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占星 1

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運命転換はできるか

 しかし、こういう厳格な条件に当てはまる実例はめったにない。運命学の分野では、人の運命を予 

見し、そのとおりになったというような実例は無数にある・しかしヽ予見した運命をこのように改変 しかというふうた実側外に属するものだからである。

 それでは、以上のような厳重な条件にパスした運命改善の成功者はないのかというと、ないことない。あるのである。

 一つ、その実例をあげてみよう。

 

 袁了凡の陰隙録

 

 中国、明の時代、一五五〇年から一六〇〇年代にかけて、袁子凡という人がいた。豊臣秀吉の朝鮮の役に、明の提督李如松に先んじて、宋応品軍の主事として参加し、わが加藤清正と戦い、これを咸鏡に破っている。といえば、だいたい時代がはっきりのみこめるだろう。この人が、運命改善を志して成功し、その体験談、実践録を書き残しているのである。これが後世に非常な影響をあたえている。

 袁了凡という人は江南の豪族の出で、最初、官吏の登庸試験を受けて役人になろうとしお母さんから医者になれといわれて医学を学ぶようになった。ある時、慈霊寺に遊んだとき、雲南の人で孔と仏に会た。この孔老人は、耶康節の秘伝を受けているという非常な易の達人だ

つたのである。郡康節という人は宋代の儒者で、運命学に精通し、「梅花心易」の創始者とされ、なかなかおもしろい話のある人であるが、それはまた別な機会にお話しするとして、この老人が彼の一生を占ってくれたのである。

 ところがその占いの千言がすべて適中し、そのとおりになっていったので、了凡はすっかり運命論者になってしまったのである。が、のちに役人になって北京に行ったとき、雲谷禅師を棲霞山に訪ねてその説くところに深く感ずるところがあり、いままでの運命論者の生きかたを捨てて、自己の運命を開拓改善することを決意した。その結果、彼は千言された運命をすっかりっくり変えてしまったのであるが、その実践録を、わ子、天啓のためにくわしく書き残した。「陰随録」と題する書物がそれである。

 陰陥という言葉は、書経の洪範からとったもので、要ナるにわれわれが陰徳を行なえば天は必ず福を下すし、悪事をすれば必ず悪い報いをあたえるということで、中国特有の敬天思想であり、仏教の因果応報にあたる。この陰隙思想は東洋人の人生観の根底をなすものであるが、なかでも袁了凡の陰濡録はその代表的なものであり、後世に大きな影響をあたえたのである。

 一つ、この「陰随録」を読んで、彼がどのように行動し、どのように運命を改善していったかを見てみることにしよう。

 

 

 -私は幼い頃に父を失い、その後官吏になろうとして勉強しておった。

 袁了凡は、このように語り出す。

『ところが、母から官吏になる勉強をやめて医者になる勉強をするように、これは父上の考えでもあったことだといわれたので、その命に従い、医術を学ぶこととした。その後、私か慈雲寺におったとき、一人の老人に出会ったが、その老人は長いひげを生やし、立派な容貌をしており、ひょうぜんとしてさながら仙人のようだったので、私は尊敬の念をもって挨拶をした。すると老人は私に

 「あんたはやがて官吏になる人である。来年は登庸試験に合格するはずであるのに、どうしてその勉強をしないのか」

 というので、私は母にいわれたことなどのわけを告げた。すると老人は、

 「私は姓を孔といい、雲南の者で、郡康節先生の易学の秘伝を受けている。これをあんたに伝えよう

と思い、万一 もある遠いところをはるばる尋ねてきたおけだが、どこか泊るところはないだろうかにというので、私は老人をつれて家に帰り、そのことを母に話した。すると母は。「よく接待しても、そこで老人を接待しながら、試みにいろいろと占っても受ける勉強をする気になったのだ。

 人のト‐いによると、試験の献験に第十川冊目、府の試験では第七十二番目、道の試験では第九番で合格するということであった。明年試験に行った。すると三ヵ所の合格順位はみな老人のいうとおりであった。

 さらに、孔老人は私の一生涯の吉凶を占ってくれたが、それによると、

 「某の年には試験に第何番目で合格し、某の年には官から俸給を受けるようになるであろう。某の年には貢生となるであろう。貢生となってから某年に四川省の長官に選ばれるであろう。そして在任二年半で休暇をもらって帰郷するようになる。こうして五十三歳の八月十四目の丑の刻に表座敷において一生を終わるであろう。惜しいことに子供どもがない。

 ということであった。私はこれらのことを慎んで書きとめておいた。

 それから以後、試験に遇うたびにその年月順位を比べてみると、前後すべて孔先生の予一盲にぴったりあって、少しもはずれるということがなかった。ただ禄米九十一石五斗をいただいて、貢生に迎出されると占ったのに、禄米七十金石になったとき、屠先生が貢生にすることに決裁したので、私はひそかに変だと思った。ところが、そののち、署印の楊公の非難にあって取りやめとなり、そのまま丁卯の年となった。ところが殷秋漢先生が、試験場に提出しておいた私の文章を見て、感心し、県の役所から具申して、貢生たることを許可するようにした。ここで前からの禄米を通算してみると、ちょうど九十一石五斗であった。                           

 私はこのことによって、いよいよヽ進んで仕えヽ退いて野に下るにしても一定の運命がありヽ出世 の遅いのも速いのも定まった時機があるということを信ずるようになり、心中淡々として運命にまかせることとし、他を求めないようになった。

 雲谷禅師に遇う

 貢生となって北京に入り、都に一年おった。それからいったん帰郷し、さらに南京の大学に遊学したが、まだ大学に行く前に、まず雲谷禅師を棲霞寺に訪ね、一室の中に対座して、およそ三昼夜も眠らずにいた。その時雲谷禅師が問うていわれるには、 「いったい、人が聖人となることができないのは、ただ邪念がまといっくためである。ところがお

前さんは三日も座ったきりであったが、一邪念の起きるのも見られなかった」

 私はそれに答えて、

 「私は易の名人の孔先生に占定され、一生涯の栄辱も死生も、みな運命が定まっております。です

から、妄想しようとしても妄想しようがありません」

 すると雲谷禅師は笑いながら、

 「わしはお前さんを期待すべきすぐれた人物であると思ったが、なんとただの凡人であったのか。

 万いいれるのその理由を質問した。すると禅師は、

かにににって束縛されてしまうのである・それゆえ、どうしても運命に支配されてしまうのである。ただし、それはただ凡人だけに運命があるので、極一 の人に対しては運命も自然拘束することはできない。極悪の人はまた運

命をたのんでも業にひきずりまわされて定まらないものである。お前さんは二十年このかた、かの孔老人に占定ざれたままで、いまだかつて少しも変化しないというのは、なんと凡人ではなかろうか」

 といわれたので、私はまた質問して、

 「それならば、運命というものは逃れることができるものなのですか」

 というと、禅師は、

 「″運命は自分からっくり、幸福は自分から求めるものである″とは、詩経や書経にいっているところで、まことに立派な教えである。わが仏教の経典の中にも、″功名を求めれば功名が得られ、富貴を求めれば富貴が得られ、男の子なり、女の子なりを求むれば、男の子でも、女の子でも、どちらでも得られ、長寿を求めれば、長寿が得られる″と説かれている。妄語は仏者の大戒とするところであるから、諸々の仏・菩薩がどうして人をだますことをしようか」 と答えられた。私は膝を乗り出して、

 「孟子は″求めれば得られるが、それは自分にあるものを求めるからである″といっているけれども、道徳仁義のようなものは(心の内にあるものだから)努力することによって求めることができようが、功名富貴は(本来天にあるものであるから)いくら努力しても求めることができないのではないでしょうか」

 

 と問い返すと、雲谷禅師は、

「いや孟子のいうことは間違っておらぬ。お前さんが自分から誤って解釈しているのだ。六祖大師もこのようにいっておられる。″すべての幸福の生ずる畑は心の中にある″と。心の中に従って求めたならば感じて通じないものはないのだ。自分の内にあるものを求めれば、ただ道徳仁義を得る

ばかりでなく、功名富貴もまた得られ、内(本来具わっている道徳仁義)外(自分以外にある功名富貴)ともに得られるのである。これが求め得て益のあることなのである。もしもわが身に反省しないでいたずらに外面にのみ向かって求めたならば、うまくいかずに内外ともに失ってしまう。それゆえ身にはなんの益もないことになる、というのが孟子の言の真の意味である。ところで孔先生はお前さんの一生をどのように占ったのか」

 そこで私はありのままを告げたのである。

清流に魚棲まず

 雲谷禅師は、私か科挙の試験には合格しないこと、子どもができないことなど、その他、孔先生

のことを語るのを聞かれて、

 といわれたので、私はいよまでのことをややしばらく考えてみて。

 「及第もできず、子どもも生まれないでしょう。いったい、試験に及第するような人は、たいてい福相がありますが、私は福が薄く、また、功徳を積み善行を重ねて厚い幸福の基をつくるというようなこともできません。その上、世上のねずらわしいことには堪えられず、度量もせまく人を容れる寛容さもありません。時には自分の才能智恵でもって人をおさえることもあるし、あるいは思うままを直ちに言動にあらわしてしまう直情径行のところかおり、口も く、でたらめな談義もします。

すべてこれらはみな薄徳の相です。そんなありさまでどうして官吏登庸試験に合格して高官になれましょう。

 土地のけがれているところは、物を多く生じますが、永の清いところには常に魚は棲まないものです。私は潔癖ですから、これが子の持てない理由の一つです。また、春のような和らいだ気は万物を育てますが、私はよく怒る性質で、和らいだ気かおりません。これが子の持てない理由の第二です。愛というものは物を発生生育させる本であり、残忍は物を生育させない根本です。私は名誉とか節操というものを惜しみ大切にして、自分を犠牲にして人を救うことができません。これが子のない理由の第三です。そればかりでなく、その他のあやまちなお多く、すべてを数えあげることもできません」

 すると雲谷禅師は、

「それは、試験の合格、不合格、子どものあるなし、すべて徳のいかんによるものである

お前さんはいまやすでに自分の非をさとった。してみるといままでは占いのとおりだったが、これからは、これまでの及第もできず、子どもも生せないという悪相を真情を尽くして改め除き、つとめて善徳を積み、つとめて人の言を開き入れる度量を持ち、つとめてなごやかな愛情を持つようにする。そのようにしていけば、これまでのいろいろなことは、たとえばきのう死んでしまくなり、今後のいろいろなことは、きょう生まれ出たように新しくなる。書経の太甲篇に。天が下す災いはなお避けることができるが、自分のつくった罪科による災難は避けることができぬ。どうにもならぬことだ″といっている。つまり、孔先生がお前さんは科挙の試験に及第もできず、子も生せないということを占ったのは、これは書経にいうところの天のなせる災いと同を積んでいったならば、これこそ自分がつくったところの福である。白分がつくった罪科による災つくっ竺顎もまたこれを受け得られなることができるのだ。そしてお前さんが、いま徳分を十分にみたし、善い事を力行し、多くの陰徳難はどうしても避けることができないというのなら、自分のつくった福もまたありあまる慶福があるものである″といっているではないか。お前さんはこれが信しられないか」で改えをお受けした。そこいということがあろうか。第一、易の開巻の一番初めに″善行を積んだ家には必ず子孫に及ぶほどのに前にし、川人の非を八情を尽くして懺悔し、誓願文一通をつくって、まず第一に科挙の試とさとされた。私は禅師のお言葉をまことの真理であると感じ、慎んで教えをお受けしたげだって、天地机光の神々の徳に報いることを誓った 

1千年からできている)をとり川して私に示し

、毎日自分の行なったことを古きっけ、善事であればその数を記し、悪事であるときには善事の数からそれだけの数を除去させるようにと教え、また、その上に準肌児(準肌観音の御真言)を授けて、これを誦持するならば必ず偉大な効験かおるから必ず実行せよと訓辞された。そして、

 「否言書を書く家にこのような言葉かおる。″御符を書く秘伝を知らなければ、鬼神に笑われる″と。これには秘伝があるのであって、それは、ただ思慮を動かさないということである。筆をとって御符を書くにあたり、まずに世間いっさいの囚縁を捨て去り、一点の雑念も起こさない。これより心の動揺がなくなり、その時はじめて最初の一点を書き下ろすのである。このことを混沌開基という。これによって一筆に書きあげて芒の間にさらに思慮をさしはさまなかったならば、この御符は言験があるということである。お前さんはまだ無心であることができないから、ただ準胆児をひたすら誦持して実行せよ」

 と、ありかたいお言葉であった。

 息子よ、こうして私は運命改善、立命学の実践に踏み出したのである。

 

つたのである。その具体的方法として、まず第一の目標をたてた。それは、孔老人が絶対に合格し 4

江いレ}予言し七科挙刀試倹である。この試験に合格することを第一の目標として定めた・次にヽ三 

千の善事を行なう積徳の行の実行を誓った。これは、私の持つ不徳を転換するためである。

 『運命を転換させるためには、まず、自分の生きかたを転換させなければ、理に合わない。

                                                     』II  ~i

運命を

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転換させようといくら思ったところで、いままでと同じものの考えかた、同じ生活をしていたので

は、変りようがないではないか、運命を変えようと思ったら、生きかたを変えればよいの

えば、悪く変えようと思ったら悪いことをうんとすればよいのである。悪いことをすればするほど

運命は悪く変っていくことはいうまでもない自明の理である。人の物を盗めば、すぐに泥棒として

の運命の道が開くし、人を殺せば即座に殺人犯として運命が待っている。その反対に、よく変えよ

うと思ったらよいことをすればよいのである。よいことをすればするほどよく変っていくこと、こ

れまた自明の理である。彼は、この理によって善事三千条の積徳の行の実践に移ったのである。

カッコ内は筆者)

 こうして私の新しい人生かはしまった。きのうまでは、ただゆうゆうとのん気にしたいほうだい

の生活であったが、こうなると一挙一動、T言一句、なおざりにできず、人の見ていないひとり居の

峙でも自然と行動を慎むようになった。そのかわり、対象が常に天地であって人ではないから、他

卵しないと予胃したにもかかわらず、第一位で合格した。この時、つくづく雲谷禅師の「立命の

説Lを身にしみて感ずると同時に、いよいよ運命転換の可能なることを確信したのである。そうし

て、善事三千条の積徳の行の完成にいよいよ精を出したのである。

 けれども、日々に反省してみると、なおわが身に過ちが多く、悔まれることのみであった。道を

行なうに純粋でなかったり、正しいことを実行しようと思いながら勇気に欠けて妥協してしまった

り、人の難儀を救おうとしながら精神がこもらず中途パンパに終わったり、信念がぐらつき、行動

としてはよいことをしながら口では過ったことや礼儀に反することをいってしまったり、あるい

は、酒をのまぬ時には身をたもつこと、堅固であっても、酒に酔うと、気ままにふるまったり、投

げやりな行動をしたり、というようなわけで、せっかく努力に努力を重ねて積んだ善事も、それら

の過ちを引き去るとあとにはいくらも残らぬということになり、むなしく時が経っていくのであっ

た。そういうわけで、三千条の善事を完成するのに十余年かかった。すなわち己巳の歳(隆慶三

年)に誓願を立てて、己卯の歳(万暦七年)になってようやく完了したのである。

 翌年、性空・慧空の高徳の上人を請じて三千善行の回向をし、天地祖先に供養し、さらに、あと

つぎの男の子が授かるように願文を捧げて、また新しく三千の善事を実行するという誓いを立て

た。

 息子よ、その翌年お前が生まれたのだ。

 

 

完全に運命が変る

 

 二度目の誓いの三千善行は、わずかに四年で完了した。

 そこで、また、諸上人を請じて回向した。

 今度は、進士の試験に及第することを目標とし、善事一万条を行なう誓願を立てた。これが発末

の年(万暦一一年・一五八三)九月十三日である。丙戌の年(万暦一四年・一五八六)にみごと合

格し、宝紙県の知事に任ぜられた。

 (高い位置に進むほど、低い位置の時より善事が実行でき、貧しい者より富める者が善行を積める

ように思われるけれども、なかなかそうではない。かえって、その逆のほうが多いように思われる

のはどういうわけか。富める者が天国に入るのは、ラクグが針の穴をくぐるよりもむずかしい、と

いうことわざができたゆえんであろう。筆者)

 私も、地位が昇るにつれ公務が多忙になり、一万条の善行を積むことはまことに苦しいことであ

『つた。けれども、なんとか、これを完了することができたので、俸給をさいて、五台山上で一万人

の僧に供養し、これを回向した。

 ここに特筆すべきことがある。それはほかでもない。孔先生の千言に、私の寿命は五十三歳で、

’トりいぺ~ト川~ぽの伺にぺ~心~ぶ。づだ。これに対し、私は、いままでに長寿や延命か祈った

ことは一度もなかった。それにもかかわらず、その五十三歳の年には身心ともになんの苦悩もな

く、全くの無事安穏の一年であった。そうして、いまや六十九歳に達し、壮者にも負けぬ健康であ

ることは、息子よ、お前の最もよく知るところである。

 書経に「天命はあてにならず、一定しないものだ(天難い誰、命摩い常。天はまこととしがたく、

命は常なし)」とも、また「天命は一定しないものだ(惟命不い干い常。これ命常においてせず)」と

もいっているが、これらはみな人をあざむく言葉ではない。「禍福は己より求めざるものなし」と

いう聖賢の言葉どおり、禍も福もみな、自分の行動、こころがけの結果あらわれるもので、つまり

は、幸福も不幸も、みな自分が招いたもの、自分の求めた結果なのである。「禍福はただ天の命ず

るところで、どうにもならぬ」などというのは、俗人のつまらぬ議論なのである。私は、これを、

身をもって知ったのだ。

 

 息子よ。

 

 お前の運命がどのようなものであるか、私には知ることができないが、もし幸いにして運命がお

前を高位高官に登らせてくれたなら、常に、わが身零落の想いをなせ。常に不如意で、ものごと心

にまかせぬ境遇にわが身があると思え。もしも衣食が十分で豊かであったら、常に貧乏の時の想い

をなせ。衣食足らず困窮の境遇にわが身があると思うべし。もしも人に尊重される身分になり、敬

愛せられるようになったら、常に謙虚に、恐れ慎む想いをなせ。常にへりくだって卑下せよ。もし

 このように慎んで、遠くは祖先の徳を揚げ輝かすことを思い、近くは父の過失不徳を補うことを

考え、土は国土の恩に報いることを願い、下は家門の福を増すことを考え、外には他人の困ること

を救うことを考え、内には自分の邪悪不正を防ごうと思い、日々に努めて自分の過ちを反省し、こ

れを改めるようにせよ。

 世の中には、聡明で頭がよく、学問、技芸、その他にすぐれた人物がたくさんいるけれども、そ

ういう人たちが、徳がなく、いろいろやったあげく一時的に成功することがあっても、結局は世に

なすほどのことなく終わってしまうのは、つまり、獣席どいう二字のためである。奮発して、運命

を改善しようという考えを起こし、自分の不徳を知り、過ちを改めようとせず、行き当たりばったりに目を送り、ついに一生を一定の天命に任せ終わってしまうか

(努力はするであろう。が『

に努力してもヽ天命を変えるということはできない・運命を改善しヽこの人生をよりよく生きよう

と射うならヽこの運命転換の根本の原理をさとってヽこの実践に勇往邁進しなければならぬ。その

ノに目を送り、

(努力はするであろうが、それは目前の努力であり、末端の努力で、そういう努力はどんなにT心

勇気のない者を、因循というのである。筆者)

 雲谷禅師が授けて下さった立命の説はいたってくわしく、いたって奥深くきわめて真に、きわめ

び侃Lい八川である。お前はこのことをよくよく熟慮紀かして一心に実行せよ。決して、日時をむ、仏が大谷叩師から授かり、善悪の

 

 

 

善悪のバランス・シート

 

功過格欲(雲谷禅師伝)

功格五十条らてを善めることである。

 

 

○一婦女の節を完うす。

 一人の女性の貞節を全うせしめること。

○人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。

 人の子を溺死(昔は生活が苦しいために 

 うぷ                       

 産湯に入れるとき溺死させる者がよくあっ

記入し、月でまとめ、年でまとめるのである。善をなすことは容

易でない。一目だけで終わって、釘目も何日も、なに一つ善事をなすことのできない日が続くであ

ろう。しかし、それが、ふと、二目続き、三日続き、というようになって、次第に長く続くように

なるのである。要は、うまず、たゆまず実行するのである。

 

回善悪の   バランシート

の基準五十条。ただし金口口。

受けと゜たしへ謝社を受づ)

したものはすべて除外する

 

百功に準ず(百善に相当する行ない)

○一人の死を救免す。

 一人の人間の生命を救い、死をまぬがれし

 

 た)させたり、堕胎しようとするのをさと

 し思いとどまらしめること。

五十功に準ず(五十善に相当する行ない)

○一嗣を延続す。

 世嗣ぎの絶えるのを防ぎ、継続するように

 してやること。

○一の倚るなきを収養す。

 一人の寄るべのないものを引き取って養っ

 てやること。

○一の主なき骸をうずむ。

 一人の無縁者の死骸を埋葬してやること。

○一人の流離を救免す。

 一人の流浪者を助けて生活することができ

 るようにしてやる。

三十功に準ず(三十善に相当する行ない)

○一の受戒弟子を度す。

 一人の者を出家得度させること

○一非為人を勧化し行ないを改めしむ。

 一人の無法者を教化して行ないを改めさ

 せ、善につかせること。

○一人の冤を白にす。

 一人の無実の罪に苦しむ者を助けて無非を

 明らかにし、救ってやること。

○一地を施し主なきの葬に与う。

 わが土地の一郎をさいて無縁者の墓地に提

 供してやること。

十功に準ず(十善に相当する行ない)

○一有徳人を薦引す。、

 一人の有徳者を推薦し引きあげてやること

○一民害を除く。

 一つの民の害になることを取り除くこと。

 (公害はいかが?)

○一の衆を済う経法を編纂す。

 一冊の社会を救う法典を編集して世に出す。

○方術を・もって一重病を活かす。

 宗教や医学をもって一人の重病人を治癒し

 健康にしてやること。

五功に準ず(五善に相当する行ない)

○一人の訟を勧息す。

 一人の訴訟をしたり争ったりしている者を

 さとして思いとどまらしめること。

○人に一の生命を保益することを伝う。

 人に一つの生命を保ち、健康を増進させる

 方法を伝えること。

○一の生命を保益する経法を編纂す。

 生命を保益する書物を一冊編纂すること。

○方術をもって一軽病を療す。

 前の重病者に対し五善とした。

三功に準ず(三善に相当する行ない)

○一横を受けて唄らず。

 一つの不法なしうちをうけても怒らないこ

 

○一誇に任せて弁ぜず。

つの誹膀を受けても、受けながして弁解

 しないこと。

○一の耳に逆うを受く。

 一つの気に入らぬ言葉も甘んじて受けるこ

 

○一のまさに撲責すべき人を饒免す。

 一人の打ちこらしてやりたい者に対してゆ

 るしてやること。

○一の無力報人の畜命を救う。

一功に準ず(一1 に相当する行ない)

○一人の善を讃す。

 一人の人の善を讃めること。

○一人の悪を掩う。

 一’入力人力欠古べ悪いところをあばき立て

 ず、かばってやること。

○人の非為一事を勧止す。

 人の非行の一事をさとして、とどめるこ

 と。忠告は勇気のいることだが、人のよく

 ない行動を黙って見てはいけない。やめさ

 せるべきである。

○一人の争を勧息す。

 一人の争いをさとしやめさせること。

○行きて人の病を治する一度。

 出かけて行って人の病気を治療することI

 度。道を行ずるもの、すべからく他人の病

 に苦しむを捨ておけぬ。

○遺学一千を拾得ず。

 棄ておかれた字一千字を拾いあげること。

     いん世ん う     あ

○一の応に飲饌を饗くべきに遇いてこれを饗

 けず。

 饗応に招かれることになっても受けないこ

 と一回。

○一人の飢を済う。

  一人の飢えを救うこと。

○帰人を留め一宿せしむ。

 帰入とは死人のことをいう。宿なき死人に

 宿を借すこと。

○善法を講演し、化諭一人に及ぶ。

 正しい道を説いて、一人を教化する。

○興す所の事、利一人に及ぶ。

 事業を興し、その利か一人に及ぶこと。

○人畜の疲頓を接済する一時。

 人畜の疲労を世話して回復させることI

252

善悪のバランス・シート

 時。

○一の自ら死する禽畜を埋む。

 一匹の自然に死んだ鳥類畜類を埋めてやる

 

○一微細湿化の属命を救う。

 微細の生物にまで恩の及ぶこと。

嘉嘉にで(づげづべ。⊃

○道路橋渡を修繕す。

 道路今橋を修繕する。

○河を疏し井を堀り衆を済う。

 河川を通じ、井戸を堀って民衆を救うこと。

○聖像壇宇、及び供養等の物を修置す。

 神社仏間などの聖像、壇、その他供養の物

 具などを修繕すること。

○遺を遷えす。

 人の忘れた品物を返すこと。

○負を饒す。

 人に貸した金品のその債務を免除してやる

 

○人を勧済する文書を施行す。

 人を教化し、救うための文書を施行するこ

 

○功果を作し沈魂に薦む。

 功徳をつくって、非業に艶れて浮かばれな

 い魂に回向すること。

○窮を賑わす。

 困っている者に恵んで賑わしてやること。

○倉を建て平躍す。

 倉庫を建てて穀物の価を調節すること。豊

 年に穀物を買い入れ貯蔵し、凶年に売り出

 して価を調節し安定すること。

○茶薬衣棺等いっさいのことを施す。

 茶薬衣棺等いっさいの事を施すこと。

シート

善悪のバランス・

 あろう。そういう些細な欠点をいい立て

 て、せっかくの徳なり才なりを生かそうと

 せず、しりぞけてしまう。

○一匪人を薦用す。

 一人のよこしまな人を、自分の利害関係や

 感情上の理由から、推薦したり挙げ用いる

 こと。

○一の原節を失う婦を受触す。

  一人のすでに貞操を失った婦人に触れるこ

 

  節操のない婦人を近づけることを戒めて

 いるわけである。

○一の衆生を殺す具を畜う。

 衆生とは人間のみをいうものではなく、仏

 教ではあらゆる生物をいう。即ち、あらゆ

 る生物を殺す道具を一つ所持すること。

h閥ドff、い~光4川当丿八ばに託い)

 先~、自動車事故を起こして負傷、通り

かかるドライバーたちに町の病院まで運ん

でくれるよう救いを求めているのに、次つ

ぎと通りかかる何台もの自動車がみな承知

してくれず、負傷者はついに出血多量で死

んでしまったという事件が起きた。医師の

話では手おくれのための死亡で、早く病院

に運べば助かったとのこと。本人はもちろ

ん、遺族の人からの無念さ、心の内が思い

やられる話である。きょうは人の身、明日

はわが身の世の中である。

○一人の訟をそそのかす。

  一人の者に訴訟をするようにそそのかすこ

 

  人に訴訟を勧めるときはよく考えてから

 しなければいけない。

○一人の譚名謡語を造す。

○一経法を毀滅す。

 経典、礼法を一つ破壊すること。

○一の化を傷る詞伝を編纂す。

 一冊の教化風俗をみだす書物をつくるこ

 

  ことに青少年など未熟の人たちにあたえ

 る影響は大きいのであるから、心しなけれ

 ばならぬ。

○冤白を得るも白せず。

 無実の罪であることを明白にすることがで

 きるのに、そのまま捨てておくこと。役人

 にこのようなことがあってはならぬが、一

 般人も、さわらぬ神にたたりなしと見て、

 見ぬふりすることは許されない。

○一病の救を告ぐるに遇うも救わず。

 一人の病人が助けを求めにきても救わない

 一人のものに、譚名をつけたり、ゴシップ

 を流寸こと。

  親愛の意味をこめたあだ名もないことは

 ないが、このようなことは、しばしば人の

 心を傷っけるものである。

○悪口入を犯す。

 悪口をいって人を傷っけること。

  寸鉄、人を刺す、などというが、口が人を

 殺すことさえあるのである。先年ある農村

 で一人の主婦が農薬を飲んで自殺をすると

 いう事件が起きた。原因は、農協役員のあ

 る男性と親しくなって町のモーテルに入っ

 たとい`りノyりノわさが村中にひろまったためで

 あった。その無実であることを弁明したく

 ても、元来、風評というものはとらえどこ

 ろがなく、一人一人に弁明し説明して歩く

 わけにもいかず、そのくせ、本入のいない

シート

善悪のバランス.

ところでは執拗にくり返される。思いつめ

た彼女は、ある目、「くやしいツ、死んで

無実を証明する」と叫んで発作的に農薬を

あおったのである。それまで、妻君を信し

て知らぬ顔をしていた夫が心の底から憤慨

して、お通夜の晩、村中の者に妻君の棺の前

に集まってもらい、一人一人、そのうわさ

をだれから聞いたかと詰問して、ついにそ

のうわさの最初の主をつきとめた。五、六

軒先の近所の主婦で、死んだ妻君が、ある

目、自動車で通りかかった農協役員の男性

と自動車をとめてなにか親しそうに話し合

っているのを見て、ねたみ半分に、あの二人

はできていて、おおかたモーテルにでも行

ドしりんトやたいか、大社所の妻君連中に

 

 

 。へんのつき合いで、なんの関係もなかった

 のである。そのうわさをまいた主婦は真っ

 青になって棺の前であやまったというが、

 いくらあやまっても死んだ人は帰らぬので

 ある。その決着がどうっいたか、新聞の報

 道はそこまで触れておらぬので知らぬが、

 馴もまた舌に及ばず、で、慎むべきはまこ

 とに口である。

 ○片路橋渡を阻截す。

 道路冲橋や渡し場などを妨害し截り崩すこ

 

 

○一有力報人の畜命を殺す。

 人間に役立つ一匹の家畜を殺すこと。

  救えば五功、殺せば五過となる。畜類に

 も徳を及ぼすべきである。

三過に準ず(三悪に相当する行ない)

 

○両舌人を離開寸。

 二枚舌を使って人の仲を離間すること。ま

 さに唾棄すべき悪徳であるといわねばなら

 ぬ。

 

○一非法服を服ナ。

 つの正しくない制服を着ること。

  その職、その他位にかなった正しい服を

 着るべきで、その職その地位でないのにそ

 の制服を着ることはよくない。要するに身

 分不相応のことをしないことである。

○一無力報人の畜命を殺す。

 一匹の家畜以外の畜生を殺すこと。

一過に準ず(一悪に相当する行ない)

○一人の善を没寸。

 一人の善行を無にしてしまうこと。    9

  部下の功績を故意に、または知らずに鉦 25

 

 

  忠告の言葉はだいたい自分の耳に快く聞

 こえるものではない。しかし喜んで聞くべ

 きで、怒るなどとは狭量を越してもっての

 ほかである。また、忠告とは反対の無法の

 言葉に対しても怒るべきではない。寛容は

 大切な徳である。

○一の尊卑の次に乖く。

 長幼序あり。年長者は尊敬しなければなら

 ぬ。尊卑の分をはっきりとさせて、秩序を

 乱すことがないようにすることである。

○酔いて一人を犯す。

 酔って一人の者を害すること。酔って交通

 事故を起こすなどもこれである。

○一人のまさに撲責すべからざる人を撲す。

 一人の打ち責めるべきでない人を打ちたた

シート

善悪のバランス・

 にしてしまうなどは人の上に立つ資格のな

 ヽいものである。

○一人の争をそそのかす。

  一人の人に争うことを、そそのかすこと。

○一人の悪を播す。

  一人の人の過失をいいひろめること。播す

 とは種をまくこと。伝播などといって、広

 く伝わりひろがることをいう。

○人の非為一事を讃助す。

 人の非行一つを助けること。

○一盗を見勧阻せず。

  一人の盗みをするものを見ても、さとしと

 どめることをしないこと。

○問わずして人の一鍼一草を取る。

 わずかなものでも人の物は承諾を得ずに使

 りべきではない。

いい組軌か政訓t

○人畜を廊してが似を憐れまざること一時。

 人や家畜を使役して、その疲労をあわれま

 ないこ七が一時。

  無情に人畜を使うことを戒めている。

○一微細湿化の属命を殺す。

 湿気に生ずる微細な生物一匹の生命を奪う

 

  いかなるものの生命も大切にすること

 は、運命改善、自己完成を志す者のゆるが

 せにしてはならぬことである。

百銭一過に準ず  (八八いべて一悪に相当する)

○天物を暴珍す。

 天の生ずる物を無益に浪費し尽くすこと。

 消費は美徳であるなどといって、現代は浪ヾ

 費の時代であるが、浪費をしては生産し、

 生産しては浪費して、この悪循環が次第に

 一人の無智の者をあざむきたぶらかすこ

 

○一約に負く。

 一つの約束にそむき破ること。

○一儀を失う。

 一つの礼儀を失うこと。

  一回の無礼無作法も一過にあたるという

 ことで、無作法は過となることを知らなけ

 ればならない。

○一人の憂驚を見て慰釈せず。

 一人の心配事のある者を見ても慰めないこ

 

  孟子は「側隠のこころなきは人に非ざる

 なり」といい、仏教では、四無量心で「慈、

 悲、喜、捨」を説いて、人の不幸に同情

 し、いつくしみ、いたわるこころの大切な

 ことを胎している。

 エスカレートして公害時代を招来してい

 る。天物を暴珍したはね返りである。

○人の成功を毀壊ナ。

 人の功績を破壊すること。

  他人の成功をねたむことは戒めねばなら

 ない。             一

〇衆に背きて利を受く。

 公衆の利益にそむいて自分だけが利益を受

 けること。

  あるテレビのタレントが、テレビでいう

 ぞといって自分だけ多額の補償金を取った

 というのなどはこれであろう。

○他銭を侈用す。

  他人に代わって金銭を使う場合、倹約せ

 ずに、ほしいままに使用すること。

  公用族、社用族である。公金を使用する

 場合、自分の金ではないとばかり乱費する

 のはよろしくない。会社の電話などを私用

 に使うなども注意すべきことである。

○貸を負う。

 借りた金品を返済しないこと。

  返却は早くすべきである。

○遺を匿す。

 人の遺留品を私して返さぬこと。

○公により勢を侍み乞索市。

 官の権力をかりて金品の贈与を要求するこ

 

○人銭資具を取る方法いっさいの事を工作

 す。

 人や金品資材を取る方法のすべてのことを

 謀略によってなすこと。

 いろいろな詐りの手段方法で、人から金

品、資材、労力をまきあげて自分のものと

することは、単なる不徳というものでは穴

く刑事事件にもなるべきものであろう。過

格の最後に置いてあるのは、要するに些細

な物でもいつわり取ることの悪をいってい

るのである。

 以上、この功過格を受持する者は、毎晩そ

の日の功過格の条下に、その日になした功と

過を明細に記七、その月の終りにその功と過

とを突き合わせ、差し引きしてさらにその結

果を見る。年末になって総計比較すれば、お

のずから罪福(禍福)がわかるのである』

 穴r几の川命転換術「ぐ命学」の中核をなす功過格欲は以上で終わる。まだこのあとに彼の教訓

がねくE紡くが.fわ~かいIて爪叫なものではない。

祝代の立命学

回現代の立命学

 gS4 z1 14144  io 

 ところで、彼の立命学を読んで、あなたはどう感ずるであろうか?

 ある人は、

「時代が違う」

 といった。

「このとおり実行すればいうことはないが、袁了凡の生きていた時代と現代とでは、環境、情勢が

全く違う。この生存競争のはげしいモーレツ時代に、人を助ける、とか、人のためになるとか、そ

んな悠長なことをいっていたら、たちまち人に追い越し追い抜かれてしまう。時代は、一流会社に

就職するために幼稚園からして一流のところを選び、他とのはげしい試験にせり勝っていかねばな

らない。人のことを思いやるどころのハナシではないのだ。とにかく、シヤニムニ、人をかきの

け、おしわけ、前へ出ていくよりほかに勝ち抜く方法はないのだ」

 と、こういうのである。

 ほんとうにそうであろうか?

 袁了凡の運命転換術は彼の生きていた痔代刀よう忙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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