星をなくし、幸福な人生
を歩むことを願って、解説宝生行を信徒に実践させてきたのである。
しかし、最初にものべたように、解脱宝生行にはさらにもっと深い目的が隠
されているのである

未来社会の。安心いまやわれわれは二つの危機的な問題をかかえているわけである。

一つは、われわれをとりかこむ環境から生ずる抑圧と葛藤、ある。
この二つは、今後ますます
われわれはこれにどう対応してゆくべきか。二つの能力を持つよりほか、方法がない。

もう一つはヽ情報の処理にあたって生ずる心情的ひずみヽつまりヽ潜在意識・深層意識に生ずるつは、増大する情報を迅速機敏に処理し解決してゆく知的能力であるは落伍し、社会は崩壊するよりほかないであろう。
では、われわれは、どのようにしたらこの二つの能力を持つことができるのか?・
教育がそれを果たし得ないことは、すでに現実が証明している。科学もそれをなし得ない。いや
抑圧と葛藤を消滅する情・意(こころ)の能力である。
この二つの能力を持つよりほか、この危機を乗り越えることはできない。そうでなければ、ひと
教育も科学も、むしろ、抑圧や葛藤を深める源泉であることは、いまさらフロイトの言葉を引川するまでもないことだ。宗教、かそれをなすよりほかないのである。
しかし、それも、いままでのような、念仏をとなえ、題目を高唱して仏にすがり、あるいはひたすら神にいのりをささげるといったパターンの宗教では、まったく問題にならない。今後こういうパターンの宗教は、急速にその存在価値を失ってゆくであろう。いままでは、こういうパターンの
宗教でも、存在価値はあった。辛うじて、情意の面においてひとびとに慰安と鼓舞をあたえ、いわ
ゆる″安心”という名のこころの安定をあたえてきた。
けれども、未来社会に生きる人びとの真の。安心”は、いままでとまったくちがって、単に情意の面だけにはたらきかけるだけのものでは得られないのである。未来社会に生きる人びとの。安心“は、高い知的能力がともなうことにより、はじめて得られるのである。それは、飛躍的に増加
するあらゆる情報を的確迅速に処理してはじめて得られる。安心”である。
あらゆる情報を的確迅速に処理するとは、どういうことか? それは、あらゆる問題を的確迅速
に「解決する」ということである。それには、自分自身、かより高度の知能を持つということ以外、方法がないではないか。考えて見たまえ。殺倒する人生の諸問題-仕事・職場の問題、学業の問題、経済的な問題、家庭の問題、健康の問題、その他人間関係全般に関する問題、等々、すべて、
自分自身が処理・解決しないで、いったいだれが解決してくれるのか? それらの問題を解決できないで、あるいはしないで、ひたすら題目をあげ、念仏をとなえ、神にいのりをささげているのは、現実逃避以外のなにものでもあるまい。だが、神サマや仏サマがなんとかしてくがさるというなぐさめでしない。

 

人々は、仏教を、秘教的で、審美的な、自己否定の宗教としてとらえることが多いのですが、あなたの教団では、個人は公益のために自己を犠牲にしなければならないと考えていますか。

いいえ、むしろその反対です。というのは、個人が、感情的に、心理的に、そして
経済的に成功してはじめて、他人の幸福のために本当に貢献をすることができます、
これは、革命的な概念ではありません。フロイドやユングにはじまる西洋の心理学
では、まず自分自身を好きになることができて、初めて他人を好きになれるものだ
と説いています。私もまた、「世界を変える」手助けができる以前に、自分自身の
ストレスや緊張、罪悪感を解消し、その他、20世紀文明の難題のすべてを取り除い
ていかなければならない、と主張しているわけです。いわゆる宗教的見方から個人
の成功についてとやかくいうのは、もう時代遅れであり、自己破壊的であるといえ
ます。私たち宗教指導者は、まず、信徒がその社会においてすばらしい人材となる
よう手助けし、そうして、その人たちが社会を改革していくにあたって、指導して
いくべきだと考えます。
ある西洋の宗教指導者は、富の分配や基本的な経済構造において、思い切った改革をおこなうことに賛同しています。あなたが「世界変革」や「社会の改革」についてお話をされる時、資本主義のシステムは、改変または修正されるべきだとお考えになりますか。
思いません。資本主義だけが物や富をつくり出す力があり、それによって初めて、
いわば、今日、世界に蔓延している4つの悪魔、麻薬、ホームレス、貧困、環境破
壊の諸問題を克服できると思います。
しかし、これまで、私たちはなぜ「4つの悪魔」に打ち勝てなかったのでしょうか。
私か宗教の持つすばらしい力として、個人の成功をあげる理由がそこにあります。
宗教とは、社会に対するしっかりとした意識を待った、経済、文化、政治や知識人
がリーダーである世代をつくり出す手助けをするべきなのです。
ブッシュ大統領が、「千個の明かり」として、より思いやりのある、もっと寛容な
国家像について語る時に意味するものはそれだと思います。政治は、このよりよき
世界をつくり出すという点で、もちろん、大きな機能を持ち、また、組織化された
宗教も同様です。しかしその基本的な役割は、個人が、そして民間の部門が果たさ
なければならない、ということです。しかも、実行するにあたっては、その人が、
個人的な、道義的責任の意識を離れて行動する、ということです。

ではこれまで、阿含宗はこの新しい世代の、ビジネス、文化、政治、そして知識層におけるリーダー創出を
どのように手助けしてきましたか。

まず、背景からお話しさせていただきますと、40年ほど前になりますが、私は精神
的に満足のいく生き方を模索しはじめました。さまざまな既成の宗教団体に入りま
したが、それらは、私の必要としているものとは違っていました。そこで、私は根
本に戻って、ゴータマ・ブッダご自身のことばで綴られた、仏教の原典である阿合
経を勉強し、また同じように、山岳の秘密仏教=密教の修行法を勉強いたしました。
そして、現代の仏教が、古代の求聞持聡明法をいつの間にか失ってしまっていたこ
とに気付いたのです。細かいところは抜きにして、その儀軌の中には、瞑想の要素
とその他の訓練方法が含まれているのです。それは個人の能力に直接作用し、自ら
を進歩向上させ、より頭脳明晰になるというものでした。
10年ぐらい前、私は弟子とともに教団を立て、それを阿含宗と名づけました。その
教義のなかには、これらの重要かつ根本的な、今まさに失われようとしていた仏教
の修行方法が含まれているのです。私か、特にいくつかの日本にある既成の仏教教
団の教祖たちから、あまりよく思われていないことを、あなたぱおわかりになるこ
とと思います。
理由の一つには、阿含宗信徒の40歳か20歳代から40歳代であるということもあるわ
けです。しかも、企業内でも前途有望な若いビジネスマンが多い。阿合宗が、自分
たちが出世コースを上るのに役立っている、と言えるとするならば、この層の信徒
がまず当たるでしょう。それゆえに、まさにこの意味では、私たちは若者のあいだ
で起きている日本における仏教の復興というものに、たいへん貢献しているのです。
これまで、仏教は多くの人々にとっては机上の教えに過ぎませんでした。しかし、
阿含宗は実生活に役立つようにしてきました。

お話をうかがっていますと、信徒さんの多くを、私どもが「ヤッピー」と呼んでいる人たちと同じよう思われますが。

向上する可能性をもつという意味を含む限りにおいては、その言葉を用いることに
問題はないと思いますが、私たちは、彼らに社会的責任の意識を徐々に教えていく
ことも考えております。その意味においては、あなたがたの定義するものとは、異
なっているといえます。 。。

西洋の自己開発訓練と非常に似ていますが、どの点が宗教といえるのでしょうか。

阿含宗の説明を始めるわけではありませんが。私たちの目的と言いますのは、高度
に発達した知能をつくり出すことなのです。それは、環境にダメージを与えない技
術を産み出し、世界平和に貢献し、また宇宙船地球号に乗り合わせた仲間としてお
つきあいしていく心であります。私たちの宗教では、自己救済の面を打ち出してお
りますが、その究極の目標は、もっとも世の中がもっとよくなってからのことです
が、人々が自分の物質的な所有に対する欲望や、この世に対する執着を、コントロ
ールできるようお手伝いをすることです。私たちの根本理念は、世界平和への祈り
と実践を、誓願とするものなのです。

では、世界平和をどのように定義しますか。

世界平和というのは、単に戦争や動乱が無いことではありません。それは、結果と
して、四つの悪魔、すなわち私か申し述べてきましたところの、麻薬、貧困、ホー
ムレス、環境破壊の根絶を意味します。これは、唯一、正しい意味での資本主義に
よってのみなし遂げられることができる、とそのように思います。教育は、この厳
しい戦いのなかでは、明らかに、果たすべき大きな役割を持っています。
ということは、阿含宗のみが、これらの目標に到達するという考えではないわけですね。
明らかに違います。私たちは一国の小さな教団です。それゆえに、私はこれまで、
他の宗教指導者にお会いし、そこから学ぶために、世界中を旅行してきました。教
皇ヨハネ・パウロ2世、ダライ・ラマ貌下、そして、合衆国では、プロテスタント
やカトリック、ユダヤ教の聖職者の方々にお会いする機会を得ました。そしていく
つかの基本的なところで、驚くべき見解の一致を見ました。すなわち世界の物質的
な問題の解決は、最も重要であり、正しい意味での資本主義者/民主主義体制のも
とで、成し遂げられなければならない課題であると、だれしも考えているというこ
とです。しかしまた、それだけでは充分でないということも承知しております。す
なわち、心の持ち方を変えないままに利益を得ても、それは安定したものにも有益
なーものにもなりえない、ということですね。こうした精神的な規範をつくり出すの
は、宗教、そして教育がなすべきことであり、あらゆる国の善良な意志をもつ人々
や哲学者によってなされるものなのです。

阿含宗では、その教義において厳しい戒律に従うことを、信徒に課していますか。

いいえ。喫煙や飲酒を禁正したり、特定の食事法を課したりということはいたしま
せん。基本的に懲戒はございません。神道の儀礼を習慣的におこたっていても、教
団に帰依しているかぎりは、私どもの信徒の出人りは自由です。ご存じのように、
日本人の多くが2つの宗教を習慣的におこなっていますからね。

信仰をするのにとても簡単な宗教ですか。

そうではなく、むしろ世界で一番難しい宗教の一つではないかと考えます。と申し’
ますのは、信仰の指針として正式の戒律を定めていないからです。個々の信徒が自
ら決定し、またそれによって成長していくことが強く求められます。また、信徒お
のおのにも私は申します。まず、あなたの人生において、現実の世界において、人
として成長してもらいたい。しかし、この惑星の生きとし生けるものに対し、自ら
責任を持だなければならない。そして、究極的には、自分の所有欲や、物質世界へ
の執着を制御していかなければならない。そのための戒律を課すことはないが、最
も道徳性の高い態度をもって行動することをあなたに要求する。あなたを裁くこと
はない。しかし、あなたが自分自身を審判することを強く求める、と。阿合宗信徒
は、こうした過程のなかで精神的なジレンマ、矛盾に思えることを処理していくこ
とによって、責任感のある市民となるよう自らを訓練していきます。それは、将来、
人類が生きぬく上で必要不可欠なことでもあるのです。

義務的な質問をさせていただきます。
教団では、寄付その他の方法で一定の額のお金を集めなければなりません。そのお金はどのようになっているのでしょうか。

私たちは、日本の政府によって認可を受けている非営利的な宗教法人であり、その
収入の使いみちについて、すべて詳細に報告しなければなりません。どんなもので
あれ、私や私の家族の誰ひとり、個人的な所有を認められてはおりません。私はそ
のような耐乏生活を、信徒には強要しておりません。また、シーザーの妻ではあり
ませんが、私に疑わしいところがあってはなりません。収入の大部分は、次のよう
なプロジェクトに使われております。日本にある予防医学関連の病院や、寝たきり
のお年寄りのための養護施設。ダライ・ラマ貌下のもとで勉強している若い僧侶た
ちの教育のための奨学金。これは、尊ぶべきチペットの仏教教団がその弟子たちを
維持していくためのものです。さらに1991年に落成する、私たちの新しい総本山。
第三世界において、家の無い、恵まれない人々を救援するためのいくつかのプロジ
ェクト。そしてごく最近では、4つの悪魔と戦うための設立準備委員会を合衆国に
設立するため基金を設け、100万ドルを寄付しました。

それは興味深いですね。阿含宗が、わが国においてホームレス・ピープルに寄付をしていくべきだと考えるのは、どうしてですか。また100万ドルで本当に何かをなし得るとお考えですか。

まず最初のご質問にお答えいたしますが、今日のアメリカの問題は、往々にして、
明日の日本の問題となり得るからなのです。こちらの海岸にたどりつく前に、問題
を解決するためのお手伝いさせていただく、ということです。
100万ドルの意味について言えば、大海の一滴、とるに足りないほど少量です。し
かし、まずは設立準備委員会を発足させ、同じ考えを待った人々の協力をお願いす
る。重要な何かを築き上げることができるのはそれからでしょう。百里の道も一歩
からです。

あなたはもう一つの職業をお持ちで、しかもそれは日本のベストセラー作家であると伺っておりますが。

別の職業というのは正確ではありません。私の執筆活動は、私の見解を明らかにし
たり、思想や根本的な問題についての討議を奨励するための手段であるわけです。
過去20年間にわたって、39冊の本を出したというのは本当です。あるものは、初版
の5万部を含め、発刊して間もなく200万部が売れました。今も、ペーパーバック
で人手でき、年に15、000部が売られております。シリーズとなっているものも、ハ
ードカバーで200万部以上売れました。

宗教と哲学に関するご著書の中で、最近になって、唯一の小説、『1999年一地球壊滅』を書かれましたが、

それについてはいかがでしょうか。
フィクションではありますが、仏陀の教法を知らせ、今日私たちが住んでいるこの
世の中の危機を、日本人に警告するために、小説というかたちで試みてみました。
本の筋書きは、原子力発電所が破壊され、汚染によって地球が壊滅に向かうという
ものです。不幸なことに、それは全くの幻想だとはいえないのです。私たちがっく
りあげてきたこの脆く、こわれやすい世界では、一触即発、そのような事態はいつ
でも起こり得るのです。

もしこのままいけば、私たち人類は、1999年までに自滅すると感じていらっしゃいますか。

私たちが今日、話し合ったような何らかの相互の歩みよりがなければ、です。
『1999年一地球壊滅』の中で、人類の問題の一部として人間の傲慢さとテクノロジーを関連づけて取り上げておられますが。
問題はもう少し複雑です。すでに申しましたように、阿合宗は、高度に発達した知
能を獲得するように人類を訓練することに専念しています。しかし、ある意味では、
私たちはすでにその目的向かって、良いスタートを切っているといえるのです。私
か少年のころは、日本からアメリカヘ行くのに一ヵ月かかっておりました。それが
いまではたったの12時間で旅行できます。これは、優れた知能の所産です。ところ
が、実はここに、私たちは傲慢不遜の罪を犯しているのです。というのは、私たち
の優れた知能は、自分たちを滅亡させることも可能なテクノロジーをつくり出して
しまったからです。もちろん、問題は、技術の進歩に、道徳的、霊的な進化がとも
なわなかったことにありますが。

それについて、われわれは、何ができるのでしょうか。

それは、まさに私たちが話し合ってきたことです。物質的な成功を勝ち取っても、
法律上の問題にはなりませんが、それで終わりというわけではありません。物質的
な成功は精神的な負い目をつくり出しますが、多くの人々は潔くその代償を支払う
ことをしないのです。人間の心は、物質的な欲望をコントロールしなければなりま
せん。けれども、日本でも、また多くの工業国でも、そうではない方向に向いてい
るようです。世界中で、いまそのつけを支払わなければならなくなっているのです。
個人的成功のつけをです。

日本における最近の政治汚職事件は、それより大きな問題の現れでしょうか。国家のモラルの堕落ですか。

政治体制に問題があるのでしょうか。
私は政治家ではありません。政治上の手段として使われるお金をめぐっておこる、
政治的腐敗に対し、一市民として強い反感を覚えますが、宗教指導者としては、ど
の党派についてもコメントはいたしません。

日本人は合衆国についてどのように理解しているでしょうか。

強いて「日本人」の代弁をするなどということはできませんが。第2次大戦の後の
混乱時、あなたの国の寛大な処置に対して、たくさんの日本人がたいへん感謝して
おります。しかしまた、一部には、唯物主義で、非精神的な人々とみる日本人もい
ることも認めます。私も、そうした一般論に陥っていたかもしれません。こんどの
アメリカヘの旅行で、私は間違っていたことに気づきました。ハーレムのワット・
ティー・ウォーカー牧師、ブルックリンのラビ・ウィリアム・クロネール氏、そし
て、ニューヨークのオコーナー枢機卿の代理の方々のように、私かお会いした方々
は、世界中の指導者と同様、私たちがこれまでに論じてきた霊的な問題に深い関心
をお持ちでした。

もうひとつ質問させていただきます。日本の女性は宗教、仕事、政治の分野で、もっと重要な役目を果たす

よう奨励され、また許されるべきでしょうか。

そうです。阿含宗は、男性と女性を平等とみなす最初の仏教教団であると考えます。
私の家内と娘は私の代理人です。日本のビジネスや政治の舞台に、女性はますます
進出してきっっありますが、当然のことながら、真の平等を勝ち取るまでの道のり
は長いでしょう。しかし、合衆国においてもこのことは真実ではないかと思います。

Frustration in the middle of inenne

No matter what you do, people who have this connection go well until seven or eight minutes street, but one or two more minutes will definitely fail. It never comes true

What kind of relationship does a person have?

 

From now on, I will explain the reasoning that people have, and then that kind of reasoning,

It is more than just why there is a human being, because it is here. Be forced to hear

If you ask me why you look like that, then

What do you answer? Because I was born with such a face, I have a face like this

Isn’t it too late to answer? Whatever the cause, various human beings

It is born with a connection and lives with various connections. The phenomenon of the cause

Let’s analyze and explain. If you read the theory without theory, there is always something to think about

I will. Eat eggs, even if you don’t know if the eggs first or the chickens first

It is essential to relish Details will be described later. Here, first, people

Let’s talk about the kind of “relation” that everyone has.

I want to

0 The cause of the decline in household luck

This connection is due to the fact that we are born into a family where family luck is gradually getting lost

It is a reason that

Such people are those who are born in the house where they lived a considerable amount of life until their father or grandfather.

There are many. From the time of my grandfather or my father, I am gradually inclined to find good luck. And then, in my own life

After that, I am even more clearly unlucky. There is considerable ability, talent, skill

But I can not have a place to show it. I can not have such a chance.

Then, I see the person who is inferior to me passing over while misusing my teeth

It will be.

Occasionally when chances are about to come, people get in the way, get in the way, or even

You will lose your chances for unexpected mistakes and illnesses. In short, in a nutshell

It is bad luck. Despite having the ability, it is strange that the meeting is bad and the udadatsu does not rise.

As you get older, you will lose your luck and your life will be worse.

 

To come out of the cause of

Time

@ The cause of the break

That is the reason.

No matter what you do, people who have this connection go well until you get up to 7 or 8 minutes, but

U, I will definitely not be in two minutes. It never comes true. One reason for this

The name, “the life of an imaginary flower,” says, “Seven-fold double-sided, flowers are blooming but Yamabuki’s one of the real fruits.

As with the old song of Yamabuki, the traditional song called “Siki,” Hanasaki, however, does not thrive, and all said that it is a waste flower

It has come from me. They look glamorous to the eye, and empty in their own words. I struggled

As a matter of fact, the harvest of the dice is carried away by people.

Many people with this connection have a strong sense of fortune (life power), and if you are frustrated in the middle,

Work up and frustrate again in seven or eight minutes and stand again

There are a lot of people who live a great life of ups and downs, such as going up and down again.

And in the end, it ends with frustration.

In general, there are two ways in which the connection appears, and the edge is the connection of the person

There are cases that appear in the case and cases that do not appear at all in the character.

Even in the case of the cause of this frustration, this cause appears as it is in the character, and it is very weak.

There is a type of will weakness and, conversely, a type of strong will.

The type of will weakness does not last much after giving up immediately after doing anything. Depression

It is crispy. Academics, occupations, everything is so, it turns around. Literary breakout, weak spirit

It is a line type.

The other one is completely opposite to this one, well-charactered, well-willed, and a hard worker.

However, their strength is not in line with people, they may clash with their superiors, and they can work in harmony with their colleagues.

I will not fail, I will fail. Or, the most important part here,

I make extraordinary mistakes, get misled by people, get disturbed. Also sickness and injury

If something goes wrong, etc., there will always be some kind of failure, and it will

It is

The other day, to the person who visited me, such a person met.

A company employee at age seventy-seven and eight-year-old, who was a good person, but this person had this connection

 

Ru. I heard that I have changed my job eight times so far. It is a hard-working hard-earner type, but

When I think about it and ask, this person works for a top-class financial company, but

If the company is diverted, it will eventually merge with others or be shut down due to poor performance.

It will Returning to the head office, employees who have been at the head office at the same time have moved up considerably.

Because he is not happy with the treatment, he will be sent to a subsidiary company again as a director. Then again,

The company’s company is going to be weird, and so far it has been repeated.

To be on the safe side, it is because the company who this man went to because the management skill of this man is bad

It does not mean that it will be a bad idea (in terms of

Have the skills of Even if this person goes or does not go, the company will be useless

It is. In such a company, this person is in need of a fight.

The coming company is getting weird too, so I came to consult, but it is typical

It was the appearance of the cause of the failure.

In the case of thin-spirit weak-line type, the company will turn from white to white as soon as possible.

However, in the case of a will-willing type, the intention is to work hard on your own and change your company.

Although it is not possible, it will be forced to change in a dynamic manner. that person

The result is the same thing, no matter what your writing, thinking or attitude, etc.

It is a scary place, though it is a reason. I tried a little less than a man or a man, and I thought about it

By the way, if you have this connection, it’s no use. External conditions do not allow.

I always fail and fall.

人はどんな因縁を持つか 

人はどんな因縁を持つか

 これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう因縁というものが、

どうして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれ

るならば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるかと聞かれた場合、

あなたは何と答えるか? こういう顔をして生れてきたのだから、こういう顔をしている

のである、とでも答えるはかないではないか。原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な

因縁を持って生れて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を

分析、解説してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあ

ろう。卵が先に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉

を賞味するにはこと欠かぬのである。詳しくはあとの方で説明する。ここでは、まず、人

間が誰でも持っている「因縁」の種類についてのべよう。

      かうんすいたい

0  家運衰退の因縁

 この因縁は、家運、つまり家の運気が次第におとろえてきている家系に生まれている人

が持つ因縁である。

 こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生れている人が

多い。祖父か父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代にな

ってからぱ、なお一層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるの

だが、それを発揮する場を持つことが出来ない。そういうチャンスを持つことが出来ない。

そうして、自分よりも劣った者が追い越してゆくのを、みすみす歯ぎしりしながら見送る

ことになる。

 たまにチャンスがめぐって来そうになると、人の妨害、邪魔に遭ったり、或いは自分の

思わぬミスや病気などで、せっかくのチャンスを失ってしまう。要するに、一言でいうと

運が悪いのである。実力がありながら、妙にめぐり合わせが悪く、ウダツがあがらない。

年をとるほど運気がおとろえ、生活が悪くなっていく。

 

の因縁から出てくるのが、次に掲げる

     ちゅうと ざせつ

@   中途挫折の因縁

 という因縁である。

 この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あとも

うI、二分というところで必ずダメになる。決して実らないのである。この因縁を、一

名、「虚花の命」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲

しき」という古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというとこ

ろからきているのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労した

あげく、さいごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。

 この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力)の強い人が多く、中途で挫折しては、ま

た立ち上って仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立

ち上って、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。

そうして、結局は、挫折したままで終るのである。

 大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その囚縁が、そのままその人の恍

格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合とがある。

 この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い

意志薄弱の型と、逆に、非常に気のつよい意志強固の型がある。

 意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、ながつづきしない。気うつ

りがぱげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。文字通りの中途挫折、薄志弱

行の型である。

 もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。

然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来

なかったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまっ

てつまらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我

などで手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶ

すのである。

 先日、わたくしを訪ねて来た人に、そういう人がめった。

 四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人に、この因縁があったのであ

 

る。聞いてみると、今までに八回も勤め先を変えているという。意志強固の努力家型だが、

と思って聞いてみると、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に

出向させられると、その会社は、きまって、他に合併したり、業績不振で閉鎖させられて

しまうのである。本社にもどると、同期の社員で本社に居たままの者はかなり上の方に進

んでおり、処遇に困るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまた、そ

の会社がおかしくなる、というわけで、今までがその繰り返しだったというのだ。

 念のためにいうが、それは、この人の経営の腕が悪いために、この人が行った会社がみ

んなダメになるというのではないのである(手腕という点からいえば、むしろ人並み以上

の手腕を持っているのである)。この人が行っても行かなくても、その会社はダメになるの

である。そういう会社に、この人は行かねばならぬような廻り合わせになってしまうのだ。

今度の会社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、というのだが、典型的な

中途挫折の因縁のあらわれかたであった。

 薄志弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして白分から会社を転々とす

るが、意志強固タイプの場合は、自分でぱ一心に努力をして会社を変わるつもりはさらさ

らないのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人

のか字心、思劣、心構えなどに関係なく、結果は結尚おなじことになが、

因縁というものの、こわいところである。精神一到何小か成さざ‘ら人や、と気胆劣てみた

ところで、この因縁を持っていては、所詮、ダメなのだ。外的条件が許さないのである。

つねに転々として挫折する。

 昔から、よく、「人間には誰でも一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運のないでも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるもの

ではない。人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、も

うその人間は一生芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいとこ

ろは、この因縁は必ずその子に遺伝し、その場合、きまって親よりその子のほうが一段と

因縁の度を深めて悪くなってゆくことにあるのだ。

 この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、

 

 

運気不定・浮沈の因縁

という因縁になる。

 これは、運気に根が生じないので、そのため、浮沈変転してとどまらないのである。

 いわば、根無し草の人生である。居住、職業が定まらず、転々とする。一時的に幸運を

得ることがあっても、永続しない。一生、ホームレスか、それに近い境界となる。

 女性の場合、ちゃんとした結婚生活をつづけることが出来ない。再婚、三婚し、しかし

いくら結婚を繰り返しても、決して安定した夫婦生活を持つことは出来ない。

 「色情の因縁」のある場合は、不倫の関係に陥ったり、あるいは売春をする悲惨な因縁で

ある。

 

o  肉親血縁相剋の因縁

 これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。

 この因縁は、肉親の者同士、血縁の者同士が、たがいに運気生命力を損ねあい、傷つけ

あって分散してゆくのである。

 毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助けあい、協力しあってゆく

べき肉親血縁の者が、離散し、孤立して、次第に没落してゆく。

 まさに、家運衰退のあらわれである。

この因縁があると、同居している親子、兄弟など、血縁の噺が、年中不和で詐が絶えな

い。これは、血縁の者同士でお互いの運気(生命力)を損ねあい、傷つけあっているので、

無意識のうちに反発しあって争うのである。この場合、運気を傷つけあうといっても、必

ずしも表面立って争いをするとは限らない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、

相手の運気(生命力)を損ねるのである。それはちょうど、何か目に見えない光線のよう

なものを放射しあって、相手の生命力を傷つけるように思われる。人間の生命というもの

は、自分を守るという自衛本能を持っているから、その本能がはたらいて、無意識のうち

に生命力を結集して相手に反発する。その結果として、相手の何でもないような動作や一

言一句が非常に気にさわる(神経が立っているので)。そこで静が始まるのである。肉親同

士で異常に仲が悪いのぱこのためである。それに加えて財産などの利害関係がからむと、

非常に深刻な争いに進展してゆく。

 この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中に誰か一人、年中病気で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。

 相当の才能、手腕がありながら、常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇

の人、あるいは長年病弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁

相剋の因縁」によって運気(生命力)を剋害されているのではないかを疑ってみるべきで

ある。どちらかの因縁があったら、それを断ち切らぬ限り、いくら努力しても一生空転す

るばかりなのだ。

 この因縁を持つ人、(あるいはこの因縁のある家系)には、必ず、といっていいほど、霊

的な障害がある。つまり、三代か四代前に、その家(またぱ人)を強く恨んで亡くなった

怨念のホトヶがいるのである。

 また、横変死した人の霊障を受けている場食がほとんどである。

 前に述べた「家運衰退の因縁」、「中途挫折の因縁」、「運気不定・浮沈の因縁」は、いず

れも霊障のホトヶより生じていることが多い。

 この霊障を解かぬかぎり、この因縁は、何代でもつづく。

 成仏法によって、霊障のホトヶを解脱成仏させる以外に方法がないのである。

梵字  不動明王

不動明王

梵名はアールヤアチャラナータビジャヤラージ
ブヤ』どどといい、正式には聖不動威怒明王と呼びます。
諸仏は、つねにさ圭ざまな手段をとって、わたしたち衆生をさとりの道へ歩ませようとします。
しかし、なかには、やさしさだけの慈悲では心を変えない、強情な衆生もいます。
こうした尋常な方法ではとうてい救済できないかたくなな衆生に対して、大日如来は叱りつける
という慈悲のかたちをとって教え導きます。’』、大日如来は不動明王に変化し、忿怒の相を
もってあらわれます。忿怒は実は慈悲のきわみなのです。
酉年生まれの守り本尊とされています。

運命学  家運衰退の因縁  Destiny of fate

運衰退の因縁 この因縁は、家運、つまり家の運気が次第におとろえてきている家系に生まれている人が持つ因縁である。 こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生れている人が多い。祖父か父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になってからぱ、なお一層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、それを発揮する場を持つことが出来ない。そういうチャンスを持つことが出来ない。そうして、自分よりも劣った者が追い越してゆくのを、みすみす歯ぎしりしながら見送ることになる。 たまにチャンスがめぐって来そうになると、人の妨害、邪魔に遭ったり、或いは自分の思わぬミスや病気などで、せっかくのチャンスを失ってしまう。要するに、一言でいうと運が悪いのである。実力がありながら、妙にめぐり合わせが悪く、ウダツがあがらない。年をとるほど運気がおとろえ、生活が悪くなっていく。 の因縁から出てくるのが、次に掲げる     ちゅうと ざせつ@   中途挫折の因縁 という因縁である。 この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あともうI、二分というところで必ずダメになる。決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚花の命」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労したあげく、さいごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。 この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力)の強い人が多く、中途で挫折しては、また立ち上って仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上って、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。そうして、結局は、挫折したままで終るのである。 大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その囚縁が、そのままその人の恍格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合とがある。 この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志薄弱の型と、逆に、非常に気のつよい意志強固の型がある。 意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、ながつづきしない。気うつりがぱげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。文字通りの中途挫折、薄志弱行の型である。 もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来なかったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまってつまらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。 先日、わたくしを訪ねて来た人に、そういう人がめった

 

The cause of fortune decline This cause is fortune, that is, the cause of a person born to a family whose home’s fortune is gradually getting lost. Many of these people are born in homes that have lived a considerable amount of time, up to their fathers or grandfathers. From the time of my grandfather or my father, I am gradually inclined to find good luck. And then, after I became my own, I have become even more clearly unlucky. There is considerable ability, talent, skill, but I can not have a place to demonstrate it. I can not have such a chance. Then, I will see Misa-su-gi-shiri and see that inferior ones overtake me. Occasionally when chances come in, you will lose your chances due to people being disturbed, getting in the way, or having unexpected mistakes or illnesses. In short, in a word, luck is bad. Despite having the ability, it is strange that the meeting is bad and the udadatsu does not rise. As you get older, you will lose your luck and your life will be worse. The reason behind this is that there is the following relationship between China and China. No matter what you do, people who have this connection go well until you get up to 7 or 8 minutes, but I’m sure I can’t do anything in 2 minutes. It never comes true. One of the reasons for this is that “life of a false flower” is “flowered flower” as well as the old flowering flower “Nanabei Yae, flowers are blooming but Yamabuki’s, one of the real sad things”. It all comes from the point of being a waste flower. They look glamorous to the eye, and empty in their own words. After all the hard work, the harvest of the harvest is carried by the people. Many people with this connection have strong luck (life power), and if they get up in the middle, they get up and work again, and if they think that they will get stuck in 7 or 8 minutes and stay as they are. Many rise and fall again and again, and many people live a life of ups and downs of the 7th anniversary. And in the end, it ends with frustration. In general, there are two ways in which the relation appears, and there are cases in which the relation is shown in the standard of the person as it is or in the case where it does not appear at all in the character. Also in the case of the cause of this frustration, the cause of the failure appears as it is, and there is a very weak will and weak type, and conversely, a very vicious and strong type. The type of will weakness does not last much after giving up immediately after doing anything. I feel so upset. Academics, occupations, everything is so, it turns around. It is literally a confusing, weak and weak type. The other one is completely opposite to this one, well-charactered, well-willed, and a hard worker. However, their strength is not compatible with people, they collide with their superiors, and they can not coordinate well with their colleagues, and they fail and frustrate. Or, in the most important places here, I make sloppy mistakes, get misunderstood by people, or get disturbed. In addition, there is always some kind of failure, such as a failure caused by a disease or injury, and the chance is broken. The other day, to the person who visited me, such a person met

運命学 

人はどんな因縁を持つか これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう因縁というものが、どうして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれるならば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるかと聞かれた場合、あなたは何と答えるか? こういう顔をして生れてきたのだから、こういう顔をしているのである、とでも答えるはかないではないか。原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な因縁を持って生れて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を分析、解説してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあろう。卵が先に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉を賞味するにはこと欠かぬのである。詳しくはあとの方で説明する。ここでは、まず、人間が誰でも持っている「因縁」の種類についてのべよう。      かうんすいたい0  家運衰退の因縁 この因縁は、家運、つまり家の運気が次第におとろえてきている家系に生まれている人が持つ因縁である。 こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生れている人が多い。祖父か父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になってからぱ、なお一層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、それを発揮する場を持つことが出来ない。そういうチャンスを持つことが出来ない。そうして、自分よりも劣った者が追い越してゆくのを、みすみす歯ぎしりしながら見送ることになる。 たまにチャンスがめぐって来そうになると、人の妨害、邪魔に遭ったり、或いは自分の思わぬミスや病気などで、せっかくのチャンスを失ってしまう。要するに、一言でいうと運が悪いのである。実力がありながら、妙にめぐり合わせが悪く、ウダツがあがらない。年をとるほど運気がおとろえ、生活が悪くなっていく。 の因縁から出てくるのが、次に掲げる     ちゅうと ざせつ@   中途挫折の因縁 という因縁である。 この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あともうI、二分というところで必ずダメになる。決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚花の命」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労したあげく、さいごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。 この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力)の強い人が多く、中途で挫折しては、また立ち上って仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上って、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。そうして、結局は、挫折したままで終るのである。 大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その囚縁が、そのままその人の恍格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合とがある。 この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志薄弱の型と、逆に、非常に気のつよい意志強固の型がある。 意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、ながつづきしない。気うつりがぱげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。文字通りの中途挫折、薄志弱行の型である。 もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来なかったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまってつまらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。 先日、わたくしを訪ねて来た人に、そういう人がめった。 四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人に、この因縁があったのであ る。聞いてみると、今までに八回も勤め先を変えているという。意志強固の努力家型だが、と思って聞いてみると、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出向させられると、その会社は、きまって、他に合併したり、業績不振で閉鎖させられてしまうのである。本社にもどると、同期の社員で本社に居たままの者はかなり上の方に進んでおり、処遇に困るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまた、その会社がおかしくなる、というわけで、今までがその繰り返しだったというのだ。 念のためにいうが、それは、この人の経営の腕が悪いために、この人が行った会社がみんなダメになるというのではないのである(手腕という点からいえば、むしろ人並み以上の手腕を持っているのである)。この人が行っても行かなくても、その会社はダメになるのである。そういう会社に、この人は行かねばならぬような廻り合わせになってしまうのだ。今度の会社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、というのだが、典型的な中途挫折の因縁のあらわれかたであった。 薄志弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして白分から会社を転々とするが、意志強固タイプの場合は、自分でぱ一心に努力をして会社を変わるつもりはさらさらないのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人のか字心、思劣、心構えなどに関係なく、結果は結尚おなじことになが、因縁というものの、こわいところである。精神一到何小か成さざ‘ら人や、と気胆劣てみたところで、この因縁を持っていては、所詮、ダメなのだ。外的条件が許さないのである。つねに転々として挫折する。 昔から、よく、「人間には誰でも一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運のないでも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるものではない。人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうその人間は一生芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、この因縁は必ずその子に遺伝し、その場合、きまって親よりその子のほうが一段と因縁の度を深めて悪くなってゆくことにあるのだ。 この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、 運気不定・浮沈の因縁という因縁になる。 これは、運気に根が生じないので、そのため、浮沈変転してとどまらないのである。 いわば、根無し草の人生である。居住、職業が定まらず、転々とする。一時的に幸運を得ることがあっても、永続しない。一生、ホームレスか、それに近い境界となる。 女性の場合、ちゃんとした結婚生活をつづけることが出来ない。再婚、三婚し、しかしいくら結婚を繰り返しても、決して安定した夫婦生活を持つことは出来ない。 「色情の因縁」のある場合は、不倫の関係に陥ったり、あるいは売春をする悲惨な因縁である。 o  肉親血縁相剋の因縁 これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。 この因縁は、肉親の者同士、血縁の者同士が、たがいに運気生命力を損ねあい、傷つけあって分散してゆくのである。 毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助けあい、協力しあってゆくべき肉親血縁の者が、離散し、孤立して、次第に没落してゆく。 まさに、家運衰退のあらわれである。この因縁があると、同居している親子、兄弟など、血縁の噺が、年中不和で詐が絶えない。これは、血縁の者同士でお互いの運気(生命力)を損ねあい、傷つけあっているので、無意識のうちに反発しあって争うのである。この場合、運気を傷つけあうといっても、必ずしも表面立って争いをするとは限らない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、相手の運気(生命力)を損ねるのである。それはちょうど、何か目に見えない光線のようなものを放射しあって、相手の生命力を傷つけるように思われる。人間の生命というものは、自分を守るという自衛本能を持っているから、その本能がはたらいて、無意識のうちに生命力を結集して相手に反発する。その結果として、相手の何でもないような動作や一言一句が非常に気にさわる(神経が立っているので)。そこで静が始まるのである。肉親同士で異常に仲が悪いのぱこのためである。それに加えて財産などの利害関係がからむと、非常に深刻な争いに進展してゆく。 この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中に誰か一人、年中病気で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。 相当の才能、手腕がありながら、常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、あるいは長年病弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」によって運気(生命力)を剋害されているのではないかを疑ってみるべきである。どちらかの因縁があったら、それを断ち切らぬ限り、いくら努力しても一生空転するばかりなのだ。 この因縁を持つ人、(あるいはこの因縁のある家系)には、必ず、といっていいほど、霊的な障害がある。つまり、三代か四代前に、その家(またぱ人)を強く恨んで亡くなった怨念のホトヶがいるのである。 また、横変死した人の霊障を受けている場食がほとんどである。 前に述べた「家運衰退の因縁」、「中途挫折の因縁」、「運気不定・浮沈の因縁」は、いずれも霊障のホトヶより生じていることが多い。 この霊障を解かぬかぎり、この因縁は、何代でもつづく。 成仏法によって、霊障のホトヶを解脱成仏させる以外に方法がないのである。 子の運気剋する因縁 これは、肉親血縁相剋の因緑ので、親がわが子の命力のである。そのなめ、子供は年中病弱となる。あるいは不具として生まれたり、不具者となったりすたいていは十歳くらいまでに死亡する。 もし、その子が非常に生命力が強ければ、素行が生命れるようになって、幼少にして、家を飛び出す。これは親のそばにいると生命力を削られて、危険なので親のもとを飛び出すようになるのである(もちろん、本人はそのことを知らないがI)。 最近、少年少女の非行問題についていろいろと対策が練られようとしているが、世の親は、こういう因縁のあることに気がついて欲しい。 因縁なんて迷信じやないかなどとバカげたことをいっていないで、自分白身にそういうものがないかどうか、よくよく考えてもらいたい。 父親にしても母親にしても、この因縁があると、子供が必ず異常に反抗する。もちろん、子供の成長期間中に反抗期という期があることは事実だが、この因縁による反抗は異常なのである。これは、前記の肉親血縁相剋の因縁の場合と同じように、自分の生命力を侵害してくるものに対して自衛本能がはたらき、我が生命力を結集して反撃しようとするゆえに一言一句、ことごとく反抗反発するのだ。わが身を守るかわいそうな姿なのである。 私は、いつも、この因縁をもつ親と子を見ると、毛をさか立てキバをむき出して、敵に噛みつこうと必死になっている仔犬の姿を思い出す。 成功者の家庭に素行不良の子がわりに多いのは、他に原因はあるけれども、運気のつよい親はえてしてその運気のつよさが同時に子を剋する因縁をも伴ないやすいため、そういう結果を生じやすいのである。 素行不良の子を持つ親、異常に親の言うことをきかぬ子を持つ親は、根本的な対策の一つとしてこの因縁の有無をまず調べてみよ。この因縁がなければ比較的容易に直るが、この因縁あるかぎり、絶対に直らぬのである。 この因縁は水子の霊障から生じていることが多い。 逆恩の因縁  これは恩を倣で返す因縁である。 これも家運衰退の因縁に根ざすものである。 要するに恩を受けた人(主人,師,上長,取引先、先輩など)をだましだに傷つけたり、とにかく相小に何かしらもその出が刑獄の囚縁を併せ持っていたなら)殺して金品を奪らたりする。そこまでいかなくとも必ず恩義のある人を裏切りそむく。 因縁というものは、必ずしも性格的なものとは限っておらぬので、「恩を仇で返す因縁」を待った者が必ずしも恩を仇で返すような性格を持っているとぱ限らない。中途挫折の因縁を持っている者が必ずしも薄志弱行型の性格を持っているとは限らぬ、と先に書いた通りである(もちろん、持っている因縁がそのままその人の性格になっている人もかず多いが)。 この逆恩の因縁の場合も、性格としては、恩を仇で返すというようなものと反対に、一心に恩義にむくいようとする心がけを持っていて、そのように努力をしながら、かえって結果的には、その恩義を仇にして返すようなことになってしまうことがよくある。例えば、主人(会社)に忠実で一心に尽くすのだが、それがかえって主人(会社)のためにならぬような結果を生む。努力してお得意や取引先をつくると、その取引先が何千万、何億円という不渡り手形を出したり、倒産してしまったりして、主人(会社)に大きな迷惑をかけてしまう、というようなことになる。 女性が持つ因縁である。 という句があ乙が、感心させられる。 大体、自分にとって恩義のある人というのは、自分に好意を待ち、あるいは信用して、自分を引き立て、力になってくれる人である。こういう相手に、無意識とはいえそういう損害をあたえたり、そむいたりするということは、自分で自分の手足をもぐことである。自分の有力な味方を失うことになる。そこで孤立無援となり、人生の失敗者となってゆく。 人を使う人、使われる人も、ともにこの因縁には注意が必要である。 夫の運気を剋害する因縁 夫の運気(生命力)を目に見えぬ力で損ね、削る。といっても、必ずしも、日常生活において夫を尻の下に敷いたり、夫を虐待するというのではない。もちろん、そういう場合もないことはないが、前にも書いたように、因縁というものは性格にあらわれる場合と性格にまったくあらわれぬ場合とがある。この因縁の場合もその通りで、むしろこの因縁を持つ女性はマメマメしく夫につかえる良妻賢母型に多いので始末に困る。江戸川柳に、 「次の間で毒が薬を煎じてる」 この句の意味は、亭主が年中病弱で寝ている、その家をたずねてみると、亭主の寝ている次の部屋で、若い美しい妻君が、甲斐々々しく薬を煎じている。しかし実際は、この美しい妻君が病身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、妻君が薬を煎じているのを、毒が薬を、と皮肉っているわけである。 この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年中失敗したり、渋潜しがちとなる。生命力を削られるところから、運が非常に悪くなるのである。いかに才能、手腕があろうとも、必ず何か一つの不運につきまとわれる。妻君が一心につかえればつかえるほど、夫の運気が悪くなるのであるから厄介である。 世間によくあることだが、立派な妻君を待った夫が、他に女性を作り、その女性よりも妻君のほうがはるかに容色も頭もすぐれているので人が不思議がる例がある。これは、妻君のほうに、この、夫の運気を剋する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、無意識に妻君に反発して、そういう因縁のない運気のおだやかな女性を求め、逃避するためなのである。  中年になってそういうことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕が出来たり、妻君の容色が衰えてきたということも理由の一つにはなるが、根本的には、若いうちは、夫のほうも生命力がつよいので妻の運気剋害にも平気で耐えられているから、それほど感じないが、年をとるにつれて生命力が弱り、憩いの場が欲しくなってくるのである。 この因縁の強いものをもつ女性が、いわゆる「後家運」と呼ばれるもので、色情の因縁のある夫は、前記したように他の女性に逃避し、色情の因縁のない夫は、趣味に逃避したり、仕事に没頭したりして、冷たい家庭となる。 もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。すなわち、後家運と呼ばれる所以である。女性としてしあわせな家庭を持とうと思ったら、まず切らねばならぬ因縁である。   夫婦縁障害の因縁 夫婦縁、結婚生活に障害が起きる因縁である。 なんとなくお互いに性格が合わず、年中不満を待ちあってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭になる。 または、お斤いに愛情はあるのだが、どちらかが病気になって別川をよぎなくされる、とか、什事の関係で別れ別れに住むことになる。シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかぬ、など、とにかく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してしまうというところまではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしているのである。 ‐夫婦縁破れる因縁 この因縁を持っている人は、男女とも、必ず生別か死別をまぬがれない。生別となるか死別となるか、は、相手方の生命力の強弱による。 けいごく刑獄の因縁凶運の時に、必ず刑事事件を起こして、刑務所につながれることになる因縁である。たいてい他の悪い因縁をあわせ持っていて、それらの悪い因縁とからみ合って起きるのせなければ、必ずこの因縁の結果通りとなる。縁者でなく、他人のホトヶであることも少なからずある。 脳障害の因縁 この因縁は、精神病の場合と、精神病でない頭部の障害、の二種に分けられる。 すなわち、精神病(ノイローゼ、脳梅毒など)と、頭部の怪我、または脳溢血、脳軟化症等の病気で、程度の0 い因縁の人ぱ年中、頭痛、肩こり、不眠症などに悩まされる。 肉体障害の因縁をあわせ持つ人は、脳溢血から中気になったり、頭の負傷で手足がきかなくなったりする。脳性小児マヒなどもこの因縁のあらわれである。 二重人格の因縁前記の脳障害の因縁の系列に入る因縁に、この二重人格の因縁がある。酒を呑むと、ガラリと人が変わってしまって、全く別人のようになってしまう。 酒乱はこの円縁である。表而意識がアルコールで麻玲すると、遺伝している潜在意識や深層意識が浮かび出て、別の性格が入れかわって出て来るのである。異常性格・同性愛などもこの因縁である。 この因縁は、家運衰退の因縁にも深い関連があり、二、三代前の縁者で、非常に不幸な、恵まれない死に方をした人か、あるいは、他人で、その家に非常な怨念を抱いて死んだ者のいることが特徴である。 癌の因縁胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人は必ず癌になる。循環器系統障害の因縁心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。 色情の因縁 男女が、異性(同性の場合もある)によって苦しんだり傷ついたりする因縁である。これは、家運衰退の因縁のもととなる因縁である。 また、夫、妻が、その配偶者の色情のトラブルで苦しめられる場合も、色情の因縁があるということになる。 へんぎよう偏業の因縁 職業の上にあらわれる因縁である。 この因縁を持つ人は、宗教家、芸術家、芸能人、裁判官、水商売などが適する。そのどれがよいかは、別の因縁とも照らしあわせてみる必要があるが、とにかくこの因縁のある人は、これらの職業以外につくと絶対に芽が出ない。つまり、適性ということに関係してくるわけだが、そういうことをふくんだ上で、運命的にその職業以外では伸びない、ということである。 職業の適性ということは非常に重大なことで、それゆえに、いろいろな適性検査などが考案されているわけだが、適業、適性、というものは、因縁的に決定されているのである。 人の職業は、大づかみにいって、技術系(生産事業、技術者)、営業系(販売事業、営業、商人)、組織系(官公吏、政治家)の三種に分けられるが、人はみな、それぞれの系列に向く因縁と向かぬ因縁を持っており、向かぬ職業に就いた場合、絶対に芽が出ぬものであるから、注意して選択しないと生涯の不幸となる。 財運・水の因縁  財運がめって、お金は人より何倍も多く入ってくるが、水のように流れ出してしまって、身にっかない。 無理に溜めようとすると、自分が病気になったり、家族が病気になったりする。これは、水の財運で、水というものは、流動しているかぎり腐敗せず、きれいである。溜まり水ぱ必ず濁り、腐敗する。それと同じで、この因縁を持つ人は、常にお金が流れ動いて身につ かぬのである。無理にお金を溜めると、腐敗現象が起きて、家族に病人やヶが人が出たり人にだまされたりして、全部、お金が出て行ってしまう。  頭領運の因縁人の上に立つ因縁である。この因縁をもつ人は、必ず、大なり小なり人の上に立って、人の頭領となる。但し、この頭領運に二種類めって、純然たる頭領運と、組織内の頭領運とに分けられる、純然たる頭領運は、だいたい創業者として成功する。組織内の頭領運は、専務、部長という一分野の首長で終わる。 頭領運はよい因縁の部類に入るが、反面、孤独運を待ち、晩年は家庭的に不幸になりやすい。 頭領運のない人は、自ら頭領になると必ず失敗する。よき頭領運の人をえらんで、次位に甘んじ、よく補佐をすることに専念するがよい。それが、自分の才能、手腕を十二分に発揮し得る最良の道である。野心を持って自分がその位置に就くと、物事渋滞して苦労ばかり多く、必ず失敗するのである。  子縁うすい因縁 子供との縁がうすい因縁である。 この因縁があると、子供が生れないか、生れても、五、六歳になるまでに死んでしまう。また、自分の実子と縁がうすいだけではなく、養子をもらっても、この因縁ある限りうまくいかない。その養子の運気(生命力)が強ければ衝突して出て行ってしまうし、生命力が弱ければ死んでしまうのである。   産厄の因縁 出産に際して、難産で苦しむ因縁である。衰運の時期で生命力が弱っている時にあたると、死ぬ恐れがある。水子の霊障や、難産で死んだ縁者の霊障のあることが多い。

最高度の智慧を持つに至った人間

二種類の経典には、それぞれ、まったく違った別の特徴がある

からなのです。内容的に見ても、まったく別種の経典なのです。これを、同一人の

釈迦が説いたと見る方がおかしいのです。内容がまったく違う。

 

 だから、さきに述べた智顎は、そこのところを合理的に説明するために、苦心し

て、いろいろな説を立てています。それが有名な「五時教判」という説で、それが

誤りであることが、最近、学問的に明らかになりましたが、それは、本日、省略し

ます。

 要するに、釈迦真説の経典と、そうでない経典とは、まったく別種の経典だとい

 そこで、お話を進める上で、釈迦真説の経典による仏教を、「阿合仏教」と呼ぶこ

とにいたします。というのは、釈迦の真説ぱ、すべて、『阿合経』という経典におさ

められているからです

 その『阿合9 』というのは、「漢訳四阿含」といって、インドから中国に伝来し、

中国に於て翻訳されたもので、長阿合、中阿合、雑阿含、増一阿含、四部合わせて、

大小二千八十余巻の経典群から成り立っています。この阿合経典群を、わたくしは、

 「阿介仏教Lと呼びます。

・うして、そうでない仏教を、従来通り、「大乗仏教」と呼ぶことにいたします

       阿合仏教と、大乗仏教は、どこが違うか?

       端的にいうと、大乗仏教は、

慈.悲

を説きます。

阿含仏教は、

智 慧

 を説きます。

 もっと説明すると、大乗仏教は、仏の慈悲による救済を説きます。仏の慈悲に依

って、仏の慈悲を受けることによって、自分が救われる、ということです。

 

 これに対し、阿合仏教は、自分が智慧を獲得し、智慧を磨いて、自分自身を救済

するという方法を教えます。

 阿合仏教の特徴は、「方法を持っている」ということです。その方法を自分が実践

することにより、自分を救うということです。ですから、その点は、「教育」と同じ

であ・るといえましょう。

 もっとも、阿含仏教も宗教でありますから、仏の慈悲による救済も説きますが、

主体は、どこまでも、智慧の獲得による「自己救済」です。そうして、その智慧の

lよって与えられるのではなく、自分が学んで修得するのです。

獲得ぱヽ仏の慈悲によ

そのために、阿含仏教は、特殊なシステムを持っています。

  これは、宗教としては、非常に際立った特質であるといえましょう。おそらく

世界の如何なる宗教にも見られぬ特徴であろうと思います。

 たとえば、キリスト教は、「愛」を説きます。神の愛による救いです。

ごしよう。そして、大乗仏教の仏

 しかし、神の愛右ソステム化することは不可能でし

わりくし実践の系化のでないものは、科学い。たり得ないと考えます。

 わたくしは今、大乗仏教は慈悲を説き、キリスト教は愛を説き、阿含仏教は智慧

を説く、と申しました。

 それでは、阿含仏教は、愛も慈悲も不要だと考えるのでしょうか?

 いいえ、そうではありません。愛も、慈悲も、倫理も、道徳も、みんな必要だと

考えます。

 しかし、阿含仏教は、こう考えるのです。

 最高度の智慧を持つに至った人間は、当然の帰結として、正しい愛の心と、深い

慈悲の心、高い道徳性を持つものであると考えるのです。

 最高度の智慧を持つに至った人間に、今さら、愛や、慈悲や、道徳などを教える

必要はないではありませんか。

 正しい愛の心と、深い慈悲の心が、必ずしも最高度の智慧をもたらすとは限らな

Holon Revolution page.

Suyu  Kiriyama Talk

“Now, let’s get in to this thesis. Kewler says:” Mr. K opened the Holon Revolution page.

“Homo-Sapiens is an abnormal species affected by a disease that is not compatible with the theory of evolution, and even if we look at the human records of the past, and from the perspective of modern brain science, homo-Sapience is at the last explosion stage. The fact that something went wrong at a certain point in time, and that the human body was originally (in a more specific sense, in the neural circuit) was mistakenly incorporated with a fatal engineering flaw, There is no denying that humanity’s delusional tendency is flowing through history. This is a horrible but natural assumption, and if we try to pursue human conditions seriously, we can not look away from this. ”

“Therefore, they say that they are extinct as” species “.

What do you think about Mr. Sasayama?

Do you think that humans, like Kewler, are abnormal species with fatal design errors in their brains? ”

“No, I don’t think so. I think the design was almost perfect.”

“So, did the design come close to perfection, but did not progress as designed?”

“That’s right, so, as Köstler himself says, one more reasoning is saying,” There was something wrong at some point when Homo sapiens had reached the last explosive stage. ” It was not a design mistake, but the design was almost complete, but the direction went wrong during the evolution, and I have already pointed it out in Secrets of Esoteric Powers. ”

“Please indicate specifically”

“Humans have a spiritual site in their brains. This is so designed. So, if this site is working as it is designed, humanity is like a custoler. The river of “madness” would not have appeared, so it was not possible to face the current ruin, and this part was shut down in the middle of evolution. Humanity has become a super-fool. ”

“Well, this is an amazing idea.”

“It is not an idea. It is a fact L

“Where is the site of spirituality?”

“It is the hypothalamus of the most central part of the cerebrum, the brain. The deepest part of this is the site.

And for this to work, you need a special function of the endocrine gland called the pineal gland, which is right next to it. ”

“Is it the brain physiologist’s theory?”

“No, not. This is a discovery from my training experience. I learned from India’s Kundalini Yoga, the practice of Tibetan secular religion, etc. Brain physiology has not reached it yet. However, a scholar named JD Radcliffe, who is the authority on hormone secretion in the United States, says interesting things in his book “The Wonders of the Human Body” (Shogakukan).

“The pineal gland, whose function has finally been understood, is a small scaly gland attached to the lower side of the brain, and is presumed to be the third eye mark that humans have received from primitive ancestors. It is said that.

Do you know the third eye? ”

“I had read a book with that title in the past. Some Englishman, Chippe. The first chapter” The Holon Revolution “and the” Secret of Priesthood and Power “-1 1 1 11-

At the same time, he became a best seller with the fact that he taught in rituals about the Lamas and had a third eye that could see the four-dimensional world and the spirit world between the coffins. I do not remember most of the contents any more, but there are notes I read.

“Yes, but I will quote the text of Ratcliff in” Secret of secularism and psychic, “in the chapter” The Third Eye and the Hormone, ”

“Perhaps, one might think of the” third eye “as something fancy, stupid. However, human beings certainly had the third eye. No, I have a lot of money. It becomes clearer when we go over the endocrine glands, which are the most important functions in the human body.

Humans have the very third eye, and it is not “scramble” as J. D. Latcliffe says, but it is actually if it is used even now. It is even possible to “see”. Recent scientific experiments prove it. Before introducing the recent experiment, let’s examine one of the mysterious endocrine glands in more detail. Is not it? ”

And, it is all about you. “