UA-135459055-1

三福道──覚醒の三つの扉 Three Blessings Path

 

三福道──覚醒の三つの扉
Three Blessings Path

都会の片隅で 見失った心
重ねた痛みさえ 名もない影のまま
それでも灯を探す 若き日の祈り
玄照の声が今 闇の奥で響く

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

三つの扉 静かに開けば
真理の風が 胸を洗い流す
因縁の鎖さえ 断ち切れる日が来る
僕は今日 心の殻を破る

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

In a corner of the city,

my heart lost its way,
Even the pain I carried stayed nameless

in the shade.
Yet still I searched for a light

, a prayer of youthful days—
And Gensho’s voice now echoes

deep within the dark.

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

When the three doors open softly, one by one,
A wind of truth will wash the shadows from my chest.
Even the chains of karma will one day break apart—
Today I rise, and shatter the shell around my heart.

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

三福道──覚醒の三つの扉」

「三福道──覚醒の三つの扉」

◆第一章 東京の片隅で

 湿った夜気が漂う都会。
青年・慧斗は、また今日も戻ってきてしまった。
師・玄照の“学舎”とも呼べない小さな部屋――いや、
ここだけが、心が息をつける場所だった。

「慧斗、今日も来たね。
――苦しいんだろう?」

 その一言で、心の奥の硬い壁が崩れそうになる。

「……自分でも、何に苦しんでいるのか、よくわからないんです」

 玄照はうなずき、静かに経典を開いた。

「では、今日は“三福道”から始めよう。
お前の心の迷いは、ここからほどける」

◆第二章 三福道 ― 無限の心を育てる三つの種

 師は古い紙に三つの文字を書いた。

「これは、仏陀が阿難に説かれた“無限の福を生む三つの根”。
これをね、私は“心の三つの扉”と呼んでいる」

●第一の扉:如来の所に功徳を種える

玄照は言った。

「如来とは、人ではなく“真理の働き”だ。
嘘のないこと、怒りのないこと、自分を失わないこと。
真理に触れ、そこに心を置く――それが第一の福だ」

慧斗は思った。
自分は、真理ではなく苛立ちに心を置いていた。
どれほど正しい言葉を言おうとしても、心が濁れば真理には触れられない。

●第二の扉:正法に功徳を種える

「正法とは、“心を誤らせない教え”のこと。
仏陀は単なる理想論ではなく、
心を変化させる“原理”を説かれた。
それを学び、守り、実践すること。
これが第二の福になる」

慧斗は胸が熱くなる。
正しい教えがあるのに自分は逃げていた。
逃げて傷つき、傷ついてまた逃げる。
その因縁の輪を断ちたい。

●第三の扉:聖なる修行者に功徳を種える

「これは、悟った人を拝むだけでは意味がない。
“修行する仲間”を尊び、支え合い、励まし合うことだ。
人は関わりのなかでしか成長しないからな」

慧斗は師の顔を見つめた。

「……僕は、師匠に福を積めていますか?」

玄照は笑った。

「お前の“求める心”そのものが、すでに福の始まりだよ」

その言葉が胸に刺さった。

◆第三章 三十七道品 ― 心の階段に足をかける

その夜、玄照はさらに言葉を続けた。

「慧斗。
三福道は、心を“無限の状態”へ開くための土台だ。
しかし、そこから先に進むためには“歩む道”がいる」

 師は七つの大きな円を描き、その中に数字を書いた。

四念処
四正断
四如意足
五根
五力
七覚支
八正道

「これは仏陀が悟りへ至るために歩んだ七科三十七道品
これを私は、
心を救い上げるための階段”と呼んでいる」

◆四念処 ― 心の観察

「まずは“心を見る”ことから始まる。
自分の苦しみを外のせいにしても、因縁は切れない。
怒りが起こった瞬間の心を、
悲しみが生まれる直前の心を、
ただ観るんだ」

慧斗は、会社で上司に怒鳴られた日のことを思い出した。
怒りが発火する一瞬――何かがカッと心を掴んだ。
あれを観るということなのか。

◆四正断 ― 悪を断ち、善を育てる

玄照は続けた。

「“悪を起こさないようにし、
起こってしまった悪をすぐに断ち、
まだ起きていない善を育て、
起こった善を強める。”

 ――これが四正断だ」

簡単そうで、実は最も大変な修行であった。

◆四如意足 ― 心の力を高める集中法

「これは、願い・努力・心・思念を調えて
一点に集中する技法だ。
スマホに心を奪われ続けていては、
絶対に身につかない」

慧斗は思わずスマホの重さを意識した。

◆五根・五力 ― 信・精進・念・定・慧

「五根は心の“芽”。
五力はその“芽”が力に変わった姿。
修行すると、この五つが勝手に強くなる」

芽と力。
慧斗は、自分の心が弱いのは、
芽を育てず踏みつぶしてきたからだ
と気づいた。

◆七覚支 ― 覚りを開く七段階

「念・択法・精進・喜・軽安・定・捨。
心が透明化すると、この七つが自然に立ち上がる。
悟りとは“作るもの”ではなく、
心が透明になったとき自然に現れる反応なんだ」

◆八正道 ― 歩むべき正しい行い

最後に師は言った。

「これは日常のすべてだ。
言葉、行い、職業、努力、念、定……
これらを正しく整えることで、
人は初めて“因縁の鎖”から脱出できる」

慧斗は深く息を吸った。
胸の奥で、何かが確かに変わり始めていた。

◆第四章 心の殻が割れる音

「慧斗よ、悟りとは努力の結果ではない。
努力“し続けた心”が自然に変化するとき、
心の殻が割れる。
それを漏尽解脱と呼ぶ」

玄照の目が優しく光る。

「今日、お前は三福道の“第一の扉”に触れた。
これから三十七道品の階段を一段ずつ登る。
必ず、お前の殻は割れるよ」

青年は静かに目を閉じた。

もう逃げない。
もう自分を欺かない。
心を濁らせてきた因縁の輪を、この手で断つ。

そう決意した瞬間、
都会の夜のどこかで
小さく、しかし確かな“ひび割れる音”が鳴った気がした。

涅槃とは完全解脱の境地

涅槃とは完全解脱の境地

開如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独

園。爾時世尊告阿難。有三善根。不

可窮尽,南至涅槃界。云何為三。所

謂於如来所而種功德。此善根不可窮

尽。於正法。而種功德。此善根不可

窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可

窮尽,是謂阿難。此三善根不可窮尽

得至涅槃界。是放阿難。当求方便獲

此不可窮尽之福。如是阿難。当作是

学。爾時阿難開仏所說。歡喜奉行

聞くこと是の如し。一時、舍衛国祇樹給孤独園に在

しう。断の時世、所蔵に告げたまわく、「三根(三

福道)有り、倉尽す可からずして、料理界に至る。

云何が三と為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此

の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の善根窮尽才可からず。聖衆に於て功徳を種う。此の善

根窮尽す可からず。是れを何難、此の三善根は窮尽才可

からず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に問数、当に方便を求めて、此の窮尽才可からずの欄を復べ

し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。夏の時

阿難、仏の所説を聞きて就喜奉行しね。

現代語訳

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世

尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三得根(三現道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができるものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所において功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、 この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの

です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように

阿難よ、この三善根(三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

ます。 冒頭でも触れたように、阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

解説

『仏教語大辞典」(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つから生まれるからである。それらは具体的には施・感・慧となって現われる。三毒の対

と書かれています。しかし、この「三供品」に説かれる三等根は、その内容がまったく異なります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

経文中に、

「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」

ことはありません。 とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無癡善根の三善根と混同する

そこで、阿含宗では、三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根(三福道)が必要なのだ、ということをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

普通は涅槃の境地・境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それにっいては後述します。「五品』でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解説の境地です。完全解説とは薬と因縁から完全に解放された状態です。

わたくしたちは業と因縁の場です。業と因縁によって輸転生を続けています。輪転生とは生死の転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え

間なく、生と死を繰り返していくので輪廻転生といいます。また、生死流転、生々流転ともにしれます。直線ならば、いつかは終点にたどり着くでしょう。ところが輪というのは終わりがありません。終点がないわけです。輪が廻るから無限なのです。ただただ、グルグルグルグルと生死を繰り返すのです。

そういいますと、

「はてしなく贈ってもいいんじゃないですか。いろいろなものに生まれ変わって、さまざまな人生を味わうことができるわけでしょう。男になったり、女になったり、偉くなったりというように、いろいろな人生を味わうことができるのだから、むしろ楽しいじゃないですか」

そういう人もいるかもしれません。一度限りの人生ではなく、輪廻転生する方が楽しいという人もいるでしょう。

ところが、輪廻転生は決して楽しいことではありません。むしろ苦しいことです。輪廻転生が

苦しいことだから、お釈迦さまは輪廻からの解脱を願って修行したわけです。

なぜ、輪廻転生は苦である、とお釈迦さまは脱かれるのでしょうか?

それを理解するためには、まず、仏教の人生観を知る必要があります。

仏教では、まず、人生イコール苦であると見ます。人生は、すなわち苦しみであると考えるのです。わたくしもそのとおりだと思います。たしかに人生には楽しみもあります。けれども、一生のうちに体験する苦と楽を一つずつ相殺していくならば、苦しみの方が多く残るでしょう。無数にある苦しみの中に、ときどき喜びがあるというようなものではありませんか?

さらには、その喜びが、次なる苦しみの原因になることが多いのです。

さらには、その喜びが、次なる苦しみの原因になることが多いのです。

仏教では人間の苦しみを分類して、四苦八苦と呼んでおります。四苦とは人間の基本的な苦しみです。さらに四苦に付した苦しみが四つ出てきます。これを最初の四苦と合わせて八苦といいます。通常はそれらを総称して四苦八苦というわけです。

四苦八苦は前にも講義しました(上巻・『中包林」一三五一三八頁参照)が、仏教の基本教義として大切なことですから、もう一度復習しましょう。

四苦八苦人は苦の塊

まず、四苦というのは、街・・・死の苦です。これが人間の基本的な苦しみです。さらにその四苦に付随した苦しみが出てきます。それが愛別離苦・窓会苦求不得苦・玉盛苦の四つです。これらの苦を総称して、四苦八苦といいます。こうしてみると、人間というのは本当に苦のです。

四苦の第一は生の苦です。実際に自分の人生を振り返ってみればよく分かると思いますが、生きていくこと自体が苦しみです。生まれたこと自体が苦しみです。生きているからこそ楽しいこどもあるけれども、その楽しいことが次の瞬間に苦の種となっています。ですから生は苦であるというしかありません。

第二は老の苦しみです。生きている以上は、だれもが年をとります。必ず老いていきます。こ

れもやはり愉快なことではありません。老いた人ならではの喜びもありましょう。けれども老いれば体力・気力・智力も落ちていくわけですから、「老い」は決して愉快なことではありません。 わたくしなども、朝起きて、ひげを剃るために鏡を見ると、

「ああ、我、老いたり」

という感をしばしば抱きます。自分では若い気でいても、若い時のような強い体力を発揮することはどうしてもできません。老いる苦しみというものは、だれしも味わうものです。

第三は病の苦です。生きているかぎりは、病気をすることもあります。だれが考えても、病気は楽しいものではありません。病気によって得るものもありますが、相対的に見れば病気は苦しいものです。

第四は死の苦しみです。人間だれしも死を迎えます。悟りきった人でないかぎり、死は寂しいし、つらいし、苦しいものです。

以上が四苦です。この四苦に愛別離苦・怨憎会苦求不得苦・五陰盛苦の四つを加えて八苦になります。

愛別離苦とは、自分が愛しているものと離別しなければならない苦しみです。どれほど愛し合っている恋人同士、あるいは夫婦、親子、兄弟、友人であっても、いつかは離別しなければなりません。生き別れもあれば死に別れもあります。いずれにしても愛する人と離別することは、本当に苦しく、つらいことですが、絶対に避けられません。

しかも、それは人間関係だけではありません。愛するものとは、必ずしも人間だけではありません。たとえば、お金をこよなく愛している人がいます。

 

「お金だけ人だけかにはなにもいらない」

こよなく愛しています。 そいもいます。内閣総理大臣、会社の社長、重役、それぞれのポストを

けれども、おであろうと、地位であろうと、いつかはそれらとおさらばしなければならない時京やすやってきます。いくら。

「いやだー」

と叫んでみたところや、どうなるものでもないわけです。

お客とは、歩んだり憎んだりしている相手と会わなければならない苦しみですが、こ

れもまた別に勝るとも劣らない苦しみです。

「憎んだりんだりしているような、それはど嫌なヤツならば、会わなきゃいいじゃないか」

そういうかもしれませんが、因縁によって離れることができなくなっているから、非常に苦しいのです。その一つが「 害」です。最初は愛し合って結婚したとしても、怨憎会のもとになる「大障害の国」があれば、夫婦お互いが憎しみ合うことになります。まるこのように悩み合って、朝から晩までけんかばかりしています。

「それならば、別れてしまえばいいじゃないですか」

理屈ではそのとおりです。ところが、それが別れられないのです。いろいろな人間関係・経済的理由、その他さまざまな事情があって、とても離婚できません。これが因縁の恐ろしいところです。しかたがないから我慢をしようと思うのだけれども、我慢しきれなくて、毎日けんかを繰り返すのですから、日々地球です。

さらにひどい増会苦は、「相処の因縁」です。この因縁があると、親子・兄弟といった、血を分けた者同士が憎み合います。ひどい時には血を見るようなことがあります。まさに想博会苦です。嫌な相手と会わなければいけない、それも年中顔を合わせなければならない、こ

れはまさしく地獄そのものです。

そこまでいかなくても、会社の上司、社長が嫌なヤツでどうしようもないけれども、月給をもらわなければいけないから、そこに勤めざるを得ない、というのも怨憎会苦です。お得意さんが嫌で嫌でたまらない、というのもあります。嫌なヤツだけれども、いろいろ買ってくれるから、

「毎度ありがとうございます」

とニコニコ笑うけれども、腹の中では、

「コンチクショウ」

と思っている、これも怨憎会苦です。それで血圧が上がったり、心不全などになるのです。

求不得苦とは、求めて得られない苦しみです。これも深刻ですね。人間の一生などというもの

は、求めることの連続ではありませんか。

「オギャー」

と生まれて、無意識のうちにお母さんのお乳を求めて、おっぱいを吸う。生まれてすぐに、お母さんの愛情とお乳を求めるわけです。大きくなるにつれて、求める対象がどんどん増えていきます。そして求めて、求めて、ずっと求め続けて、人生の最期に末期の水を求めて、それをゴクっと飲んで、この世とおさらばしていく。

その求め続ける人生の中で、どれだけ求めたものが得られるでしょうか?

その求め続ける人生の中で、どれだけ求めたものが得られるでし

お母さんのお乳と末期の水くらいは、求めて得られるでしょうが、一生涯で求めたもののうち、 その大半は得られません。百のことを求めて、得られるのはたった一つぐらいではありません

求めて求めて、求める人生。しかし、得られるものは百に一つ、これはまさに苦しみです。

そう考えていくと、この五体そのものが苦しみを盛る器のような気がしてきます。人間とは苦の塊ではないか、とつくづく思わざるを得ません。これが最後の苦、五陰盛苦です。人間そして世界を構成する五つの要素、これを仏教では五陰(五蔵)と呼びます。色(物質的現象)、受(感愛、如(表)、行、(意志)、識(認識・知識)の五陰です。この五陰の執着からさまざまな苦しみが出てきます。したがって人間を構成する五陰は、まさに苦を盛る器であるというわけです。

たしかに、生きているということは、とてもすばらしいことです。生きているからこそ、喜びもあるし、自分が向上することもできます。けれどもトータルしてみると、やはり、この世は楽よりも苦の方が多く、生きること、すなわち苦であります。これが、お釈迦さまがこの世の中をご覧になった結論なのです。

来世を決定する末期の境界

 

VHV

 

 

成仏法が説かれた二つのお経

成仏法が説かれた二つのお経

阿含宗信徒が読誦する『仏舎利宝珠尊解脱宝生行聖典』(以下、『聖典』)には二つの「阿含経」 が載っています。一つは「貯金・経」(以下「応説経』。上巻・六三一八四頁)で、もう一つは今回講義する「一阿含経・三供養品』(以下『三供養品』)です。

でしょうか? わたくしはなぜ、数ある「阿含経」の中から、この二つのお経を選び出し、唱えさせているの

この二つのお経には成仏法、つまり成仏の方法が説かれているからです。

二千数百年前、お釈迦さまは弟子たちに、成仏する方法をお教えになられました。その成仏の

方法には大きく分けて二種類あります。

まず第一の成仏法は応説経に説かれる高度(上根・上品)の成仏法で、七科三十七道品を修

ません。 行して成仏する方法です。わたくしはこれを成仏のための七つのシステム、三十七種類のカリキュラムと呼んでおります。「応説経』についてはすでに講義をしましたので、ここでは繰り返し

第二の成仏法は、現在は徳薄く福少ない者であっても、これを修行することによって必ず大きな福神を身につけ、成仏に向かうことができるというだ概(下部)の成仏法、三割板です(この三善根を阿含宗では三福道と呼んでおりますが、その理由については後で詳しく説明いたします)。これは「三供養品」に説かれています。

 

お釈迫さまが説かれている成仏法は、この二つのお経に集約されます。すべての「阿含経」は、 最終的にはこの二つにまとめられるのです。お釈迦さまはこの二つの成仏法を時と場合、相手の能力に応じて、あらゆる角度からお説きになりました。したがって、このお経を読託する功徳は、

計りしれないものがあります。ですから、わたくしは阿含宗信徒に読誦させているのです。

運と成功

さて、わたくしが他の宗派に攻撃されながらも阿含宗を立宗し、本山を開いて総本殿の建立計画を着々と進めている時、懇意にしてくださっているある宗派の高僧から、

「桐山先生は運の強い方ですね。人も財物も、どんどん先生のところに集まってきますね。本当に運がお強い!」

といわれました。

「いやあ、悪運が強いんでしょうな」

わたくしは笑ってそのようにお答えしましたが、実際問題として、宗教教団でも、個人でも、 運が強くなければどうしようもないと思います。特に一般の企業人ならばなおさらでしょう。企葉でも、個人でも、あるいは宗教団体でも、運が弱くて、さらに運が悪かったら、どうしようもありません。

わたくしはその高僧から、運が強い、といわれたわけですが、最初から運が強かったわけではありません。いや、たしかに運が強いと思う部分もありました。しかし、その強運を無に帰してしまうほどに、運が悪かったのです。

運の分類には強い・弱いのほかに、よい・悪いがあります。いちばんよいのは運がよくて、さらに強い人です。反対に最悪なのが、運が弱くて、運が悪い人です。その中間に、運は弱いけれども運のよい人と、運は強いけれども運の悪い人がいます。

わたくしは運が強くても、運が悪い人間でした。ですから若い時は、ずいぶんと苦労をしたわけです。運が強いものですから、他人がとれないような大きな仕事をとってきます。ところが運が悪いために、最後は必ず失敗してしまいました。最初はうまくいっても、運が悪く失敗してしまう。この繰り返しでした。

送っていただろうと思います。 ところが正しい仏教を信仰しはじめてからは、失敗することがなくなってきたのです。運が強いだけではなくて、運がよくなってきました。わたくしは運命学によると大晩年運といって、晩年になればなるほど運が強大になるタイプですから、たしかにそのおかげもあったでしょう。しかし仏教の修行・信仰をしなかったならば、悪い因縁のために強い運を活かせず、不運な一生を

わたくしは因縁解説の修行によって悪い運がなくなり、よい運が身についたのです。その上、 運がさらに強くなってきました。あなた方も信仰し、修行するのならば、運の強い人を師匠にしたければいけません。運の強い宗教教団に入って修行しなければ意味がありません。

以前、某大企業が入社の際、合否を試験の成績だけで判断するのではなく、運のよい人間を入

社させようということで、口頭試問の時に、

「君はこれまでの人生を振り返って、運がよかったと思いますか? 悪かったと思いますか?」

と聞いたそうです。そこでうっかり、

「私ほど運の悪い者はいないと思います」

と答えた人は、どれほど優秀な成績の者でも不採用にしたそうです。反対に、

「私は運がよいと思います」

「どうしてそう思いますか?」

「この会社を受験できるということだけでも、私は運がよいと思います。それに、おそらく私は

入社できるでしょう。今まで私は幸運続きですから」

というようなことをいうと、一発で、

「君、入りたまえ」

となったようです。

わたくしは「人間改造の原理と方法』(平河出版社)で、日露戦争時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎のことを書いております(同書二〇―三頁)。

明治三十六年、当時の日本は、強国帝政ロシアと戦端をひらく寸前で、全国民をあげて緊張していた。ロシアは当時世界最大の陸軍国であったが、結局、勝敗の帰趨を決するものは刺激権であろうと見られていた。要するに海軍のたたかいである。その海軍の全艦隊をひさいてたたかう連合艦隊司令長官にはいったいだれがなるのか? 軍関係者ばかりでなく、

全国民最大の関心のまとであった。朝野をあげて息をひそめて見まもるなかで、時の海軍大臣山本権兵衛は、舞鶴道守府司令長官東郷平八郎を任命した。異常ともいうべき抜撮であった、当然任命されてしかるべき有能な先輩たちがなんにんかいた。日高壮之丞、柴山矢八などという立派な海将たちがおり、ことに佐世保の鎮守府司令長官である柴山は、十人が十人、 おそらくこのひとが連合艦隊の指揮をとることになろうと見られていた。東郷もすぐれた海将ではあったが、序列を越えて抜擢されるほど、このひとたちを凌駕するずばぬけた能力を持つとは思われていなかった。山本のエコヒイキであるとのつよい批難の声が一部であがった。しかし山本はいっさい意にかいさなかった。あるとき、知名のジャーナリストが、山本に質問した。 ぱってき

「あなたが東野を抜擢したのは、かれのどういうところを買ったのですか?」

「なあに」

と山本はかるく答えた。

「あいつは若いときから運のいい男でな」

「運がいいのですか?」

「うん、あいつほど運のいいやつはめずらしい」

ふうむ、と質問したジャーナリストは絶句してしばらく権兵衛の顔をみつめた。

要するに――、能力にそれほどひらきがなく、おなじようなものだったら、結局、「運」 の

いい人間をとるべきじゃないかというわけである。戦争なんて、バクチ以外のなにものでもないのじゃないかと、この意傑とよばれた海軍大臣は腹の中で考えていたのかも知れない。

結局、歴史はこの山本権兵衛の選択が当を得ていたことを示している。帝政ロシアが誇るパルチック艦隊は、ウラジオストックへ向けて出港以来、不運の連続であったと戦史はつたえる。もちろん、三十八隻という大艦隊が、一五〇〇〇カイリの長距離を乗りきって、半年ちかくの熱剤をつづけて攻撃をかけてくるのだから、さまざまな困難や障害が生ずるのは当然であるが、とにかく、ささいなことにまで思いがけぬトラブルの連続であったという。 これにたいし、東郷は、好運の連続であったといっていい。

実際に山本権兵衛のいうとおりではありませんか。やはり大将は運がよくなければいけません。 不運の大将のもとで闘う部下は、悲惨の一語につきます。

作家の司馬遼太郎(一九二三―一九九六)が、「新史太閤記』(新潮社)で、同じようなことを書いておられます。これも「人間改造の原理と方法」に引用しております(同書一八一二〇頁)。

うか? なにをするにしても、人間、運が悪くてはどうにもならない。人生、運が第一ではなかろ

司馬遼太郎氏の「新史大開記』に適切な表現がある。中国攻めの陣で、羽柴秀吉は、実戦、 高松城を水攻めにすることにした。黒田官兵衛米高がこれを家電した。高さニ〇メートル、 幅二〇メートルの堤防を、四キロにわたって築き、平地にある高松城をかこんでしまおうというのである。この堤防が満々と水をたたえたとき。高松城は湖の中心となって完全に水没するだろう。しかし、その木をどうするか? 城の近くに二つの川が流れている。この

川を流させ、流れを変えて境防の中にそそぎこもうというのである。

この大工事を、人を動かすこと天下無類の大名人である秀吉は、わずか十二日で完成させた、水は徐々に人造湖に流れこんでゆく。が、堤防に立って様子をながめていた官兵衛は、 これはいかんと思った。これはむりだと思ったのである。出来たての湖は、流れこむ水の相当量と大地にかみこませてしまって、水をためるというところまではいかないのである。この分では、いつになったら域が水没するほどの水量になるのかおぼつかない。水没するところまでいかなければ、城かたは降参するはずがないのである。そのうち、広島の本城から、 毛利の軍がかけつけるであろう。

(これはむりだ)

上官兵衛はひそかに思った。

が、官兵衛の心は、歌におわった。

第工して七日後、それまで空梅雨かとおもわれた天が、にわかに変ったのである。豪雨が降った。用が、三日も降りつづいた。陰曆五月は梅雨の季節である。いかにその季節とはいえ、まるで男をくつがえしたようなこれほどの雨がふるというのはまれであろう。

附上陽水を増水した。みるみるうちに人造湖のお鷲があがり、二日目に城の丘が水没し、 三日目には城様の一階はことごとく水面下になり、樹々も怖が水面上に顔を出しているというだけの光新になった。練兵たちは二階にのぼり、捕の上に板を渡し、賞をかけてそこに起居した。かれらにとって敵よりも水とのたたかいであった。官兵衛は舌をいた。 本にではない。

羽生順守という、自分が見込んだあの男の運のよさに対してであった。官兵衛はこの点

で戦国人であった。才容力量があっても運のわるい男を数かぎりとなく官兵衛はみてきた。 力量門地がそろっていても天運の援助のない男を、官兵衛は巨漢とは思わない。小事をなすのは力量である。大事をなすのは天運である。と官兵衛はおもっていた。

(あの男には、大運がついていそうだ)

そう思ったが、しかし大運といってもこの時期、ほんの来月にやってくる本能寺/変という巨大な事態のころがりこみまでを、官兵衛は予想したわけではなかった。しかしながら、 (筑前はいい)

と、自分の見込みがはずれなかったことをひそかによろこんだ。もはやためらう必要はなかった。あの男を輸け、命を賭けてあの男のためにはたらき、あの男を押し立てることによってわが身の運をひらくべきであろう。』(司馬遼太郎『新史太閣記』後篇 新潮社刊) まさに運と力量(能力)について表現しあますところがない。

ただし、司馬氏は、秀吉の運のよさを買った官兵衛を、この点で戦国人であった」といっている。しかし、わたくしは、むしろ、官兵衛のこの着眼を、近代人的であったと表現したい。すくなくとも、官兵衛孝高のこの発想は(もちろんこれはどこまでも司馬官兵衛孝高のわけだが)戦国時代も現代も一貫して不変の人間学といわれるべきものではなかろうか。

運が悪かったらどうしようもないというのは、戦国時代にかぎりません。現代も同じです。むしろ今は、戦国時代以上の苛烈な時代だと思います。どれほど才能にあふれていようとも、どれ

九〇

くらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にだめなのです。

また、人間というものは、だれもが社長になり、だれもが大将になれるわけではありません。

したがって黒田官兵衛のように、運のよい大将を選んで、あるいは現代ならば運のよい社長を選び、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだ、とわたくしは思うのです。もちろん、ただ運が強いだけではしかたがありません。強い運を基礎にして、 死の努力を重ねていく。そうすると、必ず大きな成果を得られるわけです。

けれども運が悪かったのでは、死にものぐるいの努力をしても、努力が実ることは少ないわけです。むしろ努力すればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされることもままあります。企業でも、また宗教団体であっても、人は運の強いところに身を寄せて、自分の能力・才能・運を大いに伸ばす努力をすべきである、とわたくしはかねてからそのように思っています。

でしょうか? しかし、さきにお話ししたとおり、わたくしは最初から運がよかったのではありません。若いころのわたくしは非常に不運でした。それが今のように運がよくなったのは、いったいどうして

みましょう。 「その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで

 

 

 

At