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Buddhism

純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2

純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-

心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。

精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。

雑音の世界では、人生が錯覚に支配される。

    • 真我は、愛です。全ての欲求は、真我への愛を満たそうとする為の表現です。

 

    • 全ての生命は、一つの生命、一つの存在、愛です。

 

    • 生命は一つであり、反対はあっても対立はありません。分離はなく、平和です。

心 (マインド) は、相対的な世界です。そして、錯覚に支配される。
欲求と恐怖が一体としてあります。
快楽と苦痛が一体としてあります。
自分の愛するものの為に、対立をして、争います。
自分の愛するものの為に、戦争や犯罪を犯します。

預流果は、三結 (3つの束縛) が絶たれている。預流果は、有身見 (うしんけん:五蘊を自己とみなす見解) が錯覚だと理解したのです。

このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

 

個我は、記憶の創造物です

    •  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。

精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。

心 (マインド、潜在意識) にある情報や記憶は、本来の自己に様々な制限を与えています。

例えば、過去世の記憶は覚えていませんが、過去世に持ち越した情報や記憶は、誕生してからの環境に様々な制限を与えています。

例えば、天才と呼ばれる人たちは、過去世から持ち越した情報や記憶を今回の生で有効に使い、その結果をだしています。

今回の生でジニャーニになる人も、過去世から持ち越した情報や記憶を今回の生で有効に使い、その結果をだしています。

    ◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹 (シュダオン) を指す。

 

記憶を消去する

 ジニャーニの知識は、記憶になります。そして、記憶は体験になります。 ジニャーニの知識は、種になります。芽を出して、大きく成長します。そして、今回の生か、次の生 (最大7回、欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く) で、無知を払い去ります。

    ◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹 (シュダオン) を指す。

過去世から持ち越した情報や記憶は、曇 (くもり) になります。その曇 (くもり) は、無知と呼ばれます。この無知を払い去ると、本来の自己の光が完全に現れます。

本来の自己の光は、今という瞬間の中で輝いています。

心 (マインド、潜在意識) にある情報や記憶は、曇 (くもり) になり、本来の自己の光を制限しています。

本来の自己の光は、純粋な意識です。濁りがありません。この無知を払い去る方法は、ジニャーニの知識を得て、黙想して熟考します。

 ジニャーニの知識を得て、黙想して熟考している人は、預流向 (ヨルコウ) になります。以前の内容:悟りの段階 -1
http://add-spot.com/wordpress/enlightenment-1純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)

真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

    • 預流向 (ヨルコウ) とは、ジニャーニの知識を得ているもの。
    ジニャーニの知識を得ているものとは、ジニャーニの知識を黙想しているもの。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジとの対話を黙想します

 

悟りの段階 どうすれいいか?

まず私の場合

1  仏教を信じ  釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃりをもつ。

 

成仏法(じょうぶつほう)」
 生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法をもつ

「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。
「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法である。  これを輪廻転生瞑想法を実行する。

 

これで

純粋な心-預流向 (ヨルコウ)

までいけます。

 

 

護摩木

護摩木 (ごまぎ)とは、護摩を焚く時に燃やすのことである。ヌルデゴンズイなどのやわらかい木材が使用されていることが多い。

護摩木の種類

願い事を書く祈願の護摩木と先祖の供養などを書く供養の護摩木の2種類がある。阿含宗阿含の星まつりなどでは「祈願」と「供養」の二壇の護摩壇で祈願と供養の護摩木を別々に焚き上げている。

お護摩って何のためにやるの?護摩の意味とは?

護摩木

お寺に行くと、お供えするローソクや線香と一緒に護摩木が置かれている場合があります。
名前や年齢、祈願したいことを書いてお寺に納めるのですが、そのあとどうなるのでしょうか?

護摩は天への供物

「護摩」というのは、サンスクリット語の「ホーマ」を音写したもので、「物を焼く」という意味です。
物を焼くと、炎があがりますが、実はその炎が重要なんです。
燃え上がる炎は「天の口」であって仏の智慧の象徴でもあり、その口から供物を食します。

つまり納めた護摩木は、供物として焼かれるのです。

そして、煙が天に届くことで、天は食を頂くことができ、代わりに人に福を与えるとされています。
このような考え方、由来はバラモン教にあります。
バラモン教が儀式で行っていたやり方を、大乗仏教も取り入れたんです。

今では主に天台宗や真言宗など、密教系の仏教宗派が護摩行(護摩供ごまく)という修行の一環として行います。
やり方は宗派によって違いますが、主に寺院内の護摩堂というお堂の中に護摩壇を用意し、そこに護摩木を投げ入れて、焚き続けます。

また、修験道においては、護摩堂内ではなく、野外で護摩法要を行います。
下の写真のように、山伏達が火の中に、お寺に納められたお護摩をどんどん投げ入れます。

護摩法要
護摩法要

一般に、「お火焚き」や「火祭り」という呼び方で行われているお寺の行事は、この護摩供のことだと思って良いと思います。

基本的にお寺の行事ですが、神社でも明治以前の神仏習合の色が強く残っている神社では護摩供を行う場合があります。

悟りの段階 1 – 預流 (よる)

悟りの段階 -1

純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)

真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

    • 預流向 (ヨルコウ) とは、ジニャーニの知識を得ているもの。

 

    ジニャーニの知識を得ているものとは、ジニャーニの知識を黙想しているもの。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジとの対話を黙想します。

このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

真我は、常に実在として存在しています

 真我は、常に実在として存在しています。ただ、一般の人では、無知の曇 (くもり) で覆い隠されています。 ジニャーニの知識を得ることで、無知の曇 (くもり) を消していきます。無知の曇 (くもり) が消えるほどに、真我の光と愛が自然に現れます。

注記:
釈迦から始まった仏教の上座部では、悟りの段階があります。4つの「果 (成就した段階) 」を合わせて、「四沙門果」(ししゃもんか) と言います。 さらに、4つの果得 (定) を、「向 (進み入る段階) 」と「果 (成就した段階) 」に分けています。向と果の名称が同じで、八種の段階にある人という意味で、八種の段階のことを、四双八輩 (しそうはっぱい) と言います。

参考サイト:
悟りの段階 1 – 預流 (よる) | 道 (way)・アドオンスポット
http://way.add-spot.com/wordpress/satori

 

無知の曇 (くもり) を払う

 悟りへと至る道は、シンプルです。 真我は、常に実在として存在している。(注:真我は、すでに実現している。という事です。) という事実を受け入れます。

真我を実現するためには、自己受容が大事です。神を受け入れるためには、まず、自己を受け入れます。

     「私は在る。」という事実を受け入れます。「私が在る。」から、この自分が知覚している世界が在る。という事実を受け入れます。

真我実現は、今すでに得ているもの (実在として在るもの) を無知の曇 (くもり) を払うことで、「この自分が知覚している世界」へ現す作業です。

 

ジニャーニの知識

 ジニャーニの知識は、シンプルです。その知識を黙想して、熟考します。

    •  ジニャーニの知識を得るには、その知識を黙想して、熟考することが大事です。これは、自分の理解したことしか、無知の曇 (くもり) を払うことができないからです。

理解したことからは、解放されて自由になります。

ジニャーニの知識を語る存在は、真理を説明するほど表現は、シンプルになります。

対話を読み (聞き) して、自分でその知識を黙想して、熟考することが大事です。内面からの気づきを得るようにします。気づきを得ることで、理解が深まります。

それをしている人が、預流向 (ヨルコウ) になります。預流向 (ヨルコウ) は、「自灯明、法灯明」を実践しているもの。になります。

ジニャーニ (真我を実現した存在) は、進む道を示すことはできますが、その道を進むのは、自力でしか進めません。

    • 預流向 (ヨルコウ) とは、ジニャーニの知識を得ているもの。
    ジニャーニの知識を得ているものとは、ジニャーニの知識を黙想しているもの。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジとの対話を黙想します。

悟りの段階は4つの段階がある  There are four stages of enlightenment

悟りの段階 -10

悟りの段階 -10 純粋な心-8. 阿羅漢果 (アラカンカ)  阿羅漢果 (アラカンカ) とは、無になったもの。無になったものとは、一つを体現して、沈黙へ入ったもの。 I_Am_That-30. You are Free…続きを読む

悟りの段階 -9

悟りの段階 -9 純粋な心-7. 阿羅漢向 (アラカンコウ) I_Am_That-30 より抜粋 マハラジ:生きる存在 (生き物) であることは、究極の状態ではありません。 それ以上のもの、はるかに素晴らしいものがあるの…続きを読む

悟りの段階 -8

悟りの段階 -8 純粋な心-6. 不還果 (フゲンカ)  執着と険悪は、記憶から来ています。 全ては、一つである。自分の意識の中に、すべての個人がいる。と理解します。 私が在るから、この世界がある。と理解します。 「執着…続きを読む

悟りの段階 -7

悟りの段階 -7 純粋な心-5. 不還向 (フゲンコウ)  根本仏教は、「心を浄める」教えであり、実践である。  一来果になると、欲と怒りがなくなります。肉体と心に対して執着が減ると、その分、怒りと欲が減っていきます。不…続きを読む

悟りの段階 -6

悟りの段階 -6 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)-2  一来果でなくなるのは、「欲と怒り」です。一来果は、「執着と険悪がとれたもの」です。自分の「執着と険悪」の動機を探ります。  「あなたが動機の中に入っていけば…続きを読む

悟りの段階 -5

悟りの段階 -5 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)  願望を実現するために、潜在意識を活用する方法は、数多くあります。輪廻転生を止めるための方法は、真我を実現する悟りの段階に入ることです。  「宇宙の覇者 (王) …続きを読む

悟りの段階 -4

悟りの段階 -4 純粋な心-3. 一来向 (イチライコウ)  一来向 (いちらいこう) とは、須陀洹 (預流) から、斯陀含 (一来) へと向かっている者です。  一来 (いちらい、巴: sakadāgāmin サカダー…続きを読む

悟りの段階 -3

悟りの段階 -3 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。  精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、す…続きを読む

悟りの段階 -2

悟りの段階 -2 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)  預流向 (ヨルコウ) は、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。  知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が…続きを読む

悟りの段階 -1

悟りの段階 -1 純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)  真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。 預流向 (ヨルコウ) とは…続きを読む
Four four fruitsShika ShikaThe four stages of training for “Yoko and Shikou”
“Four fruits, Shika” Four levels of enlightenment (person who fulfilled)
It is also known as “Shisohachi, Shisohachihai”.

After the death of Butta, it will be prepared in four stages according to Satori’s training,
It is a concept that is classified into eight types: “people who go towards it” and “people who fulfill it.”

4, Arkanka
“People who have reached the ultimate satori, people who should be memorialized” (Ignored/Mugaku)
“A person who has broken down Gojo and Gojo”
“A person who has lost his anxieties, a person who has broken out by looking at the four points (Egedatsu), and a person who has both broken down (Gubundatsu)”
“People who have lost their worries about Rojinchi”
It is also called “Ougu”.

“Gojo Junjo/Gojobunketsu”
Connecting people to the color world and the colorless world
Don’t let go
The upper bond.

1. Shikiton
2. Mushikiton
3, Jyoko
4, pride
5, invisible

“Gogebunketsu”
Three worlds (desire world)
Five bondages that connect people to

1. Real-life (Ushinken)
2, doubt
3. Prohibition (Kaigonshu)
4. Greedy
5, Shinni

3, non-returnable fruit
“A person who reaches the predicament of Satori in heaven without returning to this world again”
He is the person who destroys Goshita-no-Kai and becomes a living person (Keisha) and becomes the Jyoten of the Color World.
It is also called “Anago-Anagon”.

The person who goes to it is “irreversible.

Four types of creatures

1. Embryos… born in the stomach
2. Eggs… born from eggs
3. Wet weather… Born from moisture such as moss
4. Metamorphosis… Born in heaven and hell from nothing.

2, Ichirai Fruit
“A person who reincarnates once between the heavenly world and the human world and reaches the boundary of Satori”
A man who destroys three bonds and is greedy
It is also called “Sudagon”.

The person heading for it is “Ichikou Ichirai.”

1、Fresh fruit

Ruka means “reaching the flow of Satori”.

“A person who reaches this state before reaching the state of Satori without having to fall into the world of the secular world before that, while training seven times between the human world and the heavenly world, and training.
It is also called “Gokushikaku Return/Gokushichi Ponnu” or “Gokushikaku Return/Gokushichi Ponsho”.

Yoruka is a person who has completely destroyed Sankei (seeing, suspicion, and prohibition).

“Sanyu Sankeitsu” is “Gogebunketsu”.
Three bondages

1. Real-life (Ushinken)
2, doubt
3. Prohibition (Kaigonshu)
4. Greedy
5, Shinni

It is also called “Sudan and Shudaon”.

Eyes
Those who transcend the world of the secular world above the age of deposit are called “Saints and Seijas” in “Seize and Shutsuken,” and those below that are called “Samurai and Bonpu.” I’ll call you. Pon!

The person heading for it is “Courage flow/Yorukou”.

Sariptta
Hogan is to get the logical understanding of the four sides of the law and become a depository! !! !!
Did you gradually come to understand that “Four Lords” is important? I’ll talk again! Grinning!

Further divided into 10 stages

Enlightenment Stage -10
Enlightenment Stage -10 Pure Mind-8. Arachanka Arachanka is nothing. What is lost is one that embodies one and enters silence. I_Am_That-30. You are Free… Read more
Enlightenment Stage -9
Enlightenment Stage -9 Pure Mind-7. Extracted from I_Am_That-30 Arakankou Maharaj: Being a living being (creature) is not the ultimate state. There’s more than that and much more… Read more
Enlightenment Stage -8
Stage of Enlightenment -8 Pure Mind -6. Unreturned Fruit (Fugenka) Obsession and urgency come from memory. Everything is one. In my consciousness, there are all individuals. I understand. There is this world because I am there. I understand. “Obsession…Read more
Enlightenment Stage -7
Enlightenment Stage -7 Pure Mind -5. Irreversible (Fugenkou) Nemoto Buddhism is a “purifying the mind” teaching and practice. When it comes to fruition, greed and anger disappear. The less attached to the body and mind, the less anger and greed. Non… The continuation is read
Enlightenment Stage -6
Stage of Enlightenment -6 Pure Mind-4. Ichiraika-2: It is “greed and anger” that cease to be Iraikai. Ichirai fruit is “a thing of attachment and aggression.” Explore the motivation for your “attachment and evil”. “If you get into the motive… read more
Enlightenment Stage -5
Enlightenment Stage-5 Pure Mind-4. Ichiraika There are many ways to utilize the subconscious mind to realize the desire. The way to stop reincarnation is to enter the stage of enlightenment to realize the self. ”The universe champion (king)… Read more
Enlightenment Stage -4
Stage of Enlightenment -4 Pure Mind-3. Ichiraikou Ichiraikou is a person who is heading from Sudake (deposited flow) to Sadatsu (Ichirai). .. Ichirai (Ichirai, Tomoe: sakadāgāmin sacada… Read more
Enlightenment Stage -3
Stage of Enlightenment -3 Pure Mind -2. Outflow Fruit (Yorka) -2 Mind (mind, subconsciousness) is a bundle of memories. An individual is a creation of memory. Mental habits create the environment for that person (individual). The environment of that person (individual) is… Read more
Enlightenment Stage -2
Enlightenment Stage -2 Pure Mind -2. Defensive Fruit (Yorka) Defective Agent (Yorukou), with the knowledge of Jinani, meditates and ponders. Awareness will occur and understanding will deepen. Knowledge becomes memory. Memory becomes an experience. Understanding… Read more
Enlightenment Stage -1
Enlightenment Stage -1 Pure Mind -1. Depository Direction (Yoruko) The truth is simple. The knowledge of Jignani is also simple. Get knowledge of Jignani, meditate, and ponder. Awareness will occur and understanding will deepen. What is “Yoruko”? Continue reading

念佛三十七菩提分法の研究

念念従心起①

念佛三十七菩提分法の研究

◎念念 心より起こり

「念念従心起」である。いよいよ第九句まで来た。

念念、一瞬一瞬、観世音菩薩を念ずるんだ。心より起こるんだ。はじめの「観世音 南無佛」

に引っ掛けて、是く言うわけです。ですが、この「心より」というヤツがクセモノだ。

ここは本当に大切なポイントです。ここを理解しないと、何となく観音信仰でやって

心が洗われるだとか、観音様はありがたいとか、抹香臭い信仰・信心になってしまう。

私は抹香臭いの大好きですが、今の時代には即応していない。

「心が大切」という、この「心」が如何なるものか?

肝心なのは、ここです。

◎念仏の聖者山崎弁栄の「念佛三十七菩提分法」

山崎弁栄師は、1859年(安政6年)~1920年に在世した念仏聖者である。

筑波山に篭り、相模原の原当麻にある時宗本山の無量光寺の住職歴任など、様々な

業績を持つ。何といっても、歴史上在世した釈迦牟尼の遺された三十七菩提分法を

念仏で為すことに成功したことは、金字塔である。師の光明主義運動は、修養会に

引き継がれている。他心通などの神通をもっていたことでも知られている。

古代仏教、お釈迦様がお説きになったダルマは「四諦八正道」であるが、これを

様々な形でお説きになった。「戒・定・慧」の三学が仏道修行であることは周知であろう。

この三学を七つの方法に分類し、細かく分けると三十七のダルマになる。

それを後代の仏教で、三十七菩提分法とか、七科三十七道品と名付けた。ともあれ、

釈迦牟尼佛の説いたダルマは此れである。その三十七菩提分法の一科目に、「七覚支法

(しちかくしほう)」がある。七つの覚支、七つの覚りに至る支え(修行)がある。

弁栄聖者は、「念佛三十七菩提分法」「念佛七覚支」というものを確立したのです。

◎大乗仏教は非仏説なのか?

山崎弁栄(やまざきべんねい)聖者が佛法をお説きになったのは、明治~大正の近代です。

八宗兼学で、とにかく広く仏教を研究された。念仏行者でありながら、駒沢大学の前身に

入学し、時宗の本山の住職になっていることからも窺える。

明治初頭に「廃仏毀釈」の風が吹き、西洋の学問による仏教学が入ってきた。

大乗仏教は釈迦牟尼佛の説いた経典(教え)に基づいていないものである。釈迦牟尼の

説いたものではない「大乗仏教非仏説」であると。

さらに神智学の女性覚者H・P・ブラヴァツキー夫人の同志である、神智学協会初代会長の

オルコット大佐などが、南方仏教に帰依し「仏教概論」などが出版され、日本に来日し、

仏教僧を悉く破折した。東京大学でもサンスクリット語研究が進んで、仏教研究の潮流は

原始仏教研究になっていった。

日本人の霊性に根をおろしている、念仏・題目が、危機に瀕した。少なくとも学問の世界

では、大乗仏教は釈迦牟尼が説いたものではないと決定した。だが信仰上は、大乗仏教を

行ない、遥か昔のお祖師たちの教えを出ることはない。100年以上も前から、こういう状態

になっていたのです。これは各僧侶の問題です。ほとんど手付かずである。

だが山崎弁栄聖者は、念仏と釈尊の遺法である「三十七菩提分法」を念仏実践の角度から

理解し、咀嚼して、統合することに成功したのである。

その一に「念仏七覚支」があり、七つの覚支とは、択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支

・定覚支・捨覚支・念覚支である。

◎「念仏七覚支」中の『念覚支』

山崎弁栄聖者は、釈尊のダルマを念仏実践と結合させた。仔細に見ていくと、まさに

「念仏三十七菩提分法」である。このことは、真言宗でも法華宗でも、どの宗旨宗派でも

「三十七菩提分法」との結合・統合ができることを意味している。

チベット仏教ではとっくに昔にこれは解決している。

仏教の様々な修行法は、その人の機根に応じて出てきたもので、釈尊の根本法との

結合は信仰上の問題である。文化の上に宗教もあり、インドと日本では文化だけでなく

風習や環境が違う。すべての仏教というものを統合して、自分の「信」に応じて、

仏果をめざす。生きた信仰は、学問的研究とは別ものである。信仰に学問を取り入れる

ことはできても、学問に信仰は取り入れることはできない。

弁栄聖者は、次のように説く。

「… 念覚支とは、念とは、一人一日の中に八億の念ありと。すでに仏子の核となりしうえ

よりは、寝ても覚めても、念念にその核が中心となりて、あたかも果実がだんだんに長養

するがごとし。これすなわち各自の人格を形成する元素なり。もし悪人にして地獄の性格

となる者の核は、枳の如き果を成熟するために、日々、悪業増上の働きを積んで地獄の種子

を造り、それが熟すれば身は人間に在りながら、すでに地獄の業識が熟するなり。もし

念仏三昧をもって業事成弁(往生の因が完成して必ず極楽浄土に生ずる事が決定)するときは、

身はこの土(娑婆世界)に在りながら、すでに弥陀の種子が、その人の心霊に成熟するを

もってのゆえに、菩薩聖衆といわれ、その中心よりおこる三業(身・口・意)の所作は、

悉く仏子・仏心・仏行となるなり。」

「… 念。念とはすでに如来心中の自我なれば、如来の泉源より流れ出るわが心念である

故に、仏心すなわち自心、自心すなわち仏心、念念仏心と相応す。いな仏心が自己の心を

通じて発す。

『さざなみに すがたはちぢに くだけても 月の光は 映らぬはなし』」

「(念覚支とは) 仏が自分の心に入った状態。仏心仏行、如来心中の自我、度我行を

行じます。」

◎唯一の如来は釈尊だけである

この念仏三昧、念仏七覚支の「念覚支」まで到達すると、「入の境界」となる。

三身四智三昧(大乗仏陀釈迦の三昧)という境地に入る。無生法忍といい、不還という

境界に至る。古くは、浄土教の善導大師、法然上人、甲斐の徳本行者、弁栄聖者は、

皆な、大乗仏陀釈迦の三昧に悟入しておられた。弁栄聖者によれば、これにも浅い深いが

あって、究極の一切智を得て居られたのは、この地球上ではお釈迦様唯一人であると。

「念念」とは、仏心を見たてまつること。その仏心で行ないを為す、仏行を為すことで

ある。「延命十句観音経」でも、ここのところを指して(直指)しているわけである。

弁栄聖者は「念念」とは『見佛』であると言われている。

禅で言うたら『見性』だ。

釈尊の「念覚支」とは、『見佛・見性』の修行であるということです。

摩訶般若波羅蜜多で、照見(正見)して、己が阿耨多羅三藐三菩提心(究極の菩提心)を

『見佛・見性』する。なんといっても、「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多…」ですから、

自分が観自在菩薩に成る。そのためには、観世音大菩薩に祈る。

ここです、大切なのは。では「延命十句観音経」をお唱えしましょう。

延命十句観音経ー
観世音  南無佛
与佛有因  与佛有縁
佛法僧縁  常楽我浄
朝念観世音  暮念観世音
念念従心起  念念不離心ー

では、

三十七道品 四念住法 1

四念住法(しねんじゅうほう)
旧訳では四念処(しねんじょ)といいます。四念処観ともいいます。さとりを得るための四種の内観・瞑想法です。身念住(しんねんじゅう)・受念住(じゅねんじゅう)・心念住(しんねんじゅう)・法念住(ほうねんじゅう)の四つです。

 

四念処(しねんじょ、cattāro satipaṭṭhānāチャッターロー・サティパッターナー)とは、仏教における悟りのための4種の観想法の総称。四念処観(しねんじょかん)、四念住(しねんじゅう)[注釈 1]とも言う。三十七道品の中の


1つ。

如意宝珠曼荼羅

(摩尼宝珠)法身偈 如意宝珠曼荼羅

仏画

三弁宝珠 梵文 法身偈

仏画

「摩尼宝珠・大師御筆・法身偈」
大師の御遺告に言う如意宝珠と、仏舎利即如意宝珠とする二様が古くから大師の御伝として
伝えられております。大海の底の龍宮の宝蔵に無数の玉がある。その中で如意宝珠を皇帝の
ように最も優れたものとする。 図像内容は画面中央上部に三弁の宝珠を納置した重層の楼
閣があり、上下には大海の波間を描く、前方に広がる湧雲の中から水中の主である仏法守護
神の二大龍王が頭を持上げ三弁宝珠を讃仰するかの様に虚空を駆け昇る姿を描く。画面の右
側は難陀龍王で兄弟龍王の兄、長さ九尺(270㎝)にて九頭頂に蛇が居住すると言う。陰陽思
想の「九」は陽の極まり、数が極めて大きく強力であると言う意味で「九」を冠し九龍と呼
ばれ大龍なり、左側は跋難陀龍王で長さ七尺(210㎝)にて七頭頂に同じく蛇が居住する。七
龍と呼ばれ小龍なり、難陀龍王と跋難陀龍王は兄弟龍王なので、経典中は常に並べて紹介さ
れる。
龍王の姿と働きは、山谷を震動させ(地震)、気を吐いて雲を作り出し、(竜巻)天を暗く
して風を吹かし(台風)雨を降らす。尾で海水を打つて波を起こし、(津波)大身をくねら
して海を荒らす。国土とは龍体の大地であり、その地下には網の目の様に穴道がのびて巨大
な地下世界となつている。地上の入口が龍穴であり、仏法の法力により姿を現す龍神である
弘法大師の神泉苑の伝説によると金色の蛇のようで長さ八寸(24㎝)、善如龍王について
説く儀軌はなく伝説によりますが 大師の御遺告に大師は唐・留学からの帰国に際して師の
恵果阿闍梨より如意宝珠を付嘱されこれを鎮護国家の為に室生山中の精進峰に埋めたと伝え
られている。このことから平安時代以降、如意宝珠信仰が高まり、やがて不空の訳経で弘法
大師が請來したとする「如意宝珠転輪秘密現身成仏金輪咒王経」が撰述され、それにもとず
いて如意宝珠曼荼羅が描かれるようになつた。如意宝珠は古くから龍王の脳中より生ずるも
のと言われ、仏舎利が変じて宝珠になるとも伝えられており、室生寺との関係が様々に在し
ている。農耕社会の我が国では「龍」と「雨」を結びつける龍神信仰が古来より有り、龍は
雨を降らせ稲の豊作をもたらすと考えられてきた。龍神は五穀豊穣の神として善如龍王の神
名が授けられており、善如龍王は室生山の龍穴に住むとされ水神の威力を現す。室生寺の境
内の五重塔の上に奥之院(精進峰)、五重塔の下に(灌頂堂)・本堂があり、本堂正面の扁
額には大日如来(バン)・摩尼宝珠(マニ)・宝生如来(タラーク)の三文字の種字が一枚
の扁額に収められ、掲げられています。
如意宝珠の実体は自然道理の釈迦牟尼如来、宝珠は自然道理の如来の分身であると言うのが
真実の如意宝珠である。如来の分身とは駄都(dhatu)なり、即ち如来の舎利をいい舎利を如意
宝珠として観ずる密教の最極秘法で、月輪中に如来駄都を観、その駄都変じて如意宝珠とな
ると観想する。御遺告には宝珠を観想して「帰命頂礼在 大海龍王蔵併肝脳頸 如意宝珠
権現」などと言うべきで、三度誦え、深く念じ観想して本尊の真言を念じ誦えるべきで、
これは三密教のかなめである処の本性を護るためなのである。またこの文は秘密であり、甚
深の上の甚深なるものである。この宝珠は宝蔵から大海の龍王の心の上頸の下に通じてい
る。宝蔵と頸とは断絶することなく永久不変である。ある時はその宝珠から善い風を出し雲
を四州に起こして万物を育成しすべての生けるものに対して利益を与える。水に住み、陸地
に生きるすべての生きとし生けるもので利益を被らないものはない。かの海の底の珠(双円
性海の菩提心)は常に(仏舎利を収める)能作性の如意宝珠のみもとに通じ親しく特性を
分かつている。と記されています。

本図像の三弁宝珠には大師御筆・法身偈の梵文が描かれており、仏陀の教えを端的に示した
偈文であり、 究極の意味は「縁より生じ縁より滅する法はもとより不生不滅」である。
本図の偈文は東寺・観智院開基で、東密学匠中の瑞一と評された杲宝(ごうほう・1306
~1362)の著した護摩秘要鈔・十巻に記載された陀羅尼である。
(注)この法身偈の梵文ですが少々不明な処があるように見受けますが、観智院の資料「法
身偈 梵本大師御筆」と記されていますので、仏画には変更せずに転写致しました。

「法身偈」  諸法従縁生  如来説是因  是法従縁滅  是大沙門説
いかなる物事も縁(因縁)に依つて生起する  如来はそれらの因(原因)を説くものなり
またこれらの(滅尽)をも  大沙門が説かれたものなり

杲宝 東寺観智院「法身偈」大師御筆梵文 資料

 

如意宝珠

 

如意宝珠(にょいほうじゅ、चिन्तामणि (チンターマニ)、 Cintāmaṇi)とは、仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと。サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに願いをかなえる宝」と解釈できる。如意宝、如意珠、または宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)と呼ばれる。

チンターマニの形状は、日本では一般的に下部が球形、上部が山なりに湾曲して尖っている。一方、チベット仏教の宗教画、建造物では下部が円柱として伸びており、上部が山なりに湾曲して尖っている。
一つの種類として、3つのチンターマニが積み重なり(一般的には下に2個横に並び、その上に1個乗った形)一つの火炎に包まれたものがあり、これは三弁宝珠と呼ばれる。

チンターマニは仏や仏の教えの象徴と考えられる。地蔵菩薩虚空蔵菩薩如意輪観音などの持物三昧耶形とされる。チンターマニは無限の価値を持つものと伝えられており、祈りの対象となる。

チンターマニは通常、仏塔相輪の最上部に取り付けられる。そのほかには仏堂の頂上に置かれることがある。
擬宝珠(橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾)は、チンターマニを模したものとする説がある。

如意宝珠の概念は天台智顗(智ギ)の摩訶止観とともに日本に伝わった[1]。平安時代には神道にもとりこまれ、稲を持った豊穣の女神ウカノミタマが、富裕の神として如意宝珠を持った姿で描かれるようになった[2]ウカノミタマとともに信仰されてきた如意宝珠の図柄は、熊野本宮大社の牛玉宝印や伏見稲荷大社のご朱印として押印され続け、現代でも信仰の対象として使用されている[3][4]。なお宝珠印の原型と見られる炎を放つ液滴の図柄は、日本に仏教が伝わる前の6世紀頃、高句麗の高山洞1号墳北壁の玄武壁画の中央にすでに描かれている