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アラハバキとは?

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なぞの神様、アラハバキとは?
皆さんは「アラハバキ」という神様をご存知でしょうか?麁脛バキ、荒覇吐、荒吐、荒羽、阿良波々岐、荒脛巾、荒掃除、新波々木、阿羅波婆枳、荒羽々気、阿羅波比などと表記され、北は陸奥から南は愛知県三河まで、またアラハバキ神は門客神(もんきゃくじん)として祀られている場合が多く、門客神は、「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た大和朝廷率いる天孫神話系の神に追い出陸奥、出羽、常陸、武蔵、房総、相模、甲斐、越後、三河、伊豆、伊勢、丹波、摂津、伯耆、出雲、隠岐、安芸、備後、周防、長門、伊予、土佐、肥前、壱岐と全国各地に点在しているのです。 (この不思議なアラハバキの神様は研究者がさまざまな解釈をし、その本質を見極めようとしているのですが、まだいまだに謎が多いのが現状なのです。)

蝦夷(えみし)の神様としてのアラハバキ神
アラハバキ神は「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)が大和朝廷により東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承だとする説があります。この説はかつて「東北の真実の歴史」を記したとされる『東日流外三郡志』(つがるそとさんぐんし)に蝦夷(えみし)の神として記されていました。このように記紀以前の縄文の神として一躍脚光を浴びたアラハバキ神なのですが、その後、同書は真偽論争の果てに偽書とされ、同時にアラハバキも幻の神となってしまいました。
もうひとつこの説を裏付ける根拠として、アイヌ語とアラハバキとの関係を指摘する説もあります。東北にいた蝦夷がアイヌになったという説は歴史学者・喜田貞吉と言語学者・金田一京助らによって主張されたのですが、その後東北大学の高橋富雄によって、中世以降の〔えぞ〕としての蝦夷がアイヌであることを確認しつつ、上代の〔えみし〕としての蝦夷はアイヌと同一視できないとの見解を示しました。しかし、『アイヌ語方言辞典』の編者・服部四郎によるとアイヌ語と日本語とが同系要素を含む蓋然性があると指摘しているのです。特に彼は信仰という状況では今の日本語とアイヌ語ではかなりの共通性が見られると指摘しているのです。そういった立場で「アラハバキ」という名前をアイヌ語で解読してみると、「arpa-pake」 と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になるそうです。また「paki 」となるとこれは「エビ」の意味となるそうです。ここから弓を射ることのできるエビの人という意味で蝦夷という当て字がつかわれたという説もあります。またアラハバキをさしている客人神(まろうど)もmarapto を「お客」としています。しかし、かなりこの辺の話は確証に欠けるのであくまでも一仮説として考えてくださいね。
また、谷川健一氏は彼の著書『白鳥伝説』の中で、アラハバキを塞の神(サイノカミ)の性格に着目し、もともと蝦夷の神であったアラハバキ神を大和からみた支配地の塞の神として蝦夷をもって蝦夷を制したという考え方をしました。確かに宮城県多賀城にあるアラハバキ神社は多賀城からみて鬼門の方向にあります。兵士の履く脛巾から、アラハバキの名をつけて、蝦夷を撃退しようとしていたといわれています。

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