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肉を自在にデザインできる次世代の「純肉」と、「細胞農業」が描く人類の未来

環境破壊が進み、食糧難を迎え、人類が宇宙への移住を余儀なくされた時、私たちの食生活はどうなるのだろうか。現在の宇宙食はバリエーションが豊富になってきているとはいえ、やはり美味しさの面では通常の食事に劣ってしまう。私たちは決して忘れることができないだろう。肉の旨味、噛みごたえ、ジューシーさを。

こうした未来は、ずっと遠くの話に聞こえるかもしれない。しかし、確実に近づいている未来の宇宙移住を見据えて、すでに対策を進めている研究者たちがいる。SFの世界観をも現実にしうる、最先端の肉の生産技術に迫ってみよう。

肉はテーブルの上で作り出せる?

私たちが肉を食べるまでには、牛や豚、ニワトリなどの家畜を育て、屠殺し、食用部分を切断して加工する過程が存在する。これが残酷云々といった議論は別のメディアに譲るが、飼育に際する穀物の消費は世界の食糧不足に繋がることが指摘されており、肉食を控えていくべきだという主張がある。と、言われても実際は、食が豊かな日本に住み、食糧問題が遠い世界の話に思える日常を送る私たちが肉食を控えるのは、あまり現実的ではないだろう。環境負荷を減らしながら、私たちが肉を食べ続けることができる方法はないのだろうか。

主に生物学研究をバックグラウンドとする人たちが集まるベンチャー企業であるインテグリカルチャー株式会社は、「細胞培養」の技術に着目し、持続可能な肉の開発を目指している。現代では、iPS細胞などの再生医療分野でおなじみの通り、体の一部を細胞単位で増やす技術に注目が集まっている。臓器のような大きな単位の再生はまだ技術的に難しいが、皮膚や網膜などの体の一部を再生することはできる。

niku(1)

肉は言ってしまえば、筋肉細胞(赤身部分)と脂肪細胞(脂身)で出来ている。つまり、細胞培養の技術を使って、筋肉細胞と脂肪細胞を増やし、うまく融合させることができれば、それは肉になるのではないか。

こうした発想を持つインテグリカルチャーは、「shojinmeat project」と呼ばれる団体から生まれた。shojinmeat projectは、細胞培養で作った肉「純肉」を世に広める活動をしており、ガチガチの生物学研究者から、経済・文化・社会領域を得意とする人まで、さまざまなバックグラウンドをもつメンバーが所属している。その中でも、インテグリカルチャーは、企業として純肉の培養技術を研究しており、純肉の事業化を目指している。

細胞培養の実態をおさらい

そもそも細胞培養とは実際何をしているのか、イメージできない方もいらっしゃるかもしれないので、先に簡単に説明しておく。

細胞培養とは、さまざまな種類の細胞で構成される生物から、細胞を取り出し(または購入し)、成長に必要な栄養素を含む液体の中で増殖させることである。

culture(1)

写真のように、シャーレに赤い液体が入っている中で行う様子を目にしたことがある方もいるかもしれない。この赤い液体は「培養液」と呼ばれるもので、実際によく使われるポピュラーな存在である。一見食用に適しているようにはとても見えないが、この赤色はリトマス試験紙のような役割があり、pHを色で確認するために加えられている色素である。培養液に含まれるそれ以外の成分は、ミネラル、糖分、タンパク質、脂質などの、人が普段食べている食物中に含まれるような栄養成分であり、誤って口に入れても支障がないと言われている。また、培養の操作は「クリーンベンチ」と呼ばれる無菌環境の中で行われるため、狭い空間に密集して牛が飼育されている畜舎の中よりも、はるかに清潔な環境で扱われると言えよう。

細胞の増殖は、無菌かつ、二酸化炭素や湿度・温度が厳密にコントロールされた中で行われる。細胞は、種類にもよるが、だいたい1日に1回分裂するので、週に数回培地を交換しながら、必要な数だけ細胞が増えるのを待つのである。

以上を踏まえて、インテグリカルチャー株式会社のCTOである福本景太さん(以下、福本)に、純肉や、細胞培養が作り出す未来についてお伺いしてみよう。

独自の培養技術で、フォアグラまで作れる!?

fuku-2(1)

細胞培養でお肉を作るとは斬新すぎます…!これまでには、どんなお肉を作られたのですか。

福本現段階では、鶏肉作りに成功しています。ニワトリの筋肉細胞が一番手に入れやすいので、実験でもニワトリを使うことが多いですね。

ニワトリの筋肉細胞は、どのように手に入れるのでしょうか。

福本まず、ヒヨコになる有精卵を入手して、孵化装置を使って途中まで孵化させて、あるタイミングで卵を割り、そこから「筋芽細胞」という筋肉のもとになる細胞を手に入れます。この筋芽細胞の量を増やしてから、次に、骨格筋の筋肉細胞に分化させるために必要な成分を含む培養液に変えて、筋肉細胞にしていきます。

受精卵から完全なヒヨコになるまでの途中にある、まだ完全ではない細胞を使う必要があるのですね。

福本今はまだ研究段階なのでそうしていますが、最終的には、成体の家畜から細胞を少し取って増やしたり、筋芽細胞のストックから培養を進めたりして、動物を殺さなくてもお肉が作れるようにしたいと考えてます。

それにしても、培養したお肉という表現にシズルを感じないのですが(笑)実際のお味はどうですか。

福本純肉という名の通り、純粋な筋肉細胞なので、鶏ささみのようにさっぱりした味です。shojinmeat projectのメンバー数名で作った純肉を食べている動画が、ニコニコ動画にも上がっているので、よかったら見てみてください。

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一方
日本の思想家の桐山靖雄は、全人類の知能革命に前進せよ。
ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の知能を高めねばならぬ。
ホモースツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それはすでに秒読みの段階に入っている。
このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふるき社会体系をすべて解体し
、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この
技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う。と述べます。

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「等価変換展開理論」

 

 そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。

 それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこの密教の秘密に挑戦し、自分でこの

技術を解明するまでは、ぜったいに信ずることができなかった。私は単身、五〇〇〇年の間秘密

のヴェールにつっまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ

とのできないほど精緻微妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。

 たとえば、

 さきにもちょっとふれたが、市川亀久弥博士は、最近の著作のなかマ(≒柚計器)お得意の

「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギヘの変化を例にして未来社会への脱皮を説

いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかである。こと

に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近来しきりに輩出する未来論のなかで、まさ

に出 色のものであるというべきである。

 ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用

して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな

かで、これは、″単に人類のあるべき未来社会に関するソフトーウェアの主張の範囲にとどまる

ものである”とことわり、この。ソフトーウェアに対するハードーウェアの具体的な提唱″は

″旺い将七に公長する~定である″ということであるから、われわれはまさに刮目してそれを待、ぐに、その″ソフトーウにアに対するハード・

ウェアの具体的な技術″を持っているのである。密教は、その持つ技術のひとつに、この市川理

論の「イモ虫からサナギヘの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをヒトの変身技術

に応用、実践していたのである。

 密教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので

ある。五〇〇〇年も前にI。

 地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、そして、空を舞う生物に

変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密

教がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に

飛躍させることを意味する。密教の変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう

のだ。

 しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的、神がかり的なアイマイな方法でな

く、適確な生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな

かのひとつに過ぎない。

 いったい、どんな智恵がそれをなしとげていたというのであろうか? 密教の技術を神秘とい

うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年生え出

現した超・ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵「照明智」を駆使してつくり上げ

た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりはかないであろう。

 

 さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」とはどんな理論か?

それがどのように密教の技術と関連があるのか?

 それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。

 ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。

 拙著「変身の原理」で、私は、密教についてっぎのように述べた。少し長いが引用してみる。

 『真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘密仏教とは、ふかいつながりかおる。だが、それは

どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、密教即真言宗、真

言宗即密教というものではないのである。

 真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した密教を、ああいう独白の形に体系化し、組織化

したものであって、密教そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、密

教そのものではない。

 それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインド密教を日本密

教の開祖空海が、独自の見識と叡智によって、ひとつの体系につくりあげたということである。

 おなじように、天台宗においても、天台密教というひとつの密教体系を組織完成しており、こ

れもまた、密教のひとつの流れということである。

 そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、]度、密教の原点

に立ちもどって考えてみなければならないのである。

 密教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。

 けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。

 ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、バラ

モンの時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完

成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら

れる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。

 われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、

いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者

たちの間に伝承されている正統ヨーガである)

 ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる

以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。

 ゴータマーブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た

ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら

はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

 

 

 

 

      

げになるからであった。

 ただし一部の、素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。

 ゴータマーブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った

りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違

いで、ブッダ自身、神足({乱石の教理、すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な

力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。これは、パーリ文献

によって容易に証明することができるのである。(略)

 それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。

 ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考

え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

 そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超

能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。

 それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ

る。神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

  欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

  勤神足(体と心のトレーニング法)

  心神足(潜在意識のトレーニング法)

   観神足(深層意識のトレーニング法)

  きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。

  一つは、超能力の開発技術

  一つは、大乗仏教の教義

 この二つである。

 この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金

剛大乗」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。これが密教である』

 -との引用の文章でわかるように、「変身の原理Lにおいて語られている「密教」というコ

トバは、「秘密仏教」という意味での「密教」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる

真言密教、あるいは真言宗密教の密教である。

 しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて

いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知ありたいのである。

 

 本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、

バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば4  R教は最初、ひとつの手法(技術)であった。ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる

か以前、バラモン時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。と

あるその「技術」、つまり、いうならば、″古代マーガ″と″真言密教″と、この二つを結合したものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、

この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。

 なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま、密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいのである。

 引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の道を求めた。さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増幅がなければならぬ。しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。大乗仏教という教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。つい

に行きづまることは当然であり、やがてヨーガの技術に救いをもとめるのはさらに当然というべ

きことであった。

 かくして、金剛大乗、真言密教が生まれた。ヨーガには、さきにあげた通り、ジョルジューオリヴィエ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。それは、①第四次元の理解、合複雑な全体をとっさに把握する能力、③第六感の獲得、④無限に発展した道徳意識、⑤とくに

われわれの悟性には不可解な精神的特質、というものであるが、これらの能力開発の技術は、それがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向傾斜があった。

 それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその目的に沿って取り入れた。一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者にだけつたえられ、あるいは変形された。こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成した。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ

せられてしまった。あるいは形骸だけがとどめられた。これが、秘密仏教の「行法」であった。

 これを究極的に完成したのは、日本密教、すなわち真言宗の開祖空海であった。秘密仏教がインドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏教はまだ完全にはできあかっていなかった。その混沌たる素材を取捨選択して、これをいま見る

真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才のみがなしとげることのできる偉業であったが、同時に、秘密仏教はあまりにも整然と様式化された日本的なものになってしまった。それまでかなり残っていた密教的な部分はほとんどかげにかくれ、一-法」は、様式化された宗教儀式になってしまった。

 しかし、それは、当時の目本の国情や、文化水準を背景にしたとき、やむを得ないことであったのである。というよりもむしろ当然であったというべきだろう。そうしなければ宗教として存

立することができなかったのである。

 だが、そのために、いまいった通り「法」はその力を失った。宗教的に様式化され、儀式化されてしまった「法」では、真の能力開発は困難である。というよりもそれは絶望に近い しかし、それはそれでいいのだ。真言密教というものが、宗教であって能力関発の技術ではな

く、仏教という信仰のワクのなかで教えを説き礼拝をつづけているだけでよいなら、それはそれでいいだろう。それに、ほとんど儀式化された「法」であっても、天分のある才能が懸命の努力を集中するなら、「法」の成就も不可能ではない。やってやれないことはないのである。けれども、それは何世紀にひとりというような稀有の才能を必要とするのではないのか。そういうすぐれた頭脳によれば、様式化された法のあとをたどって、ついにその源泉に到達し、そのなかに秘められた法の技術を発見し、体得することもできよう。あるいはまた、頭脳ではなく、熱烈な信仰が、そこへ導いていってくれることもあるかも知れぬ。だが、それは、万人に期待できることではない。

 要するに、真言密教成立の当時と全く時代が変ってしまった現在、真言密教が、他の宗教と根本的にちがうその本来の任務をほんとうに果たそうと思うならば、真言密教は大吝く変わらねばならぬ。真言密教はナみやかにその原点に立ちもどり、「法」を技術としてシステム化しなければならぬ。そうして、だれでもが平易にまなべる体系を編成ナることである。

 それは決して「法」を解体し、「法」を壊滅してしまうことではない。むしろ、そうすることによって法が生きるのである。また、それは決して宗教の解体ではない。

 法によって高い知的能力を得たならば、人はおのずから高い道徳意識、倫理観を持つものである。

 

 人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。

 教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。

 見よ。

 

 地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。

 どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?

 要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。

 もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマが

おっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?

 宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。

 政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?

 要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。

 この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?

 さて、話をもとにもどそう。

 教えの限界とはヒトの知能の限界だ。

 密教はその限界をうち破るのである。

 技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。

 それが、密教だ。

求闘持法《明星》の秘密

 

 私はこのことを念力の護摩の修得に際してさとった。

 先年、私は、念力の護摩法の伝授を受け、悉地成就の修行に入った。けれども、その行法の次

第を、何十ぺん何百。へんくり返しても、念力の火は出なかった。煙さえたちのぼる気配はなかっ

た。私かそのままその法の次第を忠実にくりかえしていたら、永久に念力の火は出なかったであ

ろう。出るはずがないのである。念力の護摩法の次第を、いくらくりかえしたって火は出ない。

そんなことで出るのだったら、今日までに、何百人、何千人の阿闇梨が念力の護摩を焚いていた

だろう。真言密教の念力の護摩法だけでは、ぜったいに火は出ない、それは、密教の技術によっ

て、サマーナ気を克服したとき(274頁参照)、はじめて肉体から火焔を発することができ、念力の

護摩は完成するのである。絶望した私は真言密教をはなれ、身を転じて古代インドの秘密経典に

むかった。

 私はそこでインドの聖典、バガヴァットーギータを続み、そこに念力の護摩の秘法がかたられ

ていることを知った(口絵写真参照)。そこから、ギータと不二の関係にあるヨーガに入った。ヨ

ーガに本当の念力の護摩があることを知った。ヨーガにおける私のいのちがけの修行がはじまっ

た。ヨーガの技術でなければ念力の火は出ないことがわかったからである。真言密教の念力の護摩法次第は、ほんの心おぼえ程度のものに過ぎず、これでは、だれがどうしたって火の出るはずがなかった。いや、この肉体が火となるための「法」としては心おぼえ程度のものですらなく、むしろ、バガヴァツトーギータの聖句のほうが、はるかに示唆に富んでいるといえた。ヨーガの念力の護摩は、ただ単なる観想の羅列ではなく、どの生理器官をどのように統御しどのように動かすという現実的具体的な「技術」があった。この技術によってトレーニングすれば、多少なりと素質のある者だったら、必死の修行によって念力の火を出すことは不可能ではない。真言密教の念力護摩法次第だけでは、大天才といえども不可能にちかい難事である。この秘密を知らずして、古来、いく人の密教修行者が、念力の護摩の次第と秘伝を前に、血と汗の絶望をくりかえしたことであったろう。思えばツミな″次第″である。

 これと全くおなじことが、真言密教につたえる「求聞持聡明法」についてもいうことができる。求闘持とは、古書に、『見聞覚知のことを憶持して長く忘れず、師なくして天地の感応を待つ、これを″求″といい、教なくして真如妙理を覚る。これを″聞″といい、一度覚るとながく忘れない、

これを″持″という』とあるように、求闘持法とは、ヒトの大脳を強化して、博覧強

卸、比類なき記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これをなん十。へんなん百ぺん行法の次第通りに修行したところで、その結果は、おそらく念力の護摩とたいしてかわらない結果におわるであろう。生命を賭して修法すれば、多少の効果はあろうが、宗祖が体験を以て示したような霊験を得ることはまず難い。なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持法」には印信観想による

精神集中の「法」はあるけれども、現実に生理器官である大脳皮質そのものを動かす「技術」を持っていないのである。ヨーガの「聡明法」は、どの器官をどう使ってどのように大脳皮質を動かすかという「技術」がある。また、それだけではない。根本的にちがうものがあるのである。

 ’それは、まったく根本的にちがう。

 拙著「変身の原理」で求闘持聡明法についてかたって以来、私は、十指を越える真言僧侶、阿閉梨がたから、手紙あるいは直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度ないし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった。修法の行じかた、あるいは心構えに越法のところがあったのであろうかというのであった。また、何度か修してみて、あの行法にそんな神秘的な力がひそんでいようとは思われぬというものがあった。なかにはお気の毒にも健康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿閉梨もおられた。

 お気の毒であるが、当然なのである。

 真言密教の阿開梨がたが、いくら求闘持法をくりかえしても、成就できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀いでる天才、英才であったら、その極に達することができるかも知れぬ。しかしまず、不可能にちかいというべきだろう。

 私か発見した密教の「求闘持法」でなければ、まず不可能にちかいといってよいであろう。こ

の法については章をあらためてくわしく書くが、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かそう。まず、最初、真言密教の求聞持法を述べてみる。

『比の法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。

 

道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の似沢である明星の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある』

 とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十目あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。

 けれども、密教の求聞持法では、べつに場所はえらばぬのである。静かな場所でありさえすればよい。また、いつはじめてもよいのである。明星を拝するのも、行のはじめに際して、あるひととき、星と月に対すればよいのである。

 また、これこそが密教のもっとも奥義とするところなのだが、弘法大師空海は、求聞持法の成就の体験を、

 『―阿国大滝の岳にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念ナ。谷響を惜しまず、明星来影す。

 言々』

 と語っている。すなわち、阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通り現証があり、法が成就した、

というのであるが、これは、空海のひとつの表現であって、これをそのまま鵜呑みにしてしまうからいけないのである。これはどこまでもひとつの表現なのだ。

 伝にいわく、

 『明星来影す、とは、結願のときに、香に火を置き、明星を拝するに、四方が暗く明星が見えねば悉地就成ではない。暗くても星が現ずれば下品の成就であり、四方が少々晴れて星が現ずれば中品、天に暗なく、ことごとく晴れて星現ずれば成就、四方が晴れても星現ぜざれば悉地成せざるなり』

 とあるが、これがちがうのである。まるっきりちがう。

 こういう口伝や奥伝をたよりにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持法は成就しない。

 明星とは現実の明星ではないのである。

 大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。

 その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させる

と、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目のなかでまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。

 これが明星なのだ!

 268頁をもう一度、読みかえしていただこう。

  ″頭のかかの光明に日を向けるならば″

 とある。これがそれなのである。

 ある特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)の刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目をある角度に向けると、目を開けていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

 この光が見えるようになると、記憶の座が自由にあやっれるようになるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力がついてくる。

 これが、「求聞持法」の明星の秘密である。大空を百年ながめて空中の明星を見つめていても、ムダだ。明星はわが大脳のなかにあるのだからI。

 このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてっかんだ秘密である。私以外にこれを知る者はついになかった。求闘持法の秘密を私はついにつかんだ。私はそれを誇りに思う。

 これをもとにして、私は、私の「求闘持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などというアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」である。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでもできるようになる技術である。

 本来ならば、こういうことは私の、「太極秘伝」として、ごくかぎられた者だけにひそかにつたえてゆくべきものなのだろう。だが、私はこれをひろく公開する。なぜならば、私は、世界中の人びとがこの法によって知能を高め、いっさいの愚行-殺し合い、奪い合い、罵り合い、にくみ合いから遠ざかってほしいのである。

 求聞持聡明法は、人の知能を三倍にナる。

 しかし、その半分でもよい。人類の知能が今の水準より平均一・五倍飛躍したら、この世

から、犯罪も戦争もいっさいなくなる。そういうものがあるのは、人間が愚かだからだ。求闘持法によって知能指数が倍加したら、そういうものがいかに愚かで馬鹿々々しいことか、大人が子

供のヶンカが馬鹿々々しくて見ていられないように、いっさい、しなくなる。

 私や、私の周囲のごく一部の者が、この法によっていくら賢くなろうとも、それがなにになろう。世界の大勢にどれはどの影響があろう。よしんば、私か、この法によって、古今無比の大聖者と仰がれるほどの力を持とうとも、世界のどこかで、権力を握っている馬鹿が、核バクダンのボタンをひとつ押したら、それっきりなのである。世界中はふっ飛んでしまう、古今無比の大聖

者もいっしよに!

 まあ、古今無比の大聖者ともなれば、事前にそれくらい察知して、安全な所に待避してしまうであろうが、世界中が壊滅して、助かった者も核の灰に汚染されて半死半生ばかりという世のなかに、自分とごく少数の一族だけが生き残ってなにになろう。ノアの方舟の時とは状況が全くちがうのである。

 このままでゆけば、核戦争がはじまるのはぜったい確実である。私にははっきりそれがわかる。この大愚行だけはやめさせなければならぬ。

 革命よりも、階級闘争よりも、人種闘争よりも、なによりも、いま、人類に必要なのはこれだ。これが根本的に人類を救う道だ、とそう私は思う。ヒトの知能が二倍になったら、いま、人類がかかえているあらゆる問題はすべて解決してしまう。そう、あなたも思わないか?

 私か、この求聞持法を惜しげもなく公開し、ひとりでも多く、一目でも早く、修得してほしいとねがうのは、そのためなのだ。

 さて、はなしが少々よこにそれたが、この大脳の部位のことは、インドのヨーガの指導者も知っており、ヨーガのほうでは、この部位のことを、

 「頭のなかの光座の座」

 とか、

 「梵の座、梵の裂け目」(brahma randhro

 とか、

 「サハスララーチャクラ」

 と名づけ、頭の中の光明がかがやいている部分であると考えている。しかし、これも解釈がちがっている。

 頭のなかに光明がかがやいているのではない。私の発見した求闘持法とおなじ原理である。大脳のある部位を、あるエネルギーで刺激すると、あるひとつの物質が分泌され、それが脳の神経組織を刺激して、目に光を感じさせる。                  『- それが、頭と目の微妙な角度のちがい、刺激の相違で、目のなか、目の前、および、頭のなか、というように、光の浮かぶ場所がちがうのである。

 求聞特法の湯合は、目の前の、やや上方、ニメートルから三メートルくらいのところに浮かんでみえる。目の角度と、瞳孔の絞りかたによっては、はるか遠くの空に小さくかがやくように

(ちょうど明星のように)見えないこともない。もし、人里はなれた山のなかであったら、明けの明星のように見えることもできるだろう。私の経験では、目のななめ上方一メートル内外のところに見えるようにするのが、一番、″上品″のようである。

 目を閉じて、目の奥の上方、つまり、ヨーガでいう”梵の座”のあたりに、光明を感じさせる

技術は、頭の角度と、脳の刺激する揚所が、求聞特法と少しちがう。したがって、これは、求聞持法ではなく、ちがう力を発現する。また別な法である。この法については、またあとで別に章をもうけて説明しよう。

 

(サマーナ気統御の技術》と《護摩法》の合体

 おなじような例がいくっもある。

 たとえば″五相成身観”である。

 これは、真言宗徒がかならずおさめねばならぬ金剛界法という法のなかにあり、密教門でもと

くに重要な観法とされる行法である。

 凡夫がホトヶという超能力者になるまでの過程を五つに分け、修行者は、ひとつひとつその境界を体験してゆくのであるが、これが、いずれも密教の重要な修行課目になっており、あきらか

に密教から出たものであることがわかる。

 しかも、真言密教では、印と観想の二つからなる”観法″であるが、密教においては、観法だ

けではなく、特殊な技術による鍛 練によって生理的器官を動かし、実際に五つの境界に対応す

る力をつける訓練となっている。

 また、真言密教においてもっとも重要とされる金剛界九会マンダラもそうである。金剛界九会

マンダラは、凡夫がホトケになる九つの段階と、ホトケというものの力、ホトケのはたらきを図

像にえがきあらわしたものであるが、要するに、ホトケの説明である。

 もっとも、真言密教は、このマンダラにもとづいて、前記した金剛界法という行法を編成し、

。観法″によってこれを修行者に体得させようとする。これは、一般仏教、顕教が、その修行方

法として、ただ、経典の読誦と、念仏、唱名題目しか持だないのに対し、一段と進歩したすぐれ

た修行方法であるというべきだが、しかし、これも、真言密教が″観法”だけであるのに対し、

密教は、九会マンダラにあらわされた九つの力を実際に体得させる訓練技術を持っている。

 例をあげれば、微細会マンダラがそうである。これは九会マンダラのなかの東南方に位するマ

ンダラで、ホトケの微妙幽玄にして不可思議なる智恵の力とはたらきをあらわすものである。

 密教には、実際にこの力を生ぜしめる訓練がある。

 真言密教では、ただ、。観想″による″観法″しかない。現実にそういう″力″を持たせると

ころの″技術″がない。

 276頁を見ていただこう。

。あきらかに、微細会マンダラは、ヨーガのこの訓練から出ている。ナくなくとも、この訓練に

よって得られる力を背景にしたものであることは間違いない。

 これは、密教の技術で、胸の部分の或る部位に力を集中することによって得られる力である。

 -こうしてみてくると、真言密教がとるべき道は、おのずから明らかであるといわねばなるまい。真言密教の行法は、密教の技法をとり入れることにより、本当の力が生ずるのではないのか?

 そういうと、密教がそんなにすぐれたものであるというなら、密教は真言密教をはなれて、密教独自の道を歩んだらよいではないかという意見が出るかも知れない。その通りである。それでもよいのだ。そういう道もあると私も思う。

 しかし、それにもかかわらず、私か真言密教にある価値を見出すのは、その表現様式である。おもしろいことだと思う。

 様式だけになってしまっている(と私が思う)真言密教の、その様式が、なかなか貴重なのだ。

 私が体得した密教の秘奥の技術を、さて、どのように表現しようかと、その様式を考えてゆくと、結局、真言密教の様式がいちばん便利なのである。たとえば、私の体得創案した「求聞持法」は、ヨーガの技術から発見したもので、真言密教の「求聞持法」とは全然ちがう。そのことは、前の項でおわかりになったことと思う。

 しかし、私の求闘持法を、人に教える場合、真言密教の求闘持法の様式、形式をある程度とり入れて、カリキュラムを組むと、教わるほうもおぼえやすい形式ができる。

 たとえば、真言密教の求聞持法は、九種類の印明から成り立っている。九種類の印明と観想である。しかし、それだけではダメなことは、前の項で述べた通りである。

 私の求闘持法は、生理器官を動かしてゆく。大脳のある部位を刺激ナるために、八ヵ所の、体の器官を動かす。この八ヵ所の器官と、最後の大脳の器官と、合計九ヵ所の力を動かすのに、真言密教の九種類の印明をあてはめて、動かす技術を教えてゆくと、たいへん便利なのである。教わるほうもおぼえやすい。

 念力の護摩もそうである。

 念力の火を実際に出すのは密教の技法によるよりほかない。真言密教の念力の護摩法ではぜったいに出ない。

 けれども、この密教の念力の技法、サマーナの気を日させさせて、大のエネルギーを体内から放射させる技術を、どういう表現形式をとって、「法」として展開させたらよいか、というと、真言密教の護摩法という形式を以て構成するのが最もよいのである。これ以上、よい表現形式はないし、また、サマーナの気を節日させる精神集中にもっとも適している。やりよいのだ。力の発現が容易になる。後進の指導にあたって、念力発生のトレーニングにもすぐれた効果をあらわす。

 そういうわけで、私は、ヨーガの″サマーナ気統御の技術″と、真言密教の″護摩法″とを合わせて、独自の「念力護摩法」を編成したのである。

 この方式を適用してゆくと、真言密教の行法のなかにもすぐれた法がいくっもあるし、ヨーガの秘奥の技術もつぎっぎと現代に生かされてくる。両 々あいまって、ここにこそ、超・ヒト、ホモーエクセレンス誕生の技術かおる、と私は信ずるのだ。宗祖、弘法大師空海が、いま、生きておられたら、やはり必ずこうされる、そう信じて、私はひとりこの道をゆくのである。だれがなんといおうとも。

 

 

 

 

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ラスト オブ アス リマスタード(The Last of Us Remastered)

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本作は「アンチャーテッド」シリーズのノーティードッグが開発を手掛けた3人称視点(TPS)のアクション。謎の寄生菌のパンデミック により荒廃した世界が舞台。
主人公のジョエルとエリーを待ち受けるのは凶暴な感染者や、略奪者たちとの戦いだ。

ラスト オブ アス リマスタード(The Last of Us Remastered)の画像

ゲームは基本的にジョエルを操作しながら進めていく。道中で入手できるショットガンや拳銃などの他、火炎瓶や爆弾などのアイテムを使って戦況を有利に進めていこう。
また、拾った素材を組み合わせることで治療キットなどを作ることができるぞ。

おすすめポイント

  • 様々な映画やドラマから影響を受けた作品だけあり、ストーリーがとにかく面白いです。冒頭10分でのめりこめるはず。
  • 壁の向こうの敵の位置が把握できる“聞き耳”システムなど、パワーで突き進むというより隠れながら攻略していくスタイルが面白い。潜入ミッションが好きな方にオススメ

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変身の原理 桐山靖雄著The principle of transformation by Syuyu Kiriyama

桐山靖雄

『変身の原理』と密教ブーム
 この『変身の原理』が出たあと、密教ブームが起こった。桐山は密教ブームに乗ったと いまになっていう人がいるが、事実はそうではなくて、この本が出る以前は、一般大衆は 密教という言葉さえ知らなかったくらいであった。この本が出てはじめて密教という言葉を知った人が多かった。と同時に、超能力という言葉も一般に使われるようになった。
 「この頃、密教、密教としきりに聞くが、密教って、真言宗のことだってね」と言った真言宗のお坊さんもあったとか、とにかくこの本によって、密教ブームが起こった。
 コリンーウィルソンの『オカルト』(新潮社)を翻訳された中村保男さんは、同書の「あ とがき」で、この『オカルト』と、わたくしの『変身の原理』および『密教―超能力の秘
密』とが、符節を合するように、同時期に刊行され、英語と日本語という本のちがいはあ書かれたものはなかった。たとえあっても、ほとんど人目につかなかった。洋の東西で、同時期にそういった内容のものが、発表されたということ
はまことに興味深い。あながち偶然とはいえないような気がする。

 と同時に、これはわたくしにとって、単なる本ではなく、わたくしの世間に対する一つの宣言であったのである。
 すなわち、わたくしは、この本の中で、密教というのはマンーパワー開発の最高の方法 であり、超能力を人に与える方法をもっているのだ、といっているだけではなく、わたくし自身がすでにそれを身につけているということをはっきりと断言しているわけである。
 それは何かというと、わたくしは、この本の中で、密教の修行によって五つの超人的能力をもつことができると断言している。
 その五つの超人的能力とは、
   一 物事の明確な認識と予知および正確な選択力
   二 すぐれた高度の創造力
   三 自分を変え、他人を動かし、自分の思うままに環境をつくり変える    力
   四 強靭な体力と卓抜な精神力
   五 すさまじい爆発的な念力による願望達成力
     である。
 そして、密教の指導者としてこの本を書いた著者は、その五つの力を身につけているの だと断言しているのである。断言したからには、それを実証してみせる義務があろう。それが実証できないのなら、断言すべきではないのである。だから、断言したということは、実証してみせる自信があるからで、それはもはや単なる断言ではなく、宣言というべきも
のであろう。筆を執ったその時点において、どういうかたちでそれを実証するかというはっきりしたものはなかったが、それは、心の奥深く、徐々に動きはじめていたのである。
何か、心の奥深く、鳴っているものがあったのである。それが、この本を書かせたのであ。

Tatsuo Kiriyama

The principle of transformation and the esoteric boom
After this “transformation principle” came out, a esoteric boom occurred. Some people say that Kiriyama has been on the esoteric boom, but the fact is not so, and before the book came out, the general public didn’t even know the word esoteric. Many people knew the word esoteric for the first time after this book came out. At the same time, the term superpower was also commonly used.
“There was a priest of the Shingon sect that said,“ At this time, it was esoteric and esoteric, but it was about Shingon Buddhism. ”Anyway, this book caused a esoteric boom.
Mr. Yasuo Nakamura, who translated Korin-Wilson’s “Occult” (Shinchosha), wrote “Occult”, “My Principles of Transformation” and “Secret of Esoteric Powers”
The book “Mitsu” was published at the same time as the punctuation mark, and the difference between English and Japanese was never written. Even if there was, it was hardly noticeable. That the contents were announced at the same time in the east and west of the ocean
Very interesting. I feel like it’s not a coincidence.

At the same time, this was not just a book for me, but a declaration for my world.
In other words, in this book, I am not saying that esotericism is the best way to develop man-power and that it has a way to give people super power. It is clearly asserting that it is attached to.
As for what it is, in my book, I declare that I can have five superhuman abilities by esoteric practice.
The five superhuman abilities are

Clear recognition and prediction of things and accurate selection
Two excellent creativity
Change yourself, move others, and create the environment as you wish
Four strong physical strength and outstanding mental power
5 Achieving desires with tremendous explosive power
It is.
And the author who wrote this book as a esoteric leader asserts that he has the five powers. After affirming, there will be an obligation to prove it. If it cannot be proven, it should not be asserted. So, because I am confident that I have asserted, it is no longer just an assertion, but a declaration
It will be. At the time of writing, there was no clear way of demonstrating it, but it was beginning to move deeply in the heart.
There was something deeply screaming in my heart. That made me write this book

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出版社
平河出版社
発売日
2002/12/1
言語
日本語
梱包サイズ
19 x 13.8 x 3.8 cm
発送重量
880 g
本の長さ
560
ISBN-10
4892033200
ISBN-13
978-4892033209

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変身の原理―密教の神秘

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Seiyu Kiriyama    Relinquishdo reed

 

 

Geniuses who created “the logic of destruction”

In the modern society, under a single view of the world that should be called “superstition”, it is possible to die of destruction and catastrophe.

I, I ” ‘m struggling with tremendous prewar energy

What is the wrong view of the world?

It is a way of thinking that “the world always advances to a worthy state by knowledge and technology”. .

This is no longer a “thought” for the people of today’s developed countries.

“Because I am”, “I have become even hope L”.

This worldview is based on the idea that machines and technology are all-purpose, which in turn

It is a basic concept to configure. Let’s look at the life of a modern person that has come out of it.

Play is to play around the machine-electronic game created by electronic technology, entertainment is

It is a television and electronic music. The job is to adjust the monitor and the fine adjustment machine, and even the mouth

It is becoming ideal to have them act as substitutes for the boat. The daily activities are defined by the watch, the communication means is the telephone, and the housework is the cooker, the washing machine and other operations by electronic technology. , Calculator, co

With the help of computer and television, the word processor has made it unnecessary to write letters.

Travel is all machine-embraced life, as cars and jets compete for speed.

It is.

The basic idea is that as machines and technology progress, our lives are improved, improved and

It is said to flourish. And it will rise endlessly by improving human knowledge and technology

It is considered to be one that will continue.

The author of “The Law of Entropy”, J. Rifkin, created and decided on this view of the world:

As a human thinker, it is written as follows.

“Each view of the world has its builder. Three people have built a mechanical worldview skin

Between, namely Francis Bacon, René Des Cartes and Isaac Newton

Ru. Moreover, we, about 40 years after that, are still based on their thinking.

I live ”

Until then, it was the fugitive that ruled out the principles for mechanical systems, excluding the view of the ancient Greek world.

In Lansis Bacon, he says, “Human life is not always full of new discoveries and potentials.

It must not be. Now the true goal of learning is nothing more than the standardization of the method. ”

The new method is “scientific methodology”. It is a bud of science universalism.

Subsequently, the mathematician René Des Cartes extended his universality theory of science and science by mathematical methodology.

The Then, Isa ′ ′ Kunewton constructed the world of physical mechanical systems by mathematical methods.

The Here, the theory of machine and science has become complete and inexorable.

It is the philosopher and political scientist of the United Kingdom who introduced this view of the mechanical world into sociology and economics.

John Locke (1632) and Adam Smith, a British economist

It was Su (one hundred seventy-one).

John Locke said, “It is the self-interest as L that personal wealth is social rich

Pursuing pure pursuit is the one and only way to form a better nation. People are,

Naturally, there is no problem as long as material greed is born strong or if we only increase the wealth of society

If so, society will be harmonized and improved, and there will be a society where people do not have to fight each other

He asserts that “Because nature is so blessed enough that it has enough power to be developed

I presume that it is from L leaving. Therefore,

It was about giving the people the freedom to produce wealth by the power of nature (science and technology).

It was

He tried to establish an economic theory in such a way as to reflect the general concept of the Newton system.

The Smith is the same as the astronomical object that moves according to the law of nature in the “National Wealth”, and the economy is

They also indicate similar behavior, and thus the most efficient way for economic organizations is to

It is arbitrariness, leaving the phenomenon as it is, so as not to disturb human behavior.

I suppose. Ro

I believed that I was satisfied. And, as it is natural, criticize personal desires or personal interests

Creating social barriers that impedes pursuit is considered to cause harm to society.

In other words, the desire to satisfy oneself as it is will eventually bring about the benefits of society.

Should not discourage efficient activities resulting from their desires, but rather the best economy

In principle, he argued that individuals should act in a selfish manner in order to overcome shortages

It is

“Everyone always finds the best possible employment for any capital that he can control

We are working hard to This is the very benefit of the individual, the benefit of the society to which the individual belongs

There is no. However, it is natural or rather inevitable to pursue the interests of oneself.

It will lead to the creation of the most profitable employment for society. “(Adam Smith” The Wealth of Nations “)

This view of the world represented by Adam Smith is still accepted as it is, and it

In the first place, it consists of two bases.

As John Locke said, “Nature is rich enough and we have to make sure that we have enough capacity to be developed.

“I think that I have left”. No, I believe that modern people have left jJ

Isn’t it? Because I believe so, applying the scientific principles of mechanics to machines and technology

As long as it is developed, this world is considered to be infinitely improved and improved, and to thrive. That

The driving force is, as Roet and Smith preached, the human material selfishness of humanity

It is the idea that it is developed to the limit.

Pursuing and realizing more material richness 2 is progress, and it is human ideal world

-. Thought is the world, science and technology can realize it completely. I am convinced.

It is these two.

You too may not have the same idea as this idea, or something close to it

However, this idea was completely “superstition” and “aspiration.”

This world view, which should bring humanity to the world of progress and prosperity, will actually push humanity to destruction and catastrophe

It was “thought of hell”.

It was “the law of entropy” that made it clear.

Entropy law

“The law of entropy” is the “law of thermodynamics”, but in this law of thermodynamics, “the first law”

There are “law” and “second law”.

The first law states that “the sum of matter and pre-energy in the universe is constant, and it is never created or disappears.

There is no such thing as In addition, the substance changes only in its form, the essence does not change. ”

That is the famous “Senseless Conservation Law”.

And the second law of thermodynamics, that is, the “law of entropy”, is expressed as

Be done. ‘

“Mass and energy change in one direction only, ie from usable to unusable

To or from available to unavailable or otherwise ordered

Change to a disordered thing.

About this “law of entropy”, Albert-Einsteich “entropy,

It is the first law for all sciences. Of all scientific laws, absolute law

It is considered as this, but it is this “law of entropy”.

Entropy is a type of measurement by which available pre-energy can be used

It can measure the degree of conversion to the impossible form. Therefore, increase entropy

The big means an increase in useless prewar energy. Two critical points indicated by this law

There is a One is that pre-engineering that has been used twice will no longer be usable. ”

One is that if an orderly thing is created somewhere on earth or in the universe,

That’s what is said to be a big disorder.

In the light of this law of entropy, the view of the world so far is completely superstitious

It became clear that it was an error.

First of all, natural resources in the world are limited, and science and technology

If you continue to use it, there are no resources to use on this planet

The

Any science and technology, using energy over and over again without exhausting energy

It is impossible to have a law. For example, burn coal. Although energy can be obtained, sulfur dioxide

Yellow and other gases are generated and diffuse into the air. Energy is lost in the process

However, once burned coal can not be burned again, and it is possible to gain much the same amount of work.

I can not do such a thing.

J. Lifkin explains this in “The Law of Entropy” as follows.

Above: “We have been able to develop just about the right technology for almost everything we use

For example, I think that it is possible to completely reproduce and use it first. But this is a mistake. Future-3

For this world to survive economically, promote cycling more efficiently.

It is essential to move forward and, needless to say, 100% reprocessing

It is also a fact that there is no way to do it.

For example, if you look at most of the used metals, as if you would like to make more money if you think about the soft drink

The average recycling efficiency is currently at 308 I cent. Further recycling

Energy, such as collection, transport, and processing of used materials.

The result is an increase in the overall entropy of the environment. Therefore, to recycle something new

Cost of energy that can be used by

Well,

“Even once used, it is possible to recycle, but it changes and changes every time

It must be prepared for “falling down” to go

Energy and substances are consumed, so in the end, there is nothing as a whole.

“For example, let’s assume that you take metal from the ground and then make some tools.

While this tool is present, metal molecules fly away constantly due to friction, fatigue, scratches, etc.

In addition, these liberated metal molecules never disappear, and eventually they dance in the soil.

I will return.

However, even if it returns to the soil, it will be scattered in the soil this time, so the original gold

It is no longer capable of doing useful work like lumps of metal ore. . Also, ‘y

A method to recycle all metal molecules scattered in the soil will be discovered in the future

It may also be said that in this whole process it is also

Always with increasing entropy in another dimension

However, the modern society blindly believes that science and technology can create unlimited tools for their convenience and prosperity.

NY Agon,s kiriyama S

It is so nice to be back in New York again. It’s been exactly one year since I was last here.

This is the second year in a row that I have been able to achieve my long-standing desire to perform a goma fire ceremony in New York City. Today’s service would not have been possible without the close cooperation of the management and staff of the Riverside Church and the efforts of many people who have been working behind the scenes. I would like to offer my sincere gratitude to all those people, and to you, who are participating by your attendance. Thank you very much.

Before I proceed, let me first take this opportunity to express my profound sorrow and sympathy on the recent, tragic terrorist attacks against the United States.

I am deeply impressed by the determination and heroic courage that the American people, led by President Bush, have shown in the face of this sad and painful crisis. In particular I’d like to pay my sincere respects to the fire fighters, policemen, and emergency workers who have been doing such a wonderful job.

I watched the coverage of the memorial service held at Yankee Stadium on September 23. This, too, was truly soul wrenching.

Mayor Giuliani made a speech during the service. I’m sure you all remember his words, but they are worth repeating here. Mayor Giuliani declared: “To those who say our city will never be the same, I say, you are right. It will be better.”

These words, more than anything, show that

 

 

2222

 

Water ceaselessly changes form. So does the human mind. It changes form from moment to moment, instant by instant. As I said in the video: “People experience grief, sadness, and joy. However, this does not mean that people have fixed feelings of grief, sadness, and joy in their minds.”

That’s right. When we look at water, we see that it constantly changes form in response to conditions. Now look at the ever-changing mind with the same eye that views the water. Accept the functioning of the mind for what it is. Don’t get caught up in the constant transformations. Cut the attachment between the observer and what is observed and free your mind from bondage. Entrust to the flow and watch the arising and extinguishing of all phenomena as though you were watching a passing stream.

I imagine that right now many of you are still deep in sorrow, having lost relatives, friends, colleagues, and fellow citizens to this demonic

Water ceaselessly changes form. So does the human mind. It changes form from moment to moment, instant by instant. As I said in the video: “People experience grief, sadness, and joy. However, this does not mean that people have fixed feelings of grief, sadness, and joy in their minds.”

That’s right. When we look at water, we see that it constantly changes form in response to conditions. Now look at the ever-changing mind with the same eye that views the water. Accept the functioning of the mind for what it is. Don’t get caught up in the constant transformations. Cut the attachment between the observer and what is observed and free your mind from bondage. Entrust to the flow and watch the arising and extinguishing of all phenomena as though you were watching a passing stream.

I imagine that right now many of you are still deep in sorrow, having lost relatives, friends, colleagues, and fellow citizens to this demonic

 

梵字   1-1

y∧
梵字仏

 迷いを断ち、真理を体得する修行の魅力
 モノ偏重の文明が生んださまざ主な社会のひずみのなかで、人間としてのぱんとうの生き方を
求めようとすれば、自己中心的な意識を捨て、森羅万象を支配する大自然の理法への順応を説く
仏教の教えが見直されるのは、ごく自然の’』とと思われます。
 仏教は、大自然の法則をしっかりと見極め、その法則にしたがうヴ]とf」そ、人間のぱんとうの
生き方であると教えています。では、どうしたら、この理法を体得できるのでしょうか。仏教は、
そのための実践的な修行の方法を詳細に説いております。
 わたくしたちの身近なとf』ろで、さまざ主な形でこの修行が行なわれています。たとえば、写
経、写仏、坐禅、瞑想などは、そのなかでも最も一般的なものといえ主しょう。このぱかにも念
仏、唱題、読経、水行、滝行など、実にさまざまな修行があります。
 これらの修行は、もちろん、お釈迦さまがさとられた「真理」に  歩でも近づきたいとの願い
から行なわれてきました。自分を見失いがちな現代人によって、ゞ」の仏教の修行が、すぐれた精
神修養法としても注目され、ひろく一般に普及しているのは、たいへん喜ばしいf]とです。
 脚光をあびる梵字仏書写修行
 ところで、近年、すぐれた実践行の一つとして、脚光を浴びるようになったのが、梵字仏の書
写です。梵字は、世界でもっとも美しい文字といわれ、仏教経典の原典の記述に使用され、その
聖典、聖句を伝えた神聖な文字とされています。その梵字の種子は、一字で諸仏諸尊をあらわす
象徴とされ、その一宇、二子には深い哲学的な意義がこめられているところから、古来、信仰の
対象となってきました。それは種子の中に、仏さまのお姿を示す「形相」、仏さまの「さとり」、
それに「三昧耶」といわれる仏さまの本誓(仏が衆生を救済しようとする誓い)など、一尊のも
つすべてが包蔵されているからなのです。
 つまり、梵字の種子は、無量無辺の功徳が包蔵されている真に霊験あらたかな仏であるという
ヴ]とができます。種子は、ヴ」れを拝するだけでも大きな功徳があるといわれているのは、そのた
めです。わたくしたちは、この神聖な梵字仏を書写するI-―すなわち、その種子によってあらわ
されるご本尊さまを書写造顕するIのですから、さらに大きな功徳が得られるといえましょう。
真の幸福をよびこむ修行
梵字仏書写は、たいへん次元の高い修行法であり、霊格の高い仏さまをおつくりす

ることになります。これから始められる読者のみなさんは、このことをよくご理解いただき、筆
を持つ指先に精神を集中させ、真心を’』めて、一心に書写を繰り返されることが大切です。やが
て、心が統一され、おのずと仏さまと一体の境地にはいることができるでしょう。
 梵字仏の書写造顕は、ときにいっさいの災いを消滅させ、病苦を除き、迷いを断じて、道をひ
らき、わたくしたちをさとりへと導いてくださるといわれています。この浄行によって、あなた
は、心の中の浄菩提心を目ざめさせ、ぼんとうの自分の姿を見つめ、人間としての真の生き方を
見いだすことができるでしょう。
 このことは、梵字の仏さまに手をとっていただき、仏と一体となり、仏のご加護がいただける
ということです。一人でも多くのかたが、この梵字仏書写をお始めになられることをおすすめ致
します。