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霊魂  soul

霊魂

 

 

 どうしてこんな重大なことをまちがえてしまっていたのか。これでは日本の仏教は

すべて「断見」で、仏教ではないということになってしまう。

 どうして、こんなことになってしまったのか?

 その答は、釈尊がすでにこのお経の中に示しておられるではないか。

 よくごらんなさい。

『我が諸の弟子は、我が所説を聞きて悉く義を解せず、而も慢を起して、無間等

に非ず。無間等に非ざるが故に慢即ち断ぜず、慢断ザざるが故に此の薙を捨て已

りて異羅相続して生ず』

 

 霊魂を否定している坊さんや仏教者たちはすべて、この、釈尊のおっしゃっておら

れる『我が諸の弟子』なのである。 かれらは、

 「の世の中に霊魂なんてあるはずはない。そんなものは迷信だ」

 最初からそう思いこんでしまっている。だから、釈尊のおことばをすなおにうけ入

れることができない。仏~まのおことばより先に自分の考えを立ててしまっている。こ』れがすなわち釈尊のおっしゃっておられる「慢」の我執煩悩なのである。

「そんなものがあるはずない!」

 じつに浅薄な考えからそう断定してしまって、釈尊のおy』とばをすなおに聞こうとしない。これすなわち「慢」にほかならぬではないか。

 霊魂とよぼうが、異羅とよばうが、そんなことはどうでもいい。とにかく釈尊は、

死後もなにかが存在をつづけると、はっきりおっしゃっておられるのである。そうし

てその存在が、つぎの生を生ずるのだと明確におっしゃっておられる。その「生々流

転」を断ち切るのが、「成仏」ということなのである。

 仏教というものは、いまさらいうまでもなく、「成仏」することを目的とする宗教

である。それ以外、仏教に目的はない。そしてその成仏とは、死に際して異羅を生じ

た場合、その異羅がつぎの生を生んで、はてしなく輪廻してゆく、その輪廻を断ち切

るということである。

 それを、霊魂を否定することで異羅を否定してしまったら、いったい「成仏」はど

うなるのか。かれらは霊魂を否定することで、釈尊のおっしゃる異羅をも否定抹殺し

てしまったわけである。ということは、「成仏」そのものを否定抹殺してしまったと

いうことになる。するとどうなるか? 釈尊はこのお経の中ではっきりその結果を示

していらっしゃる。

 

 かれらは、

  『慢断ザざるが故に此の菰捨て已りて異羅相続して生ず。この故に仙尼、我れ則

ち是の学弟子の身壊れ命終りて彼彼の処に生すと記説す』

 

 すなわち、かれらはことごとく成仏できず、輪廻転生して苦しんでいるぞとおっし

ゃっておられるのである。

 まあ、自分たちが成仏できずに、不成仏霊となったり、霊障のホトケとなったり、

あるいは三悪趣の地獄に落ちて苦の世界を輪廻転生するのも、自業自得というものだ

が、そういう僧侶たちを信じて成仏できるつもりが、成仏できず、苦しんでいる信者

たちはいった。

阿合経に明かされている釈尊の成仏法を修行することにより、成仏力を身に

つけることができ、釈尊のおっしゃる「異垣」をはっきり覚知することができるよう

になった。

 この「異羅」こそが、かねてから私がいっている「不成仏霊」であり、「霊障のホ

トケ」だったのである。

 

この存在が、どれだけ多くのひとに苦しみをあたえ、どれだけ多くの家庭を不幸の

どん底におとしいれているか、『守護霊を持て』『霊障を解く』単河出版社刊)その他の本に書いた通りである。

 私、あらゆる不幸・不運・災難のもとは、この異羅が原因であると確信している。

もちろん、どんな不幸・不運・災難にも、それぞれの理由があろう。しかし、その理

由のもとをどこ でもたどってゆくと、結局は、その家の、その人にかかわる不成仏

霊、霊障のホトケにたどりついてしまうのである。いま、私の霊視によると、どこの

家庭にもかならず、二体や三体の不成仏霊がおられるのである。そうして、二軒に一

軒、いや最近はほとんど各戸にかならず霊障のホトケをかかえている。しかもその数

は急激に増加しつつある。

 

なぜかくも多くの成仏できぬ不成仏霊が存在するのか?

 答は明白である。

 仏陀釈尊の教えられた霊魂の救済法を知らないからである。

 そのために、どれだけ多くの人が苦しんでいるか、実例をあげておはなししよう。

soul

Why did you make such a big mistake? In this, Japanese Buddhism

Everything is a “cut-off” and not Buddhism.

Why did this happen?

The answer is that Buddha has already shown in this sutra.

Look carefully.

“My disciples, upon listening to my opinion, did not understand the righteousness, blamed him,

In no way. I was abandoned because I was innocent, and I abandoned this nagin because I was adamant

And Ira inherited it and was born.”

All the Buddhists and Buddhists who deny souls say this is Buddha

It is “My disciples”. They are,

”There can never be a soul in the world. Such a thing is superstition.”

I have been thinking that way from the beginning. Therefore, I received the words of Buddha

Can’t be done. I have made my own thoughts before the words of Buddha-Ma. This is the “pride” of obsession with the Buddha.

“There can’t be such a thing!”

ㆍI’ve decided so seriously, so I don’t listen to Shakyamuni’s words. This is nothing but pride.

Call it soul, call it Gira, but it doesn’t matter. Anyway, Buddha

If something continues to exist after death, he is clearly saying. So

He clearly states that its existence will give rise to the next life. That “raw way”

It is the “seibutsu” that breaks the “turn”.

Needless to say, Buddhism is a religion whose purpose is to “make Buddhism”.

Is. Other than that, Buddhism has no purpose. And with that Buddha, when the death occurred

If that happens, that giraffe will give birth to the next life and will rotate without end, cutting off that cycle.

It means that

If you deny Gora by denying the soul, what would the “seibutsu” be?

Will it growl? By denying the soul, they also eradicate the Gyora, which Buddha says.

It has ended. That means that the “seibutsu” itself has been eliminated.

Will be said. What happens? Shakyamuni clearly shows the result in this sutra

You are.

They are,

”“Because of the cowardice, I have not succeeded in this inheritance because of this abandonment. Because of this, Sennin, my rule

Chizen’s school disciple’s crushed life, he will live at his place

In other words, they are all unable to succeed in Buddha and are suffering from reincarnation.

It is said that.

Well, we couldn’t become Buddha and became a spirit of imperfect Buddhism, or a ghost of spiritual disorder.

Or to fall into three bad hells and reincarnate the world of suffering is also self-profitable.

However, believers who believe in these monks can succeed in Buddhism, but believers who are unable to

We went.

Acquire the power of Buddhism by practicing the Buddha’s Buddhist law disclosed by Ai Sutra

You can attach it and be able to clearly notice the “different fence” that Buddha says

Became.

This “Ira” is the “False Buddhist spirit” that I have been saying for a long time.

It was “Toke”.

How many people suffered and how many families were unhappy

It is as if I was at the bottom of it, or as I wrote in other books such as “Have a guardian spirit,” “solve spiritual obstacles,” published by Togawa Publishing.

I am convinced that this cause is the cause of all misfortunes, bad luck, and disasters.

Of course, any misfortune, misfortune, or disaster can have its own reasons. But that reason

If you trace the cause of the cause anywhere, in the end, the improper Buddha of the house concerned with that person

The spirit and spiritual disability are reached. Now, according to my spiritual vision,

There are always two or three unfaithful Buddha spirits at home. Then, one in two

The eaves, or recently, almost every house has a ghost of a spiritual disorder. Moreover, the number

Is increasing rapidly.

Why are there so many immoral Buddhist spirits that cannot be made?

The answer is clear.

This is because I do not know the soul salvation method taught by Buddha Shakyamuni.

For that reason, let’s give an example of how many people are suffering.

 

カール・グスタフ・ユング

ユング 夢分析論

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ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)を視野に入れた分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」[21]でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。

 

 

概説[

言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団民族人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。

元型の作用と、その結果として個人の空想に現れうる種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。

神話の類型についての研究は、この後フランスに渡り、レヴィ=ストロースらの構造人類学、さらに記号論者の物語構造論などへと発展してゆき、いわゆる構造主義へと向かってゆく。

さらにドゥルーズ&ガタリに到って、無意識は生産、創造する機械、工場のようなものとして捉えられ、その中で接続される要素として、集合的無意識は捉えられる。しかしバラバラなものが元型に還元されてゆくのではなく、むしろ元型が個人のほうに解体されて使われるのである。元型のひとつであるエディプス・コンプレックスが、もっとも強い元型として精神分析に利用されたことに対して、ユングは複数の元型を並置して、相対化したと考えられる。

人間の行動思考判断は、自我と外的世界との相互作用で決まって来る面があるが、他方、集合的無意識に存在するとされる諸元型の力動作用にも影響される面がある。

自我と自己元型

ユングは、集合的無意識に様々な元型の存在を認めたが、それらは最終的に自己(Selbst)の元型に帰着すると考えた。自己の元型は)全体の中心にあると考えられ、外的世界との交渉の主体である自我は、自己元型との心的エネルギーを介しての力動的な運動で、変容・成長し、理想概念としての「完全な人間」を目指すとされた。

諸元型と個性化

このように、自我が自己との相互作用で成長し、球的完全性へと向かう過程を、ユング心理学(分析心理学)では、「個性化の過程」あるいは「自己実現の過程」と呼んだ。個性化の過程において、自己元型は、「」の元型や「アニマアニムス」の元型、あるいは「太母(Great Mother)」や「老賢者(Old Wise Man)」の元型として力動的に作用する。

ユング以降の展開

ガタリはユングが作り上げた無意識のモデルを評価しているが、その後の展開として、フランスの哲学者ガストン・バシュラールの物質的想像力の理論、さらにそれを引き継いだ文芸批評家ジャン=ピエール・リシャールのテーマ批評などを挙げている。

今日の運勢  7月31日  Today’s Fortune July 31

The Lovers  恋人

 

七赤金星の日

人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切。

 

破壊の週  成の日
万事思い通りに進まない日。
あちこちの地雷を自ら踏んでしまうような日になります。
何をするにも十分な余裕をもって行うことで、傷は浅く、不運からの素早いリカバリーが可能です。
こういう日もあるさ、と割り切るくらいの心の余裕を持つことが大切です。

Seven Red Venus Day

Date when we receive requests for cooperation from others. It is a day when you should be careful not to be distracted by the color of your liquor, even if you are lucky and have joy. It is also important to keep in mind that you can enjoy yourself and others without getting lost.

Week of destruction Culture day
Every day that doesn’t go as planned.
It will be a day when you step on mines here and there.
If you do it with enough time to do anything, the damage is shallow and you can quickly recover from bad luck.
There are days like this, and it’s important that you have enough time to spare.

今日の運勢 7月30日  Today’s Fortune July 30

 

The Chariot  戦

 

 

八白土星の日

内輪もめが起こりやすい。格別慈悲心が大切の日。もうけ話は損失となりやすい。

 

危の日
何かとトラブルに縁のある日。
勘違いや誤算、ちょっとした気の緩みから、人とぶつかることも多く、空回りしてしまいます。
他人への十分な気遣いを忘れずに。
ビジネス面ではこの日の決断は大きな賭けとなりそうです。
十分に検討を重ねたうえで判断してください。

Yashiro Saturn Day

▼ It is easy for inner ring mottle to occur. A day when special compassion is important. Lots are easy to lose.

Day of danger
A day with some trouble.
Due to misunderstandings, miscalculations, and slight relaxation, I often collide with people and I am idling.
Don’t forget to take good care of others.
On the business side, the decision of the day is likely to be a big bet.
Please make a careful examination before making a decision.
See details

ソンディー  心理学

 

 

 

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  • レオポルド・ソンディは、1893年、当時のハンガリー領(現チェコスロハキヤ領)のニイトラという町で生まれる。父はユダヤハンガリー人で、靴加工職人であった。彼は12人の同胞中、第12子で、かつ後妻の子であった。4歳の時、プタペストにいる異母兄にひきとられ成育した。その後1944年にナチのユダヤ追放の悲運に会うまでの47年間は、この地にあり、教育もこの地で受けたが、幼少時代からの貧困で複雑な家庭環境は、とりわけ異母兄夫婦のいさかいを見るにつけ、彼をして家族の問題に過敏にさせる素地を形成していった。
  • 1911年に高校を卒業と同時に、医科進学のための国家試験に合格。1919年ブタペスト大学医学部より学位を取得している。
  • 大戦後は、プタペスト大学のランシュブルグ教授が主宰する実験心理学研究所の助手にもなり、記憶実験や知能測定の実際を学んだ。最初の公刊論文は、この助手時代の成果である『欠陥知能』であった。
  • 1927年、プタベストの治療教育大学の精神病理学教室の講師に任ぜられ、同時に精神療法クリニックの医長も兼務し、1941年、ナチの追害による公職追放にあうまで、この地位にあった。この14年間は、ハンガリー時代における精神科医としての、もっとも充実した活動の期間でもあった。ことに精神薄弱児の治療と教育に関連しての体質学への関心は、遺伝学への興味となり、ミュンヘン大学のルーディン一派の家系研究に傾倒した。やがて無意識の遺伝学として、配偶者選択や職業選択のあり方に注目させ、ソンディをして生涯のテーマである運命分析学の臨床家たらしめることになった。

 

 

1. ソンディはフロイトの精神分析の本質である「無意識の抑圧と防衛の力動過程」の構造を,思考や観念ではなく目に見える形で表現する選択テストを創案すると同時に,その理論として衝動の選択心理学を創始した.そして,その認識方法を,精神の治療面と診断面で実用化する衝動病理学,衝動診断学を展開し,それによって思考精神医学の退路を遮断,実用精神医学への道を開いた.選択は運命であるゆえ,それは運命分析へと発展したのである.

2. フロイトがいろいろな局面で言及し,立ち止まらざるを得なかった原因,つまり分析を困難ならしめる「素因的なもの」というのは,「いろいろな無意識層のうち特に祖先から伝わり現在その個人の精神に成り変わって自演している厄介な衝動の振る舞い」にほかならなかった.これはソンディ心理学において8個の遺伝子記号の様態で表現される.この「遺伝子の力動過程」を,構造的に視覚化する方法,およびその認識を治療面で実用する運命分析療法を創始し,「終わりなき分析」を終結させる方法を完成した.

要約すれば,ソンディは,フロィトが1905年以来,本能と明確に区別して追求した「衝動 1)」のふるまいを研究し,次のような衝動学の全体系を完成させたのである.

衝動心理学——–「衝動ファクタ・ペクタの心理学」および「実験的症候群論」
衝動測定学——–「ソンディ・テスト」器具,方法,一般的解釈法
衝動診断学——–「実験衝動診断学」および「リンネ式表」,特別な解釈法
衝動病理学——–「衝動病理学A,B」および「自我分析」
衝動分析学——–「運命分析」
衝動治療学——–「運命分析療法」
彼が,多くの流派に分裂した深層心理学を統一しようと考えていたことは,フロイトの真の後継者として当然であった.彼が深層心理学研究の主流と考えた無意識の層は,フロイトの個人的無意識,ユングの集合的無意識,そして彼自身の家族的無意識の3つの層である.

それゆえ,ソンディ・テストの結果得られる前景・理論背景・実験背景の3つの人格プロフィルは,それぞれの無意識層が表現される.すなわち

精神分析的解釈(S.Freud)
象徴分析的解釈(C.G.Jung)
運命分析的解釈(L.Szondi)
の3通りの解釈が同時に実現し,了解され,説明される構造になっている.

本書は,ソンディがフロイトの遺言を完全に引き受け,延長し,無意識の遺伝学と診断・治療学を完成した事実と方法を,心理学徒やカウンセリングを学ぶ人にとって,すぐ役に立つ実用的な形で記載したものである.原稿を書くにあたって先人の訳業も充分に活用したが,重要部分は必ず原著に当たるとともに,ソンディに会って直接確かめた事項に基づき,新たな解釈を付け加えた部分も多い.

本書の各項にちりばめられているソンディの学説は,以下にあげる主要原著から得られたものである.

「運命分析」(1944,1948,1964)
「ソンディテスト」(1946)
「衝動病理学A,B」(1951)
「自我分析」(1956)
「衝動リンネ式表」(1960)
「実験衝動診断法」(1960)
「運命分析療法」(1963)
「衝動統合を失った人々」(1979)

ヘレナ・P・ブラヴァツキー

 

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)、1831年8月12日 – 1891年5月8日) は、近代神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者のひとりである

シークレット・ドクトリン

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第1巻では宇宙の創世が、第2巻ではレムリアアトランティスを舞台とした第四根源人種英語版の歴史といった人類の起源と進化(霊的進化論)について記述している[1]。これらは秘教的な学校で極秘裏に伝えられてきた知識で、霊的な師モリヤクートフーミがオカルト的な方法でブラヴァツキーに伝えたとされる[2]

タネ本である『ジャーンの書』はKiu-te(rGyud-sde、チベット語で「タントラ部」)というチベット仏教タントラであるという意見もあり、また当時の西欧で流布していたさまざまな仏教の知識や文献の寄せ集めにすぎないとも言われている。当時鎖国していたチベットでスパイ活動をしたチャンドラ・ダースがチベットの経典類を大量に持ち出しており、ヘンリー・スティール・オルコットはダースに面会してこれを見ていた。人類学者の杉本良男は『ジャーンの書』が実在するにしてもしないにしても、『シークレット・ドクトリン』の背景に間諜ダースの働きがあったのは間違いないようであると述べている。ダースに経典類を渡したとしてチベットの高官センチェン・トゥルクは公開鞭打ちの上流刑になり、チベットの鎖国は一層強化された。[3]

本書に叙述された人類史、根源人種論は、古代ヒンドゥー教の影響がみられるが、かなり独創的な思想であり[2]ルドルフ・シュタイナーの『アカシャ年代記より』やランツ・フォン・リーベンフェルスの『神聖動物学』などに影響を与えた。

 

 

人は輪廻転生するか   Does a person reincarnate?

 

人は輪廻転生するか  

 

 

理解できなかったのも無理はないのである。現世において現実にこうして自分は存

在しているのに、その自分(自我)をみとめないなんて!

 そこで、世尊、ねがわくばわたくしのために教法を説いて、智慧の眼をひらかせて

ください。こうお願いしたわけである。

 

仏陀と弟子の霊魂論

 

そこで、釈尊は、セーニヤに無我・縁起の法を説かれたのである。

まず、釈尊はセーニヤに、「身体ハートマン)か?」

 と質問する。セーニヤは「いいえ」と否定する。

 「では、受・想・行・識のこころのはたらきが自我(アートマン)か?」

 とたずねる。セドニヤはこれまた、「いいえ」と否定する。

「では、色の外に自我(アートマン)があるのか? 受・想・行・識の外に自我(ア

ートマン)があるのか?」

 セーニヤはこれまた否定する。

「では、色のどこかに自我(アートマン)があるのか?」

「いいえ」

「では、受・想・行・識のどこかに自我(アートマン)があるのか?」

 これまたセーニヤは、「いいえ」というよりほかはない。

 釈尊はこのようにたてつづけに質問して、色・受・想・行・識(五羅という)の内

にも外にもどこにも「自我」(アートマン)という特別な存在が、実在していないこ

とをさとらせるわけである。というのは、さきにものべたように、当時の代表的な思

想であるバラモン教では、五菰のほかに特別な自我(アートマン)という存在があっ

て、これが不滅の実在であり、(死んで)五羅が消滅しても、これが、輪廻再生する

のだと説いていたからである。釈尊は、そういう、五羅のほかに実在するという自我

(アートマン)はないのだということを、セーニヤにひとつひとつ質問して理解させ

たわけである。

 では、いったい自我(アートマン)はどこにあるのかというと、色・受・想・行・

識の五菰の結合自体が自我であるというわけである。つまり、自我というものは、

色・受・想・行・識の五羅がひとつの因縁によって集合してできたものであって、そ

れをはなれて特別な自我(アートマン)という実在はないのだというのである。だか

  『第三師は現在世に我(の実在)を見ず。命終の後も我(の実在)を見ず』

 ということになるわけである。

 因縁による五羅の仮合そのものが自我であり、因縁が消滅すれば五羅も消滅し、同

時に自我も消滅する。どこにも常住不変の実在としての自我などない、ということで

ある。

 

Will people reincarnate?

No wonder they didn’t understand. This is how I really exist in this world

Even though I’m there, I can’t find myself!

Therefore, preaching the teaching method for Negaku Wakubakushi, open the eyes of wisdom

Please give me. That’s why I asked.

Buddha and disciple soul theory

Therefore, Shakyamuni had Senya explain the law of selflessness and auspiciousness.

First, Shakyamuni asked Senya, “Is the body a Hartman?”

Ask. Senya denies “no”.

“So, is the ego (artman) the work of the mind of reception, thought, conduct, and knowledge?”

Ask. Sedonia also denied “no”.

“So, is there an ego (artman) outside the color?

Is there a (Man)? ”

Senya denies this again.

“So, is there an ego (artman) somewhere in the color?”

“No”

“So, is there an ego (artman) somewhere in the mind, thought, conduct, or sense?”

❖ Again, Senya is nothing more than “No”.

Shakyamuni asks questions like this, and chooses from among colors, receiving, thoughts, conduct, and knowledge (referred to as Gora).

In addition, there is no special existence called “ego” (artman) in the outside or anywhere.

And let’s stop. Because, as I mentioned earlier, the typical thoughts of the time

In the idea of ​​Brahminism, there is a special ego (artman) in addition to the five points.

This is an immortal reality, and even if (dead) Gora disappears, it regenerates.

Because he was saying that. Buddha is such an ego that exists in addition to Goura.

Asking Senya to understand that there is no (Artman)

That is why.

Then, where is the ego (artman)? Color, reception, thought, line,

That is, the combination of the five points of knowledge is the ego. So the ego is

It is a collection of the five elements of color, reception, thought, deed, and intellect, all of which are related to one another.

It is said that there is no reality of being a special ego (artman). Or

From

“Third teacher does not see me” in the present world. Even after the end of my life, I don’t look at myself

It means that.

The intent of Gora by the cause is the ego itself, and when the cause disappears, Gora also disappears.

Sometimes the ego disappears. That there is no ego as a permanent immutable reality

is there.

 

フロイト

正常か異常かを問わず人間の心理は共通同一の原理で動いており、人の行動には無意識的な要素が作用していると考えることは、自身の合理性を疑わない19世紀の知識人を驚かせた。フロイトは、催眠状態での暗示によって、被験者が実験者の促した行動をとり、かつなぜその行動をとるのかしばらくわからずにいた事実から、「無意識」の行動における影響について着想を得たのだった。

フロイトは当時得体の知れない流行となっていたヒステリーの治療にあたり、患者[注 6]が「おしゃべり」をすることで症状の軽減が見られることに着目し、こうして「自由連想法」が生まれた[注 7]

フロイトの「力動論」や「リビドー」の概念はエネルギー保存の法則を元にしているとも言われる。患者の症状は無意識に抑圧された内容の形を変えた表れである、ととらえ、ヒステリー患者たちが身体的な症状部位に関する言葉、関連した(自由連想的)エピソード記憶を想起するに至ってから症状から回復することも確かめられた[注 8]。リビドー(性的エネルギー)の理論には経済的な思考とヴィクトリア時代の道徳が存在している。1人の個人が消費できるエネルギーの量は限定されており、それ以上の消費を行なうと病気や神経衰弱を招く、という観念のもと理論が構築されていたのである。ここから「リビドー保存」の仮説を導き出し、そこから『文化への不満』に著されるように、直接快感をもたらす本能的性行動[注 9]を放棄し、強制的に文明の目的を追求せざるをえなくなっている文明人は不幸である、という意味を引き出したのである[注 10]

また、戦争帰還兵達との

カール・グスタフ・ユング

精神科医であったユングは、ピエール・ジャネウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態(1906年 – 1913年)となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間ずれ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持ち、フロイトもそのために初めは喜んでユングを迎え入れた。両者の初めての邂逅において交わされた対談は10時間を超し、以後両者は互いに親しく手紙で近況や抱負、意見を伝えあった。しかし数年の交流のうちに、両者の志向性の違いが次第に浮き彫りになってきた。フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。またユングはフロイトとアルフレッド・アドラーの心理学を比較・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。

ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった[注 1]。ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、またそれらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性シンクロニシティ=意味のある偶然の一致)に関する共著を発表した。