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輪転生联想: 30

その結果、あのとき、わたくしに啓示をあたえた体臭の異常、また、わたくしの生体をささえるため必死にたたかっていたのが、副腎とよぶ機能の高まりであったこと、そうしてそれは、クンダリニー・ヨーガで、ムーラダーラ、およびマニプーラとよばれるチャクラの部位であることがわかったのである。

以来、わたくしは、クンダリニー・ヨーガの体得に深く没頭していったのである。

・以上、護摩行と滝行、この二つの行だけで、わたくしは、だれでも、斯陀含 /にまでは到達できるであろうと思っている。

四神足の修練によってニルヴァーナへ

さらに、輪廻転生瞑想法の原典である釈尊の成仏法、その真髄たる四神足法を修練していくとどうなるのか?

釈尊の体験を見てみよう。

バーリ文「スッタ・ニパータ」を、中村元先生の訳によって載せてみる。

/ このように四神足を修練し、豊かならしめたならば、多様なる神変を身

に受ける。一身にして多身となり、多身にして一身となり、あるいは現わ

れ、あるいは隠れ、牆壁や山岳をよぎって、願げなく、行くこと空中にお

けるがごとく、地中に出没すること水中におけるがごとく、水中を行きて

壊られざること地上におけるがごとく、虚空においても結跏趺坐してそぞ

ろ歩きすることは飛鳥のごとく、このように大神通・大威徳あるこの日月

する。

を手でとらえて揉んでしまい、梵天の世界にいたるまでも身をもって支配

こ このように四神足を修練し豊かならしめたならば、清浄にして超人的な天の耳の本性をもって、遠近にある天的なまた人間的な声をともに聞く。

このように四神足を修練し豊かならしめたならば、他の生存者、他の

人々の心をば心によって了解して知る。貪りある心を貪りある心であると知り、貪りを離れた心を貪りを離れた心であると知り、また怒りある心を怒りある心であると知り、怒りを離れた心を怒りを離れた心であると知り、迷妄ある心を迷妄ある心であると知り、迷妄を離れた心を迷妄を離れた心であると知り、収縮した心を収縮した心であると知り、散乱した心を散乱した心であると知り、偉大な心を偉大な心であると知り、偉大ならざる心を偉大ならざる心であると知り、上ある心を上ある心であると知り、 無上の心を無上の心であると知り、定にあらざる心を定にあらざる心であると知り、定のうちにある心を定のうちにある心であると知り、解脱していない心を解説していない心であると知り、解脱している心を解脱している心であると知る。

3 このように四神足が修練され豊かにされたときに、種々なる過去の生涯を想いおこした、すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、四つの生涯、五つの生涯、十の生涯、二十の生涯、三十の生涯、四十の生

のである。 涯、五十の生涯、百の生涯、千の生涯、百千の生涯を、またいくたの宇宙成立期、いくたの宇宙破壊期、いくたの宇宙成立破壊期を。「われはそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓(gotta)であり、これこれのカースト(vanna)であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受し、これこれの死にかたをした。そこで死んでから、かしこに生まれた」 と。このようにかたちや名称とともに種々なる過去の生涯を想いおこした

このように四神足が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを明らかに知った、

「じつにこれらの生存者は身に悪行をなし、ことばに悪行をなし、こころに悪行をなし、もろもろの聖者をそしり、邪った見解をいだき、邪った見

解にもとづく行為をなす。かれらは身体が破壊して死んだあとで、悪しきところ、堕ちたところ、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身に善行をなし、ことばに善行をなし、こころに善行をなし、もろもろの聖者をそしらず、正しい見解をいだき、正しい見解にもとづく行為をなす。 かれらは身体が破壊して死んだあと、善いところ、天の世界に生まれた」 と。

このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを〔明らかに]知った。

そうして最後につぎのように結んでいる。

5 このように四神足が修練され豊かにされたときに、もろもろの煩悩の汚

れがほろぼされることによって、汚れなき心の解説・知慧の解説をこの世において、みずから証知し、現証し、具現して住する。

けっきょく、四神足の修行によって、釈尊は解説を得たというのである。つまり、四神足の修練によって、ニルヴァーナに到達したというのだ。

ニルヴァーナにまで到達するのは、至難の業である。わたくしといえども、 そこまで修行者を導く自信はない。しかし、準・ニルヴァーナにまで到達させる自信はあるのだ。すべては、修行者の努力と熱意しだいだが――。

311 第八章想法のカリキュラム

行らす者 ― 気息の門

The One Who Sets It in Motion — The Gate of Breath

山の夜 庵は静まり
風だけが 杉を渡る
閉じた眼に 息を観れば
内なる門が ひらき始める

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

行らせ 気息を 身と心へ
止めて観れば 光が生まれる
吸う息 解脱へ 還りゆき

 

吐く息 空へ 溶けてゆく

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

行らせ 念を 門に置けば
眠れる脳が 目覚めてゆく
四安般念の 深き道
静寂の中で 我は坐す

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

The One Who Sets It in Motion

 

Mountain night, the hermitage grows still
Only the wind moves through the cedar trees
With closed eyes, watching the breath within
The inner gate begins to open

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

Set the breath in motion through body and mind
When stilled and seen, a light is born
Inhaling returns toward liberation
Exhaling dissolves into the vast sky

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

Place awareness upon the inner gate
The sleeping brain awakens slowly
The deep path of the Four Anapanasati
In silent stillness, I sit

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

 

行らす者 ― 気息の門

小説章
「行らす者 ― 気息の門」
山の庵には、夜の静けさが満ちていた。
外では風が杉の枝を渡り、かすかな音だけが闇を揺らしている。
青年は老師の前に坐していた。
長い修行を重ねてきたはずだったが、今夜の空気はどこか違っていた。
炉の火が、ぱちりと鳴る。
老師はゆっくり口を開いた。
「ここで――一つの言葉に留意せよ。」
青年は姿勢を正した。
「行らす、という言葉だ。」
その響きは古く、経典の奥から響いてくるようだった。
「修行とは、ただ呼吸することではない。
気息を行らすのだ。
身と心において、止め、そして念ずる。」
老師は静かに自らの胸に手を置いた。
「身正息――
身において気息を止念する。」
次に、額へ指を向ける。
「心止息――
心において気息を止念する。」
青年は目を閉じた。
呼吸が、次第に細くなる。
吸う息も、吐く息も、ただ流れるのではない。
止める。
観る。
念ずる。
老師の声が、さらに低く響いた。
「では問おう。
身と心の、どこに止めるのか。」
沈黙。
やがて老師は答えた。
「それは――場所である。」
火の光が揺れ、青年の顔を照らす。
「体と脳の、ある特定の場所。
古来、チャクラと呼ばれた門だ。」
その言葉とともに、青年の意識は内側へ沈み始めた。
胸の奥。
喉。
眉間。
頭頂。
そこに、かすかな脈動がある。
「気息を置き、念を重ねる。
すると何が起こるか。」
老師は目を閉じたまま続けた。
「心の解脱入息。
心の解脱出息。」
吸う息が、光となる。
吐く息が、空へ溶ける。
青年の内で、何かが触れられた。
まるで脳の奥――
眠っていた場所が、微かに目覚めるように。
「プラーナは、ただの空気ではない。」
老師の声。
「気息と念のエネルギーが、内なる門を刺激する。
その時、修行者は――」
火が強く燃え上がった。
「人間の境界を越え始める。」
青年の呼吸が消えた。
いや、止まったのではない。
呼吸そのものが、全身へ広がったのだ。
身と心が分かれていた感覚が、ゆっくり溶けていく。
やがて老師は言った。
「だが、これはまだ途中にすぎぬ。」
静かな声だった。
「この修行の先に、覚悟へ至る道がある。
気息も、思念も、すべてが一つに入る段階だ。」
青年は薄く目を開いた。
「それが……最奥なのですか。」
老師は首を横に振った。
「いや。」
炉の火が静まる。
「次に説かれるのは――
四つの最上深秘の禅定。」
その名を告げる時、庵の空気さえ変わった。
「四安般念法。」
青年の胸が震える。
「釈尊は言われた。
これ以上の呼吸法は存在しない、と。」
老師は微笑した。
「だが忘れるな。
これは単なる呼吸法ではない。」
ゆっくりと言い切る。
「これは――禅定法だ。」
長い沈黙。
外では夜がさらに深まっていた。
「なぜ、この聖典が長く知られなかったと思うか。」
青年は答えられなかった。
老師は静かに言った。
「そこまで到達した修行者が、ほとんどいなかったからだ。」
火が小さくなる。
そして老師は、少し柔らかな声になった。
「驚いているだろう。
いきなり奥義を聞いたのだからな。」
青年は正直にうなずいた。
「しかし安心せよ。」
老師の眼が、深く優しかった。
「どれほど深い法でも――
初歩から歩めば、誰でも堂奥に至る。」
外で風が止んだ。
世界が、息を潜める。
「では――」
老師は姿勢を正した。
「ここから、初歩に戻ろう。」
青年は再び坐り直した。
真の修行が、
今ようやく始まろうとしていた。

小説章
「行らす者 ― 気息の門」
山の庵には、夜の静けさが満ちていた。
外では風が杉の枝を渡り、かすかな音だけが闇を揺らしている。
青年は老師の前に坐していた。
長い修行を重ねてきたはずだったが、今夜の空気はどこか違っていた。
炉の火が、ぱちりと鳴る。
老師はゆっくり口を開いた。
「ここで――一つの言葉に留意せよ。」
青年は姿勢を正した。
「行らす、という言葉だ。」
その響きは古く、経典の奥から響いてくるようだった。
「修行とは、ただ呼吸することではない。
気息を行らすのだ。
身と心において、止め、そして念ずる。」
老師は静かに自らの胸に手を置いた。
「身正息――
身において気息を止念する。」
次に、額へ指を向ける。
「心止息――
心において気息を止念する。」
青年は目を閉じた。
呼吸が、次第に細くなる。
吸う息も、吐く息も、ただ流れるのではない。
止める。
観る。
念ずる。
老師の声が、さらに低く響いた。
「では問おう。
身と心の、どこに止めるのか。」
沈黙。
やがて老師は答えた。
「それは――場所である。」
火の光が揺れ、青年の顔を照らす。
「体と脳の、ある特定の場所。
古来、チャクラと呼ばれた門だ。」
その言葉とともに、青年の意識は内側へ沈み始めた。
胸の奥。
喉。
眉間。
頭頂。
そこに、かすかな脈動がある。
「気息を置き、念を重ねる。
すると何が起こるか。」
老師は目を閉じたまま続けた。
「心の解脱入息。
心の解脱出息。」
吸う息が、光となる。
吐く息が、空へ溶ける。
青年の内で、何かが触れられた。
まるで脳の奥――
眠っていた場所が、微かに目覚めるように。
「プラーナは、ただの空気ではない。」
老師の声。
「気息と念のエネルギーが、内なる門を刺激する。
その時、修行者は――」
火が強く燃え上がった。
「人間の境界を越え始める。」
青年の呼吸が消えた。
いや、止まったのではない。
呼吸そのものが、全身へ広がったのだ。
身と心が分かれていた感覚が、ゆっくり溶けていく。
やがて老師は言った。
「だが、これはまだ途中にすぎぬ。」
静かな声だった。
「この修行の先に、覚悟へ至る道がある。
気息も、思念も、すべてが一つに入る段階だ。」
青年は薄く目を開いた。
「それが……最奥なのですか。」
老師は首を横に振った。
「いや。」
炉の火が静まる。
「次に説かれるのは――
四つの最上深秘の禅定。」
その名を告げる時、庵の空気さえ変わった。
「四安般念法。」
青年の胸が震える。
「釈尊は言われた。
これ以上の呼吸法は存在しない、と。」
老師は微笑した。
「だが忘れるな。
これは単なる呼吸法ではない。」
ゆっくりと言い切る。
「これは――禅定法だ。」
長い沈黙。
外では夜がさらに深まっていた。
「なぜ、この聖典が長く知られなかったと思うか。」
青年は答えられなかった。
老師は静かに言った。
「そこまで到達した修行者が、ほとんどいなかったからだ。」
火が小さくなる。
そして老師は、少し柔らかな声になった。
「驚いているだろう。
いきなり奥義を聞いたのだからな。」
青年は正直にうなずいた。
「しかし安心せよ。」
老師の眼が、深く優しかった。
「どれほど深い法でも――
初歩から歩めば、誰でも堂奥に至る。」
外で風が止んだ。
世界が、息を潜める。
「では――」
老師は姿勢を正した。
「ここから、初歩に戻ろう。」
青年は再び坐り直した。
真の修行が、
今ようやく始まろうとしていた。

身正息 身において気息を止念す 心止息心において気息を止念

ここで、この「行らす」という言葉に留意していただきたい。

身正息 身において気息を止念す

心止息心において気息を止念す

気息を、身と心に止め、念ずるのである。身と心の、どこに止め念ずるのか?

体と脳のある特定の場所(チャクラ)に止め念ずるのである。

心の解脱人息

心の解脱出息

プラーナ脳のある特殊な場所(チャクラ)を、気息と念のエネルギーによって刺激す

る。この修行から修行者は人間の境界を越え(解説)はじめる。

前の修行につづき、以

その後行パンフぁ、覚悟に到達する修行である。気息・思念すべてーに入る。

つぎに、敷は、四つの最上深秘の禅定を説いている。これは、差阿含経「正息」に説かれているが、「安思念経」につづく奥義の禅定法である。

である。

のである。 これが、さきにのべた「四安般念法」である。これが、四神足法の核になるもので、修行者はこの法によって、解説・変身し、大神通力を身につける

釈尊が、この経典で、「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」とのべているのも当然なのである。

ここでは、呼吸法”と訳されているけれども、単なる呼吸法ではないことは、前にのべたとおりである。正しくは、『禅定法”と意訳されなければならないのである。

どうして、こんな貴重きわまる聖典が、これまで注目されなかったのか、わたくしはじつに不思議でならない。おそらく、その価値がわかるところにまで到達した修行者がいなかったということなのだろう。 さて、

いきなり、最高の奥義・秘伝に入ってしまって、あなたはびっくりしているかもしれない。もちろん、ここに来るまで、非常な修練を積まねばならない。 しかし、どんなにむずかしいことでも、初歩から段階を踏んで進んでいけば、 だれでもかならず、その堂奥に達することができるのである。しっかり修行しどうおう

ていただきたい。

では、もとに戻って、初歩からの課程を説くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

202