悟りの段階 1 – 預流 (よる)
釈迦から始まった仏教の上座部では、悟りの段階があります。4つの「果 (成就した段階) 」を合わせて、「四沙門果」(ししゃもんか) と言います。
さらに、4つの果得 (定) を、「向 (進み入る段階) 」と「果 (成就した段階) 」に分けています。向と果の名称が同じで、八種の段階にある人という意味で、八種の段階のことを、四双八輩 (しそうはっぱい) と言います。
悟りの段階 (階梯・かいてい) です。
預流 (よる) 、一来 (いちらい) 、不還 (ふげん) 、阿羅漢 (あらかん) 又は、応供 (おうぐ) の四段階です。四つの階梯とも、言います。
◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹を指す。◎ 一来 – 一回人と天の間を往来して悟りに至る位。斯陀含を指す。
◎ 不還 – 欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿那含を指す。
◎ 阿羅漢 (応供) – 供養を受けるにふさわしい者で、今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れないとされる位
預流果の説明です。
預流果 三結(有身見・疑・戒禁取)が絶たれている。
(「私は誰か?」を始めた人。「真我探求」を実践している人。) 預流果 (よるか) になれば、悟りの流れに乗っている人です。
預流果 (よるか) は、「真我探求」を実践している人です。
-
「この考えは、誰に起こったのだろうか?」と、自問します。
その答えは、「私に」になります。
そして、すぐに、
「私は誰か?」と、自問します。
考え (想念) が起きるのは、心がハートからでているときです。心が、ハートに留まっていれば、考えは湧いて来ません。
心に残った印象 (記憶に付いている印象) があると、心がハートから外に出て、考えが湧いてきます。考えが、私のように振る舞います。
仏教の預流果の説明です。
預流果で消える煩悩は、無知に基づく三つ (三結) だけが消えています。それは、悟りを決定付ける三つです。
「私」というものがいると錯覚している煩悩が、まず根こそぎ消えます。
二つ目と三つ目は、一つ目の有身見が消えれば、自然に消える煩悩です。
-
これは、「何が真実か分からないまま、ぐずぐず・ウジウジしていること」です。
預流果になると、このウジウジ状態や真偽を見誤ることがなくなります。心は、自分に嘘をつきます。この心のつく嘘を「識別できる」ようになります。
レスター・レヴェンソンの感情のスケールで、「勇気がある状態」になります。自分の心の嘘を見破り、良い方向に行動することができます。
真理を目の前にして何の疑いもなく、ぐずぐず迷わないので、結果もすぐに出ます。
「私がやっているのが正しい、これでなければいけない。」とこだわったら、それが戒禁取です。真理ではなく、自分が決めた習慣に、自分が縛られています。
預流果になった人は、決して、完全な悟りに向かう道から、退くことはありません。完全な悟りへの聖なる流れに入った、預かったので、預流果と呼ばれます。
釈迦は、「預流果の人は、天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」と言われています。