真言密教の胎蔵界マンダラ第三重南面に、除障院というマンダラがえがかれてい
障というのは、人間と人間社会におけるすべての直隆(文字の通り、のよう 覆っている障害)をとりのぞくという意味で、その障をとり除く仏たちがまつら れているのが、除障院である。
この院の主尊、すなわち中心の仏を「不思議慧」という。
そのおすがたは、左手に蓮華を持ち、蓮華上に摩尼宝珠(如意宝珠)を置き、右の 手は無印を組んで、胸の前に上げている。 このおすがたはなにを表現している
仏のさずける不思議をしているのである。
というのは、一切の災禍をとり除いて、いかなる不安もない平穏無事の世界 を実現するということで、それを実現するのが、不思議な仏のであるというの である。
不思議というのは、人間の思慮ではおしはかることのできない次元のことをいい
不思議慧菩薩は、その不思議な智慧を象徴した仏である。 では、その不思議な仏の智慧はどこから来るのか?
それは左の手の蓮華の上に奉安された、摩尼宝珠から来るのである。
持法のあたえる智慧は、この不思議な仏の智慧なのである。この仏の智慧
不思議なはたらきによって、
この地上の一切の笑
核戦争・環境破壊・貧困
という。
等を減除して、無異なる世界を実現するのである。
都如意求聞持明法の奥の修行に入ると、この摩尼宝珠が、特殊な観法の中心 となる。これなくしてこの法の成就はない。(如意宝珠法に関係があるのである) 宝珠というのは、仏陀シャカの御聖真身舎利のことで、真身を「駄都」
これを以て、都如意求聞持聡明法と名づけたのである。
真身舎利を本尊としてまつる阿含宗が、この都知求聞持明法を完成したのは、 決して偶然ではなかったのだと、つくづく思わざるを得ないのである。