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第一章 序論 を第一章 序論

 金剛界曼荼羅は、密教の世界観を最も包括的かつ体系的に示す宗教的図像であり、とりわけ「成身会」は即身成仏思想を視覚的に表象する中心的意義を有する。すなわち、曼荼羅は単なる図像芸術ではなく、宇宙論的秩序と修行者の内的実践とを架橋する宗教学的媒体として機能してきたのである。

 しかしながら、曼荼羅の宗教的意味は必ずしも一義的ではない。従来の研究においては、美術史的・考古学的観点からの様式史的分析、あるいは教学的注釈に依拠した doctrinal な解釈が主流を占めてきた。その一方で、曼荼羅の実践論的側面──すなわち観想修行における心理的・身体的効用や、儀礼における宗教的経験との関係──については、十分に論じられてきたとは言いがたい。さらに比較宗教学的観点から、曼荼羅を他宗教の象徴体系と照らし合わせて論じる試みも限定的である。

 本稿の目的は、このような研究状況を踏まえつつ、①宗教学的意義の整理、②実践論的分析、③比較宗教学的考察の三側面から「金剛界曼荼羅・成身会」を多角的に検討することである。そして最終的には、曼荼羅が密教思想において果たしてきた役割を総合的に把握し、即身成仏の教義がいかなるかたにすることを目指す。

 本研究の問題意識は、曼荼羅を「静的な象徴」とみなすのではなく、むしろ修行者の身体的経験や宗教的実践と結びついた「動的な宗教世界」として理解することにある。そのことにより、曼荼羅をめぐる宗教学的研究に新たな視座を提示し、密教思想の普遍性と特殊性の双方を検討するための手がかりを与えることが期待される。

第二章 金剛界曼荼羅の宗教学的意義

一 曼荼羅における「成身会」の象徴性

 金剛界曼荼羅は、密教の宇宙観を九会曼荼羅の形式で体系化したものであり、その中心を占めるのが「成身会」である。成身会は、大日如来を中心に配置し、諸仏・諸菩薩が三昧耶形によって配列されることにより、修行者自身の成仏の完成を視覚的に表現する。ここで重要なのは、曼荼羅が単なる宇宙の図解ではなく、修行者の身体的・精神的完成を示す「宗教的地図」として機能する点である。すなわち、曼荼羅に描かれた秩序は、外的宇宙と内的宇宙の相関関係を象徴し、修行者が仏の身へと成就する可能性を体現している。

二 三昧耶形と仏の相互関係

 曼荼羅における三昧耶形は、仏・菩薩の本質を凝縮した象徴であり、それぞれの存在の誓願と本質的機能を視覚的に示す役割を担う。例えば、剣・蓮華・金剛杵といった法具は、単なる装飾ではなく、智慧・慈悲・方便といった仏の根源的性格を具現化した記号である。このような象徴的体系を通じて、修行者は仏の本質に直観的に接近し、自身の内奥にその徳を体現することを志向する。ここにおいて、曼荼羅は仏と修行者の媒介装置としての宗教学的意義を有している。

三 即身成仏思想との連関

 金剛界曼荼羅の核心は、即身成仏思想との不可分の連関にある。即身成仏とは、生身のままに仏果を得ることを意味し、これは他の大乗仏教思想には見られない密教独自の教理的特色である。成身会においては、大日如来を中心とした仏格の配置が、修行者の身体的完成を象徴する「モデル」として示されている。修行者は観想や儀礼を通じて、曼荼羅の諸尊と一体化し、自らの身心を仏の境地へと転換する。この過程において、曼荼羅は即身成仏の「図像化された道程」として機能し、その宗教学的意義は修行の実践と不可分に結びついているといえる。

 

 

 

 

七覚支宝の歌

Song of the Seven Jewels

of Awakening

 

心の奥に 眠る七つの宝
迷いの闇を 静かに照らす
念は力を 意志と知を結び
定は澄む ひとつの心へ

namo saptānāṁ samyaksaṁbuddha

koṭīnāṁ tadyathā oṁ cale cule cundī svāhā

môṣa-dānaṃ samyak-saṃbuddha-kundhī-nāma-tathāgatā

oṃ cundī śrī cundī svāhā

捨てよ執われ 自在なる空へ
精進の火が 智慧を燃やす
七覚支よ 成仏の道しるべ
解脱の光 われを導け

namo saptānāṁ samyaksaṁbuddha koṭīnāṁ tadyathā oṁ cale cule cundī svāhā

môṣa-dānaṃ samyak-saṃbuddha-kundhī-nāma-tathāgatā oṃ cundī śrī cundī svāhā

 

Deep in the heart lie seven hidden jewels,
They softly illumine the darkness of delusion.
Mindfulness binds the will and wisdom as one,
Concentration clears into a single pure heart.

namo saptānāṁ samyaksaṁbuddha koṭīnāṁ

tadyathā oṁ cale cule cundī svāhā

môṣa-dānaṃ samyak-saṃbuddha-kundhī-nāma-tathāgatā

oṃ cundī śrī cundī svāhā

Let go of clinging, soar free into the sky,
The fire of effort kindles the flame of wisdom.
O Seven Factors, the guiding path to Buddhahood,
Lead me by the light of liberation.

namo saptānāṁ samyaksaṁbuddha koṭīnāṁ tadyathā oṁ cale cule cundī svāhā

môṣa-dānaṃ samyak-saṃbuddha-kundhī-nāma-tathāgatā oṃ cundī śrī cundī svāhā

 

 

はい、承知しました🙏。
ご提示のものは 不動明王の真言(大呪・大陀羅尼) として知られるものです。日本では「不動明王根本真言」と呼ばれることが多く、密教修法や護摩の際に必ず唱えられる中心的な真言です。


不動明王の真言(根本真言)

梵音写:
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」


意味と構造

  • ノウマク(namah)
    サンスクリット語 namas の音写。
    「帰命す」「礼拝する」「ひれ伏して敬う」の意味。
  • サンマンダ(samanta)
    「普く」「一切」「遍満する」。
  • バサラダン(vajra-dhāra? vajra-danta?)
    「金剛の持者」「金剛の如き力」。
    不動明王の金剛堅固の誓願を表す。
  • センダンマカロシャダヤ(cendamahāroṣaṇa)
    「大忿怒尊」「大いなる忿怒をもつ者」。
    不動明王の忿怒相を示す重要な語。
  • ソハタヤ(svāhā)
    「成就あれ」「よし」「完成せよ」。
    真言の結びに多く用いられる。
  • ウンタラタ(uttarata)
    「超越する」「勝れている」。
    世間の一切を超えて守護する力を表す。
  • カンマン(khaṁ vaṁ / hūṁ phaṭ?)
    不動明王を象徴する種字(種子)
    「カン」は大地・不動、「マン」は堅固を象徴し、動かざる力を意味する。

修法上の意味

この真言は、修行者が不動明王に帰依し、

  • 煩悩を断ち切る力
  • 障難を退ける力
  • 心を動じさせない堅固さ
    を授かるために唱えられます。

密教では「護身法」や「護摩供養」に必須であり、唱えることで修行者の煩悩・恐怖を焼き尽くし、智慧と慈悲の力を顕現させるとされます。


もしご希望なら、この真言を

  • サンスクリット復元表記(IAST)
  • 現代語訳(意味を感じる日本語)
  • 実際の修法での唱え方(リズムや区切り方)

に分けて整理した「学術的+実践的」な詳細解説もお作りできますが、見てみたいですか?